どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

炎上記事に便乗する

2016-02-29 22:29:29 | 日記

 

家事代行業の株式会社ベアーズの執行役員である片切真人氏がニャカニャカな発言をして、炎上中なようです。まずはこの記事から。Hagexさんが微妙にディスっています。当然発言のミラーリンクもあったりして、ネットでいかに変なことを言ってはいけないのかという教訓にもなっています。でも実はなかなかにいいことも言っています。

 

「・「で、結局何が言いたいの?」
・「じゃあ早くそうしたらいいじゃん。」
・「話が長くてまわりくどい。」
これらは『女性に対してのタブー三大用語』なので、これらを今後一切言わないようにしましょう。」
 
これは重要です。家事代行サービス業ですから女性が多いのだと思いますが、この知見はとても当たり前で重要です。ただ「話が長くて回りくどい」というのは、私のこと本当に見てんの!という意味合いがあって、この辺はなんとも言えませんが、部下が育っていないとしか言いようがないです。
 
「女性が活躍する会社をつくりたいのであれば雑な指示はしてはいけないのです。それを「女性はすぐに動かない。」とか思っている方はそのような生き物だと認識することから始めて、丁寧に意味を説明した方がいいです。丁寧に意味を説明できないならそもそも女性の部下を持ってはいけません。」

そもそもそういった意味では、男でも雑な指示をしてはいけません。男はサボります。女は迷います。サボるより迷う方が後先解決が難しいというのが違いです。

ミラーからも原文が意図的に書かれているというのは確かです。ただ悪意のある伝わり方もしているようです。基本的に前段部がアウトです。泣かせた実績です。






ただここで見えてくるのは、女性の社会での立場が中途半端だということかもしれない。確かに男女同権になりつつある。例えばなぜ結婚率や出産率が下がっているのか、多分それは男女差が少なくなってきているからだと思う。それでも賃金差や就職差はある。現在同一賃金の話もあるが、男ー男間もある。
 
一番の問題は、それでいて社会の規範が古いということだ。男尊女卑を女性が受け入れてはいないのだろうか。
 
ただここだけはよくわかっている。いい加減な男が女をダメにしてきた、ということだ。
 
 
 
 
だから多分なのだが、俺はお前の父親ではない、という当たり前が問題なのだ。
疑似家族的に振る舞うというのはない。
 
 

大雪だったが

2016-02-29 01:31:11 | 日記

 

春のドカ雪だった。29センチまで降った。溶けて午前10時には23センチまで減った。

さて除雪機を出そうと思ったら、まあ置いてあるところに車があって動かせない。車の持ち主はいないしどうしようもなく、諦めた。

泳ぎに行こうとバスを待つと、今度は遅れている。9分遅れだがなんとかなるかと乗ったら、ほとんど各駅停車だった。もうどうなるかと思ったがギリギリゆぴあす行きに乗り換えられた。

のんびりと2000泳いだ。

 

 

しかし天気がいい。

へんな世界一があった。スマホでの自撮りだが、結構事故が多い。その事故ナンバーワンがインドだという。とはいえこの3年間で世界中の死亡事故は49件で、インドでは19件だという。しかもほとんどがムンバイの海岸だというから、少しきになる。何があるのだろうか。

世界で一番抗生物質を使っているのは中国で、16万2000トン。これは世界の使用量の半分近いものだそうだ。当然体で代謝しきれないのが糞尿に出てしまうわけで、その量5万トン。WHOの昨年11月にまとめた報告書だと、中国人の約3分の2が抗生物質は風邪とインフルエンザの治療に有効だと考えて、3分の1が頭痛にも効くと信じているという。

