どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

昨年のムラサキケマンの大群落が

2013-05-29 02:57:15 | インポート
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昨年岩手大学農学部の植物園で突然ムラサキケマンの大群落が出来た。あまりにも壮大な群落だったので今年はどうなのだろうか。


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なんと全くありません。わずかに花を咲かせている個体がありますが、昨年に比べれば無いに等しいレベルです。
なぜこうなったのでしょうか。これはムラサキケマンの特性にありそうです。昨年咲いた花から種がこぼれて、割と早く発芽しますが、一旦枯れて根茎を作ります。それが秋に発芽して成長し、春に花を咲かせます。
つまり顕著な隔年現象が起きる植物だと言う事です。ただ野生植物の種子は、大抵発芽にむらがあるもので、今年の種が今年発芽するとは限りません。来年かもしれないし再来年かもしれません。古い群落になればそういった個体が混じって、安定的に花があるようになるはずなのですが、ここまで全くないと言う事はかなり新しい群落だったと思われます。

草刈り等の要因も考えましたが、多分それよりも隔年現象の方が大きく働いていると思います。もしかすると来年度、更に凄い群落が見られるかもしれません。

とはいえこの花、ほぼ雑草扱いなのですが。ウスバシロチョウの食草でも知られています。この蝶の生態も、幼虫の摩訶不思議な休眠があって謎なのですが、その辺り含めて来年見ると面白いかもしれません。


クローバー変異株

2013-05-28 00:19:24 | インポート
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クローバー、あのシロツメクサですね。ノーマルな3枚がキリスト教の三位一体を表すとか、4つ葉が幸福の印とかキリストの十字架とかイロイロ伝承のある植物です。5つばとなるとアーサー王伝では何かあった気がしますが、遠い昔なので忘れました。たしか、不幸になると言う話しではなかったと思います。もっと防御系だったと思います。

写真はそのクローバーの変異体。もう3つ葉4つ葉を捜すのが難しいレベルです。気が狂ったレベルです。

このクローバーですが、遺伝子操作したものではありません。自然にあったものを選択育種したものです。この株は関東の愛好家が育種したもののようです。ギネスブックに載っているクローバーの葉っぱ最大数の記録は、岩手県花巻市の農家が出したものです。この農家は、4つ葉の押し花を出荷していますから4つ葉多産の品種改良をして来た中での物でした。

しかしこの株、今年ギネスブック記録を更新したようです。44枚の葉が見つかったようです。


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実はこの株があるところは、遺伝子がどう動くかとかを研究している所です。実は4つ葉のクローバーが出来る条件がかなり解りつつあるようです。1)季節。成長が活発な時期に起きる。だから夏から秋には4つ葉は減る。2)水分量と栄養。多い方が成長が良いので4つ葉になりやすい。夏の乾燥が大敵。3)変異が起きやすい個体を捜す。

この3が問題で、そうそうそんな個体は見つからなかったのと、見つかっても消えるんですよ。解りますか?実は私集めていました。でもある一定以上株が大きくなると消えるんですよ。なぜ消えるのかもメカニズムとして面白い所です。

確実に遺伝子異常株なのですが、花巻と関東株は11年以前に発見されています。放射線の影響より、人の選抜育種の努力があります。研究所なので遺伝子ノックアウト個体と思われるかもしれませんが、ないです。もう少しめんどくさい遺伝子のやりとりがありそうです。


さてあやふやな情報なのですが、この4つ葉変異株を安定させる方法は、3つ葉をすべて摘み取ると言うもののようです。実はこれ、古典園芸の技法です。バイオと言っている世界にも本質的には育てると言う考えはあります。


突然人が倒れた

2013-05-27 22:59:48 | インポート
今日、若い子が目を伏せてウロウロしていた。様子が変だと思っていたが、通り過ぎた。しばらくすると彼はベンチに立って突然叫びだした。しかし声は小さい。意味はよくわからないが、見るな!と言っているようだった。

私は人を見るのが仕事なので、すかさずその場を離れた。

しばらくして戻ってみると、彼は石のように立っていた。周りには保険師などが取り囲み、そこから遠巻きに人が眺めていた。

彼は話しかけても何も聞こえないようだった。話しかける言葉も穏やかなようで、こちらには聞こえてこない。

そこしよそ見をしたら、彼は倒れていた。

自分で倒れたのだろう。

車いすが運ばれ、彼に話しかけるが、彼は動かない。少しずつ広がる静寂の中、いつの間にか彼は車いすに乗って、消えた。

私が見たのは、これで3人目だ。以前は20年前だろうか。次が15年前だろうか。アルコールや薬物でもなく、こうなる。そう、こうなる。1000人に一人とか100人に一人とも言われているが、どうも私は引き寄せるようだ。


