昨日は、家族そろって京都の老舗「鳥岩楼」にて鶏肉の水炊きで忘年会だった。我が家の高額所得者の娘と夫の招待である。体調が思わしくなかった母も、なんとか来られた。しかし、もうこれが最後かなという予感がする。
娘が予約をしておいてくれたこの「鳥岩楼」140年前の老舗で戦前までは祇園にあったのだと仲居さんの話。建物は純粋に京都らしく何もかも古い。京都の町家に改装を重ねた建物らしい。木のおひつ(ご飯の入れ物)に思わず懐かしいというと,「うちは何でも,古おすねんぇ~」と仲居さんの京都弁。底でも抜けるのか底に手を添えて持ってらっしゃる。
昼は800円の親子丼がいまや観光スポットになっていて,この秋も列をなしていたそうだ。修学旅行生も並ぶそうで、「うちは、いまや丼屋どす」なんて笑っておっしゃる。久しぶりの本物の京都弁での会話は,つい私もつられて使ってしまい、今更ながら気恥ずかしい気がする程、私の言葉はもう京都弁からかけ離れてしまっている。懐かしさを感じるホンワカしたいい言葉だなぁ~、としみじみと思った。大阪弁とはまた違う。私は、いろいろ転々としているうちに,関西弁という大きな枠には一応入るが、もう国籍不明なアクセントになってしまっている。
そして、久しぶりに見る着物姿も京女を醸し出し、これもまたいいなぁ~、と思った。京都でも町でほとんど着物姿は見かけなくなっている。
最近京都を歩くと,町家を利用して一工夫加えたインテリアの喫茶店や用品店が目につく。これも京都を新たな活性化に導いているのかもしれない。古い物が、新しく見える不思議な空間を作っている。見ようによっては、ただ汚らしいとだけとしか見えない気もするが…。
そして、何となく落ち着くのも不思議なことだ。
http://www.galu-kyoto.com/shop/0335_toriiwa/

娘が予約をしておいてくれたこの「鳥岩楼」140年前の老舗で戦前までは祇園にあったのだと仲居さんの話。建物は純粋に京都らしく何もかも古い。京都の町家に改装を重ねた建物らしい。木のおひつ(ご飯の入れ物)に思わず懐かしいというと,「うちは何でも,古おすねんぇ~」と仲居さんの京都弁。底でも抜けるのか底に手を添えて持ってらっしゃる。
昼は800円の親子丼がいまや観光スポットになっていて,この秋も列をなしていたそうだ。修学旅行生も並ぶそうで、「うちは、いまや丼屋どす」なんて笑っておっしゃる。久しぶりの本物の京都弁での会話は,つい私もつられて使ってしまい、今更ながら気恥ずかしい気がする程、私の言葉はもう京都弁からかけ離れてしまっている。懐かしさを感じるホンワカしたいい言葉だなぁ~、としみじみと思った。大阪弁とはまた違う。私は、いろいろ転々としているうちに,関西弁という大きな枠には一応入るが、もう国籍不明なアクセントになってしまっている。
そして、久しぶりに見る着物姿も京女を醸し出し、これもまたいいなぁ~、と思った。京都でも町でほとんど着物姿は見かけなくなっている。
最近京都を歩くと,町家を利用して一工夫加えたインテリアの喫茶店や用品店が目につく。これも京都を新たな活性化に導いているのかもしれない。古い物が、新しく見える不思議な空間を作っている。見ようによっては、ただ汚らしいとだけとしか見えない気もするが…。
そして、何となく落ち着くのも不思議なことだ。
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