どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

心霊デジタル写真かな?

2014-06-15 02:56:19 | 写真の話し
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大学生がドッジボールで遊んでいます。さてこの写真一つだけ変な所があります。


実はボールが写っていないのです。
人の影に隠れた可能性も無いわけではありませんが、真横に投げたのではないので、どこに消えたのかは解りません。真上に投げたとしたら、投げた人のフォームもキャッチしようとしている人の視線からすべてがおかしくなります。


デジタルになってから、心霊写真は絶滅しました。理由は合成が簡単なので、いくらでも疑う事が可能になってしまったからです。更に最近では合成判定ソフトまで出回っています。なのでこれは合成かと思うでしょうが、コレ本当です。確かに色補正とリサイズをかけましたが、原盤もこうです。


久しぶりに見ました。稀にあるのですがシャッター幕の移動とボールの移動がうまく一致すると起きる現象です。でも1/800のシャッタースピードですし、ボールも大きいのでかなりの偶然です。まあめずらしいものです。


後は、カメラ内の画像処理でのエラーです。これも珍しいのですが移動するものがとても早すぎる場合とか、色が周囲と同じ場合に起きます。画面全体に対して小さい物だと起きるときが有ります。


ということで古いボールを足下めがけて投げたのが、こうなったのではないのかと考えています。わずかに地面の色におかしな所があって、この辺りに画像処理のエラーがありそうです。


カメラマンになって、一番つまらないのはこういった謎解きが簡単に出来てしまう所です。


フィルムサイズを考える2

2014-05-15 03:43:38 | 写真の話し
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19世紀末にコダックがラボを開業して以来、フィルムサイズはあるサイズに収斂して行きます。しかしそれでも歴史のあるヨーロッパや、写真に対して独特の文化をもっていたアメリカでは、ある多様性が残りました。


しかし戦後日本では、ほとんどが35ミリサイズに収斂して行きます。とはいっても終戦後に作られたカメラの中には、6センチ幅のフィルムを使う中判カメラが割と出てきます。ただその後ほとんど35ミリサイズ、一時的に35ミリハーフサイズカメラなんか登場しますが、ほぼ35ミリになります。




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この理由なのですが、まず世の中が貧しかったと言うのがあります。


戦後の無い無いつくしの中でカメラを作ろうとした場合、まず一番簡単だったのがレンズシャッターカメラでした。カメラとフィルム巻き上げが連動していません。この中で一番作りやすかったであろうのが、マミヤ6などのスプリングカメラでした。6センチ幅のフィルムを使っています。


そしてコニカⅠ型とかの35ミリも登場するのですが、当時はモノクロの時代。6センチ幅と4センチ幅、35ミリ幅が両方あった時代です。この中で6センチ幅は古くさいスプリング式が多く、35ミリは全金属製でレンズ繰り出しとファインダーでのピント確認の連動機構をどう詰めようかと言う機運があった時代です。35ミリカメラではライカと言うお手本もあったわけで、作る側ではそちらに挑戦したいと言うのもありました。




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決定的だったのはカラー写真の出現です。6センチ幅や4センチ幅はフィルム一本当たり撮れるカット数が12カット程度と少なかった。これに対して35ミリは36カットは撮影で来た。単純に一カット当たり3倍の経費が6センチ幅フィルムではかかるわけです。実感では2倍程度だろうか。


カラーだと当時はもっと差があったと思う。そうなってくれば写りはいいが古くさい機構のスプリングカメラから、35ミリ金属製のカメラを選択しやすくなる。何しろランニングコストが違ったからだ。そして35ミリカメラは次々と連動機構を開発し、撮影者のミスを減らしていった。



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今から見ると、写りがいいけどランニングコストが高くめんどくさいカメラと、写りは劣るがランニングコストが安く当時としてみれば簡単なカメラとどちらがいいのかとは言えない。でも当時としては、ランニングコストが大きかった。


特にカラー普及期には大きく影響した。この頃35ミリハーフ板がでる。これが爆発的な人気になった。72枚分のプリント代がかかるが、フィルムと現像代は同じだった。


かくしてハイアマとコマーシャルでは4×5インチと6センチ幅のフィルムが、普通のアマチュアと普通の人には35ミリとなった。



なおハーフサイズが一気に無くなった理由なのだが、所得が増えたと言うのが一番、次ぎに普通の人はなかなか72枚も写真を一気に撮らないと言う事。タイムラグが大幅に生じるわけです。それでもこの時期にハーフ版が売れた理由は何かと言えば、もしかするとベビーブームかもしれない。





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ハーフ版のはじめはオリンパスペンの1959年発売のものだ。当時としては破格値の低価格で、このシリーズはかなり高寿命で1970年代を席巻したと言える。ただ70年以降かなり販売台数が減るのだが、この理由はハーフ版の画質の悪さと言われているが、72枚の撮影枚数が必要な人たちと言えば、子供を持った人たちだ。

