どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

大晦日です

2011-12-31 18:30:44 | インポート
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まずは壊れた除雪機の修理。これはおとといの事か。ネジがぐんにゃり曲がっています。



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それを金のこで切ります。時間がかかる事を覚悟します。



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しかし金属疲労でもろくなっているのか、あっさり切れました。



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しかし、ロータを繋げるピンがありません。7㎜径のピンてそんなに売っているもんじゃないのに、なんでこの部品を使っているのか。現在ここをステンのねじでごまかしています。



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さて大晦日です。とても天気がいいです。買い物に出かけます。



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なぜかあわびの肝が200gで400円だったので買ってしまいました。さて塩辛でも作りましょうか。買い物客がいつもと違います。まず一人暮らしのサラリーマンが退屈しのぎにスーパーに来ているようです。家族で買い物も目立ちます。いつもの奥さんが、帰省しているのか娘さんと買い物に来ています。見慣れたスーパーが新鮮に見えます。


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今年はいろいろありすぎました。来年もいろいろあるんでしょう。来年の事を語ると鬼が笑うと言いますが、鬼の笑いのツボはどこにあるんじゃろかと。かなり多いんでしょうね。
まあでも誰もが解っている事は、来年は良い年になりそうだという事。今年が悪すぎましたから。今年より最悪を考えるのは難しいですからね。えっと関東大震災が起きて、北の新将軍がご自慢の最新ミサイルを日本に打ち込んで、その隙に中国と台湾が戦争して、ユーロが解散してアメリカと日本の国債が暴落して、インドとパキスタンの紛争が大拡大して、世界中に難民だらけになって、北斗神拳ができて…。
鬼は笑ってくれるだろうか。


本年のまとめ5

2011-12-31 03:53:41 | インポート
原発問題は書きたくなくなっている。
東北に住む人として、この騒ぎの広がりがどうもいかんともしがたい状況になっている。このなかで注目しているのがネットからの発信だ。
震災直後から2ヶ月間、いろいろ情報を集めたがデマが多かった。もしくは誤認情報が多かった。これらをどう選り分けるかは個人では荷が重かった。しかしいろいろ見る限り、以外と政府の情報は間違ってはいないと言う事がよくわかった。隠蔽というより危機対応の能力がいかに無いのかが解っただけで、それ以上の驚きは無かった。
ただ、それ以上に問題が起きるたびに起きるネット騒動だ。
ある意味で悪質な東海テレビ問題のネットでの反響、京都の大文字焼きの100倍返し、愛知県日進市の花火の100倍返しだった。東海テレビは論外なのだが、京都市と日進市についてはある意味被災地への応援と受け止めていたので、ありがたい事と思っていた。
だが少し不気味なものを感じていた。
それが佐賀県の話しになると一転して、これはどうかという話しになる。がれきの焼却を佐賀県武雄市が受け入れ取りやめた件だ。これに関しては、ネットにいろいろあるがどうも良く解らなくなる。
まず1000件以上のクレームが入った事。それの多くは市民ではなかった事だ。脅迫めいたネットでの文言があったという(確認した限りでは2ちゃんだ。なのである程度無視出来る)。
私は子供を抱える母親の立場を無視しない。だから佐賀県のお母さんの嘆願を無視しないのはよくわかる。しかしこのクレームは石垣島だったり静岡県だったりするのだ。
この件のクレームは、組織的に行ったようだ。これらが連鎖して起きている出来事だ。
ネットでのこういった行動は何が原因なんだろうか。まず正しい情報が無いと思われている状態が問題なのだろう。次が、ある意味正義的な行動なのだろう。例えば九州に放射性物質を持ち込ませないというのは正しい。しかし東北をがれきの山のままにするのかと言った問題は残る。助け合うという義はそこには無い。
今までの件を見る限り、正義の相対性を考えなければ行けない。つまり驚くべき事に正義は人によって変わるから正義は存在しないという事だ。
実はこういったネットの状況は悪くないと思っている。何が問題なのかが見えてくる。
ただ佐賀県の話しは、東北は北朝鮮になるべきだというニュアンスを感じる。生きている東北人としては屈辱を感じている。
我々がすべて自殺してしまえば良いのだろうか。それでまったく無垢な東北が出来れば良いのだろうか。
今土地にしがみついて毒野菜を作らざるを得ない農家は犯罪者なのだろうか。毒をまき散らすがれきの中で我々は生きるのが当然なのだろうか。
その中で生きる私たちは、人でないのだろうか。
今後家畜のように移動制限されて行くのだろうか。
ネットでは様々な意見が集約され統一されてゆく過程もある。早くそういった形に出来上がって欲しい。
地獄というものは、人の中にあるものですよ。



