最近、派遣労働問題からはじまって新たな雇用規則が出来るかもしれない。例えば職種別同一賃金とか、限定正社員とかだ。だがなんか変な議論になっているように思える。
実は労働法遵守で済む話しが多すぎると言う事だ。ブラック企業と言われている所は、結局労働法を守っていないと言うだけの事だ。最新ブラック企業情報では、辞めさせてくれない企業と言うのもある。当初の雇用契約をどんどん破ってゆくのに、その雇用契約を盾に辞めさせないと言う、主客転倒した理屈で止めさせないものだ。「君が今辞めたら当社の損害はこれだけになる。契約上それは許されない。その損害賠償請求をしても良いのか?」。多分この理屈では損害賠償請求はおろか、逆に労基局から訴えられるだろう。なぜそれがまかり通るのかと言えば、現在雇用者の買い手市場だからだ。
ブラック企業問題は、労基局の人員が少なすぎると言うものだ。なぜ少なすぎるのかと言えば、答えは簡単。厳密な法の運用が出来る労働条件がそう滅多にないからだ。厳密に運用されていると言う条件で、人員が用意されている。実態はそれどころではなく多様だ。
次に大きいのは、労働基準法の解釈の幅が大きい事だろう。多様化する労働、これは20年前からそうだった。しかしこれに対してどう対応出来るか根本的に、まったく出来ていなかった。労働基準法も未来を想定したものではなかった。場当たりで法解釈をして来たと思う。
限定正社員制度だが、実はもう大企業だったらかなり前から持っているはずだ。何を今更だ。20年間の間にもう既にある。制度化するかどうかという問題ではない。というか今議論されているのがおかしい。
派遣労働の問題は、深刻な所がある。派遣労働者は建前上、派遣会社の契約社員だからだ。本来なら、契約を破棄された派遣労働者に対して、教育なりを施して更に魅力あるハケンにしなければ行けない。その前に派遣されている最中にも資格を取らせるとか、そういった方策が必要だ。それでなければあのピンハネは何なのかとなる。
そういった会社はあるようだが、寡聞にして聞かない。
それでは派遣会社はどうなのかと言えば、実は派遣会社の社員が抱えているハケンの数が多すぎると言う事だ。一人で100人はザラだ。もしかすると一人で200人とかもあるかもしれない。個別面談とかマメにする必要があるのだが、全く手が回らない。次の契約に向けて、新しい資格を取るとかそう言った方策を勧める事すら出来ない。
派遣会社も会社によっては、契約違反が目についた。個室の寮を提供すると言っていたが相部屋だったとかはザラ、寮費が高すぎるとかもザラ。そのクレームを入れようにも担当が多忙でどうしようもない。
それではハケンの人たちなのだが、どうも玉石混合だった。派遣会社の担当者が連絡を取りたくとも捕まらないとか、生活指導をどうしても受け付けてくれない人とか、そう言った例もあるようだ。
リーマンショックの頃に、解雇された派遣社員を支援していたNPOの代表が、大変厳しい事を言っていた記憶がある。「なぜ貯金もしていないんだ。契約上解っているはずだ。」まあ彼らで稼ぐ人は月40万は稼いでいましたから、当然と言えば当然な発言です。
最も大きな事は、この派遣労働者が解雇された時に、ナゼか頼る人がいない人がいっぱいいたと言う事です。実家に帰るなり何なりあると思う。しかし彼らは選択出来なかった。なので炊き出し村に入った。社会制度の上で、こちらの方が大きい。なので彼らを支援したNPOがいたのです。
社会基盤の、家庭が崩壊していたと言う事です。
同一職同一賃金は、難しい問題をはらんでいます。日本には階級がない事が前提となっている社会だからです。ヨーロッパやアメリカでの同一賃金とは話しが違います。しかし現実にはあります。でも会社に入った時には、ない事として扱われます。自由競争です。仕事ができる奴が勝つ、東大卒を出世で勝つとかそう言ったこともない訳ではありません。以外と個人の能力が問われているのが日本企業です。
そして仕事の能力は、時間とともに培われてゆくものと考えています。年功序列の前提です。
それでは職種別があるかと言えば、危険手当とか技能別手当と言う形で実はあります。
