島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

神話の里⑥鬼八塚

2016-12-26 16:29:13 | 民話・伝承
やっと「鬼八退治伝説」の話ができる。w
街中を歩いていると「鬼八塚」の案内板が出て来た。(表紙写真)
角を曲がるが、おや?

「鬼八塚」はどこだ?
実は写真の中にすでに映っています。
写真中央より少し左の小さな林の中に「鬼八塚」がありました。

「神武天皇の兄・ミケイリノミコトは、神武建国の途中で、もとの国高千穂に御帰還され、あららぎの里に宮居を定め住まわれた。
 その頃、二上山の乳ヶ窟に住む鬼八という鬼が里で悪行を働き、祖母岳明神の娘・鵜ノ目姫を奪い鬼が窟に隠していた。
 ミコトが御塩井を歩いている時、鵜ノ目姫に会われ、姫の願いにより鬼八を退治されました。
 鬼八の死骸は八尺の石で押さえて土に埋めたが魔力を持つ鬼八は再び生き返りました。
 そのためミコトは身体を三つに切り、三カ所に分けて埋めました。
 この場所は首塚と伝えられています。
 荒ぶる神鬼八は霜宮といい、寒霜を司ったので、今では農耕や厄除けの神として尊敬され、日向・肥後地方の里人の信仰を集めております。
 昔から鬼八荒神の霊を慰めるため毎年十六歳の少女が人身御供として捧げられていましたが、天正年間岩井川の城主甲斐宗摂の進言により、初狩りのイノシシ一頭、米飯三石三斗三升三合が代わりに供えられて以来、この神事は高千穂神社の「猪掛祭」として現在も伝えられています。」
ちなみに胴はここから300mほど離れた所に、手足は道の駅高千穂の近くの淡路城跡に祭られています。
高千穂峡で見たかった物は、この鬼八が力自慢のために投げたといわれる約200tの大石「鬼八の力石」でした。
ん〜見られなくて残念。
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