ながらく不思議に思い、ぼくの中でくすぶっていたことの一つに、「宝くじ」があった。平成11年だったか、前後賞合わせて3億円という、とんでもない高額の「ジャンボ宝くじ」が登場した。でも、ますます疑問が渦巻くばかりだった。いくら大きな額になろうと、
果たして当たる人がいるのか?
だって、考えてもみて欲しい。ぼくの周辺で、宝くじで当てた、という人は寡聞にして聞いたことがない。あなたの回りではいかがだろうか。
「どう?」
実際に、ご存知だろうか? ただ、ぼくの周辺に強運の持ち主がいないだけなのか。
ぼくが「宝くじ陰謀説」を唱えたのはそういう経緯からだ。売上として莫大な金額が吸い上げられるものの、それはすべて国庫にプールされ、危うくなった国家予算に補填される。きっとそうに違いない。疑心暗鬼はいつしか確信となっていた。
ここで冒頭の一文が過去形であることに注目して欲しいのであるが、実は、もう一つの説に気づいたのである。それは、実感したと言うのが正しい。
もし、宝くじに当たったとしたら、それは信じられないほど莫大な金額である。
うかつに他人には喋れんわなぁ…
防犯上の理由ではない。周囲に無用の波風をたてるのを怖れるからだ。人の視線を考えてみれば分かる。哀しいかな、嫉妬やひがみのまなざしが痛いほど突き刺さるはずである。また、勧誘と称してありとあらゆるものが殺到するであろう。まるで人生が一変するのである。
いや、嘘ではない。誰だって自分の生活のリズムは壊したくない。この7年というもの、ぼくはひたすら隠し通して生きて来た。まるで世捨て人のように。だから、ある人から、
「あなたの、生活に困ったような顔は一度も見たことはないですなぁ…」
と指摘されたときは、かなりビビったものである。それ以来、ますます自重することにした。ぼくは小心者である。
あなたに大切なことをお話しておきたい。これから、ぼくのによう宝くじを当てた場合のコツのようなものだ。
宝くじは当たるものであり、万が一、当たった場合、隠した方がよい。
大金を懐にしつつも、他者と仲良く暮らすには、強い意志と、ほどよい忍耐が必要であると、4月1日にあたり、アドバイスを贈りたい。
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