大阪のイトキンのバーゲンに行ってきた。本来私はバーゲンに行くのは嫌いだ。いや、買い物そのものが嫌いなのだ。買い物のために町に出るのも苦手。並ぶのも嫌い。なのに、なぜ行って来たかというと、親戚の結婚式に出なくてはならなくなったので着る洋服が必要となったのだ。
子どもの入学式とか、いざというときの洋服はいままでは持っているもので間に合ってきた。しかし今回も着ようと思っていたものは気がついたら、十七年も前に購入したものだ。着る回数も少なかったので、古びた感じは無いのだが今の自分には少し柄が派手なような気がする。
迷った末に、ちょうど案内のはがきが来ていたバーゲンにちょっと行ってみようかなという気になった次第だ。
私にも多少の世間のしがらみがある。しかし、山に深入りすればするほど、世間から遠ざかっていくのがよく分かった。まずは、洋服のブランドが全く分からない(知らない)。いったい、どんなものがいい(欲しい)のかもよく分かっていない。これが、山の服や道具だったらはっきりした意志が働くのに…。このことを、自覚したときにもう私は普通ではないのかと思ってしまった。山に夢中になって行くにつれて、世間からは遠ざかっていってるようだ。
人は常識があるとか無いとかよく言うが、こういう場合の常識とはいったいどういうことをいうのかは、明確な答えはない。何かにつけて、絶対にこうでなければならないというものも存在しない。物事は視点を変えたら、まるで違うように見えたりする。
たとえば、今回の結婚式に出席するときの服装は、結婚式の出席者の服装に合わせておけば無難に過ごせる。そして居心地もいいものになる。それが、常識という線になる。この場合の結婚式というのも世間のいう、常識的な結婚式をいう。そしてこれらの結婚式は無難に終え、常識的な生活が始まる。
たとえば、山好きのカップルが穂高で結婚式をするとしたら、これはもうすでに山に登れる人しか参加できない。親や親戚、山に登らない友人たちは非常識だと非難するかも知れない。しかし、当人たちは一生の思い出としてはより印象的なものとして残ることになるかもしれない。
また、何にもしないという選択もある。これもこうでなくてはならないと言う人からしたら、非常識なこととなる。
私はこれが常識だと主張する人の非常識さを思うときがよくある。本人がそれで納得しているなら、人に迷惑をかけない限りは非難されることはないはずだ。
世間の一般的な多数の人が行うことを常識とし、それに習えば平和に過ごすことが出来る。しかし、その多数からはみ出したからといって、非常識と批判することは間違いだと思う。
人間は、もっと自由であるべきだと思う。
といいながらも、いろんなしがらみから抜けきれないでもいる。
結局バーゲンでは、ふさわしい洋服は見つからなかった。
子どもの入学式とか、いざというときの洋服はいままでは持っているもので間に合ってきた。しかし今回も着ようと思っていたものは気がついたら、十七年も前に購入したものだ。着る回数も少なかったので、古びた感じは無いのだが今の自分には少し柄が派手なような気がする。
迷った末に、ちょうど案内のはがきが来ていたバーゲンにちょっと行ってみようかなという気になった次第だ。
私にも多少の世間のしがらみがある。しかし、山に深入りすればするほど、世間から遠ざかっていくのがよく分かった。まずは、洋服のブランドが全く分からない(知らない)。いったい、どんなものがいい(欲しい)のかもよく分かっていない。これが、山の服や道具だったらはっきりした意志が働くのに…。このことを、自覚したときにもう私は普通ではないのかと思ってしまった。山に夢中になって行くにつれて、世間からは遠ざかっていってるようだ。
人は常識があるとか無いとかよく言うが、こういう場合の常識とはいったいどういうことをいうのかは、明確な答えはない。何かにつけて、絶対にこうでなければならないというものも存在しない。物事は視点を変えたら、まるで違うように見えたりする。
たとえば、今回の結婚式に出席するときの服装は、結婚式の出席者の服装に合わせておけば無難に過ごせる。そして居心地もいいものになる。それが、常識という線になる。この場合の結婚式というのも世間のいう、常識的な結婚式をいう。そしてこれらの結婚式は無難に終え、常識的な生活が始まる。
たとえば、山好きのカップルが穂高で結婚式をするとしたら、これはもうすでに山に登れる人しか参加できない。親や親戚、山に登らない友人たちは非常識だと非難するかも知れない。しかし、当人たちは一生の思い出としてはより印象的なものとして残ることになるかもしれない。
また、何にもしないという選択もある。これもこうでなくてはならないと言う人からしたら、非常識なこととなる。
私はこれが常識だと主張する人の非常識さを思うときがよくある。本人がそれで納得しているなら、人に迷惑をかけない限りは非難されることはないはずだ。
世間の一般的な多数の人が行うことを常識とし、それに習えば平和に過ごすことが出来る。しかし、その多数からはみ出したからといって、非常識と批判することは間違いだと思う。
人間は、もっと自由であるべきだと思う。
といいながらも、いろんなしがらみから抜けきれないでもいる。
結局バーゲンでは、ふさわしい洋服は見つからなかった。