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横浜のほほん・続

植物や生き物を見ながら歩いて感じたことなどを中心に日々を綴る。

大斎原と中辺路

2019-04-16 06:43:22 | 日記



熊野本宮の近くを熊野川が流れている。






熊野本宮大社から500mほど離れたところの大斎原(おおゆのはら)は熊野川の中州にある。
かって五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿などがある広い神域だった。
ところが明治22年に大水が出て多くが流出し、水害を免れた上四社が現在の本宮大社に遷座された。






今は、流出した中四社、下四社をまつる石像の小祠が建てられている。
訪れる人もそう多くなくて静かな場所だ。






大斎原の入り口にある鳥居は平成12年に建てられて、高さ34m、幅42mの日本最大の大鳥居だそうだ。

門の中央には金色の八咫烏がいるのが見える。







大斎原にすぐ隣接する場所に、昨年「熊野本宮ヤタガラスサッカー必勝祈念碑」が建立された。
サッカー日本代表のユニフォームのエンブレムに八咫烏がデザインされているように、
八咫烏は日本サッカー協会のシンボルになっている。
日本代表のW杯必勝を祈念して地元有志が大社の協力を得て祈念碑を設置した。

地元産の玉石をサッカーボールに見立てているそうだ。







八咫烏の飛ぶ姿は見なかったが、熊野川の河原にはトビが何羽も休んでいた。







そして鳴き声がするなと思っていたら境内に隣接するところに雉がいた。







今回のツアーでは熊野古道のほんの触りの部分も歩いた。

平安時代、宇多法皇にはじまり歴代法皇、上皇らの熊野行幸が百余度に及び、
身分や老若、男女を問わず多くの人が熊野三山を訪れた。
熊野詣でのために通った道が熊野古道である。紀伊路とも呼ばれた。







後世になって、京から田辺までを紀伊路、田辺から本宮大社、那智大社、速玉大社までを中辺路、
田辺から海岸沿いを勝浦、新宮に至る路を大辺路、本宮大社から高野山に至る道を小辺路とした。
さらに伊勢から南下して速玉大社や本宮大社に至る道は伊勢路と呼ばれるようになった。

今回は大坂本王子のあたりから近露王子までの短い距離を歩いた。







王子とは熊野詣での先達をつとめた修験者によって紀伊路、中辺路に作られた神社のことで、
多数あるので九十九王子と言われたが今は廃絶されたり特定できないものもおおいそうだ。

年配者の多いツアーでは短い距離だけ歩くのも仕方がない。







途中の箸折峠に牛馬童子像があった。右は役行者像だ。
牛馬童子像は花山院を模したものといわれ、牛と馬の2頭の背中の上に跨っている。
花山院が食事の際にカヤの木の小枝を折って箸にしたので箸折峠だという言い伝えもある。







近露王子も神社は残っていなくて石碑があるのみだ。

いつか熊野古道を歩きたいとは思っていたが、奥の深さは想像以上だ。
中辺路の滝尻王子(田辺)から本宮大社までの道だけで約38kmあり、高低差が700mほどもある。
いつか挑戦できるかどうか・・・


コメント (2)
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