どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

あけましておめでとうございます

2015-12-31 23:55:10 | 日記

 

49回目の大晦日だ。晴れて少し気分がいい。

少しは正月らしくしようと、煮物と雑煮を作っておく。それ以外のものは買わなかった。どうせ二日には初売りが始まる。

独り者とお正月ほど似合わないものはない。

 

 

今年はどうだったかといえば、割と好奇心むき出しにした年だった。一番大きいのは、CDが絶滅前のバーゲンだらけでつい買い漁ったこと。それで、チと音が気になって、オーディオってどうなっているのかって見渡したところ、こいつも絶滅危惧種になっていた。いやあるのだけど、もともと変なんだけど、凄まじく変な世界になっていた。極端に二極化した世界で、中間がない。

コーヒーも久しぶりに目覚めた。もう10年くらい封印していた趣味だ。ただそこで見たものは、基準のない世界だった。

響のコーヒーは最高に美味しいのだが、最高に普通だ。そう当たり前なのだ。いい豆を入手し、最適に焙煎し、粗挽きにして贅沢に豆を使い、適切にドリップするというものだ。その当たり前がなぜどこにもないのかという問題だった。幾ら何でもと思って、新規開店した自家焙煎コーヒー店を回ったところ、そこには変な世界があった。

オーディオもそうだしコーヒーもそうなのだが、言葉の世界なのだ。イメージを膨らませるだけの言葉しかない。マンションのポエム的広告の世界なのだ。

本質的なことを言葉で追及するつもりのない言葉ばかりが並んでいる。基準のない世界では、金額が基準になる。ただ金額が高くなればなるほど、蠱惑的な言葉が必要になる。そういった循環がへんな言語状況を生んでいるのだろう。

ポストモダンというのは、次のステージに入っている。

 

 

来年もこの綱渡りのような言語世界が広がるのだろうな。物の前に言語ありきというのは、実際に不健全だ。だがネット世界という別な世界がある。実社会とネット社会のせめぎ合いのような物が、不確実なことを生み出しているのかといえば、実はそうでもない。ある意味ネットの方が健全である可能性がある。そこには批判が簡単にできるというのがある。だが対面ではなかなかそれはできないだろう。そこに実社会の別な問題があるのだろう。

コーヒーとオーディオは個人差の大きい曖昧なところはある。だから流通段階で言葉が支配できる領域でもある。その流通にある段階での言語が、どう正しいのか。貧困対策のはずの様々なコーヒーのシステムは、価格の吊り上げに使われている可能性はある。オーディオはそもそも流通が不透明過ぎる。

右翼が一番心配している、社会の規範が崩れているというのは、実際別だ。貧しい時代の規範は、豊かになったから壊れただけなのだ。

ただ誰もがこうなるとは思っていなかった。左翼も右翼も、立場に固執しすぎた。特に左翼はね。

理想的な社会というのは、そうそう作れないのだ。

 

 

ということで、あけましておめでとうございます。今年もひどいことばかりになりそうな勢いです。でもそれも人生なのでしょうね。

咳をしても一人ってか。


穏やかに1日が過ぎる

2015-12-30 22:28:18 | 日記

 

今日は何事もなくスケジュール通り終わった。響に行くだけなのだが、年末の買い物やら何やらあった。

 

 

多少はオシャレをしようと、ネルのシャツにする。シマムラの最近の商品だがかなりあったかい。喫煙所が屋外なので暖かさは重要だ。酒を飲めばタバコを吸いたくなる。だから暖かさは必要だ。

ジーパンもくたびれていないものを選ぶ。靴は少し前に買ったものにした。チヨダの靴だ。

どこがオサレかといえばスポーツアンダーウエアーをきていたということだ。しかも必要最低限の能力しかないシマムラのものだ。

スポーツアンダーウエアーのほとんどは、実は矯正下着でもある。体を自由に動かすサポートをすると言っているが、上は、猫背を矯正するものが多い。そちらが肩の可動部を増やせるからだ。胸を張る姿勢になる。下は、膝をひねらず歩幅が増えるようなものが多い。姿勢のいい歩き姿になるようにできている。

ただ、弱い矯正なのでわかりにくい。全身の重量バランスで大きな上半身の肩を引っ張ることで、腰の位置が明確になり安定する。なので立っている姿勢に無理のないポジションが作れる。なのだが本当にわかりにくい。

安いものでも貧相に見せないためには、骨格をどうすんのかという話だ。

ただ残念なことに、こういったスポーツ用として売られている、矯正下着ほどではないがニャカニャカにいいものに、白がないんですね。黒はカジュアルで使えるのですが、就活用とかで白があればいいのにと、ホント思います

