ドライブなので、目的地間の画像はすっ飛びます。
これが公共交通機関を使った移動との違いですね。
通潤橋から国道218号線を西進しまして、「霊台橋」に着きました。
(・・・?「れいだいきょう」も一括入力できない?PCの不具合か?)
早速渡ってみます。
橋の上からの眺め。
奥にちらっと写っていますが、崩落した斜面がそのままです。
(熊本地震か6月の大雨の影響でしょう。)
振り返って全景を撮影。
「霊台橋は、明治までに完成した石造単一アーチ橋としては、日本一の大きさを誇ります。
緑川水系の中でも難関中の難関といわれた船津峡に架かっています。それまでに架けられた木橋は幾度となく流され、人々は難渋していました。
永代不朽の橋は、地元の人々の悲願でした。1847年(江戸時代末期)に当時の惣庄屋 篠原善兵衛のもと、種山石工の卯助兄弟、大工の棟梁の伴七、さらには近在住民の総力(のべ4万人超)も加わって、約7ヶ月間という短期間で完成したといわれています。
橋の全長約90m、アーチのスパン27.5m。
明治33年、平坦になるようにかさ上げが行われました。昭和41年に上流の鉄橋が架けられるまでは、この石橋の上をバスやトラックも走っており、人や物資、文化も渡していました。
昭和42年6月15日、国の重要文化財に指定され、昭和55年架橋当時の形に復元工事が行われました。」
霊台橋から上流の鉄橋を撮影。
これが公共交通機関を使った移動との違いですね。
通潤橋から国道218号線を西進しまして、「霊台橋」に着きました。
(・・・?「れいだいきょう」も一括入力できない?PCの不具合か?)
早速渡ってみます。
橋の上からの眺め。
奥にちらっと写っていますが、崩落した斜面がそのままです。
(熊本地震か6月の大雨の影響でしょう。)
振り返って全景を撮影。
「霊台橋は、明治までに完成した石造単一アーチ橋としては、日本一の大きさを誇ります。
緑川水系の中でも難関中の難関といわれた船津峡に架かっています。それまでに架けられた木橋は幾度となく流され、人々は難渋していました。
永代不朽の橋は、地元の人々の悲願でした。1847年(江戸時代末期)に当時の惣庄屋 篠原善兵衛のもと、種山石工の卯助兄弟、大工の棟梁の伴七、さらには近在住民の総力(のべ4万人超)も加わって、約7ヶ月間という短期間で完成したといわれています。
橋の全長約90m、アーチのスパン27.5m。
明治33年、平坦になるようにかさ上げが行われました。昭和41年に上流の鉄橋が架けられるまでは、この石橋の上をバスやトラックも走っており、人や物資、文化も渡していました。
昭和42年6月15日、国の重要文化財に指定され、昭和55年架橋当時の形に復元工事が行われました。」
霊台橋から上流の鉄橋を撮影。