どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

盛岡の古い建物廻りしてきたよ

2016-10-07 21:21:13 | まち歩き

 

今日は午後からいわてアートプロジェクト2016

 

 

 

を中心に盛岡にある重要建築物の一部を見てまわろうと前から考えていた。ただ起点をどうするのか。最後には徳清倉庫にたどり着こうと考えていた。なので一ノ倉亭や原敬生家などは外れた。

ということでトップバッターは、中央公民館にある中村家。糸や織物、そして呉服を扱う豪商だった。

 

 

やっぱり作りがいいなというのがある。商人の家なので吟味して作っても、質実剛健にまとめられている。前の写真の吹き抜けは、その中でも豪商たる証のような空間だ。見栄にも見えるが、そこも必要な空間として存在している。商家としては増改築がなく、最初っからよくできた建物だったのだろう。

 

 

中央公民館にきたのだから、旧南部家別邸も外観だけ。サイトから説明を転用します。

旧南部家別邸は,明治41年(1908年),明治維新後に華族となった旧盛岡藩主南部家の別邸として新築された建物で,設計監修は東京駅や岩手銀行中ノ橋支店旧館(旧盛岡銀行本店)などを手がけた葛西萬司が行っています。」

いい建物なのですが、今回は中に入りません。殿様の見栄が少しだけ感じられます。何かケチった印象が少しあるのが玉に瑕。



うなぎの寝床発見!古い町ではよくある話です。



ということで盛岡の典型的商家です。平屋の軒を高くして天井裏に部屋を作った構造です。この天井裏が高くなればなるほど、当時の経済状況がわかります。総2階となれば、かなりの豪商です。

なおこの家、文化財とかになってはいませんが、多分マンガに出た建物の中で多いのではないのかと思います。盛岡の建物で一番マンガで目立ったのは、上の橋のそばにあった2階建ての長屋だったと思います。ボロボロの長屋でしたが、あそこは風景でした。



ということで、ござ九です。名前の通り茣蓙などの荒物を扱う商店です。江戸期から明治・大正・昭和と増改築を繰り返して複雑奇怪な建物になっていると想像できますが、現役の建物なので内部を見たことはありません。思い切って中に入って建物を見ると、よくできています。

馬毛の裏ごしがあったのは驚きでした。荒物というのでそういった高級品から安いものまであるのですが、ほとんどの商品が国内産なので値段はなかなかでした。荒物でもカゴとか民芸的に美しいものは光源社にあったりしますし、葛巻や遠野の荒物屋にもいいものがありますが、ここで扱う荒物は少しだけ違います。実用品だということです。

ということで巻き寿司に使えるすのこを買いました。

 

 

 

ということで盛岡信用金庫本店です。盛岡ウォール街の始まりですね。

 

 

で、岩手銀行旧本店赤煉瓦館です。

 

 

やぱりすごいです。写真家のマグナレダ・ソレさんの写真がメインに飾られていますが、これはいわてアートプロジェクト2016の一環。徳清倉庫で行われているインスタレーションと同じ作家ですが、こちらの方が個人としてわかりやすいかと思います。

震災によりそう絵は、人柄を感じさせます。

 

 

窓から見える景色とのギャップ、古いガラスの歪みが見せる今、古い建物にはそういった交錯があって面白いのです。

 

 

ということで旧九十銀行ですね。今は盛岡啄木・賢治青春記念館として知られています。外観が派手な割には、中は質実剛健です。といっても誰もわかんないだろうな。

 

 

2階には、現代アートのスペイン出身のホセマリア・シシリアさんのインスタレーションが展示されていました。

これほどわかりやすい現代アートも滅多にない。垂れ幕は震災の時の科学的情報をグラフィック化したもので、その下に置かれた子供用の家具は死んだ子供たちのものである。そこに載せられたオブジェクトは、今生きる子供たちの現状、それを「箱庭療法」の結果のようにして、提示している。

本物の箱庭療法のあの凄まじい表現がそのままか、もしくは表現者として作り直されたものかどうかはわかりませんが、そういった箱庭の前に、子供の椅子に座ることで大人がそれを体験をするという、学ぶべきは大人なのだというメッセージがあります。

宗教的な場を垂れ幕で演出し、そこには不可解な震災のデーターがグラフィック化してある空間で、死者と生者が交錯する。そこを目指したのかもしれません。音も震災後のインタビューとかをつなぎ合わせた音源を、別々に違う装置で流して違和感を示唆していた。

