「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、歴史が変わっていた」
かどうかは、見て来た訳じゃないから分からない。でも、クレオパトラがその美貌と色香でカエサルやアントニウスを翻弄したのは確かなようである。
もっともクレオパトラにすれば、
「わたしの鼻がもう少し低ければ、シーザーよりもっといい男と逢えただろうに…」
と、うんざりしてるかも知れない。ぼく的にはこう考えた方が面白い。
歴史における"IF"の世界にはロマンをかき立たせるものがあって、こうした仮定の世界で遊ぶのはけっこう楽しいものだ。
もっともクレオパトラの鼻にはこんな説がある。
日本語・中国語では鼻は「高い・低い」で表現するが、他の多くの言語では「長い・短い」で表現する。だから、
「クレオパトラの鼻がもう少し短かったら」
が正しい、と。短い鼻がどんなだかは好奇心がウズウズするが、比較文化の世界である。彼我の差異も興味深い。
さらに近代の研究から、
世界で最も美しい女性であった。
という認識に疑問を呈する者も現れ始めた。平安美人って言うように、美の基準は、時代や地域によって違う。さらに、人によって著しく異なる。
彼女は魅力的であったが、それは雰囲気や優雅で穏やかな話し方によるものであったとも言われる。
この認識こそ、ぼくをクレオパトラに傾かせる力がある。美醜ではない、人間的魅力。まして、それで歴史を変えたのなら、凄いことだ。
今日のタイトルの「膝下10センチ」とはこういうことだ。
わたしゃ、も少し背が欲しい
のであるが、厳密に言うと、膝から下がもう10センチ長かったはずなのだ。諸般の事情により現在のサイズに落ち着いた。それもぼくの暢気さのせいだ。
「そのうち、な」
と鷹揚に構えているうちに気がついたら現在に至っている。
もし、「膝下10センチ」が実現していれば、韓国にあれほど外貨が流れることもなかっただろうし、ジャニーズ事務所の様相も異なるものになっていたと思われる。あの妹姫だって、福岡や石川くんだりまで大移動することなく、スープの冷めない距離でうっとり眺めていればよかったのだ。控えめに言うけど、ハリウッドだって様変わりしてたところだ。実に惜しまれる。
まあ、そんな訳で平和に"IF"の世界に遊んでいる訳だが、現実の世界では、横山の桜、まだだった。
クレオパトラの夢 価格:¥ 2,800(税込) 発売日:2005-10-26 |