現役東大生の布施川天馬と申します。学生生活の傍ら、ライターとして受験に関する情報発信などをしています。
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東大生が考える「成果につながる努力の方法」
僕は、もちろん東大受験に至るまでに勉強をしましたが、それよりも中高大と10年以上にわたって続けていた吹奏楽部での活動に力を入れていました。 もちろん勉強や部活以外にもボランティアやバイト、家業の手伝い、趣味などさまざまなことに興じた経験があるという人は少なくないかと思います。
しかし、なかには頑張ったにもかかわらず、残念ながらあまりいい結果が出なかったという方もいるでしょう。
努力をしなければ報われませんが、努力をしてもその分だけ100%成果が返ってくるというわけではないからです。成果を出すには、相応の努力の方法を考えなくてはいけません。
天才と凡人の違いはどこにあるのか?
彼らは確かに天才なのかもしれませんが、「天才だから」という理由だけで片づけていては、一生そのような人たちに負け続ける人生になってしまいます。 どんな天才であろうが、どんな秀才であろうが、彼らはみんな我々と同じ「人間」であるはずです。
「才能」の違いがあるとはいえ、人間の基本スペックからは大きく離れた場所にいるはずの天才たちと凡人たちとでは、いったいどこが違うのでしょうか?
やらされている感」こそが凡人の証
彼らはこの楽しみを知っていて、全幅の信頼を置いているからこそ、全力で苦しみ続けることができる。
もちろん、私たちも楽しみながら努力するシーンはあるでしょう。しかし、どんな競技や趣味であれ、絶対に壁にぶち当たる瞬間があるもの。 誰でも練習の間に「これ以上、上達できるのだろうか」「これが自分の限界なのではないだろうか」と悩んだことがあるはずです。
「壁にぶち当たったあと」が実は重要
こうなってくると、練習に臨むのが大変辛くなります。意味のないことをやらされているように感じられるからでしょう。
僕も高校のときにある程度、自分が上達したことを認識した途端、「これ以上、やる必要があるのだろうか」と感じて、急に楽器に対するモチベーションが下がってしまったことを覚えています。
「行けたら行くわ!」と言う人は絶対に来ない
そもそも現在の自分にできないことだから壁として立ちはだかっているのですから、「できないことを絶対にできるようになってやる!」という強い意志がなければ、突破口を開くことはできないのです。
そうはいっても先の見えない努力をし続けるのは大変苦しいもの。これはスポーツだって、音楽だって、勉強だって、どんなことにも共通することでしょう。
「行けたら行くわ」程度の覚悟では、この努力を継続することができません。 しかし、「天才」と呼ばれる人たちは、この努力の苦しみに耐えて、前人未到の領域へと踏み入っていきます。
「楽しい」こそがモチベーションの源泉
そのモチベーションこそが「楽しい」という感情なのです。 「もともと楽しかったことが、できるようになればもっと楽しくなる!」という思いがあるからこそ、進み続けることができます。
トップ ライフ 『ドラゴン桜』を見た東大生が痛感した「努力が報われない人」の特徴
ライフ
2021年06月13日
『ドラゴン桜』を見た東大生が痛感した「努力が報われない人」の特徴
布施川天馬
バックナンバー
『ドラゴン桜』で描かれた「努力が報われる人の思考法」
©︎TBS
日曜劇場『ドラゴン桜』にも、そんな努力が報われる人と報われない人の違いが明確に描かれているシーンがありました。 学校で一番勉強ができる小杉麻里さんという生徒は、東大の入学試験を模した模擬テスト「東大模試」の受験直後、「楽しかった」という感想を残していました。
こんな感想、「勉強=苦しいもの」とインプットされている人なら間違いなく、「意味がわからない」と漏らすでしょう。
そして、その後に「小杉さんは自分が勉強できるから楽しいんだよ」というはずです。
しかし、これは順番が逆で、彼女は楽しいからこそ勉強しています。
「楽しい」から自然と諦める選択肢がなくなる
勉強しているなかでいろいろな難問に突き当たっても、「問題が解けると楽しい」「難しい問題に立ち向かうことは面白い」ということを経験から知っているからこそ、諦めずにくらいついて考えるということができるようになるのです。
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