先日ひょんなきっかけで吉幾三の「おら東京さ行くだ」を久しぶりに聞き、大笑いしていました。おそらく昭和生まれの日本人ほとんどが知る「おらこんな村ヤダー」の曲です。こんな所に居たくはないという魂の叫び、その頂点の先にはちゃんと夢があります。
「東京さ行ったら銭コ貯めて銀座で山買うだー」なんだそうです。
「んな馬鹿な!」
落語の世界では最後こういうのを「落ち」と呼ぶそうで、敢えてこの歌でそれをいうなら「銀座で山を買う」と間の抜けたことを言っているので「間抜けオチ」というものかしれません。
日本人はリラックスを「落ち着く」といいますし、交渉の集結を「落ちどころ」と言ったりします。そう、音楽でいえばフィナーレです。
バッハなんかを聴いていると、「お・し・ま・い」という絵本を閉じるような終わり方。モーツァルトになりとフィナーレの言葉ふさわしく「宴もたけなわ」のウキウキ感を残します。ベートーヴェンぐらいになると三本締めくらいの勢いでしょうか。交響曲5番のエンディングなどはハラハラします。一方ジャズのサラ・ボーンのバードランドの子守唄のエンディングなんかですと、まるで連載物のドラマのように「つ・づ・く」と言われているかのようです。
また中々終わらないエンディングとしてスクリャービンの「法悦の詩」というのがあるそうです。原語ではle poem de l’extase。エクスタシーの詩、というところでなんとなくカタカナで書くとエロチックですが語源はギリシャ語のekstasis、これは「外側にいる状態」を指し、つまりこの世の外の「あの世」体験と言っていいくらいの宗教的体験をも意味します。
考えてみればこの世は「浮世」。みんないずれこぼれ「落ち」ていきます。
昔ドリフのコントで、中々ご臨終にならない加藤茶演じるおじいちゃんがいました。「オレの遺産は・・・うっ」バタッ。「おとおさん!!」「オレの遺産は・・・うっ」バタッ。「おとおさん、ちゃんと言ってくれないと!」おじいちゃん起き上がる。。。
これが今回のオチです。 MO
驚きの面白い投稿です。私もこの位書けたら、作家デビューしたい。何事にも物怖じない、先週に引き続きフルートのOさんです。TT