”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2008年04月16日 22時33分04秒 | Weblog
4月16日(水)曇
最近ヨットもゴルフもないのであまり書くことがありません。別に趣味だけのブログではなかったはずですが3年目ぐらいになってくると人に教えることも世間の評論もあまりなくなってきました。やはり所詮は浅学の身なのでしかたないことです。
そこでつまらない話ですが前回(4月12日)に如来(仏様)の話をしたので続きで菩薩の話を書いてみようと思います。悟りを開いたのが如来ですが、悟りを求めて修行をしているのが菩薩です。大乗仏教では利他行と言って他人の救済ために善行を積むことが悟りを開く道だと考えられるようになりました。もともとは小乗仏教のように自利行と言って自分が悟りを開くための修行をしているものが菩薩だったのですが。そのうち仏にならずに現世に留まって衆生の救済にあたる菩薩まで考えられるようになったのです。
釈迦如来の脇侍(わきじ)として仏様の身の回りの世話をしたり、如来の仕事を手伝うのが文殊菩薩と普賢菩薩です。文殊菩薩は毛利元就の三本の矢の話に出てくるように智慧をつかさどると言われています。文珠菩薩は獅子に乗って、するどく研ぎ澄まされたことを象徴する剣と智慧を象徴する経典を持っているのが標準です。頭はまげを結っています。次に釈迦如来の右にいるのは普賢菩薩であらゆる幸福をもたらすと言う意味を持つ菩薩で修行をつかさどると言われています。一般に白象に乗って手は合掌しているのが標準形です。女人成仏を説いたことから女性のあいだで盛んに信仰されたようです。
阿弥陀如来の脇侍は観音菩薩と勢至菩薩です。左側が観音菩薩で三十三に変化して一切の衆生を慈悲の力で救うことから独立して様々な観音様が信仰されるようになりました。聖観音、十一面観音、千手観音、如意輪観音、馬頭観音、准提観音を六観音と言います。これ以外にも日本では白衣観音がおなじみです。高崎や大船の観音様はこの白衣観音です。菩薩は衆生からの修行中の身なので装飾品をつけることが許されているので宝冠を付けたり手にいろいろな物を持っているのが標準形です。一方の勢至菩薩は阿弥陀如来の右側で智慧の力であまねく人を照らすと言われています。
あとは薬師如来の脇侍として日光菩薩と月光菩薩、大日如来の化身と言われる虚空蔵菩薩などがおりますが今回は省略です。
さらに私達にすごくなじみの深い地蔵菩薩ですがもともとはインドの大地の神様が仏教に取り入れられたものです。サンスクリット語でクシティ・ガルバといって大地の恵みをやさしくはぐくむと言う意味でこれを地蔵と訳したようです。仏教では釈迦がこの世を去ってから弥勒菩薩が如来になるまでの無仏の時代を守るために娑婆世界に留まって人々を教え、救済すること頼んだのが地蔵菩薩と言われています。地蔵菩薩は娑婆世界に留まっていることの証として僧侶の姿をしているのだそうです。
またちょっと長くなってしまいました。一つ一つを説明しようとすると浅学の僕でも結構書けてしまうものです。でも僕は学者でも宗教家でもありませんのであまり正確ではありません。ただの興味本位で書いただけです。自分がお参りする時にどんな時はどんな仏様にお願いしたらよいかを知るために調べて見ただけです。そしてわかったことは奥が深すぎてとても及ばない世界だと言うことです。小乗仏教の方がお釈迦様だけにフォーカスしているのでわかりやすい気がします。ここで書いているのは密教を区別して書いていないのと経典の区別もしていないので学者や宗教家からクレームをつけられるかもしれません。
ここまで読んでいただいた方がもしいらっしゃいましたらほんとうにつまらないことに付き合っていただきありがとうございます。きっと仏様の御利益があると思います。
コメント
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