そこに震災がなぜ風化するのかという問題が、ある。天災というのはなぜ風化するのか。

 

 

石井県令邸です。何度紹介したことか。

東北でも滅多に無い洋館です。

 

 

明治19年の東北では数少ない洋館です。

ただ、今回公開されたのはバイヤーのためのイベントで、小洒落た人たちが集まっていたが、売り側がこの建物を知らないというのは困ったものです。

 

 

ということで近所の南昌荘。私はあまり好きでは無い建物だ。

 

 

瀬川安五郎氏が明治18年に作った建物だ。両替商人の家で、生糸相場で巨利をえて鉱山まで持った実業家だ。時期的に石井県令邸があり何かあったのでは無いかと思う。

ただこの家を見れば見るほど、遊びにここまでやってんだという勢いを感じる。もしも正しくこれが本邸だったら、かなり暮らしにくい家だったはずだ。だから商人の別邸だと思っているのだが、本邸と言われてもピンとこない。

ただ利用者が4代かわったので、床とか廊下がどう変わったかがよくわからないが、この建物で感じるのはスノッブだ。

 

 

ものすごく遊んだ建物であるのは間違いがない。建物が3棟に別れていてその回廊とか遊び要素が豊かだ。そこが面白いし、地面の高低差をうまく使った建設法もいいし見事なのだが、その遊びがなんなのかというのがよくわからない。数奇屋だけどなりきっていないところは、まだ益田飩翁が本格的に数寄者になる前だったからだろうか。

なおこの一角だが、中村家があったり料亭の大清水多賀があったり、お屋敷の多い一角だ。武家屋敷があったあたりになるので廃藩置県と関係あるのだろうか。

 

 

ということで鉈屋町まで下がってきました。盛岡の誇る商家群ですがほとんど明治期以降の建物です。軒の高さが不揃いなのが特徴です。

 

 

岩手川の建物も再利用されています。現代の使用に耐えられるように補強されたり、集成材を部分的に使ったりしています。仕方がないのか。観光に使うとなると以前は階段に一気に10人が乗るとか考えなくてもよかったことが、実際起きますから。

 

 

旧岩手川の蔵にきました。2階に行けるようです。

盛岡の民家で吹き抜けがあるのは、そうそうないからね。どこかのNPOが言ってますけど。

 

 

岩手川の2階からの眺め。

 

 

以前この岩手川の井戸で、甕の底が水受けにあったのだが、それがなくなっていた。指摘したら、気がついていなかったようだ。

あの甕の底が、建物の生きた時代を表していたように思えるから、気がつかないくらいの認識だと残念だ。

 

 

木津屋ですね。ここも現役の建物です。

中みたいな。なお盛岡の商家で土蔵作りにするのは、大火があったため。

 

 

ということで徳清倉庫です。作品がはいらなければ写真を取っていいし商用利用しなければいいという言葉を受付でいただいたので、写真を取るしかないじゃないですか。そういった言い訳をします。

事務スペースに明かり窓があったというのは、いつ作ったっんだろう。そこに格子をつけて電灯を下げるために格子が歪んでいる。

正確には歪ませて重量のバランスを取っているのだ。

 

 

その最大の問題の廊下の説明になっていない写真ですね。2尺幅のケヤキの板をなぜ横に並べるのか。歩幅制限かな。武士は歩幅60センチで歩けと。

 

 

ゴージャススでシックというのはそうそうない。

ただもしかするとこの部屋で藩財政の問題で、農家に晩稲米の多収品種を強制して、大凶作を招いた場所なのかもしれない。それを米問屋が買ったというのも、面白い妄想だ。南部家の諸問題はこの部屋から出ていたと考えれば尚一層面白い。下閉伊一揆を起こした原因は殿様だが、その対応にバタバタした武士たちの姿を想像して楽しんだ。

 

 

建物をつなぐ渡り廊下です。ちょっと地面が見えるところがありますが、木の経年変化なので仕方がない。手抜き感がないデザインです。

 

 

蔵をつなぐ廊下です。台所とこのスペースは城の裁量は使っていないようです。でも大工が相当緊張して作っている感じがします。そりゃ隣の建物が凄すぎますから。安い材料でもきちっとしなけりゃ行けないですから。

 

 

台所です。フローリングがいいです。フランク・ロイド・ライトの弟子が設計したと言います。天窓とか棚とかにそう言った影響を感じますが、年代から行くと遠藤新たになるのかなぁ。