自虐史観?やっぱりメモ書き

2013-05-26 11:00:48 | インポート
本記事はすべて憶測で出来ています。ほぼ直感です。グズグズです。ご注意ください。


最近右翼が今までの教科書に載っている歴史を、「自虐史観」といって攻撃している。また若い人たちの間でも、そういった声が聞こえる。
中国との戦争や、従軍慰安婦の問題で日本は歴史をねじ曲げているのではないのか、それを教育の現場(特に日教組)や左翼の大学の教授らが押し進めている、と彼らは考えている。
だが、なぜこうなったかと言う視点が無いように感じる。


元はと言えば、日本がファシスト国家と見なされていたからだ。第一次世界大戦の日本参戦から、列強は何じゃこいつと思いはじめていた。それが軍縮会議以降日本国内に起きた様々な事件や、その後の進展を注意深く見守っていただろう。満州事変や日華事変などどんどん拡張主義になってゆく日本を、どう考えていいのか解りかねただろう。そこにドイツ・イタリア・日本の三国同盟が決定づけた。ドイツ・イタリアはヨーロッパなので、言語の問題は少ない。翻訳者はいっぱいいた。彼らと同盟を組んだと言う事は、彼らと思想的に近いと、誰もが考えただろう。熱烈な愛国主義なのかファシストなのかは、南京事件ではっきりとした。

もちろん南京事件は、中国国民党のプロパガンダだと言う説も知っている。だがこのプロパガンダ説を言っている研究者もあった事は否定していない。だがアメリカが第2時世界大戦に参戦する切っ掛けになった問題でもある。

蛇足だが中国は南京の事は大きく言うが、731部隊問題と万人坑の問題はあまり言わない。両者とも当時国際認知されていないからだと思う。万人坑に関しては、正直な所、何か変だとは考えている。疫病で死んだ人に対して、合理的な解決をしすぎたかと思う。どちらにしても、理解出来ないほどの事をしたのは間違いない。

すべてが揃った。個人崇拝、言論の弾圧、軍国主義、優性主義、そして他民族への弾圧と虐殺だ。

さてこの時点で日本はファシスト国家指定になり、第2時世界大戦に突入して敗戦となる。


アメリカは駐留直後から、この日本のファシズムを払拭すべくありとあらゆる事をした。占領政策の中で最も重要な事だったからだ。ただ彼らもかなり辛抱強かったと思う。ドイツのように解体したりはしなかった。天皇制は妥協したし、憲法もそこは留意した。
なぜ妥協したかと言えば、その後の冷戦が予想出来ていたからだ。
だが、その中で教育が特に大きく変わった。歴史教科書は戦前のものは一切否定され、客観的なものしか載せられなくなった。
更に教科書を書く人たちが変わった。公職追放を受けた戦前の教授らはいなくなり、新たな人が書きはじめた。左翼系だったかもしれない。だが彼らはよくわかっていたと思う。今後日本がファシズムと言われる可能性がある、だから教育はリベラルで、現時点で完全に解っている事のみを記載する、そうしたのだろう。
これを誰もが喜んで受け入れたとは思わない。だが軍事独裁に疲労した人たちが圧倒的に多かった。それどころではなかったのだ。

しかし、戦中の研究はそうとう難しかった。この理由は簡単で、まず日本の書類がアメリカに接収されていた。次に終戦直後に日本は重要書類を焼いてしまった。学者としては文献が無いのにどうすれば良いのかとなる。アメリカがまとめたものはある。社会学的な聞き取り調査もあるが、裏が取れない状態だったと思う。伝聞が多すぎるのだ。
更に80年代までの左翼的な傾向が、日本にあったことは否めない。学者としても北一輝や大川周明あたりは研究出来ても、まあ間違っても鈴木倉三や簑田胸喜あたりは研究する事すら認められなかっただろう。この二人の評伝がでたのは平成になってからだ。
むしろ戦中に弾圧された人たちの研究が進んだと思う。
左翼思想もあると思うが、80年代までは明らかに嫌戦派が日本の最大だった。この中で、家永裁判が大きくでてくる。この裁判の過程で、歴史教科書の検定がかなり変わって来たと思う。


学者よりも、作家やジャーナリストが本を書いている。しかし彼らだって相当文献を当たったり聞き取りをしてかなり努力している。だが裏が取れないものでもある。確かに真実に近いのだが、主観的なものとして扱われていた。
特に聞き取り調査で、国内に戻れた軍人と、国外に抑留された軍人とではかなり違うと思う。特に中国で裁判を受けた日本人軍人は、‘洗脳された’ としてその証言は右と左で扱いが大きく違う。私見だが、彼らが「囚人が白米を食っているのに、彼らはコウリャンを食べている」という発言が多い。もしかすると食生活の違いを勘違いしたものかもしれないが、正しい儒教の使い方を、中国がした例かと思う。洗脳ではないと思う。


