いや凄い事になった。もう体罰報道のラッシュだ。過去の事まで掘り返されて全国区で報道されているように感じる。
多分ちょっと前には地方で騒ぎになる程度のものも入っているように感じる。
例えば兵庫県・洲本の事件だが、これはちょっと微妙だ。もう少し深く掘り下げて報道した方がいいのではないのか。
捜査関係者によると、元男子生徒が後輩の男子部員を投げて顔にけがをさせたことを謝罪するため、昨年7月19日、同校の寮で生徒の家族同士が話し合っていた際、元男子生徒の顔を2回平手打ちした疑いが持たれている。教諭は容疑を認めているという。
どうもだ、怪我させた子が危険な事をして怪我をさせてしまったから、両家揃って監督立ち合いで謝罪すると言うことなのに、その子があんまり反省しているように見えなかったから監督が怒った、と受け止められる。そしてそこの子は学校を退学した、ということは何か別な要因があったように思われる。少なくとも私にはそう見える。
いや相撲の世界は、ホント厳しいと思います。日本人力士が減った理由もここにあります。もう酷いのが解っているから、スカウトが来ても親が反対するとも聞いています。まあ相撲部屋で竹刀はおろか、ビール瓶で殴る事件がありました。殺しちゃったのですからどうしようもありません。この事件は確か体罰ではなく、イジメにランクされたと思いますが、体罰も過ぎれば悪質なイジメと見なされる訳です。
昔ある高校の相撲部を取材した事があります。そこの監督は大変穏やかな人で、いい人だな~と思ったのですが、稽古場ではまるで人相が変わって、とんでもない人に変身しました。一年生の男の子が特に厳しく稽古をつけられ、へたり込んで動けなくなった所を、竹刀が飛んでくるのですよ。それでヨロヨロとやってもふがいない事になる訳で、動けなくなった彼を、監督が引きずって外にポーンと捨てちゃったのです。雪の中ですよ。90キロ近い彼をですよ。ウワ~っと見ていると、しばらくして彼が戻って来て土下座しながら稽古付けてくださいと、お願いするのですが無視。
三回懇願されて、2回勝負して練習は終わりました。
その後シャワーを監督と並んで浴びていたのですが、監督がお前は出来る、絶対出来るんだからもっとがんばれ、と元の優しい表情に戻って励ましているのですよ。若干のアドバイスも交えながらですよ。
2年後ですが、確か国体かインターハイの岩手県代表選手団の先頭旗手として立っている写真を見ました。あのときはなぜか本当にうれしかったのを思い出します。
いい話しでしょう?でもこれって体罰です。
別な競技の監督が、学生を殴って大変な事になりました。当然学生の親は怒って訴訟まで行きかけましたが、彼が両親を説得しました。俺が悪かったからこうなったんだ、と。
さていい話しをして来ていますが、この二つの事例では最初はキッチリとフォローがあります。次の例は、学生と監督との間に信頼関係があったと言う事です。
ちょっと違う話しをします。まず人間の能力ですが、火事場の馬鹿力と言うのがあります。危機に当たるととんでもない事をしてしまうのです。これは普段だと脳が身体をコントロールするためにリミッターをかけているのです。それが危機に対すると、リミッターが解除される仕組みになっています。このリミッターをどうするのかと言うのがトレーニングメニューでは欠かせないものになります。簡単に言えば徐々に慣らしてゆくしかありません。例えばジョギングを初めたばかりの頃は、一時間で1キロも走れなかったのが続けてゆくうちに10キロはしれるようになった。そうゆう事です。ただアスリートではこの数字はまずいです。なのでどこかで集中して走る必要が出てきます。これは自分の能力がどの程度かを知るためです。次にギリギリまで出来たという実感と自信を得るためです。ただギリギリやった、と言うのが客観的に見てギリギリだったのかどうかが問題になります。
ここが悩ましい所です。よく言われる「自分を追い込む」というのは、かなり難しい事です。どうしても自分を甘やかす自分がいる訳で、これが初めっから無い人は滅多にいません。
