島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

竜造寺隆信五輪塔

2017-06-07 13:44:42 | 歴史・史跡
雲仙の温泉街の中には、竜造寺隆信のお墓と言われている「龍造寺隆信五輪塔」がある。
竜造寺隆信に関するものは、2010年に二本木神社神代城址沖田畷古戦場跡などでご紹介しています。
簡単に言えば、昔島原半島に攻め込んだ佐賀の武将です。
すっかり雲仙にある事を忘れていたのですが、先日当館に佐賀在住の女性からお電話があり、思い出した。
内容としては、「行ってみたらあまりにも荒れ果てていたので、何とかならないか」といったものだ。
私も忘れるくらい随分昔に行ったきりだ。
国の管理地なので、我々には報告するくらいしか出来ないのだが、現状の把握に久しぶりに行ってみた。

昔は児童公園があって、小さい子供が遊んでいたらしい。
その後は公園も無くなって、ご老人がゲートボールを嗜むゲートボール場になっていたが、それもだいぶ昔に無くなった。
あとは荒れ放題の状態らしい。

ここが、その五輪塔の入口。
佐賀の女性が行ったからか、踏み分け道が出来ている。

中に入ると、上半分が傷んで落ちた解説板がある。
文字は消えてしまって読めない。

写真の中央に木の幹が写っているが、その右に石製の塔が分かるだろうか?
それが「龍造寺隆信五輪塔」です。
10年か11年くらい前、気になって調べていると古い新聞記事を見つけた。
ただ、『昔の事で私もうろ覚えなためあまり信用しないで欲しいのだが、』と前置きした上で話すと、竜造寺隆信は島原の沖田畷の戦いで戦死している。
その時は島原半島の半分くらいはすでに龍造寺の軍門に下っていた状態で、半島内にも多くの龍造寺軍の配下がいたそうだ。
それで突然大将が討ち取られたものだから、佐賀に帰るに帰れず、半島内に残った部下も多かったらしい。
また、合戦で負けた代償として龍造寺の血縁のお姫様が所謂人質として有馬氏に嫁いだとか嫁いでいないとか。w
そのお姫様を中心に、かつての配下たちが結束して、この五輪塔を建立した。
雲仙の一部の方達は「龍造寺のお墓」と呼んでいるが、本当は供養塔だった・・・という記事を読んだ記憶がある。
真偽の程は、私には調べようもないが、逸話が残っている史跡というのは面白いものだ。
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