さて日本の教科書は、こういった様々な事を踏まえて書かれている。
研究も1945当時接収された書類は、1995年以降アメリカの公文章が公開されてゆくので今は様々な議論が展開出来るようになって来た。また昭和天皇の崩御も大きい。戦争責任の問題を回避出来るようになった。議論も展開しやすくなっている。


自虐史観はなぜ必要だったのか、と言う事を考えてもらいたい。家永裁判でもそうだが、自虐史観否定派も文部省にいた訳で、だから裁判になったのだ。この長い裁判は結果として‘自虐史観’ を法的に支えている。実際教科書検定も、この裁判中に変わって来ており、裁判の影響がある。

まとめると、日本は対外的に見てもファシスト国家になった。第2時世界大戦でアメリカが日本を占領し、ファシズムが今後起きないように教育制度を変えた。これを受けて歴史教科書が変わった。その後左翼思想の興隆や、反戦思想もあり、更に家永裁判が大きな影響を与えた。

自虐史観は当初GHQのファシスト国家日本改造の一つだったが、終戦後の軍事アレルギーもあったし、左翼・リベラルの思想の流れもあった。

最後だが、この自虐史観は何か役に立ったのだろうか。愛国心を毀損してまで続ける事だったのだろうか。
実は役に立って来た。日本はファシスト国家ではなくなることの証明だったからだ。これが国際社会に出るために必要条件だった。

逆に今の愛国運動は、その過去のファシズムを想起させる事が多く、弊害が多い。逆になぜ戦後日本を愛する運動が出来なかったのかが不思議だが、多分愛国者たちは社会主義や共産主義が嫌いだったからなのだろう。だが戦前の軍国主義は「赤い将校」たちが練り上げたものだと言う事を忘れてはいけない。

さて自虐史観だが、現実にどう教授されているのだろうか。多分誰もが教わっていないと思う。日本近代史は日露戦争まで、あとは右や左がめんどくさいからテキトーになっている。特に詳細に習うはずの高校では、大学センター試験に出ないからスっ飛ばしているのが大半だろう。今はそれでもかなり良くなっていると思うが、何のための教科書検定か全く意味のない状態だ。

私は自虐史観の方がまだ正しい日本近代史だと思う。だが誰も読んでいないのだから意味が無い。
そして自虐史観と言いう愛国者たちなのだが、私には簑田胸喜の亡霊にしか見えない。


ファシズム・メモ

2013-05-23 02:27:01 | インポート
初めは一気に書こうと思ったのだが、どんどんメモ書きになってしまった。時間がかかったからだ。おまけに中間で大阪市橋本市長の発言があったりしてかなり混乱している。マトモな文章でないのはいつもの事だが、今回は特にマトモでない。





ファシズムと言う言葉の日本語訳が見当たらない。ファンダメンタリズムが「原理主義」と翻訳があるのに対して、少し不思議な気がする。

私はこの方面には暗い。だから直感で書く。

この理由は多分ドイツのファシズムが典型的なファシズムであって、日本には存在しないから訳語が当てられていないのだろう。実際ウイキペディアの「ファシズム」の項を見ると、このファシズムの定義そのものがよくわからなくなってくる。まあウイキだからそうなるのだろう。何でもかんでもあり過ぎでよくわからなくなる。だがこう考えれば簡単かもしれない。「発展的復古主義」であったということだ。

基本は「復古主義」つまり極右だ。ただ昔に帰れば良い訳ではない。何らかの科学的手法を持って「発展」させると言うのがポイントだ。例えばヒットラーは前半戦社会主義的であったしケインズ学派でもあったように思えるが、後半は全くそういった所のない「復古主義」に固まってしまった。

ユダヤ人虐殺も「復古主義」の中で、「科学的」な「発展」の方向とされたのだろう。彼らは障害者や社会主義者や、ロマまでも虐殺している。「科学的な」優性主義がこの暴走を生んだと言える。逆に「アーリア民族の優位」って何なのかを考えていないような気もする。インド人まで優位と言う事なのだろうが、そうは言っていない。
「偉大なドイツ」を言い換えるとこうもかっこ良くなると言うだけだろう。


そもそもファシズムの語源が、ローマ時代の執政官が引き連れた護衛の持っている斧のことらしい。これをファッシと言うのだが、これを言い出したのがムッソリーニだった。統一されたイタリアで、ローマ帝国の復活を目指した、その力の象徴であった。


