島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

久保キリシタン墓碑

2011-05-19 13:13:09 | 歴史・史跡
有家町内を歩いていると、またもや史跡を発見しました。
自分が予定していないものに出会えると楽しいですね。
史跡名は「久保キリシタン墓碑」です。
所在地は「有家町久保名隅田233-1番地」になります。
この解説板ははっきりと字が読み取れましたが、今後消えていかないとも限りませんので、メモ代わりに記しておきましょう。
 「島原南部一帯のキリスト教信仰は、天文六年(1578)領主・有馬晴信の入信以降、その在世時代、キリシタン王国とまでいわれる程、住民の信仰は頂点に達していた。しかしながら、天正十五年(1587)秀吉のバテレン追放令および慶長十八年(1613)徳川幕府の禁教令発布により、一層の厳しいキリシタン弾圧・迫害の時代を迎えた。
 島原藩主・松平豊後守重政は禁令に従い徹底的大弾圧にのりだし、キリシタンに対して強く仏教への改宗を迫り、それに従わない者には水責め、火責め、或いは地獄への投入など残酷を極めるものがあった。それでも尚かつ従わない者に対しては直ちに処刑をもってのぞんだ。
 厳しい世情の中でキリシタン達は幕府の厳しい迫害を恐れ、墓碑は人目につかないように土中に埋め、密かに信仰を続けていた。
 この墓碑は隅田村庄屋・小嶺内蔵右衛門乃丞屋敷跡の土中に上部の一部が露出しているのを発見、昭和十年(1935)十月二十四日郷土史家・森 豊造氏によって発掘され、キリシタン墓碑であることがわかった。
 墓碑の設置年代は不詳であるが、土中に埋もれていることからキリシタン禁令厳しい頃の墓碑ではないかと推定されている。
 この墓碑は、分類上「有穴かまぼこ型墓碑」と称されていて、上部に小さい穴があるのが特徴である。

 穴は拝礼のときに十字架等をたてるための穴で(イエズス会に記録あり)、この種の有穴キリシタン墓碑は長崎県下で四基だけ確認されているが、全国的に数少ない墓碑で貴重な文化財である。
 無記銘の墓碑であるが、近隣の住民によれば、「マリアさま」の名で呼ばれ丁重に奉祀されている。
 平成十年三月 有家町教育委員会」
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