今日は泳ぎに行く。日曜なのでゆぴあすは混んでいるだろうと思ったら泳ぐ方はそうでもなかった。理由は簡単で、泳ぐために残された25メーター2コースがハイレベルだったからだ。フリーで50メーター50秒台が私ともう一人。45秒台が一人、55秒台の小学生が4人と普通の人が入れない状態になっていた。すいません。特に何か私恐れられていたようで、まあスキンヘッドに近くて日焼けで黒いですし、でもなぜか小学生とよく泳ぎました。彼らに怖いものはない。
いろんなお父さんの裸を見て思ったのが「多少筋肉の差はあるが痩せている人は押し並べて同じように痩せているが、太り方は太った人の数だけ違う違う形をしている」モーパッサンではないですが、マジメにそう思います。服着ているからどれも同じように太って見えますけど、本当に全然違うなと感心してしまいました。まあプールに来る人で、本当に細い男性はかなり少ないと思いますが。
あとはやはり、泳げないお父さんは子供に水泳を教えたがるという法則は絶対です。しかも間違っているのが特長です。お父さんがトイレに行っている間に3点ポイントを教えたら、あっという間に上手になりました。
で、もっとやってはいけないのに泳げないおじいさんに孫を預けた場合です。泳げないし水に入りたくないから教えると称して、古くて間違ったことをガミガミ言いますからたまったもんじゃないですね。私も頭でっかちですが、今日見たおじいさんの教えているクロールのフォームは古すぎる上にそれでは沈みます。子供には間違いなく無理。
まあ泳げるお父さんは、子供と遊びます。これ本当。でなければ子供と張り合って泳いでいます。これが正しいんじゃないんでしょうか。多分、昔競泳をやっていて大変だったのと、あんまり小さい時からやっていてもしょうがないと思うところがあるのではないのでしょうか。個人的に見ていても小学生低学年あたりは体型的なバランス、頭が大きいとか筋力とかで、大人と同じフォームでは泳げないようです。
現実的に幼児から小学生低学年までのスクールを見ていると、遊びながら基礎を少しづつ取り入れてゆくやり方をしていますし、個人指導のスパルタンな先生でも基本をミッチリ仕込む方向になっているようです。でもやっぱり水にどう慣れ親しませるかというのが大切です。水の中でどう自由に動けるか、そのためには浮かぶことがいかに重要か、そこが大切です。
そういえばロンドンオリンピックで最低の成績だった柔道が、リオで復活した。そこには井上康生監督の力があったのだが、最初彼の名前を聞いた時にすこし驚いたものだった。前のオリンピック監督があんまりにも根性トレーニングがすごすぎて、選手が離れてしまった結果の惨敗だったからだ。井上康生といえば練習の虫、練習好き、選手時代はそうだったという記憶がある。なので大学時代は相当煙たい先輩だったらしい。休みたくとも見つかるとすぐに練習台にされてしまう。逃げ回るのが大変だったという話を聞いたことがある。オリンピック強化合宿でもそこは変わらず、逆に強いのだけなのでイキイキ練習していたと聞く。
そういった人が監督で、何やったんだと。
現代ビジネスに記事があった。「まず根性論を捨てる」。そう井上氏はただ単に練習の虫ではなかった。課題が見つかるとそれを克服する方法を見つけて練習しまくるというものだった。彼自身の中でPDCAサイクルが出来ていたわけだ。問題がある、仮説を立てる、実践する、反省して仮説を立て直す。だから練習量が増える。だが技や身体能力はどんどん研ぎ澄まされてゆくのだ。
「強化合宿改革だ。合宿ごとに「技術合宿」「追い込み合宿」などとテーマを絞り、強化の目的をはっきりさせた。そして念願の担当コーチ制を復活させた。各階級の担当コーチは全日本強化合宿だけでなく、所属先での練習にも顔を出し、選手のコンディションを把握した。結果、選手の所属先とも良好な関係が築け、全日本チームと所属先とが連携した動きが生まれ、さらに外国勢の研究も二人三脚で行うようになった。」
この当たり前が出来ていなかったのが柔道のようだ。階級別コーチを置かなかったのは、今から思えば強化委員長の助成金流用疑惑につながる、権限集中のためだった可能性もある。当たり前のことをやっていないというのは、すでにおかしいのだ。
ウ、わんこかわいい。