雪かきの注意点

2011-12-31 02:21:11 | インポート
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市の除雪車を使っての一人ボランティアですが、町内会で動くのと違って時間制約がないとか、集まるまで待たなきゃ行けないという事はありません。でもやはり路上は危険です。交通整理もいないので交差点は要注意です。よく前方不注意の車が突っ込んできます。圧雪が固い氷の固まりになっている所で転ぶ事もあります。ガソリンの予備を持って歩けないのでガス欠になったらお手上げです。
それでもなぜやるかと言えば、ウチの前は通学路で狭い道なのですが、それが広い道路とぶつかるあたりが日当りが悪く、厚さ10センチ以上の氷がデコボコに出来るのです。もの凄く危険です。
なので、通学路の整備という名目で、自分の安全のためにやっているのです。
しかし、ロータリー車なので雪を脇に捨てっぱなしになります。家の玄関なんかにもまき散らして進みます。もちろんそれを避ける事も可能です。ただ、それをやるとただでさえ遅いのに更に遅くなるのです。こちらもそこは苦悩していますが、いかんともしがたい状況です。
次が考えられるのは、ウチの前にこないというものです。これも覚悟していますが、これも今の所ありませんが、まあ一回は通っておこうかとヒマなときに回ってごまかしていますが、それでもアパートばっかりの通りとかだとその通り沿いの大家がやるべきでしょう。私は通学路とその支線を中心に考えています。それ以外は必要だと私が判断してやっています。
今日はそのうち、ウチの前に雪を置くなというクレームが2件ありました。
一件目はその危険地帯の角にある自転車屋さん。店頭は通りに面しているので、店頭に雪をまき散らす事はありません。その家の軒に雪を吐き出すと路上に戻してしまいます。まあ嫌なんでしょう。しかしフツーはそういった所で営業しているのだから、自分の店の前が危険なのを放置しているだけでも問題です。それが助長するような事をしている訳で。態度でクレームを付けているのですが、この件は時間をかけて対応しようと。
次のクレームは厄介です。そのお宅の玄関にまき散らしてクレームになるなら解ります。そのお宅の塀なのです。とてもきれい好きな方なのでしょうか。
こちらできれいに雪かきしているから通らなくていい。と言われました。しかし時計回りに進んでいるので、そのお宅の塀には雪を積んでいないはずなのですが。おまけにその方は自分の家の周りの雪を、隣のアパートに放り込んでいます。自分のアパートなのでしょうか。でも店子はどうなるんでしょうか。
ただ問題なのは、通らなくていいということです。そこを通らないとその先にある軽自動車も通れない道の除雪が出来ないという事です。
なんで早朝にこないんだと怒られました。それはそうです。早朝のほうが雪かきは効率がいいです。でも時間が合わないのですいませんというと、それなら通るなと言われました。
私としては、通学路だけで十分なのでそこはやる必要がありません。にっこり笑ってそれでは通りませんといって別れました。
今年は昨年の大雪に懲りて、町内会全体では雪かきがかなり徹底していますので、機械を出すほどでもないというのもあります。そこをわざわざ通る意味があるのですが。
今日少しでも雪を退かすと、大晦日の予想最高気温からかなり溶けると考えて入ったのですが。
まあでも今後大雪が降ったら、その家の前だけは雪かきしないで通ろうかとは思いますが。それでクレームがまた来たら、今年はどんな大雪でもその先には行かない事にしようかと、考えています。
いろんな人が住んでいるから町なのだと、つくづく楽しくなりました。