ワコールさんマジでお願いしますよ。就活用のアンダー。

服が安けりゃ、からだで勝負というところですね。私の場合腰痛対策で、定期的にこの組み合わせはあります。

 

 

だれも気が付かないオサレはともかくとして、響ではジャズとクラシック禁足令を出して、問題点を回避した。

穏やかに終わった忘年会だ。ビリージョエルがよかったな。

 

そうして家に帰って、ムラヴィンスキーの振るショスタコーヴィッチの「1917年」を聞いた。

第一楽章はクルト・ワイルの「マハゴニー」の引用だったのね。


年の瀬に

2015-12-30 01:13:34 | 日記

 

あといくつも寝ないうちにお正月だ。ただこの時期正直言ってしんどい。ニュースはつまらなくなるやら、ネットニュースも激減。ネタもなくなる。ことしもCNNくらいだろうか。お正月番組は退屈だし。

お雑煮くらいは作ろうかと思う。少しだけ材料を準備し始める。

そして喫茶響1周年ということで、記念パーティーを身内でするのだが、少しだけ材料を持って行く。豚ロースの昆布締めというものだ。ただ単に乾いたままの昆布と豚ロースを挟んで行くだけ。豚肉の水分が昆布に吸われ、昆布の味が肉に移って行く。だいたい1日から2日間締めればいい。そしてただ単に焼けばいい。塩胡椒はいらない。これ単体で旨いのだ。冷めても旨い。だが昆布味の肉になってしまうのが欠点。日本酒に合う。ところが明日はワインが主体だ。なので前日に持って行くのだ。提案として燻製するというのがある。この方法ならワインでもなんとかなるだろう。

ちなみに昆布茶をまぶすという方法もあるのだが、昆布締めの方が旨い。

高松の池を通り過ぎたら、スズメバチの巣があった。ボロボロだが、多分今年のものだろう。

 

 

年末というのはニュースがない。しかし驚くべきニュースが入った。慰安婦問題で韓国政府と日本政府が取り決めをしたのだ。

なぜ取り決めというかといえば、基本的なガイドラインでしかない。だが韓国政府にも解決努力することが書かれているため、かなり重い内容になっている。日本も安倍総理の謝罪という項目や責任の明確化と政府支出金(アジア女性基金でも民間主導とは言われていたが、日本政府は基金に48億円出していた。今回の10億円は政府のみの支出とはいええらく減額したものだ)のみにしたというのが特徴だ。日本政府の責任を明確化したとも言える。

まさかだ、ここで急転直下、この問題で合意という取り決めができたとは。

歴史に嘘をつくものは、嘘をつき続けなければいけない。ましてや国家元首だったら不可能だ。それがなぜ今なのだ。

 

 

多分なのだが、今年の4月あたりからだと思うのだが、韓国の主張が世界で通らなくなってきている。なぜかといえば、韓国外交のバランスの悪さなのだ。アメリカと中国を両天秤にかけた外交ばかりしてきた。結果、アメリカからは見放されつつある。逆に中国からの誘導に逆らえなくなってきた。その上日本は無視し始めた。日本が今アメリカ中心に外交を動かしているのは、当然だが、両天秤外交というのは実際かなり難しい。だから日本はやらないと考えた方がいい。

その手詰まり感のある状況で、日中韓首脳会議とかもあった。G20もあった。だがアメリカの冷たさが際立つだけだった。米中所脳会談はその意味で、最も冷淡なものだった。もちろんアメリカと中国の抱えるものは大きい。にしても冷たかった。

そしてだ、韓国人の言論はなんでこうなると最悪を言い出すのか。核武装を言い出したのだ。その動きは11月からだから、もうアメリカも中国も多分叩き潰しにかかっただろう。

そう、確実にアメリカの力だ。中国も韓国との対応を考え直すことになったのだろう。これはあの軍事パレードに韓国が出席した、その余波があまりにも大きかったということなのだろう。

実は日本は、あんまり外交努力というのをやっていないきがする。この急転直下は、タナボタかもしれない。

まあその前に、韓国はやり過ぎてしまったのだ。コウモリ役を。

 

 

韓国外交の失敗と言えるが、日本でもかなりの軋轢を生みそうだ。当然韓国ではもうすでに問題になっている。挺身協は怒り出すし慰安婦もお金を受け取らないと言い始めている。日本でも多分その類の動きはあるかもしれない。

