㈱イイダアックス 相談役日記

長野県は南信州の自然豊かな下伊那郡高森町から日々の経験、感じた事、気が付いた事などを日記として発信しています。

酷すぎるJA共済伊那の対応

2015年05月18日 | 日記
家内の交通事故が3年4ヶ月前で、地元病院での治療の後東京の慶應義塾大学医学部で見てもらい、最終治療が終わり症状固定の後遺傷害と言うことに成ったのが昨年の7月中旬。
この間、加害者側は事故直後に1度謝罪に来たのみ、そして加入保険がJA共済って事で事は更に悪化の一途をたどっているのであるが……

保険屋としてJA共済が全く動かないとクレームをつけると、JA共済から1枚の葉書が届き定期移動で担当が変わりましたと。
挨拶はそれだけで対応は何もされないままなのに腹をたて、ブログアップして苦情を表面化させました。するとそれを見たある方が県の経団連経由でクレームをつけてくれ、その翌日には何もしてこなかったJA共済伊那サービスセンター成るところから、そそくさと所長と担当が謝罪に来たのである。
そんなこんなで全く動かないJA共済では困るからと、1年弱がたった頃に加害者本人に話に行くと、加害者にはJA共済からは何も連絡が入っていない様子で事故の事も私の顔も、全て忘れ去られて居るようでした。
あげくにその時に私の車は駐車場でオカマ掘られる始末でして……
その後は今年の2月迄で3~4人担当者が定期移動だとかで代わりに代わりの状態が繰り返される状態。
昨年の7月には治療が終わり診断書類を大学病院に書いてもらうよう封筒を渡され、それを書いてもらって自宅に届いたと連絡すると持ちには行けないから送ってくれ。
更にはその書類一式の中に後遺症害診断書が入って居なかったと、JA共済が入れなかった書類が無いと文句を言われ、東京まで持っていって出してもらえないかと言われる始末。
その書類は東京のJA共済に頼んで出そうとしたら委任状が必要だから書いてくれと言われ書いて渡すと形成外科と眼科と別々に居るのでもう一通用意してくれ……
この前にも、休業保証の訴求権が2年で無くなるからはやく対応した方がいいとアドバイスされたことを伝えると、訴求権は3年ですとトンチンカンな返答が帰ってくるし。
ここに慶應義塾大学の医師側のミスが重なり、後遺症害の記入漏れが発生し、調査会社の問診時に追記を依頼するからと医師から伝えられる。
すると調査会社は問診面談をしないままデーターだけを持ち帰りJAには面談結果までをそえて調査報告をあげた。
これをもって自賠責保険の方に提出しましたからとJA共済から報告され、そんな詐欺的な内容は受け入れられないからと再度問診面談をし直し、後遺症害の記入漏れを正してもらうことを依頼しました。
するとまた委任状が居るからとの連絡で何故か1部のみ記入したものを持ち帰ったようだ。
そしてその後連絡が入り、大学病院と言う所は細かくて委任状が各科で居るのでもう一通必要なので、書類を自宅に郵送するので記入して送り返してくれと……
これで3回目の委任状で、その都度2通づつ必要とされて来たじゃないか、JA共済の落ち度だったら頭を下げて自宅まで依頼に来るのが当たり前ではないのかと言うと、とにかく早く進めたいので……分かりました伺いますと3~4日後に自宅まで来たとのこと。
4~50分の距離なんだが、JA共済の急いでとは分では無く日の事に成るようである。
そしてその後、今月一杯で自分は定期移動で居なくなってしまうが後任にしっかり引き継いで出来るだけ早く処理できるようにしておきます。って家内に電話で言ったそうな。
それから3ヶ月経ちますが、後任の担当者が誰かの連絡も無く、何がどうなって居るのかは知るよしもない。
こちらで加入している保険屋さんに聞いてみると、2月には大学病院の対応が遅くて中々進まないと言い訳をし、4月21日には新しい担当者が後遺症害認定の審査待ちだと言っていたとのこと。
ってことは後任者って知らされない紹介されないだけで、決まって居るんだってことなんでしょう。
たまたま本日連絡したら今日明日が出張だとのことだと、帰ってきたらきっと定期移動で担当者が変わるでしょう。
最後の診断書も、手に入ったらコピーを貰いたいと前任者と打ち合わせしてあったはずなんですが何年先に成ることか……
そもそも私たちには現在の担当者と言うのは教えられて居ないんですからなんともならんわけなんです。
この状態は加害者、詰まりはJA共済保険の加入者側にも全く連絡されて居ない様子で、JA共済側では、事故処理の途中経過は連絡する必要はなく、終わったら終わったと言うだけの方が加害者には関係無くて良いんだと考えて居るのでしょう。
そして被害者は、JA共済保険のお客ではないので、のらりくらりと引きずって、有ること無いこと人のせいにしていくなかで少しでも、いや出来るだけ金を払いたく無いと言うものがみえみえなのである。
これは事故の被害とJA共済の被害とのダブルの被害となっているわけで、私のブログで何度か指摘しては来ましたが、絶対にJA共済と言う保険をこの世に生かして置いてはいけないと考える物です。
それはそうと、家内の事後処理は何時に成ったら終われるのでしょうか?
既に治療が終わって10ヶ月経ちますので、書類を集めたりするだけでこれだけ掛かって来たことになり、次のステップに進めるのは後何ヵ月後に成るのか何年後に成るのか……
加害者に対しての訴訟以外にJA共済伊那サービスセンターに対しても訴訟を起こしたい程の苛立ちを感じてやみません。

μ 斗くん、20日目の記録

2015年05月18日 | 日記
捨て猫を拾って来てから20日が経とうとしていまして、買ってきた猫用のミルクも一缶終わりそうに成るところまで来ています。
この μ 斗くん、80gしかなくて駄目かとあきらめ掛けた時期もあったのですが、今では300gオーバー迄の体重にまで成長してくれました。
以前はミルクを飲んでるか寝ているかしかなかったのですが、最近はじゃれて遊んだり寝るでもなしにウロウロしていたりの時間が少しだけ出来るように成ってきました。
ミルクを飲むときも、哺乳瓶を両手で抱えたり掻き寄せたりしながら飲むように成って居るのですが、その力強さは以前の10倍位は有るのでは無いでしょうか。
歩くのはまだまだ於保つかずにフラフラしては居るものの、以前はお腹を地面につけたままずって居たものが、最近はお腹を浮かせた状態で歩くように成ってきてます。
おトイレの補助は相変わらずなんですが、こいつが元気良く飛んで歩けるように成ったら大騒ぎではないかと今から心配して居ます。
片手の中でも余る位のサイズしか無かったおちびちゃんが、今では両手に余るほどのサイズにまで大きくなってくれて、生死の心配をしながら来ていたのですが、どうやらひと安心しても良さそうな所までは来てくれてるようです。