本年のまとめ4

2011-12-30 03:33:13 | インポート
民主党政権の蹉跌がはっきりした。
ただ私は、これを内部がグダグダだとか菅直人がバカだったとか鳩山が変人過ぎたとかではない。
彼らが、自分たちのマニュフェストの先にある社会について誰も理解していなかったためだろう。
本来彼らは、新しい公共と言う社会概念を持っていたはずだ。
これは市民社会の確立と言っても良いかもしれない。透明性の高く効率的な行政。市民の自由度を高めそのニーズに答えるべく国家より、地方行政に重きを置くようにするつもりだったのだろう。
新しい公共の中には、平等と公正を分けるという考えもある。たとえば土木工事などでは、公正さが必要だ。しかし今まででは本当に必要なものを、正しい手段で、透明性高く建設出来たかどうか解りにくかった。これでやり玉にあげられていたのが八ッ場ダムだった。まあ実際あそこにダムを作ったら、本当に何が起きるのかはお楽しみだ。少なくとも盛岡の四十四ダムと同じ運命をたどるだろう。
この新しい公共の概念だが、民主党の中で誰もがこれを実現させるための手法について、説明出来なかったのだ。例えば彼らは子供手当について、本当に説明出来なかった。本来彼らはベーシック・インカムを考えていたはずだ。最低所得保証だが、その上で税制上の控除を無くしてしまう事を考えていた。まあ大体これで基礎控除以上の一般控除は無くなる。多分年金や障害車年金もこの中に含まれてゆく計画だったろう。控除から給付に変えただけで行政の事務手続きが激減する事を期待している。その上で単純なシステムは平等でもある。
所得税の議論で、年収に応じて還付金がある制度を考えていたようだ。これは消費税のように確定申告出来ない税制の逆進性を大幅に緩和する。たとえば年収180万で貯金出来ないと思われる人には、消費税率10%で18万払ったと思われるから、そのうち50%返しますと言った話しだ。
ここでアパート暮らしの人と親元から通っている人とでは、悪平等なのではないのかとなる。子供手当もそうだった。だがこの議論の重要な所は、それは個人に任せる、という点なのだ。
実はここが重要だ。市民社会というものの前提が個人の自由な発言と行動で作られるということを前提にしているのだ。この給付金を悪行に使おうが何しようがかまわないのだ。これを問題にしている人の気持ちは解るが、平等という事はそういったことなのだ。
まあこの件に関しては、簡単に差し押さえが出来るとかの法整備は必要になるかもしれないが、それはそれで問題になる。個人を阻害しているからだ。
新しい公共の概念の最大のポイントは、個人だ。個人の自由だ。もちろんそこには倫理や法的なこともある。逸脱したものが問題なのであって、それ以外は自由を考えるという事だ。行政はその個人から監視されるというシステムを考えていた。
まあ民主党の全く誰もがこれらを説明出来なかった。もちろんこれには、ねじれ国会もあった。これで説明をうまく出来なくなっていたフシはある。
更には今まである法体系の中で、この考え方を貫くには法体系の大規模な変更が必要だ。その時間もなかったし、子供手当や農家の所得保証みたいに枝葉からはじまったのが失敗のきっかけだったのかもしれない。
ただ説得出来なかった政治家は、消えてゆくのだろう。
実は震災のドサクサで、あの大バカものが何かやっちゃうかと思ったのですが、まあここまで賢いとは思いませんでした。
新しい公共という考えはまったく日本にはあわないかもしれません。イギリスあたりでしょうか。もしくはキューバとか。この考えは特に誰も言ってはいませんが、ベーシック・インカムは重要項目です。
前に正義を行う資格というのを言いました。実は公正を担保するのもこういった事があります。国民に公正を担保するというためには、明らかなガイドラインが必要です。しかし例えばこれを、年収100万以下の人物には控除があり、101万の人には無いという事もあります。こういったことは単純化した方が良いのです。
公正を担保するのは、行政では煩雑な作業になります。個別のすべてを判断するのですから。ここに恣意が入る可能性もあります。これが公共事業のように長時間かかるものでは容易になるのが問題だったのですが。
民主党に同情出来るのは、自民党の過去の負債が余りにも大きすぎる事でしょう。それ以上に、現在のソブリンリスクがあります。もはや国債と言えばすべてが疑われています。このなかで返済出来る可能性だけで生きてきた日本国債ですが、ここにきて消費税なりの直接的な税収で保証せざるを得なくなっています。これは民主党に取っては不幸な事です。もはやにっちもさっちも行かなくなっています。
民主党にとってありがたいのは、新自由経済学派が今イマイチに見える事だけでしょうか。
ただ解っている事は、アメリカのティーパーティもそうですが、日本人の大部分が本質のすり替えの言葉だけで政治を決めている事かもしれません。けっしてポピュリズムだとは思っていません。ただそこからどこへ行くのかだけは誰もが解っていない事です。
震災もそうです。ここから遠くが見えた人は多いはずです。今後何とかなるのかもしれないとも思います。