日本でもつい最近まで風邪をひくと抗生物質という時代があったから、笑うべきではない。



深刻な話もある。日本の12月の家計の平均支出は2000年には32万だったが、2015年には29万まで下がってしまった。特にこの2年間の低下が大きい。消費税の問題が考えられる。通信費は2000年には3%だったのが2015年には4.4%になった。あれだけスマホが悪者にされている割には伸びが低い。ここでエンゲル計数で行くと、2013年12月は25%以下だったのが、2014年には25.9%、2015年には27.8%と急上昇している。食品は圧縮したくとも限界がある。家計支出が減ることで相対的に増大しているということだ。

ただ衣料品や家具等が全国チェーン店で安くなったというのもある。食品もちょっとの贅沢が流行って幾久しい。だが家計支出の統計の中には30%の高齢者がいるわけで、彼らの食費までが計算上入っているわけだ。そこがどう入っているのかが検討できないのだが、問題は急上昇しているというところにある。

一見ものは動いているし仕事はいっぱい増えているように見える日本だが、足元の消費は全然増えていないというのがよく分かる。

これが一時的なものなのか構造的な問題なのかはわからないが、少なくとも介護福祉税とか以外と社会保障費負担が大きくなっているというのは確かだろう。そこを消費税が追い打ちをかけたとなる。数字から見える民意というのは大きい。それを政治がどう考えるかなのだが、多分彼らは考えないのだろう。

政治不信というのは、そういったことなのだ。

 

 

ゆぴあすの男子更衣室の洗面台にはドライヤーがある。大風力型の結構立派なものだ。だがその置いている箱に「折り曲げないでください」と書いている。

さてこれはどういったことなのか。折り曲げようとする人がいるということなのだ。そして壊すのだろう。あれを壊すのか?どんな馬鹿力だ。

今日改めて見て、携帯型のドライヤーしか使ったことがない人がいるのだと思った。


何事もなく

2016-02-27 21:19:13 | 日記

 

高松の池です。今日も仲良く恋のつばぜり合いが行われていました。

 

 

暖かくもなく寒くもなく、氷が融けて行きます。高松の池空港の駐機場ではツポレフ160Mが待機しております。このところの中途半端な天気のせいか、すぐに旅たたない白鳥が増えているようです。

 

 

キンちゃんが男は胸だと言い張っています。まあどうしてもかわいい。

そういえばLED電球は寿命10年もつと言われていたのに切れたという報告が相次いでいるようです。そこで友人の電気屋に聞いたところ「4万時間保障といって取り付けていたので、10年というのはどういった意味なのかわからない」ということです。4万時間というのは、24時間連続で点灯し続けた場合4.56年の寿命という意味になります。なので1日8時間点灯とかそういった計算で10年ということになったのでしょう。でもLEDが低電力だから点灯時間が長くなる可能性もあります。そういったのが寿命低下につながっています。

壊れる箇所がすでにわかっています。LEDに対応するため交流から直流に変える回路が必要なのですが、そこのコンデンサーがイカれます。とはいえこのコンデンサー、信頼性が高いものとそうでないものと10倍以上価格差があります。高品質で高信頼性の高いコンデンサーは、あの値段ではできないということです。

「結局あの値段で量産すれば個体差は出る」というのが電気屋の結論です。「ただ蛍光灯と比べても5倍以上の省エネ効果があって、寿命も蛍光灯よりは長かったはずだから、結局は元は取ったのではないのか?省エネに貢献したという意味でいいのではないのか」という意見でした。

シーリングタイプは電源部を分離できるので修理可能ですが、電球や直管蛍光灯タイプはこのへん如何ともし難いと思います。

震災でブームになったLED電球ですが、あれから5年近くなります。確かに寿命の範囲に入りつつあるわけです。切れるということを意識しなくなったというのも大きいかもしれません。なお我が家のコーヒーの木を育成しているケースに取り付けたLED電球ですが、3年以上経っていると思うのですがチラ付いています。どうも整流回路が壊れているみたいです。まあそんなものです。

 

 