後代になるのだが光源社の建物に何か似ているが、もしかすると大工が一緒なのかもしれない。

 

 

中庭と井戸です。とても品のいい作りです。

 

 

3階建ての建物は、女中部屋だったのではないのかと言われていますが、奥なのは間違いがないと思います。とはいえ奥が櫓になっているというのは少し変。城の正しい図面が残っていなく、幕府にムチャクチャな図面を出していた(軍事上の理由)ためどうだったかがよくわかっていない。だが敷地面積が狭かったために建物がぎゅうぎゅう詰めだったと推測されていて、まあ軍用なのに女官がいるということになったのでしょうか。

本宅と違って瀟洒な作りになっていますが、数奇屋のような派手さはありません。掘りごたつがありました。

 

 

えっと、殿様が使った便器という方がいましたがこれは少し違うな。この奥にある大便器は黒漆の木枠でこれは当時のものかもしれない。で、染付古便器は実は結構新しいものでして、19世紀末と言います。大々的に普及するのは明治24年と言いますから、お城のあったものではないと思われます。そしてこの建物は上級武士が働くところであって、殿様が「御成」になることはあってもしょっちゅういる場所ではない。なので殿様が使ったことがある便所かもしれないが、大体は上級の武士のためのものだっただろう。

とは言っても便器は大奥にあったとすれば、話は別だが。そして何かの物置のスペースをトイレに改造したとも考えられるので、上級武士のためとも断言できないところがあります。

小便器に関しては、明らかに後代です。

 

 

徳清倉庫は明治維新以降、米の集荷や貯蔵の業務を停止します。南部藩の仕事だったからです。藩がなくなって仕事がなくなり倉庫業に変わったのですが、建物に付随して広大な荷受け場があります。ただ単に倉庫を貸すだけではなく、集荷や配送の業務も行なっていたのでしょう。

でもおかげで建物の屋根組みの断面が、はっきりわかるのが嬉しいです。

 

 

さてこの建物でのマグナレダ・ソレさんの写真なのですが、その力量はよくわかるのですが、ポストモダンの写真の持つ限界というのがありまして、写真はかつてのように時代を動かすのではなく、時代によりそう形で存在するようになっています。まああんまり芸術的に仕事をすると批判されてしまう世の中です。

そのせいもあって、建物に完璧に埋もれてしまっているし、床の間に掲げるとかそう言った日本的なフォーマットに埋め込むことで装飾としての震災の写真になってしまうわけで、震災を訴えるのではなく、単なる自己満足にしか見えなくなるわけです。で、多分本人もよくわかっていない可能性を感じてしまう。仏間の扉付きの床の間に流された観音像を飾るのはなかなかのセンスなのだが、その異様さを突き詰めるだけの知識がないのは仕方がないことなのかもしれないが、日本人でもわかっている人は少なくなりつつあるので、仕方がないのか。

ただ氏が気がついていないだろうことに、この家に写真が飲み込まれることで、写真がいつ撮られたものなのか不明になった。この建物は明治も昭和も平成の大津波を知っているわけで、建物によって写真の時間軸が歪んで見えるわけだ。そこに意識を持ってゆくと、もしかするとこの中に使われた木は、貞観の津波も知っているのかもしれない。そう考えるとこの前の津波は、また来るものと、建物が言い始めているような気がして来る。

日本人なので建物に魂が宿ると考えているから、そう感じるだけだろう。だがサムライハウスと喜んでいるようでは、そう言った考えになっていないだろう。

 

 

おじいさんが茅の穂を振り回しながら通り過ぎていった。


滝沢市運動公園にゆく

2015-05-11 01:11:05 | まち歩き

 

毎年のことの、全東北学生競技ダンス選手権に、滝沢市総合体育館に行ってきた。

ダンス選手権といってもソーシャルダンスだ。実はこの大会会場確保に苦しんできた。社交ダンスの過去の問題、戦後のダンスホールのことだが、それが未だもって尾を引いている。だいたい風営法の規定にかかっているというのも時代錯誤も甚だしいのだが、まだまだそういった偏見を持っている人が多いようで、会場には常に困っていた。それが滝沢市総合体育館が岩手国体のダンス会場になったことから、今後も会場貸し出しに協力的になるだろう。いいことだ。

