『サバイバル登山家』(服部 文祥著 みすず書房)をやっと読み終えた。最初この本の表紙の写真(目を輝かせて、生の魚にむしゃぶりついているように見えた)を見たときには、これは『サバイバル登山家』というタイトルと併せて、野性的な人というイメージで見てしまっていた。実際は、この写真は本文で説明されているが、岩魚の皮を上手に剥く方法の実演だった。実際この写真のインパクトは大きく、登山中に凄いものを生で食しているんだろうと、読む前の私は思ってしまった。蛇やカエルを食するだけでも私にしては考えられないのだが、しいていえばこういう内容が大部分を占めているとかってに思い込んでいた。最後の方では、厳冬期の黒部の山行報告で、サバイバルという言葉の意味が、今ひとつ分からなくなってしまった。それも含めてサバイバルということだろう、と理解した。
そこでマックのDashborodの国語辞典で検索してみた。「異常な事態の下で、生き延びること。また、そのための技術」と書かれている。山の関係の報告や本を読むと、もともと登山自体がサバイバル的な要素が強い。過酷な状況に遭遇することは、山ではどんな形態での登山でもその人の技術や自然条件によって確率は高くなる。
「肉屋」という項に、パキスタンで牛を目の前で殺して肉を売るという肉屋の話しが出てくる。たしかに今スーパーで売られている肉は生きているときのあの牛だと知ってはいるが、それをいちいちイメージして購入して食べている人はまずいないだろう。ただの食品としてしか見ていないに違いない。
しかし、昔の日本(少なくとも私がこどもの頃)そんな光景は目の前で見ていた。農家である私の家では鶏を飼っていて、その鶏に子供である私は、ハコベを刻んで卵の殻や貝を細かく砕いて米糠に混ぜて餌を作り、鶏にやるのを日課としていた。また朝起きたら、鶏小屋に入って生みたての卵も頂戴して、温かいご飯にかけて「卵ご飯」にしてたべて学校に行っていた。卵には、鶏の羽とか糞がついていたりして妙に生々しかった記憶がある。
そのように、かわいがっていた(?)鶏もいずれめぼしいもの(どういう基準か、今は覚えていないが卵を産まなくなったとか、何らかの基準があったようだ)から「つぶされる」(解体されるのを確かいつもこのように言っていた)。首を包丁で切り落とされ、柿の木に吊るされ血を抜き、いろんな部位に区分けされた。必ず、祖父がやっていてそのうち父に役目は変わった。
母の実家でも、母や叔母が子供を連れて里帰りすると、かならず、祖父が子供の前で同じ光景を見せていた。その日の、餌食になる泣き叫ぶ鶏を子供たちで無邪気に追いかけ回していたのを覚えている。
今でも印象に残っているのはそれまで走り回っていた鶏の肉をそがれたあわれな肋骨を、まるまる鍋にいれ煮出してスープをとり、そのあと残骸の骨をみんなでしゃぶるのだ。今の人が見れば、おぞましい光景だろう。私が思い出してもおぞましい。今、私は鶏肉が大好きだが、子供のころ鶏肉は食べられなかったのを思い出す。ちなみに、鶏をつぶすときはお祭りとか来客があったときだった。決まって、すき焼きにしていた。何にも箸をつけない私に叔母が「いっこちゃん、せめて野菜だけでも食べや!」といって皿に入れてくれるのだが、気分が悪くなったのを覚えている。私は、いつごろから鶏肉が食べられるようになったかは覚えていないが、多分鶏を飼わなくなってからだろう。
話しは本に戻るが、山野井泰史氏が「この本を読むと、人間もあくまで動物の一員であるという当たり前の真実を、思い知らされるに違いない」と序文に寄せている。この本を読んで本来人間はもっと原始的な生活をしていてより動物的だったことを、私も思い出した。
この本の、前の方は結構興味津々で読んでいたが、徐々に中弛みしてしまい、最後の方では他の本に心移りしてほっておいてしまっていた。昨日、中途半端なので一気に最後の50ページ程を読み終えた。
最後まで一気に読んでしまえなかったのは、この本の内容がサバイバル登山というにはちょっと半端なところがあるからかなと、ふと思った。
大自然に入るということ自体サバイバル的な行為だとしたら、より文明の装備にたより身を危険から守るというのが普通の行為だ。この本の著者のテントを持たず、食料や燃料を現地調達というのはよりサバイバル度を増し危険度増すことになる。しかしそれ以上のことをすると、無謀としかとれないギリギリの線を意識した上だと思う。そして、その体験を通してより「生きる」意味を問うのも著者が文明の人だからかもしれない。所詮、ターザンのような生活は出来ないのだから…。自分の山での力量が前提としてあるのは否めない。
もうひとつ、「山小屋も登山道も近代装備も登山者にとっては堕落と妥協の産物でしかない」という言葉、この人がこういいきれるのは自分に自信があるからなのだろうか。家の娘は一人は山に行っているが、もう一人は、人の寝た布団で寝られない、風呂に何日も入らない生活は考えられない。だから山には登りたいが、山小屋ですら行けないという。山小屋や登山道のお陰で山に入っていけ、美しい風景を楽しめる人に対しては、この言葉は傲慢な言葉のような気がする。一部のスペシャリストの登山家にだけ、山や大自然は存在していていいのだろうか? 山が全くの原始に戻ったなら、ほんの一部の人以外は、やはり人は山には向かわなくなるだろう。