ただ日本外交史上初めてのとんでもないものが出現する可能性がある。二度と言わないと約束したからには、なんでもやってしまえというのは、現実的にある。天皇の謝罪の言葉まで要求したら、それもある可能性が出た。日本占領下だった時の天皇問題があって、韓国にまだ天皇は行っていないはずだ。

別にそれでいいのだ。それらの映像は世界中に流れる。天皇は土下座はできない。すると何が起きるかだ。

その前に、天皇は韓国を訪問しなければいけない。ただ彼らが拒否してきた。ただそれだけのことなのだ。

 

 

雪の予報は、外れた。よかった。

 

 

今年の高松の池はほとんど凍結していない。上の釣り堀あたりで、凍結が始まった。

寒いと言いつつ、暖かいのだ。


結果的に泳ぎ納めだろう

2015-12-28 21:47:12 | 日記

 

7日置いて泳ぎに行った。最近泳ぐことに飽きてしまったのではないのかと疑うほど、泳ぎに行かない。これには言い訳がある。ある意味忙しすぎるのだ。他に気をとられすぎているからこうなるのだが、時間がなかなか取れない。

この奇妙な時間の取れなさというのは、できないことが増えているという裏返しかもしれない。

イロイロやりたいのだが、処理能力が衰えてきている。ここをマイペースでこなせればいいのだが、寝る時間だけは確保しないと、どうしようもなくなりつつある。

 

 

久しぶりに、タイム抜きで200メートル8本と100メートル8本泳いだ。おかしい。計算が合わない。2100メートル泳いだつもりなのだが。

全速力とかやらなかったので、まあ出来たのかもしない。いずれ31日で公営プールはお正月休みに入る。しばらくお休みだから少しだけ無理をしてみた。

 

 

そういえば、アレックス・カー氏が「日本景観論」という本を出しているようだ。まだ読んではいないが、日経ビジネスの対談を読む限り、アレックス・カー氏はまだ日本への希望を捨ててはいないようだ。

カー氏は昔からムカつく論客だった。はっきり言って彼は正しい。全く正しい。だからムカつく。

新幹線の路線脇に巨大看板があるのを嫌がるが、その背景を知らないふりをしている気がする。そしてその背景は、まさしくプアーなのだ。カー氏の言うとおりなのだ。あれこそが農村の貧困なのだ。

そして観光地の誘導看板に至っては、道に迷った人たちのために用意されている。それは高度経済成長期に、旅行すらできなかった人たちが旅行した時に生じた問題を解決するためだった。

それでもお客様は神様です。あんまり触りたくない。どうやって逃げるのかというのがある。

でもアレックス・カー氏に言いたいのは、電柱がない日常なんて考えられないよ。ということだ。もちろん土中化は簡単だ。だが電信柱にまとわりついた利権はなかなかに解決できない。一本の電柱で最低2社、下手すりゃ10社とか。そしてそれは、国家ではなんともできない。

ただね、それでも言い続けたあなたは立派だ。それでもね、残念ながらあなたの望む景観は、確実にない。

問題はここなのだ。

100年以上たつと多少は変わるのかなとは思う。

ただ戦後の混乱を踏襲しているのだ。そこが解決できればいいのだが、多分決してない。そしてそこが解決した時には、そこにはカー氏の言う日本でなくなっているのだ。

そこははっきりしている。

 

 

バス停に、クリスマスの名残があった。


除雪できなかった

2015-12-28 01:02:13 | 日記

 

さて今冬初めてと言ってもいい真冬日だった。おまけに風が強く、とても寒く感じた。

除雪なのだが、もう昼過ぎの時点で道路がカチカチになってしまって、やってもしょうがない状態になってしまった。その上除雪機のカギを手に入れたのが、午後2時。その上中型機に変わったので操作方法を取り扱い説明書を見なければ危険だ。ということで除雪は中止となった。

 

 

今年のバイロイトの放送は、かなりうまく録音できそうだ。とはいえ頭が欠けたりというのはザラ。なぜそうなるのかは全くわからない。それでも今年はかなりマトモ。ワルキューレははほぼ全部、ジークフリートは頭10秒ほど欠けただけで済んだ。とはいえローエングリンが全滅というのは痛かった。

録音できるとはいえ、FLV形式で早回しも早送りもできない。えらく不便だが、これが今のところクラシックでは一番いい。

 

 

今年も年賀状は新年に出すことになりそうだ。

ますます世間が狭くなる。

 

 

天気も明日から、暖かくなるようだ。まあ暖かくなると言っても盛岡のそれなんで、世間では寒いと言うのだろう。だがそれでも雪のない正月になりそうだ。