途中道に迷ってしまい、道の駅「さいかい」で親切に道案内されてたどり着きました。
横瀬浦公園という昔教会があった高台から撮影した横瀬浦の港です。
ここで横瀬浦について説明しておきましょう。
永禄5年(1562年)、平戸を追われたイエズス会は、当時の領主であった大村純忠と開港協定を結びました。
それがこの横瀬浦です。
貿易における免税、布教の自由などの特権が与えられた横瀬浦には全国から集まった貿易商人やキリスト教徒、ポルトガル人などで大変繁栄しました。
大村純忠は、この地で洗礼を受け日本初のキリシタン大名となり、「日本史」を記したポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが日本で最初に降り立った地も横瀬浦でした。
しかし、一年余の繁栄後、純忠の義弟にあたる後藤貴明の乱による焼き討ちで、一晩のうちに横瀬浦は焼失してしまいました。
今年、横瀬浦は島原半島の口之津港と同じ、開港450周年をむかえました。
口之津では9月に盛大な記念イベントが開催されましたが、横瀬浦では6,7月にメインイベントや記念式典が行われたようです。
横瀬浦公園という昔教会があった高台から撮影した横瀬浦の港です。
ここで横瀬浦について説明しておきましょう。
永禄5年(1562年)、平戸を追われたイエズス会は、当時の領主であった大村純忠と開港協定を結びました。
それがこの横瀬浦です。
貿易における免税、布教の自由などの特権が与えられた横瀬浦には全国から集まった貿易商人やキリスト教徒、ポルトガル人などで大変繁栄しました。
大村純忠は、この地で洗礼を受け日本初のキリシタン大名となり、「日本史」を記したポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが日本で最初に降り立った地も横瀬浦でした。
しかし、一年余の繁栄後、純忠の義弟にあたる後藤貴明の乱による焼き討ちで、一晩のうちに横瀬浦は焼失してしまいました。
今年、横瀬浦は島原半島の口之津港と同じ、開港450周年をむかえました。
口之津では9月に盛大な記念イベントが開催されましたが、横瀬浦では6,7月にメインイベントや記念式典が行われたようです。