私はそれでもメチャクチャ悲観的な人間なので、ここで来年の見通しを。
東北での公共事業が活発化するにつれ、西日本から差別だエコひいきだという声が起きる事。まず正しく起きる。起きて当たりまえ。このために東北の公共事業の透明性をどこまで作れるのかが、行政の課題になる。
あの、絶対起きるから。もう間違いなく。文句なしの神戸と違うから。


市民のいない事を左はもっと前に気がつくべきだった。市民と自分が同じだと勘違いしていた右翼は、気がついていたが止められなかったのだろう。
その市民が、各政党とも日本人であるという事を本当に良く解っていなかったから、こんな事になったのだろう。


本年のまとめ3

2011-12-29 02:09:26 | インポート
本来は震災と私となるべきだろう。ただこの件は非常に厄介だ。丁度抱えていた仕事があったので、とにかく毎日毎時判断が求められた。連絡網をどうするのかとかいろいろあったのだが、まあ仕事はつつがなく終わった。
ただその後その仕事を発注していた会社から変なクレームがついた。簡単に言えば、お前は無事で良かったね!というクレームだ。
あまりにもの事に呆然とした。わたしにとっても震災はもの凄いダメージだった。そこをなんとか切り抜けて仕事をしたのにこの台詞だ。まあ彼は実際パニックで2週間動けなかったようだが。
人は、自分しか愛せない。しかし人は仕事も愛している。社会も愛している。
そのなかで自分だけを愛している人を、小人と呼ぶ。


まあそんな事もあったが、やはり一番は骨折だ。
実は足が無いカメラマンは存在する意味が無い。そう常々思っていた。一時的にも骨折するという事は、私にとっては大問題だった。まあそうなったら自殺しようとも考えていた。
だが痛みの中でまずやったのは、自分の状態を客観視出来るようにする事だった。骨折部を触る、のばしてみるとかだ。骨折らしいと判断した所で取引先への連絡や実家への連絡、これらが終わってから宿泊を勧めた取引先をを呼んだ。
それが終わったあたりで、急に大便がしたくなった。そこで足をブラブラさせながらトイレにいって用を足して、戻ってきて、ふと気がついた。普段の覚悟と違って、生きる気満々なのだ。大体体の生理反応そのものが生きる気しかない。あまりにも普段の自分の考えと違う反応にしばらく考えた。
これは開き直るしか無い。いままでも人に頼っていたのだろう、今更格好付けしても全く意味がない。大体この状態でトイレに行くくらいみっともない事は無い。
まあそうすると半年後の自分すらも見えてくる。しかしそれすらも受け入れるしか無い。
どんなにみっともなくとも、開き直るしか無いのだ。断捨離という言葉が流行ったが、そんなもんじゃない。自分が生きる事以外はすべて捨てても良いと思っている。
開き直った結果、一番変わったのは人に頭を下げる時だ。90度以上頭を下げるのは当たり前になってきている。もうその辺りは完璧に躊躇しなくなっている。でないとすべてに開き直っているフテブテしさが見えてしまうからだ。
もう原発問題に関しては、かなり開き直っている。
ただまだ少し世間体というものを感じる所もある。まあそれも時間とともに無くなるのだろう。
これが不惑なのだろうか。