神戸で泊まって次の日は阪急電車で嵐山に着いた。
京都八幡木津自転車道の起点になっているらしく、サイクリングの人が多数いた。
車道を通っても渡月橋に行けるが、今回は中之島橋を渡って中之島に向かった。
時代劇にも使われる風情のある小橋で立ち止まる観光客も多い。
ここが中之島で京都では桜の名所の一つだ。
子供のころ父は土産物製造が商売で桜の季節だけ中之島に店を出していた。
当時の花見は家族や近所や会社など多人数で来るのが普通だった。
飲んで食べて歌って踊っての賑わいで、けんかも多かった。
みんな酔っているので見境なく酒瓶で殴りつけるなどを何度も見た。
保津川・大堰川はこのあたりから桂川となり下流で淀川に合流する。
市内の向こうに東山が見え、一番高いところは比叡山だ。
上流側、渡月橋の奥の方に愛宕山が見える。比叡山より少し高く924mだ。
中学の頃は、全校生参加の愛宕登山があった。
清凉寺(釈迦堂)から愛宕山頂までを走るのだ。元気な同級生は山道も駆け上がった。
今も伝統行事は残っているらしい。
子供の頃も観光地ではあったが人出は今ほどでなく、
夏になると子供たちの水遊びの絶好の場所だった。
片道3kmほどの道を歩いて往復したものだ。
左手の堰のあたりや側流などもバリエーションに選んで時間を忘れた。
年上の勇気ある少年たちは渡月橋の欄干から飛び込みもしていた。
堰の上流は少し深くなっていて屋形船やボートで賑わっている。
この少し奥は山が迫って水温も低いが、やや上級者の水遊び場だった。
6、70年も経つと嵐山の楽しみ方もすっかり変わってしまったように感じた。