”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話(ウォーキング16-02)二条城

2016年01月16日 10時12分17秒 | Weblog

1月15日(金) 晴

前夜飲み過ぎで体調最悪であったが、とにかく京都の友人との待ち合わせに間に合わせるべく早朝から身支度、100名城資料を揃えて新幹線に飛び乗った。京都駅で無事友人と合流し、市バスで二条城に向かう。自分が100名城を巡り始めてから京都は案内すると言っていた友人は既に京都のテレビ局が作成した二条城の紹介DVDやらを用意してくれていた。5年ぶりぐらいに会った懐かしい友は相変わらず元気のようだ。バスの中から人目も気にせず近況を話しながらあっという間に最初の目的地、二条城に到着。
二条城は徳川家康が京都の守護と京都に滞在する時の宿泊所として構築された城であり、その後徳川家光によって改装改築された城である。高校の修学旅行で一度来たことがある城ですが、50年近く前の話なので唐門ぐらいしか記憶になかったのであるが今回改めてゆっくり見学することができた。京都の市街地の真ん中にこんなに広い敷地の城があること自体驚きである。

ここは二条城の入り口となる唐門。外国人観光客ばかりで切れ目がなくいくら待っても人物が入ってしまう。何とか唐門の前の人が写らない写真が取れました。



中に入ると二の丸御殿。ここは日本の書院建築の極致と言われ国宝である。御殿内は撮影禁止なのでとりあえず二の丸御殿全景を。二の丸御殿内を友人の解説を聞きながら歩く。一人で歩くのと異なり、自分だけならさっと通り過ぎてしまうところも彼の感想を交えた話でより詳しく見ることができたような気がする。御殿内の各居室の襖絵は狩野派の画人達によるものであるが部屋毎に同じ襖絵であってもずいぶん違うようだ。たとえば諸大名の控えの間である遠侍には威圧的で猛々しい虎の絵が、大広間が将軍を謁見する間には緊張を促すような松と鷹が、譜代大名等親藩の大名が将軍などと内輪の対面する黒書院には穏やかでやさしい松や桜が、将軍の居間となる城書院には心落ち着く山水画が、と言った具合にそれぞれの間の役割に応じた襖絵が描かれている。これは友人の解説であったがなるほど確かにと思える。こんな具合に居室を見て回るのだがとにかく広い。大政奉還をした時にはここで在京の諸大名の重臣を集めたと言われているがこの大広間の広いこと。これでは末席の諸大名・重臣には徳川慶喜の表情なんか絶対にわからないだろうと思う。さすがに世界遺産だけのことはある。



二の丸御殿を出て、二の丸御殿の庭を通って本丸御殿に向かうのであるがこの庭も広い。小堀遠州の作と言われるこの庭園は二の丸御殿の大広間、黒書院などの各部屋から眺められるように工夫されているようです。ただ残念なのは本丸へ向かう通路以外は立ち入り禁止のためゆっくり見ることはできない。写真は二の丸御殿の庭園、池泉回遊式で中々全体を撮るのは難しい。写真左の蓬莱島が大き過ぎて通路からは全体が見えないのである。



二の丸御殿の奥には内堀を渡ると本丸御殿がある。こちらは江戸時代の市中大火により焼失して、明治になって京都御苑にあった桂宮を移築したものである。宮御殿の遺構としてはこちらは完全な形で残っているようであるが非公開のため、中に入ることができないので御殿の写真だけ。



本丸御殿の奥には5層の天守閣があったのであるが、江戸時代の雷火により焼失して現在は天守台の石垣が残るのみである。天守閣も全国各地の城と同じような大きさだったと思われるが御殿が大きいのでなんだか小さく感じます。
その後本丸の内堀から出て城の外周を友人と昔話に花を咲かせながら歩く。途中江戸初期の豪商、角倉了以の屋敷の建物の一部や庭石を譲り受け、茶室を加えて昭和になって作られた清流園や工事中の展示・収蔵館を通り休息所で一休み。
2時間かかってやっと外堀を出たら既に12時近くになっていました。写真は外堀の西南に位置する隅櫓です。



さて二条城を後に次は今回のもう一つの目的である清水寺方面に向かいます。既に友人がウォーキングのプランを考えてくれていたので昼食抜きで歩くことに。彼のプランは京都らしいところを歩くと言うことで京都を味あわせていただきましたがこの続きはまた別途にします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする