父の日といえば何か記憶があるだろうか。私は幼稚園の頃に似顔絵を描いたような気がする。小学校に入ると父は、「父の日」を拒否するようになった。理由は、「結局自分の稼ぎだから」だ。確かにそうなのだが、はじめは少し戸惑った。そうすると、私のものは父のものということになる。父の支配下にはあるが、所有までとなると少し違うように感じた。なので、父のものは私のものでもあるという価値転換を行った。
ただ父の大切なものに限って私もほしかったので、大変なことが起きるのだが、さらなる支配下に置かれることになってしまった。
とはいえそれは大昔の話だ。私の頃も今の父親と同じように優しくて家族サービスを怠らない父親はいっぱいいた。我が家が少しおかしかっただけで、今と昔はそう変わらないはずだろう。
そう、父の日は昔から影が薄いのだ。それは父親が「結局俺の稼ぎ」と思っているところもあるだろうし、面倒だと思っているところもある。行為に対してどうやってお返しするの?なのでできればスルーしたいところはある。だが万が一、母の日の気合の入った似顔絵を見た後で、「手抜き」としか言いようのない似顔絵を受け取ってしまうと、倍返し以上の家族サービスが待ち構えている。そして世間が拒否することを許さないわけで、父が父親の日を拒否していた理由もわかる。
だがリアルに影の薄さを見ることができる。
近所のスーパーでは、母の日も父の日もコンクールを開いて作品を展示している。だが展示面積が狭いので母の日も父の日も数は同じだ。だが展示面積が違うとどうなるのだろうか。
それが前潟イオンにある。母の日に比べると父の日の展示数はたぶん半分だろう。そして母の日は展示のパーテーションの間隔が90センチと見やすくなっていた。それが父の日は70センチだ。かなり見にくい。たぶん同じ幼稚園に依頼して集めたにしては数量的に少なすぎる。シングルマザーがそこまで多いとは思えない。たぶんなのだが、今も昔も同じで父の日の似顔絵と言われて違う絵を描く子が多いのだろう。
まあそれ以前に、お父さんの似顔絵はなぜこんなに同じなのだろうか。点々と髭を描いていればまだマシに思える。服の色は確実に「青」。なぜかわからんが2/3は青だ。他の色があれば、気合が入った方だ。
それでいて父の日プレゼントの商品展示は母の日より多いわけだ。まあ女の子がいた場合、プレゼントは絶大な効果を生むわけで、それに向けたプレゼンテーションなのだろう。
最近逆ジェンダー論というのがある。男性学ともいう。
男という生き方がいかに息苦しいのかというのを、社会的制度から考えてゆくというものだ。ジェンダーとしては正しいことだと思う。だがまだマイナーな学問領域だ。ただこういった領域が現れてきたといいうのは、経済的にも社会的にも男性が有利だった時代が変わってきた証拠だと思う。
ただ、家庭という領域においては、女性は今も昔も圧倒的に強いというのは確かだと思う。社会では女性は不利だが、家庭内では圧倒的だったというのは事実だと思う。それでなければなぜ江戸時代の武家で恐妻家がいたのかが説明できない。実際にかなりいたようだ。
社会制度が精密化すればするほど、男はきつくなるというのは確かだ。そもそも男はW遺伝子を弄ってできたいい加減なものなのだ。
オバマ大統領が広島を訪問した。歴史的な訪問だが、核廃絶を訴えたアメリカ大統領なら行かなければいけない場所でもあり、必然でもあった。
ただ、謝罪を求める日本人がいるのはいいのだが、そこにある感情の蠢きがなんとも言えないものがある。確かに被爆者はその障害もあるが、差別を受けた経験もある。それは日本人が行ったものだ。政府も逃げ続けた。そこには行き場のない感情のどうしようもなさがある。
アメリカが謝ることは決してない。今回のオバマ大統領の書簡朗読が最大の譲歩だろう。ただそれも戦後最大の同盟国になった日本にだから行ったことであって、オバマ大統領の総仕上げの場でしかない。
戦争というのは、終わらないものなのだ。
原水協が微妙な声明を出した。気持ちはわかるが、そこの感情に違和感があった。そこにあるのは、たぶん被爆者の高齢化が大きい。日本が起こした戦争の被害者であり、その対戦相手のアメリカの被害者であり、戦後日本からの被害者でもある彼らは、ようやく保障が得られるようになった。差別や病に苦しみながらだ。
オバマ大統領とあった被爆者は、「何も言えなくなった」という。それは確かだろう。そこにある年月は、謝罪ということだけでは済まされないことなのだ。それでいて、ただ単にいるだけで終わることもある。それは歴史に綴られて残るからだ。
歴史に余計な一言をつけないというのは、正しいのかもしれない。
ただ誰もが原爆がなくならないことを知っているし、原爆以上の兵器を考えているのも知っている。そしてもしかすると、単純な兵器の方が有効だというのを再確認しつつある今日での原爆廃止という、そのメッセージの意味が恐ろしい。
世界は局地戦を求めているようだ。