その大会だが、今年は異変が起きていた。ボトムアップしてきた感じはいいのだが、上位に華がない。ナンダと思ったら東北大学の競技舞踏部が昨年フェリーの中ではしゃぎすぎて乗客からクレームがついた。ところが過去にも何回もあったから、大学から活動停止処分を受けていたのだ。半年以上停止していたもんだから自主練習でなんとかしてきても限界はある。旧帝大の伝統ある舞踏部はこの蹉跌で大いに低下。

頭のいい子たちって、自分の安全のギリギリのラインまでやってしまう。ところがそれは他人からは危険に見えるというのがわからない。そしてそれを諭し教える大人もいない。だからそうなる。

それだけではない、山形大学の競技舞踏部もホテルでやんちゃして大学から無期限活動停止処分を食らった。だからこの大会にいない。

まったく。

 

 

総合体育館のある運動公園には広い庭がある。芝生と庭園と噴水だ。これがなかなかいい。

 

 

この庭園では、少し変わった植栽が見られる。ツツジに見えるが実はこれ、アザレアだ。ヨーロッパで改良されたツツジだからツツジでもいいのだが、少し違う。一般的に耐寒性が弱い。なのでその中でも耐寒性の強い品種を選び出して植栽したわけだが、このチョットのずらし方が見事。

他にもその少しがあって、わかる人には面白い。和風なのだが少しバタ臭い雰囲気はその辺りにある。

 

 

藤棚も2箇所ある。藤はさすがに日本産のものだろう。だが傍に蔓の伸びの悪い品種だと思うが、それを木立にしているのがあって面白い。仔細に松とかも見ればもっと面白かったかもしれない。

 

 

メインの噴水は通り抜けになっています。

 

 

そのうち側から見ると、こんな具合。フォトショップで加工したわけではありません。自然のフィルターです。

芝生が広がっているとわかっていただけるでしょうか。奥に野球場があるのはわからないだろうな。

 

 

シャクナゲの植栽も西洋シャクナゲですね。

体育館も大きな公式大会をしないという割り切りがあって、その分絨毯の広いロビーを設けていたりして空間を自由に使っています。居心地のいい体育館になっています。庭園と芝生はとてもいい具合に管理されているのも、見事です。この郊外農村地帯ならではのものでもあります。

 

オマケ

 

 

今回の大会にとうふっちが来てくれました。とうふっちの頭の部分に重大な秘密を発見しましたが、それは言わないでおきましょう。

 

 

大会には、大会出場者と踊れるダンスタイムというのがあるのですが、とうふっちはそこに参加。さすがに「壁の花」になりかけたところ、大会会長が現れます。

すごいですね、どう考えても踊ることが不可能なとうふっちを踊らせています。経験豊かなリードです。自分よりはるかに高い身長でもリードできます。いえ正確には、踊っているように見せるテクニックです。男性のリードで技術のない女性を引き立てるというのはないわけではありません。しかしここでそれが炸裂するとは。

 

 

なお、とうふっちは「クルクル回されて気持ちが悪くなったんだけど、楽しかった!」だそうです。


盛岡私的観光案内・もりおか町家物語館にいってきたよ

2014-10-04 03:47:21 | まち歩き
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家庭菜園もいい具合になってきました。収穫しながら間引きの時期です。虫が少し発生していますが、まあ無農薬指定農薬でも使ってみましょうか。




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3日連続水泳にいっています。スポーツジャンキーの毛が出ています。気をつけねば。


雫石川をのぞくと鮭が産卵しています。季節ですね。





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男のダイエットは成功です。2ヶ月でバストが2センチアップ、ウエスト2センチダウン。体重2キロダウンで体脂肪率2%ダウンです。あれま2の数字が並んでしまっている。


スポーツジャンキーというのは実は嫌いでして、まああいつらなんでスポーツ最高、しない奴はバカだと言い切るのでしょうか。でも今現在の私を考えると、ストレスが大きい人ほどジャンキー化しやすいと思います。心や精神が病むギリギリの所で体を取り戻して中和させたい、そう言った物だと思っています。トライアスロンやマラソンに参加する、ベンチャー企業社長なんてその際たる物でしょう。以外と大学教授にもいます。



そう言えばネットに、「学校での部活動は、あいつらに無駄な事を考えさせないため」と書かれたのを読んだんですが、ネガティブシンキングに陥りがちな時に、スポーツジャンキーになりやすいのは今現在体現しています。


