◆今年も、また桜の季節が来て、去ろうとしています。私の町には、1キロほど続いている桜並木があって、毎年私達を楽しませてくれます。私は、幼い時からこの町に住んでいますが、私が子供の頃に苗木が植えられたと記憶していますので、50年以上の樹齢の桜が多いはずです。
◆私の家は、その桜並木に面していて、桜を見るには、絶好の場所にあります。並木には、秀麗な木が多くありますが、そのうちの一本が、家のすぐ近くにあり、北側に面した2階の部屋の窓から、手に取るように見ることができます。この桜の花が咲くと、部屋の椅子に腰をかけて、窓越しに飽きることなく眺めるのが、毎年の習慣になっています。間を隔てた道の上に架けられた道路標識が景観を若干損ねますが、その代わり、この標識は、夜になると点灯されるので、ちょうどライトアップされた風情になるのです。
◆この桜を眺めながら、私が思うことは、いつも同じです。「この1年間、自分は、精一杯生きただろうか」ということです。若い時と今とでは、1年の重みが違います。桜と向き合いながら、あっという間に過ぎた1年を振り返ります。満足感と悔恨が絡み合い、葛藤します。出会った人、別れた人、訪れた場所などが、浮かんでは消え、消えては現れます。いつも、この問いの答には、躊躇せざるを得ません。懸命に生きたようであり、だらだらと過ごしたようでもあり…。
◆最近、音楽を通じて多くの人達と出会いました。これからの1年は、今まで以上に張りのあるものになると思っています。いや、そうしなければならないと、心に言い聞かせます。また、来年この桜を見る時には、同じことを自問するに違いないからです。
「市原市生涯学習フェスティバル」が近づいてきました。私達の花を精一杯咲かせましょう。失敗を恐れず、終った後に後悔しないように…。
(2013.3.28 菅野)