島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

南蛮船来航の地記念碑

2012-12-03 15:19:13 | 歴史・史跡
横瀬浦紀行に戻ります。
2日にアップした「上町・下町跡」のすぐ隣には県指定史跡「南蛮船来航の地」があります。
1561年に平戸の七郎宮の門前で、平戸町民とポルトガル商人、船員との間で乱闘事件が起こり(宮の前事件)、ポルトガル人十四人が殺害されました。
これを機に平戸に代わる良港を探していたキリスト教宣教師たちが密かに測量を行い、横瀬浦の開港を領主の大村純忠に願い出ました。
ポルトガル船とともに入港する商人たちは関税を十年間免除、神父たちの了解なく異教徒が住むことは許されず、港の周囲二レグア(一レグアは約5km)の半分を教会が所有するものと定められました。
横瀬浦の港は“Porto de Nossa Senhora da Ajuda(お助けの聖母の港)”と呼ばれていました。
そして、貿易と信仰をもとめて全国各地からたくさんの人が集まり、港は繁栄したそうです。また、クリスマスや復活祭などのキリスト教の祝祭が盛大に催されたことが宣教師たちの書簡に残っています。
しかしながら、純忠の親キリスト教政策への反感と大村家の後嗣問題とが絡み、純忠の異母弟であり、大村家から養子に出ていた武雄の領主後藤貴明を中心とした反純忠派が横瀬浦に滞在中の純忠を襲いました。
火を放たれた横瀬浦は、1563年7月、1年余りで焼失してしまいました。
写真の碑は、1962年、南蛮船来航400年を記念して建てられました。
※口之津港の史跡 南蛮船来航の地は、2010年11月7日の記事にアップしています。
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