最近少し考えているのは、好かれることを考える前に嫌われることを徹底的に考えるというのがある。なぜそうなったのかといえばムニャムニャなのだが、こうしたらより一層嫌われるというのを徹底して考えてゆくと、社会常識の先のタブーを自分で作ることができる。その上相手がいればだが、相手の弱点を徹底的につける言葉を見つけられる。武器を持てばいい話だ。

好かれる方法を考えて行けば選択肢は無限大になる。だが嫌われる方法は実は少ない。ここがミソだろう。そして決定的に嫌われる言葉を持つこと、それはバカとかブスとかそういったありきたりの言葉ではなく、決定的に相手を壊す言葉でないといけない。だがそれは決して出してはいけない。人間関係を全てご破算にするつもりでないと言ってはいけない。

アドラー心理学のようだが。著書は読んでいない。が嫌われない方法を考えるより、嫌われることを徹底的に考えたほうが、実は武器になる。

多分なのだが、嫌われ方を理解しないと覚悟ができないのではないのかと考えている。そこが一番大きいかもしれない。

 

 

ホシハジロの女の子はほんとかわいい。

 

 

カワアイサが、男は背中だと強調しています。

 

 

そうアイサ類は背中がかっこいいのですね。太陽の塔みたい。

 

 

なお私、嫌われ方で一週間同じパンツとかそういったことを言いたいわけではないのは、わかりますよね。2週間風呂に入っていなくとも、ゴキブリ扱いになることはないでしょう。逃げられるだけです。

まあそこまでで終わらないように考えてゆくと、本当に面白いですね。

 

 

どうも大雪になりそうだ。


お疲れ様

2016-02-27 00:58:16 | 日記

 

昨夜3センチ雪が積もったが、昼までにはあらかた融けてしまった。さて今日は国公立大学前期試験最終日です。受験生の皆様お疲れ様です。もう倍率が1.3倍を切る学科なんかありますね。大学では入学拒否の場合を考えて、実は少し多めに合格者を出しています。最近では少子化のためにあんまりいっぱい出すことはできなくなっているのですが、そのラインが1,3倍です。ここを切ったら、ほぼ全入状態です。おめでとう御座います。でも理系なんかだとこれじゃ無理!と言って、容赦なく落とす場合もありまして、安心はできません。文系だとまずこの指標は使えますが、なぜか日本は理系志願より文系志願の方が倍率は高いわけです。なので滅多にこの倍率は切らないものなのですが、今年は結構切ったところが多いようですね。まあ理系は女性が少ないイメージがありますし、忙しくてバイトや恋愛とかと縁がなさそうです。暗くでダサイ青春なんて誰も送りたくないですよね。倍率が低いのはそういった理由なのですが、そう考えているからもてないという事実がありまして、固定概念を取っ払って現実を見れば、工学部に女子が増えています。理系女子はオシャレに興味がないというイメージがありますが、そんなこと全くありません!ファッションセンスもいい子が増えてきています。なお女性は男を意識してファションを頑張っているわけではない。あれは女性同士のコミュニケーションツールなのだ。そして体育会系のキッツイ部に入ってバイトもして彼女も作って、成績優秀で卒業する男もいるわけです。まあその前に楽して果実を取ろうと考えてはいけないわけです。

ただ入試科目が理系で増えただけで、理系の倍率が減るということは、どうゆうことなのか。大体の高校生は、大学でやりたいことなど決めていないというのがよくわかります。この辺り政治家はまったく考慮していませんね。大学を改革すればエリート教育ができるというものではありません。まずは高校生を大人として扱うようにしなければいけないでしょう。勉強しろで終わってしまう高校時代というのはどうなのでしょうか。とは言ってもエリート養成高校ほど自由というわけのわからないこともありますね。その上で、エリートというのは大体おかしな人です。特に一芸に秀でた人物というのはその通りです。一芸だけ秀でています。恐ろしく教養が高く深く、人品高潔で人に思いやりがあり、社会に対して深い問題意識を持ち、頭脳明晰で知識にあふれ、人間関係の構築はどんな人も惚れ込んでしまうようなカリスマを持ち、情熱に溢れる謙虚で、専門においては古今東西右に出るものはない人間というのがいたら、見たいものだ。大体はこの項目のうち、二つか三つ落っこちているものだ。大体は人間関係の構築がうまくできない。だから伸びて行かないという場合が多い。となれば、そういった天才たちの足を引っ張らない社会が必要だ。まあ大体引っ張りますな。江副もそうだし堀江もそうなった。

