お父さんのマリポタ日記。
マリノスのこと、ポタリングのこと。最近忘れっぽくなってきたので、書いておかないと・・・
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 「あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー」で川崎の古墳を巡ったが、激坂だらけだったよ(T_T)

 国道246号を走りたくなかったので、恩田川沿いから市役所通り〜歴博通りで港北ニュータウンを抜けて尻手黒川道路へ入り、まずは「子母口貝塚」へ。ところが、その場所にいるのにスタンプがゲットできず、地図上も離れている。あれれ? と思って確認するとスタンプポイントではない「子母口富士見台古墳」だった。どうも通り過ぎていたようで、せっかく上った激坂を下っていくのだが、これが分かりづらい。行き止まりも多く、散々迷ってようやく公園の奥に案内版があるのを発見した。

 縄文時代早期(約8000年前)のもので、貝層からはマガキやヤマトシジミの他、スズキやクロダイ、マダイなどの魚骨も見つかっている。当時はこの丘近くまで海が入り込んでいたようだ。それが今でははるかに武蔵小杉のタワマンが望める高台の公園となった。


子母口富士見台古墳。ここはポイントではなかった



子母口富士見台古墳



通り過ぎていたようで…



はるかに武蔵小杉のタワマンが望める子母口貝塚


 このあたりはどうやら「たちばなの散歩道」というらしい。調べて見ると、奈良時代の昔から川崎の大部分は武蔵国橘樹(たちばな)郡と呼ばれており、「たちばなの散歩道」は高津区、宮前区の遺跡や史跡を巡る、子母口バス停から梶が谷駅までの約5キロのコースだそうだ。そういえば地図らしきものを手にウォーキングしている人の姿を見かけたなぁ。

 この後に訪れた「橘樹歴史公園」、そしてスタンプポイントではないが国指定重要文化財の木造薬師如来両脇侍像などがある「影向寺」もそのコース上にある。


橘樹歴史公園



橘樹歴史公園



影向寺



 「橘樹歴史公園」は2024年5月18日、川崎市で初めて国指定史跡に認定された史跡橘樹官衙 ( たちばなかんが )遺跡群にオープンした公園。地中には飛鳥時代の役所の倉庫跡4棟が保存されており、その大きさや質感などに触れ、古代橘樹を体感できるように1棟は全体を、3棟は柱の一部が復元されている。「古代史ファン注目の歴史スポットの誕生」と川崎市は胸を張るが、激坂を上った先の住宅街の中に突如現れた広々とした空間には驚かされた。

 第三京浜を陸橋で越え、少し進んだところに公園と一体となった「西福寺古墳」があった。円墳なのでぐるりと1周できるかと思ったが、反対側に道はなく、植え込みから先は古墳保護のため立入禁止となっていた。矢上川左岸に築かれた高塚古墳群の中にあって、規模が大きく保存状態も良好だそうだ。


西福寺古墳


 次の「馬絹古墳」も激坂を上っていく。7世紀後半に築造されたとされる貴重な終末期古墳。直径約33メートルの円墳で、内部には全長9.3メートルの大形の横穴式石室があるそうだ。住宅に囲まれるように公園があったが、隣や目の前が古墳というのは古代のロマンを身近に感じられていいなぁ。


馬絹古墳



馬絹古墳公園



奧が古墳。ここも立入禁止


 最後に訪れたのは「東高根遺跡」。県立東高根森林公園の中にあり、南側から向かったのだが、15%を超えるようなとんでもない激坂が待ってたよ。まいった(T_T)

 ここには弥生〜古墳時代の竪穴住居跡が発見された古代芝生広場や、学術上非常に価値の高いシラカシ林(推定樹齢150~200年)があるそうだが、芝生広場でスタンプがゲットできたのでシラカシ林までは足を伸ばさず。園内は自転車の持ち込みも禁止のため歩きだったのでね。


東高根森林公園



東高根遺跡



古代芝生広場。遺跡らしいものはない


 帰路も国道246号は通らず、たまプラーザ〜あざみ野〜青葉台〜田奈〜成瀬のアップダウンコースで帰宅。走行距離は56キロだったが、獲得標高は682メートルだった。

 これでスタンプは107/124(達成率86%)。保有スタンプは62。

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