さて前に「飛び込め!キンクロハジロ」という記事を書いた。最後の方に実はこれは写真論でもあると書いた。これはどうゆう事なのかと言えば、理化学目的の写真という事でもある。目的は飛び込む瞬間の写真、特に最後の写真になるのだが、それ以外の写真を山のように提示することで裏付けを行うと言う事だ。
問題はその写真の見せ方だ。数が膨大なのでこうしてまとめた訳だが、まとめ方としては左右正面横と分けた。分類する必要があったのだ。撮影順でも良かったがそれでは解りにくい。傾向が見えにくくなるからだ。
今回は科学的なものだからこの単純な分類でいい。おまけに自分の考えに近い写真を意図的に選んでいると思われたくないから、ピントが甘いもの以外は全部使っている。しかし実際の写真はこの分類がやりにくい。私の場合大抵撮影種類別かその土地の名前、日付で分類している。ただそれでは大量にたまるだけで、必要かどうか判断して整理しなければいけない。例えば旅の写真があったとする。これをどう整理するのかは誰もが悩ましい問題だと思う。自分の美学だけで捨ててしまっていいものかだ。当然家族や友人の写真は捨てられない。風景は多少絞れるがそれにしても限界がある。気になった置物や出会った猫の写真なんてなると、どうしていいのか解らなくなる。未来が解らない以上、今判断しにくいからだ。
かくしてハードディスクには大量の画像データーが眠る事になる。これが完結した仕事のものだったら、DVDなりのハードコピーを作って保管すればいいのだが、現在も進行している生活ものの写真になるとハードコピーはなじまない。すぐに見れる状態でないと新たに追加された写真と比較出来ないからだ。比較しながら、延々と整理を続ける。
こういった行動はコレクターに似ている。彼らも物を収集し、分類し、不要なものは売却するなり処分するなりし、まとまったものは整理して箱にしまい、一部を飾り、現在収集中のものは手に取りやすい所にまとめて保管する。
写真の手に負えない所は、物と違って自家生産可能な所です。無制限に積み上がる可能性がある。だから整理整頓が重要です。
みなさん誰もがウスウス気がついていると思いますが、実はアマチュアだろうがプロだろうが、カメラマンには収集癖があります。もちろんいい写真を撮るために写真をいっぱい撮るのは確かですが、どこかにこれがあります。写真作家は間違いなく優秀なコレクターです。彼らは他者と自分を取り集めています。
プロはまだ企画の範囲内で考えて集めます。ブツ撮りのようにある意味厳密に決まっているものは精度が必要なのでムチャクチャ撮る事はありません。人物になると、人物との関係性が写ってしまうのである一定以上のカット数が必要になります。ここで企画も無く関係性もない場合はどうなるのかと言えば、ある意味自分を撮っている状態に近くなります。自分のことが解る人間ってどの程度いるのか解りませんが、こういった状況になるともう無制限に撮影をする事になってしまいます。
カメラマンはひたすら写真を撮って集めて整理して、並べる。他者から不気味に思われるのも不思議ではないです。
さて今回ヒドリガモのアップの写真をまとめて並べてみました。なおメスの個体も混じっています。左下の2点が食い合ってどうもダメなのです。これがどうしてダメなのかは、レイアウトの教科書を読めば簡単に解る事ですが、16点の必要枚数に対して24点しか写真がなかった事、撮影された表情の多様性が乏しかったことが原因で1点だけどうしようもなく入れた結果です。
こう集めると考えた段階で解っていた事なのですが、ちょっとどうしようもありませんでした。
この一枚をどう出来るのか、そういった所があります。ひたすら集めないと、うまくまとめあげられない所もあります。
どこか変なのがカメラマンなのですが、職業病だと思って頂ければ幸いです。
私は変ですが。
PS 鳥なのですが正面はなかなか撮りにくいものです。彼らの目の問題が大きいからです。空を飛ぶために全方位監視するために目が発達しています。全方位のため目が頭の横についています。正面はその死角ギリギリの範囲で立体視できる場所です。このためか彼らは始終キョロキョロしている訳です。その上正面に敵らしいものがいるとなれば更にキョロキョロしだすので、正面を撮るのはある一定以上の距離がないと難しいようです。