で、その前に一人の天才には秀才が何十

 

人かついていないとその成果は出ない。ということは、大学改革より必要な改革ってあるんじゃないのか、となるはずなのだが。

 

 

多分なのだが、トップエリートを一番欲しがっているのは会社の経営者とか政治家なんではないのだろうか。経営者は当然そうだろう。日本ほどの人材の厚みがあるのに、ユニクロの社長のように引退できないというのは少しおかしい。多分政治家も薄々そこに気がついているのではないのだろうか。パッと見渡しても深く探っても、これという人材がなぜか見つからない。まあ本当はいたはずなのだが、出世街道で落っこちてしまっているだけだというのもわかっているのだろう。

時代の改革者が必要だと、誰もがわかっている。でもわかっていても今のシステムを手放せない。だから大学改革なのだろうか。

松下幸之助が作った松下政経塾は、その意味では先見性があったと思うが、卒業生が青臭いと評判が悪い。だが優秀な政治家が多いと思うのだが。だったらもっと高度な教育を受けた人がいいのではないのかとなるのだが、これまた評判が悪い。本当は各政党がイギリス型の政治家育成コースを作るべきだった。ドブ板も高度な政策研究も続けながら地方政治から国政まで段階を追って政治家としての資質を鍛えてゆくのだが、政党以外の支援のない選挙というのをやりつづないといけない。結構ハードルは高い。日本では秘書から出世コースというのもあるが、ドブにまみれさせてしまっているし、彼らが何をやっているのかというのは、政治資金の鞘抜きだったりする。

それでは自民党の最近の落下傘議員が何をしているのかといえば、政治への情熱を偽装したような人たちばかりで、一体党は何を教育しているのかとなる。

 

 

小学生の時に姉がなぜか英文タイプライターを持っていた。目を盗んで遊んでいた。結構これで姉と喧嘩になったものだ。そしてある時、なぜか父が和文タイプを持ってきたのだ。どうも仕事先で廃棄になったもののようだ。当然私はこれに夢中になった。後年印刷用のワープロに触れたことがあったが、なんとなく使えたのはあの文字配列をうっすらと覚えていたからだろう。しかしだ、あの文字配列はどうしようもなかった。一行作るのに10分とかだが、子供の感覚では1時間もかかったような気がする。とにかく手こずった。そして、ひらめいた。

「今後、自動的に文字を打つ機械が現れる」。確信的に思った。その後は漢字の読みは覚えるが、書くことをサボった。いやすぐ未来には書くものはあるのだから、読めて意味がわかればいい。そこが重要であって、漢字を書く必要はない。その後パソコンがあって、日本語ワープロが出た時には感動しましたね。

多分人生で幾つかの重要な失敗ですが、やっぱり手で書くことは大切です。ものすごく恥ずかしい思いをしています。でも大体の漢字は読めます。

少し前ですが、沖縄・北方担当大臣、だけだと思っていたのだが科学技術政策担当大臣兼宇宙政策担当大臣と兼任されています。忙しいから歯舞の文字をと散らかったのかもしれません。でも沖縄の方、実質権限のない大臣とはいえここまで兼任させた自民党ってなんじゃいなとなりますね。私もそう思います。

その塩尻大臣が、歯舞という漢字を読めなかった。はぼまいですね。確かに読めない。でも枚方よりはマシでしょう。ヒラカタは読めないです。でもここには読めない=書けないと言う図式があるのです。今の世の中読めればパソコン等のデバイスを使えば書けるわけです。鬱陶しいも楽勝なわけですね。読めないというのは、政務官から上がった文章をそのまま右から左へ流しているということです。

