「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

クレマチスにたくさん花を発見

2017-05-06 22:23:00 | 雑感
今日、クレマチスがいっぱい紫の花を咲かせていた。
クレマチスのことを母はテッセンと呼んでいた。

母が実家で一人暮らしをしていた頃に、茶の間から見える裏の畑にかなり蔓を延ばした紫の派手なテッセンがあった。咲くと大喜びをしていた。
晩年は入退院を繰り返すようになり、母の育てていた花や庭はどんどん手入れも出来ずかなり荒れてきていた。
テッセンもどうなっていたかは、そのころから記憶にない。
そしてとうとう一人暮らしにも限界が来て、その荒れてしまった菜園に家を建て同居した。

今日咲いたクレマチスは、母が最後の入院中買ったプレゼントだった。
しかしこのテッセンを母は見ることなく逝ってしまった。
今年の3月に母の三回忌も終えた。

実家にあったテッセンと似ていて目に留まり、病院から退院した時に見たら喜ぶだろうと思って買たものだった。
私は、花好きな母に誕生日や母の日などに鉢植えの花などプレゼントをしていた。そして母はかならず、花が終わると鉢から庭に移して育ててくれていた。
今の庭にも私がプレゼンした鉢植えが庭木となり残ってるものもいくつかある。

昨年鉢を大きめのに植え替えておいた。
2年目の今年は蔓をぐんぐん伸ばし、塀の鉄柵に絡みついた。
蕾をたくさん付けていたのも、毎日の観察で確認済みだった。

夕食の野菜を畑に収穫しようと玄関のドアを開けるといきなりクレマチスの紫が目に飛び込んできた。
クレマチスって順番に開花するのではなくて、いっぺんに花を咲かすというのを初めて知った。
庭から塀まで延びてきていた白モッコウバラと見事なコンビネーションをなしていた。
クレマチスの鉢植えを母に手渡すことは出来なかったが、きっと母はこのクレマチスを見ているに違いないと思う。

庭を眺めていると、かならず母を思い出す。
「花を見て怒る人はいない」「花をあげると笑顔になる」母の口癖。
縁側に座り「綺麗やなぁ~、あれは何という花?」「緑が綺麗やなぁ~」などと庭を眺めて話す何でもない会話。

母のいない家は空虚だとしばらくの間思っていたが、しっかり存在を残しているなと思う。それも四季折々に変わる庭と花を通じてのたくさんの思い出と共に。

玄関で母を待っていたクレマチス


今日開花したクレマチス