監督の仕事と言う中に、客観的に見ると言うのと、追い込むための手助けをする、というのがあります。
選手の才能を開花させると言うのは、あるタイミングで「追い込む」事が必要です。このタイミングは三ヶ月周期と考えています。ウエイトトレーニングの例でいきます。私の例なのですが、はじめて全然出来なかったのが一ヶ月続けてなんとかこなせるようになり、そこから先横ばいになるのですが三ヶ月後急に重いのが出来るようになりました。そこからまたしばらく横ばいになって、また次の三ヶ月後には急に伸びだしました。
実は今から思えば、「追い込み」を組み合わせるべきでした。ベンチプレス10回3セットを、最大加重で3回3セットとかをすれば良かったのですが、補助がいない公共施設だったのでこの挑戦は危険でした。
また話しはズレますが、陸上競技のような個人競技は、本来団体を作る必要がありません。それでもなぜ団体を作るかと言えば、自分を「追い込む」ために団体を作るのです。ライバルがいた方が「追い込む」事が出来ます。また陸上でもイロイロな競技がある訳で、そこからの刺激もあります。その刺激が「追い込む」事に役立つ訳です。
先ほどウエイトトレーニングで「追い込み」という事を言いましたが、最も簡単に追い込んでくれるのが体罰です。何しろ身体への直接的な危機ですから効果があるのは間違いがありません。ただ将来的に、その追い込まれた状況で自分がなぜそのプレーを出来たのかと言う、理論的な説明を出来るようになるかと言えば難しいと思います。自分で考えて追い込んだのか、暴力で追い込まれたかの差です。
大変な事になった学生の場合ですが、自分の追い込みが足りなかったと自覚していた例です。
ただ本当に難しいのは、自分を追い込みすぎてはいけないし、追い込まないのも問題だと言うのがスポーツです。このさじ加減が監督の力量になるのでしょう。
そして、信頼関係を築き上げると言う事です。
この体罰問題の報道の盛り上がりですが、少し単純すぎないかと思うのが私の考えです。
さてこの中でもアウトなのは、間違いなく桜宮高校のバレーボール部です。子供たちが体罰された一場所を記録していたと言う事は、信頼関係が崩壊していた、と言う事です。つまりチームが成立しなくなったのです。
バスケ部の場合は、本当に痛ましい事です。監督への信頼と自分のおかれている状況と、目標との間で本当に苦しんだと思います。体罰を超えていじめになっている状況でウツになりかけていたのかもしれないと思います。
最悪なのは、女子柔道オリンピック選抜での事件です。
以前陸上競技で女子の指導と男子の指導でどう違うのか、と言うのを読んだ事があります。男子は大体一言で終わるのに、女子にはいっぱい言葉が必要になる、この差です。男子は、あそこがこうなのはどうなの、みたいな事をいっても通じてしまうのに、女子は着地がこうで腿がこうでだからこうなるから、こう直しなさい、と言葉が全然多くなる。なぜこうなるのかと言えば誰も解らないのだが、多分男女差だ。
陸上競技の場合、相当個人として確立された競技だ。たった一点をどうするのかを追求するから、もの凄く自意識が高い選手ばかりだ。自分を追い込むのも自分の責任として受け止めている。
その中でも男女で指導の方法が違う。バレーボールの日本監督があんだけ叫び続けている意味は、実はそうゆう事なのだ。女には言葉、それは基本ではないのか。そう一般人でもこれは基本だ。
女の顔を殴ったと言う時点で、男としてどうなのかとも思う。それ以上に、男なら殴られた意味が分かったりするが、女子は説明もなしに殴られたらもっと解らなくなる。
確実に言えるのだが、オリンピックで女子柔道が活躍出来なかった原因は、園田監督にある。男に適用出来る体罰を女子に適用したのだ。
格闘技の選手だから女子と言えども多少の痛みには耐えられる。それがまとまってJOCに提訴してと言う事は、完全に信頼関係を失っていた、そうなる。信頼関係がない状況ではどう練習しようがなにしようが、絶対弱くなる。
体育理論が複雑精緻化している今日、ある意味トレーニングは「イワシの頭」になりつつある。信じるか信じないかだ。疑問を持ち続けてそのままでトレーニングしても全く意味がない。信じて励めば伸びる可能性がある。だから信頼あるコーチや監督がメニューを作成するのだ。信用出来ない監督が与えたメニューで、体罰付きだったらどうしようもないのだ。
それでも世の中のスポーツ関係者に同情するのは、体育理論がいっぱいありすぎるのだ。これをどう個別に与えるかだけでも大変なのに、子供も親も勉強してくる。それを論破しつつ指導してゆかなければいけない。
監督間違っているとかウラで言われていたりもする。どうすればいいのか解らなくなって、悩んでいる人の方が多いのではないのだろうか。
園田監督続行のようだが、これは止めた方がいい。女から嫌われた男は、一生女からは嫌われるからだ。信頼関係を築くのはもっと無理だ。一つだけ救いなのは、彼が結婚していると言う事だ。これで独身だったら、救われない。
PS
体罰問題もそうなのだが、現在の高校スポーツの現状に問題があります。強いチームを作るためには、その母数となる部員数が必要です。ライバルが多いほど切磋琢磨するものなのです。優秀な選手が揃えば揃うほど競争は厳しくなります。所が部員数が増えると、監督の指導がどうしても末端まで伝わりにくくなります。また全体を把握するのも難しくなります。コーチとかそういったシステムを揃えられる学校はいいのですが、なかなか難しいものがあります。体罰と言うのはその中で、時間短縮の指導法でもあります。それを無くすると言う事は、時間をかけさせる方法が必要です。
なので一つ提案をします。学校教育の一環で行われるスポーツは、団体競技では試合に出場出来る選手の三倍までの部員数しか認めない、とする事です。陸上など個人競技の場合は、監督一名に対して20人、コーチ一人に対して10人以上の部員は認めないとする事です。
スポーツエリートの育成は、この中から選抜で、また違うシステムが必要なのではないのでしょうか。現在ある高校選抜育成は有効かもしれません。ただ現在これが問題なのは、親に負担が行くと言う事と、子供が天狗になって帰ってくると言う事でしょうか。子供の鼻っ柱をどう折るのか、そこが難しいのが現状でしょうか。
多分ちょっと前には地方で騒ぎになる程度のものも入っているように感じる。
例えば兵庫県・洲本の事件だが、これはちょっと微妙だ。もう少し深く掘り下げて報道した方がいいのではないのか。
捜査関係者によると、元男子生徒が後輩の男子部員を投げて顔にけがをさせたことを謝罪するため、昨年7月19日、同校の寮で生徒の家族同士が話し合っていた際、元男子生徒の顔を2回平手打ちした疑いが持たれている。教諭は容疑を認めているという。
どうもだ、怪我させた子が危険な事をして怪我をさせてしまったから、両家揃って監督立ち合いで謝罪すると言うことなのに、その子があんまり反省しているように見えなかったから監督が怒った、と受け止められる。そしてそこの子は学校を退学した、ということは何か別な要因があったように思われる。少なくとも私にはそう見える。
いや相撲の世界は、ホント厳しいと思います。日本人力士が減った理由もここにあります。もう酷いのが解っているから、スカウトが来ても親が反対するとも聞いています。まあ相撲部屋で竹刀はおろか、ビール瓶で殴る事件がありました。殺しちゃったのですからどうしようもありません。この事件は確か体罰ではなく、イジメにランクされたと思いますが、体罰も過ぎれば悪質なイジメと見なされる訳です。
昔ある高校の相撲部を取材した事があります。そこの監督は大変穏やかな人で、いい人だな~と思ったのですが、稽古場ではまるで人相が変わって、とんでもない人に変身しました。一年生の男の子が特に厳しく稽古をつけられ、へたり込んで動けなくなった所を、竹刀が飛んでくるのですよ。それでヨロヨロとやってもふがいない事になる訳で、動けなくなった彼を、監督が引きずって外にポーンと捨てちゃったのです。雪の中ですよ。90キロ近い彼をですよ。ウワ~っと見ていると、しばらくして彼が戻って来て土下座しながら稽古付けてくださいと、お願いするのですが無視。
三回懇願されて、2回勝負して練習は終わりました。
その後シャワーを監督と並んで浴びていたのですが、監督がお前は出来る、絶対出来るんだからもっとがんばれ、と元の優しい表情に戻って励ましているのですよ。若干のアドバイスも交えながらですよ。
2年後ですが、確か国体かインターハイの岩手県代表選手団の先頭旗手として立っている写真を見ました。あのときはなぜか本当にうれしかったのを思い出します。
いい話しでしょう?でもこれって体罰です。
別な競技の監督が、学生を殴って大変な事になりました。当然学生の親は怒って訴訟まで行きかけましたが、彼が両親を説得しました。俺が悪かったからこうなったんだ、と。
さていい話しをして来ていますが、この二つの事例では最初はキッチリとフォローがあります。次の例は、学生と監督との間に信頼関係があったと言う事です。
ちょっと違う話しをします。まず人間の能力ですが、火事場の馬鹿力と言うのがあります。危機に当たるととんでもない事をしてしまうのです。これは普段だと脳が身体をコントロールするためにリミッターをかけているのです。それが危機に対すると、リミッターが解除される仕組みになっています。このリミッターをどうするのかと言うのがトレーニングメニューでは欠かせないものになります。簡単に言えば徐々に慣らしてゆくしかありません。例えばジョギングを初めたばかりの頃は、一時間で1キロも走れなかったのが続けてゆくうちに10キロはしれるようになった。そうゆう事です。ただアスリートではこの数字はまずいです。なのでどこかで集中して走る必要が出てきます。これは自分の能力がどの程度かを知るためです。次にギリギリまで出来たという実感と自信を得るためです。ただギリギリやった、と言うのが客観的に見てギリギリだったのかどうかが問題になります。
ここが悩ましい所です。よく言われる「自分を追い込む」というのは、かなり難しい事です。どうしても自分を甘やかす自分がいる訳で、これが初めっから無い人は滅多にいません。
監督の仕事と言う中に、客観的に見ると言うのと、追い込むための手助けをする、というのがあります。
選手の才能を開花させると言うのは、あるタイミングで「追い込む」事が必要です。このタイミングは三ヶ月周期と考えています。ウエイトトレーニングの例でいきます。私の例なのですが、はじめて全然出来なかったのが一ヶ月続けてなんとかこなせるようになり、そこから先横ばいになるのですが三ヶ月後急に重いのが出来るようになりました。そこからまたしばらく横ばいになって、また次の三ヶ月後には急に伸びだしました。
実は今から思えば、「追い込み」を組み合わせるべきでした。ベンチプレス10回3セットを、最大加重で3回3セットとかをすれば良かったのですが、補助がいない公共施設だったのでこの挑戦は危険でした。
また話しはズレますが、陸上競技のような個人競技は、本来団体を作る必要がありません。それでもなぜ団体を作るかと言えば、自分を「追い込む」ために団体を作るのです。ライバルがいた方が「追い込む」事が出来ます。また陸上でもイロイロな競技がある訳で、そこからの刺激もあります。その刺激が「追い込む」事に役立つ訳です。
先ほどウエイトトレーニングで「追い込み」という事を言いましたが、最も簡単に追い込んでくれるのが体罰です。何しろ身体への直接的な危機ですから効果があるのは間違いがありません。ただ将来的に、その追い込まれた状況で自分がなぜそのプレーを出来たのかと言う、理論的な説明を出来るようになるかと言えば難しいと思います。自分で考えて追い込んだのか、暴力で追い込まれたかの差です。
大変な事になった学生の場合ですが、自分の追い込みが足りなかったと自覚していた例です。
ただ本当に難しいのは、自分を追い込みすぎてはいけないし、追い込まないのも問題だと言うのがスポーツです。このさじ加減が監督の力量になるのでしょう。
そして、信頼関係を築き上げると言う事です。
この体罰問題の報道の盛り上がりですが、少し単純すぎないかと思うのが私の考えです。
さてこの中でもアウトなのは、間違いなく桜宮高校のバレーボール部です。子供たちが体罰された一場所を記録していたと言う事は、信頼関係が崩壊していた、と言う事です。つまりチームが成立しなくなったのです。
バスケ部の場合は、本当に痛ましい事です。監督への信頼と自分のおかれている状況と、目標との間で本当に苦しんだと思います。体罰を超えていじめになっている状況でウツになりかけていたのかもしれないと思います。
最悪なのは、女子柔道オリンピック選抜での事件です。
以前陸上競技で女子の指導と男子の指導でどう違うのか、と言うのを読んだ事があります。男子は大体一言で終わるのに、女子にはいっぱい言葉が必要になる、この差です。男子は、あそこがこうなのはどうなの、みたいな事をいっても通じてしまうのに、女子は着地がこうで腿がこうでだからこうなるから、こう直しなさい、と言葉が全然多くなる。なぜこうなるのかと言えば誰も解らないのだが、多分男女差だ。
陸上競技の場合、相当個人として確立された競技だ。たった一点をどうするのかを追求するから、もの凄く自意識が高い選手ばかりだ。自分を追い込むのも自分の責任として受け止めている。
その中でも男女で指導の方法が違う。バレーボールの日本監督があんだけ叫び続けている意味は、実はそうゆう事なのだ。女には言葉、それは基本ではないのか。そう一般人でもこれは基本だ。
女の顔を殴ったと言う時点で、男としてどうなのかとも思う。それ以上に、男なら殴られた意味が分かったりするが、女子は説明もなしに殴られたらもっと解らなくなる。
確実に言えるのだが、オリンピックで女子柔道が活躍出来なかった原因は、園田監督にある。男に適用出来る体罰を女子に適用したのだ。
格闘技の選手だから女子と言えども多少の痛みには耐えられる。それがまとまってJOCに提訴してと言う事は、完全に信頼関係を失っていた、そうなる。信頼関係がない状況ではどう練習しようがなにしようが、絶対弱くなる。
体育理論が複雑精緻化している今日、ある意味トレーニングは「イワシの頭」になりつつある。信じるか信じないかだ。疑問を持ち続けてそのままでトレーニングしても全く意味がない。信じて励めば伸びる可能性がある。だから信頼あるコーチや監督がメニューを作成するのだ。信用出来ない監督が与えたメニューで、体罰付きだったらどうしようもないのだ。
それでも世の中のスポーツ関係者に同情するのは、体育理論がいっぱいありすぎるのだ。これをどう個別に与えるかだけでも大変なのに、子供も親も勉強してくる。それを論破しつつ指導してゆかなければいけない。
監督間違っているとかウラで言われていたりもする。どうすればいいのか解らなくなって、悩んでいる人の方が多いのではないのだろうか。
園田監督続行のようだが、これは止めた方がいい。女から嫌われた男は、一生女からは嫌われるからだ。信頼関係を築くのはもっと無理だ。一つだけ救いなのは、彼が結婚していると言う事だ。これで独身だったら、救われない。
PS
体罰問題もそうなのだが、現在の高校スポーツの現状に問題があります。強いチームを作るためには、その母数となる部員数が必要です。ライバルが多いほど切磋琢磨するものなのです。優秀な選手が揃えば揃うほど競争は厳しくなります。所が部員数が増えると、監督の指導がどうしても末端まで伝わりにくくなります。また全体を把握するのも難しくなります。コーチとかそういったシステムを揃えられる学校はいいのですが、なかなか難しいものがあります。体罰と言うのはその中で、時間短縮の指導法でもあります。それを無くすると言う事は、時間をかけさせる方法が必要です。
なので一つ提案をします。学校教育の一環で行われるスポーツは、団体競技では試合に出場出来る選手の三倍までの部員数しか認めない、とする事です。陸上など個人競技の場合は、監督一名に対して20人、コーチ一人に対して10人以上の部員は認めないとする事です。
スポーツエリートの育成は、この中から選抜で、また違うシステムが必要なのではないのでしょうか。現在ある高校選抜育成は有効かもしれません。ただ現在これが問題なのは、親に負担が行くと言う事と、子供が天狗になって帰ってくると言う事でしょうか。子供の鼻っ柱をどう折るのか、そこが難しいのが現状でしょうか。