歯舞が読めなくともいいかもしれませんが、問題は官僚から上がった文章を読んでいないという疑惑が出てしまうわけです。いっぱい書類があるわけで、読めなくとも大雑把に北海道に一番近い島で小さな島で、実は一番もめている島という認識さえあればいいのです。でも、書類にいっぱい出て来れば、検索ぐらいするでしょ。人に聞くのが恥ずかしかったとしても。その前に、視察に行ったと思うのだがその時には看板に歯舞にはルビが振られていたはずだ。

読めないということは、官僚の文章を添削してもいないということなのだ。その意味がどの程度深刻なのか。

役者すらにもなっていないと言う政治家は、どうしようもない。

とはいえ彼女は言語感覚が少しおかしい。ウイキから転載する。

  • 2015年、名護市辺野古の新基地建設をめぐる市民の反対運動について「責任のない市民運動だと思っている。私たちは政治として対峙(たいじ)する」と発言した[18]

変だね。仙台市出身の沖縄に縁があるかどうかはともかくとして民主党の市議から、自民党の衆議院議員になってしまった経歴は、そもそも政党政治の破綻だと思う。彼女が悪いわけではない。

 

 

高松の池に行くと、キンクロハジロが寄ってくるようになった。僕も金ちゃんが好きだ。お風呂に浮かべたい。でも君は決して懐かないんだよね、そう思っていたから何か衝撃を受けている。どうも私はコメをくれる人として認識されたようだ。

ただコメをやったのは3回だけだ。たった3回だけでここまで懐かれるとは全く思わなかった。多分錯覚だと思うのだが、コメをやりながら遠くにいるキンクロハジロに目をやると、寄ってくるんですね。目がキラっとした感じもします。コメやらないでも一応寄ってくる気がします。

まあ気がするだけですが、多分キンクロハジロは頭が悪くないのだと思う。

このところ、キンクロハジロを見て「かわいい♡」という方が増えています。結構嬉しいです。白鳥のキレイより「かわいい」が最強です。

 

 

白鳥の大きな群れが通り過ぎました。

 

 

CNN) 米アイオワ州で、子どもも年齢を問わず大人の監督の下で短銃を使うことを認める改正法案が州下院を通過した。同州の現行法では14歳未満の子どもの短銃使用を禁止している。

日本人には理解しがたいこの条例だが、詳しくは記事を読んでほしい。

銃がいっぱいあるから、子供に教えないといけないという問題がある。子供が人を殺す案件があるからだ。しかもほとんどは偶然と言う。アイオワではライフルも散弾銃も大人が監督していれば年齢制限はない。そことの整合性があったわけだ。

トランプ氏が言うように、銃乱射事件の際に犯人に反撃できればいい、だから銃の所持は自由にするべきだということともまた違う。その通りにした州があるようだが、どうなるんだか。スーパーマーケットにアサルトライフル持参のお客様は、なかなかなものだ。

だがアメリカ建国史から行けば、この銃の問題は別な側面を持つ。アメリカは連邦政府であり州の権限は極めて強い。そこに州兵がいるのは当然だ。そういった社会だ。経済と移動の自由が連邦では保障されているが、各州はイザという時に連邦と縁を切ることができる。そのために州兵が必要なのだ。そういった概念があるからこそ、一般人が銃を持たなければいけないのだ。

アメリカ人は連邦政府に対して銃を持つ。その上での銃の問題だと思わないとやりきれない。あれだけの愛国者はそこまでも嫌うということなのだ。大統領選が戦いと言われるのは、その文脈で見るべきなのだろう。

 

 

 

 

白鳥の大きな群れが通り過ぎた。少し逡巡したようだったが、多分隣のダムに行ったのだろう。

 

 

