鳥島神社と堅心道固禅定門板碑を探して歩き回っています。
ぐるりと山を迂回した時点で、「こっちには無いかな~」と薄々は感じていましたが、無いという保証もないので探索を続けていました。
急な坂を登り、曲がり角を曲がった所でふいに出会いました。
「小野の六地蔵石幢群六基(のうちの一基)」です。(表紙写真)
なんと、長崎県が指定する有形民俗文化財です。
解説板には括弧書きで(赤碕町)と書いてあります。
いつの間にか森山町を出て、お隣の諫早市赤崎町に入っていたようです。
「天文年間(1532~54年)に逆修(ぎゃくしゅう;生前に自らの極楽往生を願うこと)を目的に建立されました。
建立者は西郷氏一門と思われます。(諫早市を治めていた一族)
竿石(さおいし)や龕(がん;お地蔵さんの部分)が特徴的な形で佐賀型と呼ばれ、この赤崎の一基の他、小野天満宮内に四基、小野町性空寺谷に一基があります。」昭和56年3月27日指定
こういう予定していない出会いが時々起こるので、町歩きは楽しいです。
地図を見ながら目的の物を探すのも、トレジャーハンター(宝探し)みたいで楽しいですよね。
さて、違った町内を探したところで目的の物は見つからないので、戻りますか。w
ぐるりと山を迂回した時点で、「こっちには無いかな~」と薄々は感じていましたが、無いという保証もないので探索を続けていました。
急な坂を登り、曲がり角を曲がった所でふいに出会いました。
「小野の六地蔵石幢群六基(のうちの一基)」です。(表紙写真)
なんと、長崎県が指定する有形民俗文化財です。
解説板には括弧書きで(赤碕町)と書いてあります。
いつの間にか森山町を出て、お隣の諫早市赤崎町に入っていたようです。
「天文年間(1532~54年)に逆修(ぎゃくしゅう;生前に自らの極楽往生を願うこと)を目的に建立されました。
建立者は西郷氏一門と思われます。(諫早市を治めていた一族)
竿石(さおいし)や龕(がん;お地蔵さんの部分)が特徴的な形で佐賀型と呼ばれ、この赤崎の一基の他、小野天満宮内に四基、小野町性空寺谷に一基があります。」昭和56年3月27日指定
こういう予定していない出会いが時々起こるので、町歩きは楽しいです。
地図を見ながら目的の物を探すのも、トレジャーハンター(宝探し)みたいで楽しいですよね。
さて、違った町内を探したところで目的の物は見つからないので、戻りますか。w
ところで、
佐賀弁の積もりで、「そぎゃんことゆーてん、みんな白髭ばかりで似ちょるばい。」と「探しに来て」を「佐賀市に来て」に誤変換しましたが、こんな使い方でよかったでしょうか?
コメントありがとうございます。
こちらは長崎なので正確な佐賀弁かは分かりませんが、意味は通じます。
とは言え、長崎県内でも長崎市周辺、諫早市周辺、佐世保、島原半島、五島など地域地域で方言も違うので、なんとも・・・。
ちなみに私の言葉は長崎市周辺に近く、島原半島のじーちゃん、ばーちゃんが話すきつい方言は理解出来ません。