なおプールの監視員に、ダイエット成功したと言ったら、あんだけ泳いだら成功するでしょうと冷たくいわれました。こちらが健全な反応のように思います。




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岩手山が見えているのですが、なぜかかすんで見えます。どうも雨が間にある様です。





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もりおか町家物語館です。左が旧岩手川酒造の母屋で、左が消防第2分団です。消防第2分団は非公開ですが、一階を除くと昔のまといや提灯が並べられて、季節限定とかで公開するかもしれません。





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旧岩手川酒造の母屋の内部です。ここはいわば社長室兼事務室兼応接室です。


いやずいぶん直しました。昔窓からのぞいた内部とはかなり変わってきれいになっています。


ただこういったケースで、昭和30年代を再現するのはどうなのかといつも思っています。少しデコり過ぎるんですね。特にこの部屋に炊飯器は無いだろう。そう思います。


解りやすいのですが、何も無い方がきちんと見えるのに、そう思います。





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盛岡の町家にはこの吹き抜けと天窓があると解説されたのだが、こういった天窓がある町家はこの鉈屋町で一つあったかどうかで、本町や他の町家では見た事が無い。典型例ではないのではと言ったら、そう言えばそうですね、と言われた。ただ、過去にはあったが電灯と暖房が普及する頃に天井を付けて、二階をもうけた例があるそうだ。



ただ盛岡の町家によくあるのは、一階の天井と二階の床が近く、天井の低い家がかなり残っている。そして大店になればなるほど軒が高くなって本当の二階屋になる、そう思っているといったら、何か解ってもらえたようだ。


この岩手川のこの吹き抜けは、木造3階建ての高さの吹き抜けなのだ。実はここが凄い。盛岡にある町家の典型ではなく、豪商などの大店の典型だろう。




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さて岩手川の蔵も残っています。左が大正蔵、右が浜藤の酒蔵です。この浜藤ですが記憶にある限り、岩手川の前にあった商標です。ということでこの蔵が古いと思われます。


アレっと思ったのは、これらの建物は明治初期以降なんだということ。それほど古くはない。実は見ていて江戸末では無さそうだと思っていたのですが、そうでした。




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何か良くわからないど琺瑯看板が展示されていたりします。





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ホンダのこんな物も。





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大正蔵の二階には、ブリキオモチャが展示されています。でもこれがなんかタイムカプセルを通り越して、現代アートの空気が漂っています。ここは見所かもしれません。私はかなり満足出来ました。ただここまで整然と並び続けられるかどうか、疑問です。どうしても運営側はお客が飽きると思っていじり倒してしまう物ですから。


さて大正蔵なのですが、以前外見を見た時にも損傷が酷かったのです。傾いていました。そのせいか二階には補強の重量鉄骨が剥き出しで見えています。これは興ざめと感じる人も多いと思いますが、ここをアートと見た方がいいかもしれません。


なおこの改修に使える木はあったんです。同じ岩手川の別な蔵の木があったんだけど、なんか話が多分予算でとんだのか、監修する人を行政がめんどくさかったのか、鉈屋町がとんでもない観光客誘致の目標を立てたのかは解りませんが、多分そう言った事なのでしょう。



結果としてアートだと思います。この経緯をきちんと文章保存すると、とてもいいのですが。


私は、この鉄骨剥き出しは好きだ。




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この中には井戸がある。現在飲料不可なのだが、この井戸の受け皿が実は凄い。多分瓶か壷の底なのだ。櫛目があるので多分瓶だと思うが、壊れて残った底の部分を鉢として使っている。この施設で、ここが実は一番のポイントだろう。多分誰も解っていない。


なぜ瓶だといえるのか?瓶が壊れると大体底が残る。底は厚く作るから。ふちとかその具合で判断した。





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今回ここにいったのは、盛岡の現代美術作品が出ているからだ。とはいってもいい人は出していないのだが、あの喫茶米山の、米山が出品している。



本人が今まで購入して来たCDケースを壊したオブジェなのだが、何か良くまとまっている。もうちょっと暴力的になるのかな?と思っていたのだが、かなりいい感じに収まっていた。


あと朝倉氏のタブローが良かった。とにかく全部が欲しいというあの感覚は、気持ち悪いが魅かれるものがある。そうタブローではないんですね、起毛した布に染めるように画をミチミチと書いて行くのです。だから立体でもあり平面でもあるという作品です。