なぜ全ての政治家はダメなのだろうか。そういった設問は面白いのかもしれない。なぜ全ての経営者がダメなのかとかまで広げると面白いかもしれない。答えは簡単だ。情熱があれば、だ。

だが情熱は演技できることだ。見破ることは簡単だったはずだが、できないというのはよっぽど日本にはエリートになれる人がいないのだということとなるのだろう。

 

 

いい夕日だった。


重い腰

2016-02-26 00:55:02 | 日記

 

今日は少し寒かった。ただ日が出ていたのが救いかな。

国公立大学前期試験だった。大学改革後の初めての試験だ。混乱がなければいいのだが。

国が大学を変えようと躍起になっている。もっと実学系とトップクラスの人材を育成するのに分けたいと考えているらしい。だがシカーシ、受験生の8割のニーズはモラトリアムなわけで、理想と現実のギャップは激しい。なぜそうなるのかといえば、今の高校生までは過保護すぎる。学生もそれを自覚してなんとかもがいているのだが、社会が逸脱を許さない。逸脱したいものは大学に進まなければいけないわけだ。なので専門とかもかなり大雑把だ。文系でアニメ・ライトノベルが好きだから日本文学とか(マジ多いっす)、理系で生物得意で猫が好きだから獣医とか(そしてマウスを殺すのに躊躇して、牛馬と格闘するハメに陥る)、とか実際悲喜こもごもだ。大学入ってしまったと思う人はとても多い。ただ最近は転部や転科が可能になっている。だから入ってから考えるというのも可能になっている。なのでモラトリアムでも大丈夫という状況でもある。

そしてなのだが、世の中大学には何も期待していないという現実がある。今現在では科学が進みすぎて理学部・工学部では修士号を持っていないと意味がない。で、それは実は30年前からそうなのだ。社会に出て即戦力で使えるというのはほんの一握りだ。だから逆にモラトリアムが必要になっている。社会人になるための準備期間としか言いようがない。だから体育会系出身が優遇されるというのは本当だ。体育会が一番実社会に近いとも言える。

体力だけだったら高卒で十分ではないのかと言われるだろう。ここに高校の問題が出てくる。高校って均一社会なのだ。大体入学時の学力で振り分けられている。この時点で均一なのだ。出来不出来とか経済的な格差はともかくとして、ある地域のある学力の子が集まっている。そして文科省の決めた内容と、センター試験に沿った授業が行われている。個性も評価対象にはなるが、一般的に認知されたもの以外は評価にならない。弁論大会で県一位とか、考古学オタクで地学部で活躍したとか、そういった方向になる。その中で競い合っていても、それが全国だったとしても、高校生の枠だけでしか過ぎない。そして保護された領域での評価だ。

大学だともう少し個性の評価が厳しくなる。ライバルは大人になる。スポーツでインターハイ出場して学校内で有名人でも、大学に行けばザラになる。そしてスポーツなんて顕著なのだが、高校の時はやっていないようで実は指導されている。家庭を巻き込んでだったりすればよく分からないものになる。やらされていて伸びていた、大体のところマトモな指導者がいればそれだけで伸びるのだ。ところが大学で一人暮らしとなると、脱落してゆく選手がいる。なぜおかしくなるのか、高校生の体のトレーニングメニューに固執するからだ。大人になった体のトレーニングメニューがあるわけで、それに気がついた子が伸びてゆく。大学には気がつく要素が用意されている。

高校の小さな枠から出てゆくことができれば、別に高校生の方がいいのだ。今の日本社会のとってはそちらの方がいいだろう。

大学4年間で何を学ぶかといえば、実は考え方だけだ。専門知識の習得となれば大学院まで行かないと無理だ。考え方だ。理系は合理性を徹底的に叩き込まれるし、文系はテキスト主義の理論性を叩き込まれるだろう。法学部がなぜ世の中のさばるのかといえば、その考え方の多様さとそれから理論を組み立てる能力と、それを使って弁論する能力を鍛えられるからだ。