そう、ベビーブーマーが1946年から8年なのでドンピシャ来るのですよ。そして80年代まで人口増加でしたからカメラ需要が大きかったと考えられます、


ハーフサイスカメラは、シャッターを押せばミスの無いコニカC35EF(1975年発売)、通称ピッカリコニカで止めを差されて市場から消えて行きます。


なおオリンパスのペンシリーズですが、意外な所で見れます。顕微鏡用のカメラです。このためのボディ需要があったので、かなり長く販売できたのかと思います。





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土門拳のリアリスム運動も大きかったと思います。社会世相を写す写真をアマチュアだからこそ出すべきだ、とかなり意訳して書いています。まあ本人は曖昧にしています。

ただその時に必要な機動性と言うのは、大体35ミリカメラになるわけで、彼が審査員のコンテストは35ミリカメラで撮影されたものになったと思います。彼は戦前の芸術写真を全否定した(言葉の上では。コンテストの審査では彼の言う芸術写真が通って、彼は激賞していたりする)わけで、中判以上の大きいサイズはブルジョワのものだと、アマチュアに受け止められる素地は作ってしまったと思う。


そして一眼レフの中判カメラは確かに高かった。ランニングコストも高い。そしてじっくり作画をするより、土門のように熱中してフィルヌを切る方が、確かにコンテスト向きの写真が撮れた。





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そして中判以上のカメラは昔のままで残り、35ミリだけが急速な技術革新を進めて行く。そして需要に応じて35ミリフィルムの値段も下がり、ラボシステムも充実して行く。フォーマットが35ミリに収斂したからだ。


そしてますます全世界的に35ミリフォーマットが普及して行く。


80年代後半から現代美術家達が、8×10のサイズなど古典的なサイズに注目して行く。これこそが写真の凄さだと言わんばかりの映像だった。ただこの流れはそんなには流行らなかった。現在6センチ幅のフィルムにトライする人たちも増えているが、すこしファッションのような気がする。



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デジタルは、フィルムの多様性と全く違う所にある。表現手段としては、何かが足りないように感じるのだが、こうしてフィルムフォーマットを見て行くと、これも必然だったかに思える。


そう言った意味では、まだデジタルは未完成なのかもしれない。


フィルムサイズを考える1

2014-05-13 21:41:58 | 写真の話し
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写真の歴史を考えると、湿板・乾板、ガラス版に感光乳剤を塗ったもの・乾いているか湿っているかの差、などではかなり大きなサイズのものがあった。日本写真史上最大は91×112センチの乾板が出てくる。ドイツでも有名なアウグスト・ザンダーの使っていた乾板は45×56センチと巨大だ。






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ただそういった巨大サイズフィルムは自分で現像する事が前提で販売するものであって、大体のサイズは規格化されていた。特にコダックのはじめたラボシステム以降は規格化が重要で、その方向に進んでいった。
プラスティックの薄板を支持体としたシートフィルムでは、大きい方から8×10、5×7、4×5インチ、稀に巨大な11×14インチがあった。実はもっと細かくサイズがある。このあたりのシートフィルムは密着焼き付けが前提な場合が多かった。そして主に営業写真館、人物ポートレート専門で修正技術のある写真館が主に使っていた。修正する際に鉛筆などでイロイロするのだが、そのあらが目立たない為に使われていた。その際にサイズがお客さんの要望でイロイロ変わる、と言う事だ。

もちろんこのシートフィルムだが、風景やファッション、そして物撮りなどについ最近まで使われて来た。面積が大きいので緻密な描写が出来、レンズ操作が自由自在にできるのが特徴だった。

そしてフィルムになるのだが、6センチ幅、35ミリ幅、16ミリ幅、8ミリ幅とあり、カメラによってその億利幅でサイズが変わる。例えば6センチ幅のブローニーサイズのフィルムでは、6×12、6×9、6×6、6×4.5センチのサイズが有る。




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なんでこんなにサイズがあったのかと言うのが今となっては解りにくいわけですが、先ほど肖像写真の修整の話でもあったように、用途があったわけです。アウグスト・ザンダーの「時代の顔」も、最大限の記録ということで20×24インチと言う大きさの乾板を使ったわけです。



また多様な技法がありました。例えばプラチナプリントですがかなり硬調なネガを作る必要があります。そして印画紙が紫外線にしか反応しないので、普通は感度が低いのが特徴です。なのでフィルムと印画紙を密着させてプリントするしか方法はありませんでした。なのでフィルムサイズは表現したい大きさと同じになります。