あとは見る必要はありません。小手先です。





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雨が通り過ぎて、青空です。





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味わいの深い鉈屋町です。でも少しだけ疑問があります。自分たちの資産に気がつかなかった、その時間が長過ぎた、と言う事です。ただここは仕方が無かったかもしれません。

何しろ今寂れた土地で、それでいてプライドの高い土地だった。そう言った事なのでしょう。



でも鉈屋町は、今でも盛岡の少し古い時代を残しています。それを味わうためには、けっこう顎が疲れるかもしれません。表面より内実をじっくり噛み砕いて味わうと、もの凄い美味が待ち構えています。
そして今開かれた形を模索しています。今の所どうなんだろうと思いますが、多分もっと面白くなるとおもいます。


元々この鉈屋町界隈は古くてきれいな町並みです。その価値に気がついただけでもいい事だと思います。




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鮭を見たので、中津川に来ました。





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11匹以上いそうです。ヌタヌタしています。


望遠レンズを持ってこなかったのを反省しました。


近所の方が感嘆と見ていました。こんなに来たのは見た事が無い。いや私らは日常だから気がつかなかっただけかも知れない。そうおっしゃっています。話を聞いたのは二人だけだったのですが、同じ感想でした。



それは謙遜過ぎます。多分なのですが震災の年は放流事業が出来なかったので、数が減っていたのです。記憶の誤謬があるだけで、間違いなく普通に戻っています。





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いつも気になる本町の電信柱。右がやたら傾いて見えるのは私だけだろうか。


ようやく休みなのだが

2014-04-22 02:30:27 | まち歩き
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毎年この時期になると、晴れろ!晴れろと祈るか、雨ふれと祈るかどちらかしかない。今年は後者、雨ふれだ。とにかく休めない。桜を追っかけているからこうなるのだが、それでも雨が降れば撮影しても大した写真にはならない。だからあきらめがつくのだが、今年は晴れがずうっと続いている。だから今日がちょうど良く休みになった。


しかしそれでも昼には現場の桜がどうなっているのかを確認して、撮影のタイミングを考える。明日あさってが撮影日和になりそうだ。満開になる一つ手前の感じが大切だ。5分咲きくらいがちょうどいい。でも天気予報だと午後は降水確率が上がる。快晴にはならなさそうだ。



風邪も良くなってはいない、そこで買い物に出かける。まずは懸案事項だったシガレットケース。スパークに行く。



そういえば自分の他の記事へのリンクって好まれないと言われています。すいません。他に思いつく記事が無いもので。




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スパークではおばちゃんが私の事を覚えていたようで、あっという間に話が進む。6種類ほどのシガレットケースが出されて、18本入るのではこれが軽くてオススメとか、今回の入荷はこれとか簡単な説明が入る。18本はさすがに大きく感じるが、16本入りのと重さは変わらない。こういったニュアンスがあるんだと、あらためて感じた。



いやシガレットケースって一応装身具の一つなのですよ。私の買えるのは3000円以下と決まっているのですが、どれを身につけるかと言うのは考えてしまいます。とはいえ2年間で4代続いたアストロプロダクツの名刺入れよりは圧倒的に進歩するわけで、まずは1800円のステンレスの16本入りを買って使って、自分の好みを捜そうと言う事になりました。



後は沖縄JTのうるまを買って、仙北町に向かいます。北上川と梁川の合流点なのですが、結構な落差があります。梁川の方が高くなっています。河川改修の結果こうなったのでしょうか。




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今日の北上川は青い色をしています。

実は仙北町にホーマックがあったと思っていたのですが、それは過去の話。確か去年もこの間違いをしたように覚えています。まあそこでこんな寄り道になったわけです。





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仙北町の山清商店で、花の種と野菜の種を買います。盛岡最大の種苗店なのですがプロユース過ぎてこじんまりとした店舗です。でも春です。にぎわっていました。



真面目に今年の家庭菜園はどうするのか、全く計画を立てていません。とりあえずべんり菜の種を買います。





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新しいじょうろを買わなければいけません。このところの晴れ続きでプランターの花が微妙になっています。
前のじょうろは、冬の間に壊れてしまいました。屋外に出しっぱなしだったのが悪いのですがもったいない事をしました。


ということで肴町のホームセンターでじょうろを買います。980円。ホーマックで買うと480円。この差は大きい。しかし肴町のじょうろは、管の手前にネットがあって、そそぎ口にゴミがつまらないようになっている。この差も大きい。