そして日本というのは実は多様性がある。一つの地域から出たことがないが、多様な日本に触れるチャンスでもある。そこから独自の考え方を編み出すこともできるだろうし、逆に凹まされることもあるだろう。

モラトリアムでもいいと思う。でも考え方はつかんで欲しい。というか、大学に入ったものは大なり小なり掴んで卒業する。多分一番大きいのは、「なぜ」と言っても誰からも馬鹿にされないのは、大学だからだろう。もちろん優しくはない。ググレカスよりも酷いかもしれないが、「なぜ」だらけなのが大学だ。

答えのない世界が、答えのないモラトリアムを生んでいるのは確かだが、疑問を躊躇なく言えるというのは、正しい社会でもある。

 

 

この前ニューズウイークの記事でDRUM TAOを知った。このところあった、和太鼓集団の芸能パフォーマンスについての疑問が氷解した。

突き詰めるのはいいんだが、結果違う方向に行ってしまっている。

和太鼓の芸能集団といえば「鬼太鼓座」が有名だが、当時はまだお祭り太鼓や時太鼓の流れがあったと思う。それがこのところ、地域おこしの太鼓集団とかまあそういったものも含め、小学校の和太鼓とか、何か変な感じになっていると思っていた。音は確か「和」なのだが、何を聞かせたいのかよく分からないというものが多くなってきたように思う。テクニックだけならそれはそれで面白いのだが、えらく窮屈に感じていたのだ。

それがよくわかった。和太鼓で音楽を作るのではなくパフォーマンスと変わっていたのだ。確かにものすごいテクニックだが、間がない。もちろんレイト・ショーでエドサリバン劇場というのはある。アメリカ人向けだからというのはあると思うが、えらく間が悪いのだ。その隙間に和というのはあるのかと思うのだが、多分パフォーマンスとして詰めて詰めていった結果なのだろうと思う。おまけに太棹の三味(あえて津軽三味線とは言わない)が、多分ロックのギタリストだったんだろうか、壮絶に違う音を出す。

ウ~ンと思った。徹底すればするほど何か別な方向に行ってしまうわけだ。

一発だけ、感じられる音があればいいのだが。緊張して間がずれた可能性はあるな。

とはいえ間というのは高等技能だったのだというのに、改めて気がついた。いやそうなってしまったのだよ。

 

 

泳ぎに行く。さすがに腰が重かった。西風の中太田橋を渡るというのは根性がいるものだ。サボり続けてもいいのだが、泳ぎたいという気持ちが勝った。だが全然タイムは出ない。わかっていたがトホホだ。

 

 

マンサクが咲いて居た。昨年とあまり変わらないような気がする。

 

 

日本人が知に対して拒否反応を示すのは、「人生万事塞翁が馬」を地で味わってしまったからなのではないのだろうか。この道教的な概念だが、仏教的でもある概念はえらく浸透しているように思える。どのような知を得ても、何があるのかは分からない。賢さが大切であり即応能力が重要だが、結果どうなるのかは分からない。今の知は過去になり、その過去は今にも未来にも役に立たない。

これは社会の重層性がもたらす欺瞞なのだが、そういっていないとどうしようもないほどに社会が難しくなっている。高度になればなるほど、運不運が出てしまう。だから合理的に考えてという人たちが成功している。だが、合理性を持った人が「人生万事塞翁が馬」タイプを使いこなせるかといえば、それはない。

トップエリート待望論というのはそういったことなのだ。それは意図して作れるものではない。

第二次世界大戦というのは、まだまだ続いているのだ。

 

 

ダイサギが居ます。

嫌嫌泳いだのですが、何か楽しんでしまいました。まあそんなものです。

 

 

とはいえ、大学ではなくとも知を涵養するインフラは日本にいっぱいある。図書館もそうだがネットもそうだ。だが直接人と話すチャンスを作れるのは、大学が一番楽だ。

ということで受験生、楽しいことへの試練だからな。これも楽しめ。