さて、教室の生徒さん、実に多士済々。「多士」とは多くの優秀な人材の意であり、「済済」は数多く盛んなようすをさす。これホント、ベンチャラなんかじゃない。皆さんひとかどの人物である。
かたや講師である自分は、と問えば…。
コーヒーができた頃合とコーヒーメーカーに向かえば、豆をセットしてなかった。あるいは、豆はセットしたけど水を入れ忘れた、なんてショッチュウのことで、それは愛嬌ぐらいに思ってた。しかし、最近のは洒落にならない。豆をセットして水も必要量注いだにもかかわらずポットを下に置いてなかった。つまり床一面コーヒー浸し。それが昨年末のことで自分を充分戒めたつもり。ところが今日またしでかした。
これがメゲズに居れようか。パソコンが唯一取り柄の生活馬鹿! いつも颯爽とした皆さんに囲まれているから余計に格差を覚える。
映画「愛と青春の旅だち」を思い出している。リチャード・ギア主演の正攻法のメロドラマだ。ただの恋愛ドラマでくくれない凄みを覚えるのは、主人公ザックと指導教官フォーリー軍曹の関係である。
すさんだ家庭からの脱却を目指して海軍士官養成学校で懸命に励む主人公を始めとする幹部候補生らに対し軍曹は徹頭徹尾しごく、しごく。はしっこくて万事計算ずくのザックに対し教官は厳しい訓練のみならず、真の紳士たれと叩きこむ。ここが映画の見どころである。
ザックの傾いた性格が綻びたときフォーリーに対して涙ながらに心底から叫ぶ、「ここにしかぼくの居場所はないんだ」の言葉は重い。
引っ掛かって泣いても恥じゃない
あまりにも有名なラストの少し前、そうザックは無事卒業する。ぼくがしびれるのは、教官に対する謝礼のシーンである。卒業した瞬間から軍曹と士官という風に立場が逆転するのだ。あのフォーリーの姿、立場にぼくを置いときたい。
まあ、ぼくはただの粗忽ものの講師でしかないんだが…。
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