さて盛岡で一番最初に咲くと言われている栃内病院の桜なのですが、現在満開。ええっと、岩手大学のエドヒガンが今満開。4日ほど栃内の方が早いようです。






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岩手公園ですが、やっぱり場所によってかなりむらがあります。




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桜山辺りではちょうどいい具合です。





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実は一番しょっぱいのが、石割桜。なんでこうなったのかは不明です。多分モズの群れにかなりやられたのでしょう。木の上がほぼ花が無い事と、逃げられる場所の多い県議会側に被害が大きい事からそう考えます。




今年の春は、休めない、ここまで分け解らないと。


さまよえるカラス達・盛岡

2014-02-15 02:42:36 | まち歩き
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盛岡市が1月7~15日の間、カラスの冬営地の愛宕山にトンビの鳴き声とカラスの警戒音を午後4時~6時半に30分間隔で流した。結果5000羽いる群れの一部が市街地になだれ込んで来た。


読売が詳しい。


気がつくのがずいぶん遅かったが、これはかなり面白い。
私の観察しているエリアは北側になるので、もしかすると観察しているエリア以外で夜営地があるかもしれない。




なお9月に撮影した映像があります。

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YouTube: 盛岡・愛宕山のからす





この映像で少し明快ではないのですが、夜営地の近くにカラスは一旦集まります。明るさに依存していると言われています。1次集積地とでも言いましょうか。そこから次に大きく集まる2次集積地が形成されます。そして一気に夜営地に飛び立ちます。撮影が9月なので明快ではありませんが、カラスによってずいぶん行動にバラツキがあるものだと思いました。このバラツキのために集積地が1次2次と重なるのかもしれません。




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2/9日です。上田通りの電線です。さわの近くかな?ここから盛岡一高に移動する様子が見られました。



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岩手大学農学部近くに集結しています。時間は午後5時です。




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ウワ~




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ただ言われているより数が少ないです。



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また大きな群れが飛んでいます。するとさっきのは1次集積地なのでしょうか。まだ本命がいるはずです。





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2月10日についに本命らしき集積地を発見。岩手医科大学教養学部です。




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5時13分頃です。一気に飛び立ちます。とはいっても飛び立って旋回してを何回か繰り返し、最終的な夜営地を決めるようです。特に町中なので結構不安定なようです。




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今回は本町の旧町名三戸町に決めたようです。




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どんどん並んでゆきます。





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それでもまだ、教養部の上空にはいっぱいいます。




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真面目に千羽はいそうです。どんどん増えてゆくますが、この日の観察はこれで終わりです。




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さて2月12日です。午後5時。上田通りに沿ってカラスの群れがやってきます。撮影場所は岩手県立中央病院前ですね。




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どうも岩手医科大学が集積地になっているのは、決定なようです。




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とはいえこの日のカラスの動きはかなり分散しています。一次は医科大として2次は岩手県福祉総合相談センターにゆき、大通り商店街に向かいます。




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さてどこに向かうのでしょうか。



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大通りの東側の路地です。ホテルエースの当たりです。




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どうも朝日生命盛岡中央通ビルが夜営地になりそうです。とはいえここで観察が終わっていまして、もしかするとここから菜園に移動した可能性もなきにしもあらず。落ちている糞とかを見ればそうなのかも。ガマガエルの観察と違って、高等生物なのでどう判断しているのか全く予測が出来ません。




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2月13日の観察です。やはり岩手医科大教養部に集まります。



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岩手大学農学部に一次集積が見られます。



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この日は月がきれいなので、ちょっとカッチョよく撮影したいものです。

1次集積の分散傾向は12日と同じようです。




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今日はどこに泊まるのでしょうか。



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ブワ~っと飛び立ちます。上空旋回の無い飛び方です。夜営地に向けて飛び立ったようです。




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観察期間が短いので何とも言えませんが、多分これは最大の集積。




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とはいえまた分散します。




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そうして七十七銀行近辺に集結しました。




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イヤ真面目に凄い。



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しかしカラスの面白い所は、ほとんどが互い違いに並ばない事ですかね。電線だったら一直線に、ビルだったらこうしてしっぽを外に揃えて並んでいます。そして切れたようにある所から先には絶対並びません。出来るだけ一直線に並ぶようにしていると思われます。


なかなか観察時間が取れないのが辛い所です。もう一時間は欲しい所ですが、そうすると暗くて撮影が難しくなります。