お父さんが教える水泳で一番すごいなと思ったのは、お父さんは適当な数え歌を歌いながら子供にリズムを教えているのですが、フォームとかは教えていないんですね。最初にどこまで浮かぶか数え歌で数えて、浮かぶようになたらやっぱり数え歌でどんなフォームでもいいから少し泳げるようにします。ただ幼児なので手足が短いので、ほぼドルフィンキックです。でもおぼれかけているようにしか見えません。でも一回ごとに1メートルとか長く泳ぐ距離を増やして行き、ついに25メートル泳ぎきるようになりました。
ただ週3回くらいだと思いますが、それで2ヶ月かかりました。でも私にはこのやり方が正しいように思えます。楽しく、できることを徐々に教えるのです。
このお父さんはかなり泳げる人なので、かなり工夫したのでしょう。でもかかった時間を考えれば大変なものです。親子の絆には変えられないとは思いますが、でも何日かで適当に教えるよりはマシです。
でも一番大きいのは、お父さんが常にそばにいたということです。安全であるという条件でないと、水の中は本能的に怖いものです。怖いと体が縮こまって浮かべないだけでなく、体を自由に動かせなくなります。少なくとも安心させるのが大切だと思います。で、水の中にいた方がいいです。上から見下ろしていると子供はどうも見えを張って頑張るんですが、出来ない見えは悪い結果を生みます。
やっぱり一番いいのは一緒に泳ぐことです。で、泳ぎを教えなければいけないのに時間がない場合はスクールに通わせるべきです。
なお、私小学校3年時に6ヶ月だけスイミングスクールに通ったのですが、わけあってリタイヤ。クロールの息継ぎを習う前で終わったわけです。今思うとメチャクチャ早い詰め込み教育でしたね。まあそれでも青森ですから海もプールも満喫してきたわけですが、海は苦手でした。ある年海流がおかしな年があってアオサが大量に発生したのですが、その時に限ってものすごく海が澄んでいたんですね、で海底全部アオサ。全部あの緑。で、パニック起こして溺れる寸前まで、いや正確に言えば友人にしがみついて友人が溺れそうになった瞬間に自力で脱出したという、なんとも浅ましい結果になったのですが、それ以降コンブのうねりとかワカメのうねりはすごい苦手でした。
中学校は片目義眼の竹刀片手の鬼監督が居たので水泳部はなしで、高校は水泳部に友人がいたので泳いだくらいで、あれは楽しかったな。なので大学一年の水泳の授業は楽勝。なんですが、そこから28歳まで泳がなかった上に、体重が高校時代より12キロ太ってしまった。もう少し補正しよう。大学時代より19キロ太ったのだ。
腰痛対策で水泳となった時に、全く泳げなかったのだ。体型違うしなんか違うし、だいたい浮かばないし。なのでイロイロやりました。ほとんど小学生がやる遊びです。水死体ごっことか、手を使わないでどこまで泳ぐかとか、蹴伸びだけとか。水中をクルクル何回まわれるのかとか勢いつけて伸身で何回まわれるのかとか、大の大人がアホやっていましたが、結果泳げるようになりました。水に慣れることが大切なんですよ。
ということで、子供とそう遊ぶ中で自分の体を使えるようになる可能性もあるわけで、そちらの方が楽しいんではないのかと。
なぜ井上康生の例を出したかといえば、寄り添わないといけないということなんです。サポートが大切なんです。それができないんだったら、一緒に遊んだ方がまだマシでしょう。
水泳と腱鞘炎はいい関係ではない。でも左手の腱鞘炎がなにか変な具合になっている。曲げて痛いとかそういったのではない。すごく重いのだ。自転車のハンドルのグリップの変更だけではない。いやむしろそこは成功した。ユピアスまで信号にほとんど引っかからなかったとはいえ新記録が出そうなほどに早く着いてしまった。なので北松園を寄り道したりしたのだ。腱鞘炎が悪くなったのは泳ぐ最後のあたり、2時あたりだ。あとは使わなくとも悪くなる。とは言っても重くなるだけなおだ。なぜ右手にこないのかはわからないが、右足の骨折した時に入れたボルトの穴がシクシク言い出した。
どうも故障者の天気予報のようだ。これは間違いがないのだ。それは間違いなく台風が来るからだ。つまり私の心因性の現象の可能性の方が大きいが、どうも不味そうです。
今のところ盛岡直撃はなさそうですが、このシクシク具合はいいことがなさそうです。