多良見町の寺社・仏閣と言えば、ここを外して語るわけにはいきません。
化屋(けや)の「阿蘇神社」です。
一度は行かなければと思っていました。
御祭神は「タケイワタツノミコト(健磐龍命;阿蘇山を制する神様で、初代神武天皇の孫)」です。
「阿蘇神社は天文三年(1534年)、当時伊佐早一円の領主西郷石見守が喜々津の総鎮守として熊本県一ノ宮の阿蘇神社より御分霊を勧請、囲の地に祠を建立して祀られました。以来武将は国土守護の軍神として、農民は農耕の神として崇敬を寄せました。
寛永元年(1624年)に正法寺住職伝興法師が氏子と協力し、囲の地にあった阿蘇神社を現在地に遷宮しました。伝興法師は阿蘇神宮の子息で、神社との縁が深かったようです。背後の丘陵地はこれ以来、「阿蘇の島」と呼ばれるようになりました。事実、当時は島であったと思われます。
文禄二年(1593年)関白豊臣秀吉が阿蘇大明神の御神託を請け大いに喜び、喜聞津と名付けられました。(喜ばしき事を聞く津という意味)後世これが訛って喜々津となったと伝えられます。明治七年五月村社に列せられました。」
二の鳥居と三の鳥居が諫早市の有形文化財に指定されています。
「二の鳥居は元禄五年(1692年)の建立で、『喜々津村中、宮司正法寺 神職松井左近』の刻字から正法寺の住職が宮司であり、寺院の管轄下で阿蘇神社を司掌していたことがわかります。
三の鳥居は天明七年(1787年)の建立で、中里の前田段十という者が施主となっている他文久二年(1862年)の修理の記銘がある。」
そして本殿。
忘れていましたが、世間的には正月が近いのですね。
ここ最近訪れた神社はどこもお正月を迎える準備に取りかかっていました。
化屋(けや)の「阿蘇神社」です。
一度は行かなければと思っていました。
御祭神は「タケイワタツノミコト(健磐龍命;阿蘇山を制する神様で、初代神武天皇の孫)」です。
「阿蘇神社は天文三年(1534年)、当時伊佐早一円の領主西郷石見守が喜々津の総鎮守として熊本県一ノ宮の阿蘇神社より御分霊を勧請、囲の地に祠を建立して祀られました。以来武将は国土守護の軍神として、農民は農耕の神として崇敬を寄せました。
寛永元年(1624年)に正法寺住職伝興法師が氏子と協力し、囲の地にあった阿蘇神社を現在地に遷宮しました。伝興法師は阿蘇神宮の子息で、神社との縁が深かったようです。背後の丘陵地はこれ以来、「阿蘇の島」と呼ばれるようになりました。事実、当時は島であったと思われます。
文禄二年(1593年)関白豊臣秀吉が阿蘇大明神の御神託を請け大いに喜び、喜聞津と名付けられました。(喜ばしき事を聞く津という意味)後世これが訛って喜々津となったと伝えられます。明治七年五月村社に列せられました。」
二の鳥居と三の鳥居が諫早市の有形文化財に指定されています。
「二の鳥居は元禄五年(1692年)の建立で、『喜々津村中、宮司正法寺 神職松井左近』の刻字から正法寺の住職が宮司であり、寺院の管轄下で阿蘇神社を司掌していたことがわかります。
三の鳥居は天明七年(1787年)の建立で、中里の前田段十という者が施主となっている他文久二年(1862年)の修理の記銘がある。」
そして本殿。
忘れていましたが、世間的には正月が近いのですね。
ここ最近訪れた神社はどこもお正月を迎える準備に取りかかっていました。