「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

恒例の梅干し

2019-06-18 21:52:00 | 野菜作り2022
山仲間の山から梅を6月13日に収穫してきた。今年は約33キロの収穫。この時期の毎年恒例のイベントである。山では3時間の重労働だったが、今日やっと20キロの梅干しを赤紫蘇に漬け、後は梅雨が明けたあとの土用干しまて小休止。今年は梅雨入りが何故かここ関西は遅れていてまだ発表がないようだ。
残り3キロは梅シロップにして一段落した。残りの10キロは友人にお裾分けして、喜んでもらっている。
この大量の梅干しは、一年でちゃんと我が家では消費してしまうのでやり甲斐はあるものの、こんな面倒な事がいつまで出来るのかなとふと思う。
最近市販されている梅干しは、ハチミツなと入っていたりしてかなり甘くフルーティーだ。
いつもその甘い梅干しを食べている孫が、我が家の食卓の梅干しをつまみ食いしてあまりの酸っぱさにびっくりしていたことがある。
「ばーちゃんが昔から食べていた梅干のしょっぱさや酸っぱさはこんなもんやないで、もっともっとしょっぱかったよ」と言うとますます驚いていた。
私は10%の塩で漬けているが、昔は黴びるからと20%以上の塩で漬けていたらしい。
最近何かにつけて、食べ物が甘くなっていてそれに慣らされているのが気になる。
そして糖質の摂り過ぎになり、巷では糖質ゼロ商品が氾濫している。それらの商品の甘みは、砂糖から人工甘味料に変わっている。本末転倒になっているのでは…。
私の作る野菜は無農薬・無化学肥料で育てていて、料理からは出来るだけ添加物を排除してきたせいか、人工甘味料の甘さに馴染めない。
梅干しを漬けながら、本物の味覚が何なのか考え込んでしまった。





木瓜の実のシロップ

2019-06-16 10:28:00 | 野菜作り2022
ボケの花が散った後に実を見つけときはびっくりしました。長い間、ボケの花は愛でていましたが実がなるとは知りませんでした。ネットで調べてみるとボケの実にはいろいろ効能があることを知ったのが2016年のことです。
その時は、ボケ酒にしました。特においしいとは思いませんが、風邪気味の時や喉に違和感がある時飲んだりしていました。
その後、実がなっているかと確認していましたが数年ぶりに実を発見しました。
今年は孫が飲めるようにシロップにすることにしました。






雨上がりは美しい

2019-06-16 08:39:00 | 野菜作り2022
雨上がりは美しいです。

我が家の畑は百合が咲きだしました。てっぽうゆりは母の好きな花。
この時期いつも一緒に暮らした6年間を懐かしく思い出します。

最後まで草ボーボーの畑を覗いては気にしていました。
(母は生前、暇さえあれば草を抜いていました)

今では一面緑の畑をどこからか見て喜んでくれているかなと、勝手に思っています。














待ちどうしい春

2019-02-22 07:09:00 | 野菜作り2022
この冬は、食事の用意の時慌てて収穫するだけの畑だった。
おかげで畑も花壇も草ボウボウ。
昨年の夏野菜の残骸もそのまま。
草も虫も敵とせずがモットーの自然栽培そのもの。
家の野菜は野性的だが、ちゃんと育ってくれる。
固定概念に囚われ、紆余曲折で迷ってばかりの野菜作りだつた。
10年にしていい畑になってきて、夏野菜の残骸も美しいと思える自分が不思議だ。

もうすぐ迎える春には、残りの野菜たちから花が咲き、土中のチューリップの球根や思いもよらぬ種から花も咲き、フェンス脇のバラも咲くだろうと、私の頭の中は早くもやがて季節に思いを巡らしている。

野菜はほとんど賄え、また毎日収穫したお野菜は、我が家の食卓を彩る。
年越しのサツマイモもまだ食べられた。
見かけは悪いが、お味はいい。

ここに来る10年前までは考えられない生活で、「自然の営みの繰り返しは単純である」ということを思う。
しかしそれがまさに生きるということであると今では納得できる。
人生も流れがあり、その流れに身を任せてきて今がある。
人もまた自然の一部である。
これから終盤に向かう私は、日々凡々ながら小さな畑の自然を感じながら、母のように終焉を迎えるのだろう。







畑は美しい

2018-05-29 14:53:00 | 野菜作り2022
昨日は星田でクライミングでした。
そして、今日は畑です。

私の畑はなんと美しいのだろう
いつまでいても飽きることはない
畑仕事に没頭しては残り物のイチゴで水分補給
疲れたら畑のベンチでボーっとしたり
小さな畑のあちらこちらを歩き回り
野菜や花や虫たちに話しかける
今年の野菜はいい子ばかり
今のところ素直にすくすく育っている

「いい畑だ」ボーっとしながら想う

思いっきり自画自賛
「もっと謙虚になりなさい」「自分を褒めるもんやない 人が褒めてくれてなんほのもんや」と母の叱責が聞こえる

「そうなんだけど 人はお世辞は言うけど そう簡単にに褒めてはくれへんよ」といつも母に返していたように屁理屈を呟く
「もう思いっきり自画自賛で生きてもいい歳と違うかな?」自問し 天国の母に問う
たぶん「あんたも変わらんな」と苦笑いでしょう

独り言でした。一緒に暮らしたのは6年。それからもう3年が過ぎた。
何らかんら言いながら、出来た野菜を一番に褒めてくれたのは母でした。
独り言しか言えないのはやはり寂しいよ~。