例えばバイトで例えましょう。4年間コンビニでバイトしていました。熟練しています。本社か表彰された事もあります。そのあなたの下に箸にも棒にも使えない新人バイトが入ってきました。あなたの目から甘く見ても、3ヶ月後にマニュアル通りの仕事もできません。それでも同一賃金です。さてどうしましょう。
同一職種同一賃金にはこういった問題があります。
更に50歳以上での定期昇給が無くなっている会社が多分ほとんどでしょう。年功序列も崩れつつあります。
さて日本企業では、以外と自由競争だったと言いました。誰もがそうは思わないはずです。そう人間関係がめんどくさいですから。課長以上になると派閥があったりイロイロします。学閥もあったりします。この中でのし上がるのも能力だと思うのですが、実際の所、いつも顔を合わせられる関係でないと難しいと言った、情緒的な世界があったと思います。
本社勤務有利ですね。お歳暮やお中元の付け届けをマメにとか一杯あります。なおこの季節のお届けものですが、以外とアメリカ社会の方が厳しいようです。
逆に海外子会社でクレバーな売り上げを出しても本社に戻れないとか、そう言った事例もあります。日産でフェアレディを作った人なんかモロにそうです。
多分なのですが、戦前においては同一職種同一賃金に近かったと思います。ただ同一職種でも、腕がいいとか後輩を指導する立場とかでは賃金が上がると言う事です。で、ここはブルーカラーの話しです。ホワイトカラーはどうかと言えば、日本にはホワイトカラーはエリートであった。それだけなのかと思います。
そして社長の流動性は今のアメリカ並みです。成功した社長は他の会社に招かれたり顧問になったり、一人で10社見るとかザラでした。まあそれぞれの会社には叩き上げの大番頭がいる訳で、それで成り立っていた訳です。
階級社会でした。
戦後、生産現場の価値が増大して、福利増大・終身雇用制などの形になります。そしてそこにはブルーカラーもホワイトカラーもないと言うのが前提だったと思います。ブルーカラーもホワイトカラーも社長になる事が出来る。そう言った幻想があの頃にあったのではないのかと思います。もちろん昭和20年から30年代の労働争議は大きいものです。それでは組合にはどういった魅力があったのでしょうか。それは組合長になれば社長と膝詰めで話しが出来るというものです。組合のトップと言うのは、ある意味社長と並ぶ権威です。ここは大きかったと思います。
限定社員制度ですが、この頃以前からありました。女子社員です。結婚したら止める契約と言うのはどうなのでしょうか。
さて終身雇用制の問題は、フリーライド問題です。仕事ができない、いや任せる事が出来ない人物が職場にいると言う問題です。場合によっては上司だったりします。ITどころかワープロもアウトという人物がまだいるようです。
それは問題だ、そんな奴は解雇させるようにするべきだ。そう言った考え方もあります。
所がここは冷静になるべきです。なぜ今更フリーライドが問題になるのかと言う事です。昔っからいましたから。
答えは簡単です。近年ホワイトカラーの効率が上がったからです。時代遅れの穀潰しも使いようがあった時代は終わり、一騎当千の人物ばかりになったとも言えます。
ただ上がった理由が芳しい理由ではないから問題なのです。
実はこの辺りに日本の雇用情勢が絡んでいると睨んでいます。
まず昭和20年から30年の大卒の雇用はかなり厳しかった。何しろ会社がないのですから。もう必死で潜り込んだ人たちばかりです。彼らが後のモーレツ社員になるのです。30年から50年は高度経済成長期です。安保闘争とかもありますし、景気の浪もありましたが基本的に仕事がある時代です。ただ学生運動ドロップアウト組が現在のサブカルチャーを作っているのが面白い所です。
60年から80年はそれこそ拡大期です。円高不況もありました。ただこの辺りで日本人のきめ細かなサービスと製品ができる基礎になりました。
そしてバブルなのですが、ここで雇用情勢は最大になる訳です。超拡大期の幻想だったとも言えますが、ここから凄まじい事が起きます。