ブロムオイル法も同様な所があります。これに関してはレシピを良く知らないのですが、乳剤が極厚手の印画紙に焼き付けて特殊な現像液につけます。すると銀が還元された、つまり黒くなった部分のあたりが固くなるのです。銀の触媒反応だと言われていますが、固まっていない部分はお湯に浸すと溶けて流れてしまいます。するとデコボコが印画紙の上に出来るわけです。



このレリーフ版に色素をしみ込ませて、別な印画紙に転写するとダイトランスファー法と言うカラー写真の技法になります。そしてこのレリーフの凸の上に油絵の具を載せて転写するとブロムオイル法になります。たしかこの時に余計な絵の具をのぞく作業を雑巾がけと言ったと思います。顔料を代えると色調が変わるわけで、緑なり赤なりが出来ます。白黒以外の表現が出来たわけです。
そして表面だけにキチッと顔料を載せて転写するとコロタイプ印刷になったと思います。


ただブロムオイル法やコロタイプ印刷は精密な再現を求めたりするわけで、引き延ばしたプリントを見た事がありません。強いて言えばソフトフォーカスが流行った大正期の写真で多分これはというのは見た事がありますが、「光画」の当たりでは、そう言った作品は見られないと思います。




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フィルムのサイズの話ですが、少し変な国があります。アメリカです。古い映画で報道カメラマンが持っているカメラがあると思うのですが、スピードグラフィック、スピグラと呼ばれているカメラです。かなり大きいです。なにしろ4×5インチシートフィルムサイズのカメラです。その後6センチ幅フィルムになりましたがそれでもかなり大きい。


当時の大リーグでの撮影用カメラが写っている写真を見た事があるのだが、みかん箱サイズだった。多分フィルムサイズは8×10インチ。


それでは家族の記念写真に使われるカメラは、カメラを買える家庭は6センチ幅フィルム、余裕があれば4×5インチ、この傾向が変わるのは戦後からかなりたってからだと思う。確か1955年頃からカラースライドがブームになり、35ミリカメラがアメリカでも一般化したと思う。



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大戦前後でのヨーロッパでは1914年のウルライカの製造が大きいと思うが、フィルムサイズは何でもありの状態だったと思う。ミノックスの発売が1937年だしコンパスが1936年。もの凄いダウンサイジングが始まっているわけです。それでいながら巨大乾板があったりするわけで、特殊用途の需要があったと思った方がいいのです。


それは表現だったり、スパイ用だったり様々なのですが、写真発祥の地らしい多様性があります。




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35ミリカメラの機動性と、レンズやカメラの機構を変えれば更に多様な表現が出来る、そしてフィルムの性能が戦後大幅に良くなりました。ドイツの持っていた特許が公開されたのが大きいです。それで35ミリフィルムでいいじゃないのか、となったように思われるのですが、実際はそうではないのです。特にアメリカやヨーロッパではそうです。1960年までアメリカは大判天国ですし、ヨーロッパでも中判が目立ちます。



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しかし日本では、戦前戦後でかなり様相が変わります。戦前のフィルムの多様性は、35ミリカメラに収斂されて行きます。もちろんプロやハイアマなどでは大判や中判があるのですが、アマチュアのほとんどが35ミリになってしまいます。

まあ理由は簡単で、当時の日本が貧しかった結果、フィルム代が安く済む35ミリになったと言う事です。


ですがこれにはもっと別な理由もあります。そのうち考えてみましょう。


カメラが変わるとめんどくさい

2014-04-20 16:56:44 | 写真の話し
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今日はいいお天気でした。とはいえ最低気温1.2度で、最高気温が12.4度でした。北風が強く寒く感じる一日でした。






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同じニコンで同じラインのカメラなのですが、微妙なニュアンスが違うので結構難儀しています。いえ、分厚いマニュアルとかではなくて、感触の擦り合わせです。





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一番多く使うのは拡大ボタンなのですが、7000の位置には画像処理ボタンがあります。これが結構厄介。あとAF切り替えが直感的ではなくなったため、ここも厄介。フレーム切り替えボタンは以前のプレビューボタンの所、ここは割と解りやすい。スポーツでこの小さいフレームがどの程度使えるのかテストしていますが、周辺が見えるのがいいのですが競技によっては難しそうです。野球とかでは便利そう。





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色とかもチェックポイントです。ローパスフィルターが無いので偽色がどの程度できるのか、気になる所です。今の所ありませんが、強烈な組み合わせだと起きそう。




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カラスが怪しげなものをくわえています。




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なんかの鳥の足のようです。かなり大きい。もしかするとトンビでしょうか?




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ネコがいます。7100になってイライラするのはこういった描写。細かすぎて疲れます。いい事なんだけど。




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ウーン、ピントがあわせにくいですね。





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使い出はあります。