正直な所ファシズムの定義は、おおざっぱなものでしかない。独裁・狂信・個人崇拝・多様な意見を認めない偏狭性・情報操作と警察国家、民族の優位性を主張する上での異民族の迫害、侵略戦争を引き起こした等々あると思う。ただファシスト国家と言われているのは第2時世界大戦以降ない。ソ連や毛沢東時代の中国はこの条件に当てはまるが、連合国側だった事もあるがファシズムとは言われていない。別な共産主義であったからだ。
イラクのフセインもこの中に入ると思うが、独裁者であってファシストではない。シリアのアサドもそうだ。だが彼らは大シリア主義だったはずなのだが、リアリストでもあったのだろう。復古主義には至らなかった。

現代で「ファシスト」と呼ばれた指導者は、セルビアのミロシェヴィッチだろうか。しかし民間で言われた程度で国際的には独裁者となっている。


多分なのだが、「ファシズム」や「ファシスト」と言う言葉は、浴びせかけるのがためらわれるほどの言葉になっており、めったやたらには使わない言葉になっている。そのせいもあるのかもしれない。

ただこの言葉が使われる国が、二つ、ドイツと日本だ。ドイツはネオ・ナチがいるから使われている。ただそれだけだ。日本には中国がたまに使う。イタリアでこの言葉が滅多に出ないのは、やっぱりムッソリーニを公開で吊るし首にしてしまったほど、ある意味狂信からほど遠いと思われたのだろう。

なぜ日本がファシスト国家だったと思われたかと言えば、現実に日中戦争以降の行動が国際的にそう見えていたと言える。しかもこれには伏線がある。明治政府が当初神権政治を目指していた所があるからだ。明治神祇官制度だが、あっという間に廃止された。それが急進的だったと言う事と列強からは怪しまれた上に、キリスト教徒の弾圧も行った、と言うのが理由だろう。だがこれが教部局になり社寺局になり、神社局と他の宗教を扱う宗教局が内務省の中におかれているように、国家による宗教管理が残っていた。

だがそれでも日本は神道による宗教国家ではないと、対外向けにはずっと言って来た。しかし国内向けには天皇制と神道は一致していた。
それでも民間信仰はある程度自由だったが、ロンドン軍縮会議あたりからきな臭くなる。天皇崇拝が強調されてゆく過程があり神道も強調されてゆく。新興宗教の多くは弾圧されてゆく。

この中で有名なのは、宗教ではないが東大の美濃部教授の「天皇機関説」に対する弾圧だろう。天皇は政府機関の一部門であると言う考えで、昭和天皇も認めたものだったが、天皇崇拝者からは全く認められないものであった。
この頃から「226」や「515」の軍部クーデターが起きる。この意味は、いろいろあるが「機関」としての天皇ではなく「主権者」としての天皇を取り戻すクーデターであった。だが天皇が拒否したのは有名だ。

脱線した。

日本人が日本をファシズムと思わない理由は、多分このダブルスタンダードだろう。対外向けと国内向けだ。すべてがもっともらしく説明されている。そしてそれは軍部の詭弁であって、我々は騙されたと言う考えがある。だから今の私たちはファシストではないと考えている。言論の自由もある。
更に軍国主義をファシズムと解釈する向きもある。これも軍隊の暴走説になるが、憲法の規定で自衛隊は軍隊でないから今後暴走も起こらず、ファシズムに陥らないと言う考え方もある。だから憲法9条護持でもある。
ダブルスタンダードの良いとこ取りも出来る。やむをえず戦争になったと言う考え方の中にそれがある。だが実際には大新聞から雑誌まで協力して国民運動になった、あそこからまだ抜け出していないとも言える。


海外から見た日本のファシズムとは、天皇制と軍国主義の熱狂だ。そして当時日本人だった朝鮮人への差別や、中国人への暴掠が余りにも強い印象になっている。
そして戦後、天皇制を残した事によって天皇崇拝が高まる可能性があると考えているフシはある。

日本人にとって、天皇制とは近代の話しだ。明治初期に全国配布された伊勢神宮の御幣が、川に流される事件が相次いだ。復古主義の悪い所が出た事件で、初期神道政治が民間信仰に否定された事件だった。キリシタン弾圧もあった。それが時間をかけて天皇熱狂まで至った。

それはそれで歴史だ。だが近代史は余りにも重層的で単純に勝ち負けみたいにはいかない。
そう考えているのは国内だけなのだが。



5/16追記
これを書いているうちに、安倍総理が航空自衛隊松島基地で、助手席に乗った航空機の機体番号が「731」であったと言う事が問題になっている。これは悪名高い旧関東軍の部隊でもある。中国と韓国だけだとこじつけとしか思えないが、これが現在アメリカでも話題になっている。
特に安倍総理は極右に近いと、日本人でも思うくらいだからかなり注目されている。

つまらない事と思うかもしれない。こんな細かい事でも問題になるのが現在の日中韓だが、これをもって日本は今でもファシスト国家だと、言われる材料を与えただけの、配慮ミスだった。