ところで私バブル世代なのですが、バブルの時の地方大学の就職ってあんまり今と変わりません。強いて言えば旅費が出たかどうか。かなり大きい事ですが、引く手あまたではありません。よく言われる旅費で儲けた学生と言うのは、北では旧帝大クラスではないのでしょうか。北大になると旅費が大きすぎて実は人気がなかったと記憶しています。あと本社採用、4月子会社配属という問題のある例もいっぱい見ました。あの1000人採用とかそう言った中には、本社の看板で子会社採用と言う詐欺があった事は指摘しておきたいと思います。
超円高による不況と就職氷河期です。この時期の就職氷河期と言うのは、本当に仕事がなかった時期です。この20年間就職氷河期と言われ続けていますが、そんなものじゃない。
まったく採用のなかった時期です。
この中で勝ち残って来た氷河期世代は、以前にはない考えを持っています。実力主義です。特に彼らがはたらきはじめた頃からアメリカ流の考え方が入っています。そして先輩たちが次々とリストラされていった世代です。
このころ導入された制度の代表が、能力給です。しかし仕組みの上でうまく行きませんでした。理由は社員全部に適用したからです。逆に目標を低めに設定して、目標をクリアーしたように見せる事も出来ます。逆にモチベーションを落としたとか弊害が目立ちました。
実際20年間の間に人事制度が何度変わった事か。そう言った企業も多いと思います。
この間に、年功序列の意味を支えた、オン・ザ・ジョブ・トレーニング法がおかしくなりました。日本では先輩が後輩の面倒を見ながら育ててゆくと言う手法をとってきました。それが就職氷河期の少数にのしかかってきます。その上時代はアメリカ流がもてはやされている頃です。酒を飲むにしても、個人的な事と経理から拒否されます。昔はなんとかしてくれたものでしたが、もうコンプライアンスとかで難しくなってます。それでは先輩としておごり続けられるかと言えば、ムリです。もちろん酒の席だけが教育指導ではありません。しかし社内の誰にも見られない所で話すとか、そういった事には有効です。
就職氷河期の人物から見れば、お荷物です。自分の実績にもならなければ時間も金もかかるのは苦痛です。指導するよりも、自分で仕事を抱えた方が速いのです。また能力のある人も多いです。これが更に拍車をかけます。
実は最近独身寮を復活させている企業が増えています。もう近所付き合いからはじめてもらわないと、以前のようなチームワークが望めないと考えているようです。
そこに登場したゆとり世代が更に陰影を深くします。指導してくれるのが前提で彼らは入社するのですから、まあ大変でしょう。親の世代はオン・ザ・ジョブ・トレーニングで育ちました。しかしその前提はもう難しくなっています。
どの程度難しいのかと言えば、最近ビジネス用語でオン・ザ・ジョブ・トレーニングと言う言葉が頻発する、と言う事で解ると思います。以前だったら当たり前の事が、もう方法論として取り上げられている、その状況にあります。
確かに終身雇用制が前提に見えますが、今のオン・ザ・ジョブ・トレーニングは短期間養成法です。そのために心理学からメソッドが導かれています。ただこれを使いこなせれる人がそうはいないと言うのが問題です。
ダラダラと述べてきましたが、実はこの話し、ホワイトカラーのみの話しです。ブルーカラーの方が能力や提案能力で評価されるシステムがあります。というか数値化しやすいのです。ある意味階級もあります。それでも結果がはっきりしている世界なのは間違いがありません。
しかしホワイトカラーはどうなのかと言えば、曖昧ですよね。能力給はこれを明確化させようとしたのですが、本人らが低めの目標を言ったら終わる程度の曖昧さです。
人事部の考査システムが、どうも古いからこうなるのではないのか。実はここの硬直性が問題なのではないのかと思います。本当は人事の複雑なデーターを扱うべきなのに、単純化しているのが問題なのかと。多様化する就業体勢に対応しきれていない何かを感じます。
多分このあたり、ITとビックデーターが革命を起こすのではないのでしょうか。
制度以前に、実は考える事が多いのではないのかと考えています。