沢木耕太朗著「凍(とう)」を今日やっと読み終えた。この本も半分ぐらいは昨年に読み始めたのだが、忙しさにかまけて放り出していた。今日はホシダに行こうと思っていたが相棒が見つからず、急遽時間が出来たので続きを読み出したところ一気に最後まで読んでしまった。
山野井泰史と妙子夫妻のギャチュカン北壁登攀の小説である。私はすでに山野井泰史の著作「垂直の記憶 岩と雪の7章」を読んでいたりネットの「山野井通信」で闘病生活の様子を読んでいた。私はちょうどその頃と同じ頃の2003年の2月にクライミングで骨折し、ちょうど山野井夫妻の闘病中のころに悶々と過ごしていて、「山野井通信」に励まされていた。こんなに凄い状況でもけろりとしている妙子さんは、同じ女性で凄い人だと以前から感心していた。弱気な私はただの骨折だったのだが「何でこんな思いをしてまで山に行くんだろう」と自問し続けていた。そして、もうクライミングは止めるかもしれないとも…。
そしてギブスの足で動けなくなった状態でこたつに潜り込み、山の本を読みあさっていた。それはこの怪我をきっかけに、自分のこれからに何らかの答えを出そうと思っていたのかもしれない。怪我をするのは、クライミングに自分は向いていないのではという思いもあった。いろんな本を読んで、有名で技術に長けた人でも、怪我や遭難などに遭遇していることがわかった。
私は約一ヶ月半後ギズスが取れ、さっそくホシダでトップロープで登り「骨折以来のホシダ。なんでもありのTPで一本登れた。嬉しい。いつになったら以前のルートまで戻れるかは判らないが、また頑張ろうという気持ちになれた。」と自分のHPの日記に書いている。私と偉大な登山家とは比べようも無いのだが、この「凍」を最後まで読んで山やクライミングへの衝動は、一緒だということがわかった。
この本の前半分が、私にとって退屈であったのは何故か。それは、この登場人物である山野井夫妻の生活や今までのことが淡々とした説明的な文体で書かれていたからだと思う。それは私には、質問(インタビュー)したことをただ文章に書き換えただけと捉えられ、その文章も作者が山のことを知らないのと一般読者のためか、かなり説明的になっていたのが気になり、この沢木という作家はなぜ山野井泰史のことを書きたいのだろうと疑問に感じていた。その点、本人が書いた「垂直の記憶 岩と雪の7章」は迫力のある迫り方だった。
主人公のことを良く書いていて、そのとおりの人物像なんだろうということは読みながら理解出来るのだがしっくりこない。沢木が質問してそのように理解したという人物像がこの中の山野井泰史と妙子像になってる。作家のやけに冷静な目が覚めて思え、それが私には物足りないのだろう。脚色が不足しているということか。私がイメージしていた夫妻とも、微妙にずれていたような気もする。
ところが、今日一気に読んでしまった後半の半分は、その脚色が無い分リアリティーがあり、私は悪天候での苦難の下山は頭の中に一駒一駒の映像として浮かび上がって来てどんどん引き込まれて行った。7000mを越えるクライミングの過酷さを私は知らないのだが、十分厳しさは伝わって来た。これは、完璧にやられたという感じだった。
そして、夫婦でありながらお互いにパートナーとして認め合い、信頼しているという二人の関係も伝わってきた。どんなことでも淡々といさぎよく受けいれているように見える妙子は、ほんとうに強いひとだ。ほんとは、芯は女性の方が強いのでは、とすら思ってしまった。そしてそれを認めている山野井も素晴らしいとも思った。
今も指を切り落としてもなお、クライミングに向かい続け「登ることが楽しく登れることが楽しかった。(略)自分がこれほどクライミングが好きだということをあらためて確認する思いだった。(略)最初クライミングを再開したばかりのときは赤ん坊同然だった。しばらくやっているうちにクライミングの幼稚園児くらいになっている自分を発見した。そしてさらにやっているといつの間にか小学生になっていた。そのとき山野井は理解するのであった。自分はクライマーとしての人生をもう一度送り直しているのだなと」と言わしめる。
ハンディーがあって、また一からの出発を苦にもせず、軽く好きだからと言い、クライミングを続けて行く山野井に私は魅力を感じる。
山やクライミングをするのに、講釈はいらない。下手でも、好きで楽しければいいんだよというメッセージを残しているように感じるのは、勝手な私の解釈だが嬉しい。
最後に、今度は妙子のことを知りたくなってきた。