この中高年の登山ブームは、中高年こそ大自然への郷愁がまだ自分の魂のどこかに残っているからではないだろうか。この中高年が、たとえ登山道と山小屋の恩恵にどっぷり浸かった登山であっても、その人にとってはサバイバルなのかもしれないとも、ふと思った。私が、最初に北アルプスに行ったときには、登山道であっても命がけであった。
「サバイバル」と「登山」いう言葉に嵌ってしまった。
そこでマックのDashborodの国語辞典で検索してみた。「異常な事態の下で、生き延びること。また、そのための技術」と書かれている。山の関係の報告や本を読むと、もともと登山自体がサバイバル的な要素が強い。過酷な状況に遭遇することは、山ではどんな形態での登山でもその人の技術や自然条件によって確率は高くなる。
「肉屋」という項に、パキスタンで牛を目の前で殺して肉を売るという肉屋の話しが出てくる。たしかに今スーパーで売られている肉は生きているときのあの牛だと知ってはいるが、それをいちいちイメージして購入して食べている人はまずいないだろう。ただの食品としてしか見ていないに違いない。
しかし、昔の日本(少なくとも私がこどもの頃)そんな光景は目の前で見ていた。農家である私の家では鶏を飼っていて、その鶏に子供である私は、ハコベを刻んで卵の殻や貝を細かく砕いて米糠に混ぜて餌を作り、鶏にやるのを日課としていた。また朝起きたら、鶏小屋に入って生みたての卵も頂戴して、温かいご飯にかけて「卵ご飯」にしてたべて学校に行っていた。卵には、鶏の羽とか糞がついていたりして妙に生々しかった記憶がある。
そのように、かわいがっていた(?)鶏もいずれめぼしいもの(どういう基準か、今は覚えていないが卵を産まなくなったとか、何らかの基準があったようだ)から「つぶされる」(解体されるのを確かいつもこのように言っていた)。首を包丁で切り落とされ、柿の木に吊るされ血を抜き、いろんな部位に区分けされた。必ず、祖父がやっていてそのうち父に役目は変わった。
母の実家でも、母や叔母が子供を連れて里帰りすると、かならず、祖父が子供の前で同じ光景を見せていた。その日の、餌食になる泣き叫ぶ鶏を子供たちで無邪気に追いかけ回していたのを覚えている。
今でも印象に残っているのはそれまで走り回っていた鶏の肉をそがれたあわれな肋骨を、まるまる鍋にいれ煮出してスープをとり、そのあと残骸の骨をみんなでしゃぶるのだ。今の人が見れば、おぞましい光景だろう。私が思い出してもおぞましい。今、私は鶏肉が大好きだが、子供のころ鶏肉は食べられなかったのを思い出す。ちなみに、鶏をつぶすときはお祭りとか来客があったときだった。決まって、すき焼きにしていた。何にも箸をつけない私に叔母が「いっこちゃん、せめて野菜だけでも食べや!」といって皿に入れてくれるのだが、気分が悪くなったのを覚えている。私は、いつごろから鶏肉が食べられるようになったかは覚えていないが、多分鶏を飼わなくなってからだろう。
話しは本に戻るが、山野井泰史氏が「この本を読むと、人間もあくまで動物の一員であるという当たり前の真実を、思い知らされるに違いない」と序文に寄せている。この本を読んで本来人間はもっと原始的な生活をしていてより動物的だったことを、私も思い出した。
この本の、前の方は結構興味津々で読んでいたが、徐々に中弛みしてしまい、最後の方では他の本に心移りしてほっておいてしまっていた。昨日、中途半端なので一気に最後の50ページ程を読み終えた。
最後まで一気に読んでしまえなかったのは、この本の内容がサバイバル登山というにはちょっと半端なところがあるからかなと、ふと思った。
大自然に入るということ自体サバイバル的な行為だとしたら、より文明の装備にたより身を危険から守るというのが普通の行為だ。この本の著者のテントを持たず、食料や燃料を現地調達というのはよりサバイバル度を増し危険度増すことになる。しかしそれ以上のことをすると、無謀としかとれないギリギリの線を意識した上だと思う。そして、その体験を通してより「生きる」意味を問うのも著者が文明の人だからかもしれない。所詮、ターザンのような生活は出来ないのだから…。自分の山での力量が前提としてあるのは否めない。
もうひとつ、「山小屋も登山道も近代装備も登山者にとっては堕落と妥協の産物でしかない」という言葉、この人がこういいきれるのは自分に自信があるからなのだろうか。家の娘は一人は山に行っているが、もう一人は、人の寝た布団で寝られない、風呂に何日も入らない生活は考えられない。だから山には登りたいが、山小屋ですら行けないという。山小屋や登山道のお陰で山に入っていけ、美しい風景を楽しめる人に対しては、この言葉は傲慢な言葉のような気がする。一部のスペシャリストの登山家にだけ、山や大自然は存在していていいのだろうか? 山が全くの原始に戻ったなら、ほんの一部の人以外は、やはり人は山には向かわなくなるだろう。
この中高年の登山ブームは、中高年こそ大自然への郷愁がまだ自分の魂のどこかに残っているからではないだろうか。この中高年が、たとえ登山道と山小屋の恩恵にどっぷり浸かった登山であっても、その人にとってはサバイバルなのかもしれないとも、ふと思った。私が、最初に北アルプスに行ったときには、登山道であっても命がけであった。
「サバイバル」と「登山」いう言葉に嵌ってしまった。