銀座での食事は雑煮と日本酒を味わう雑煮店で - 銀座もちふじ[公式]
銀座もちふじが目指すもの
銀座もちふじのコンセプトは「心と体であじわう、花鳥風月」。忙しない世の中からほんの一瞬だけ離れ、本来の日本にある「人と自然との調和」「真心ともてなしの心」が感じられる、ホッとできる空間を提供する。そのためにわたしたちは、知恵をしぼり、何ごとにも努力を惜しまないお店づくりを行ってまいります。
お客さま一人ひとりの
「おいしい」のために
お客さま一人ひとりの故郷の味や、その日の気分でお好みに応じておだしや具材をセレクトしていただく「カスタマイズスタイルのお雑煮屋」として、それぞれにオリジナルのお雑煮をご堪能いただけます。もちろん、定番のお雑煮や、季節ごとのおすすめメニューを召し上がることでも、銀座もちふじをお楽しみいただけます。
いつでもどこでも「つきたて」の味
一般的には、お正月に召し上がることが多い「おもち」を、一年中いつでも「つきたて」でご堪能いただけます。さらに職場やご自宅への、お雑煮やいそべもちのテイクアウトも可能です。いつでもどこでも皆さまで、つきたてのおもちの味と食感をお楽しみください。
銀座もちふじのコンセプトは「心と体であじわう、花鳥風月」。忙しない世の中からほんの一瞬だけ離れ、本来の日本にある「人と自然との調和」「真心ともてなしの心」が感じられる、ホッとできる空間を提供する。そのためにわたしたちは、知恵をしぼり、何ごとにも努力を惜しまないお店づくりを行ってまいります。
お客さま一人ひとりの
「おいしい」のために
お客さま一人ひとりの故郷の味や、その日の気分でお好みに応じておだしや具材をセレクトしていただく「カスタマイズスタイルのお雑煮屋」として、それぞれにオリジナルのお雑煮をご堪能いただけます。もちろん、定番のお雑煮や、季節ごとのおすすめメニューを召し上がることでも、銀座もちふじをお楽しみいただけます。
いつでもどこでも「つきたて」の味
一般的には、お正月に召し上がることが多い「おもち」を、一年中いつでも「つきたて」でご堪能いただけます。さらに職場やご自宅への、お雑煮やいそべもちのテイクアウトも可能です。いつでもどこでも皆さまで、つきたてのおもちの味と食感をお楽しみください。
つきたてのおもち
餅は餅屋に。当たり前のことですが、おもちはつきたてが一番です。つきたての柔らかさを保つことのできる、できあがりから「3時間以内」にこだわってご提供いたします。また、地域によってことなるもち米も、吟味のうえで上質なものを使用しています。
鰹節とだし汁
極薄0.01ミリに本鰹節を削り、30分以内に昆布だしと合わせる究極のだし汁。昆布だしは、利尻昆布を一晩お水につけることで、うまみを最大限に引き出します。こだわり抜いた至極の味を、多くの方にご賞味いただきたいと思います。
旬の食材
お雑煮において脇役になりがちな野菜や魚介類。これらの食材も主役であるおもちと同等と考え、特に「旬=季節」を大切にしながら厳選しています。生産者の声を交えながらご提供することで、想いとともに味わっていただきます。
餅は餅屋に。当たり前のことですが、おもちはつきたてが一番です。つきたての柔らかさを保つことのできる、できあがりから「3時間以内」にこだわってご提供いたします。また、地域によってことなるもち米も、吟味のうえで上質なものを使用しています。
鰹節とだし汁
極薄0.01ミリに本鰹節を削り、30分以内に昆布だしと合わせる究極のだし汁。昆布だしは、利尻昆布を一晩お水につけることで、うまみを最大限に引き出します。こだわり抜いた至極の味を、多くの方にご賞味いただきたいと思います。
旬の食材
お雑煮において脇役になりがちな野菜や魚介類。これらの食材も主役であるおもちと同等と考え、特に「旬=季節」を大切にしながら厳選しています。生産者の声を交えながらご提供することで、想いとともに味わっていただきます。
意外と知られていないクリスマスの真実>キリストの誕生日ではなくて
クリスマスとは
クリスマスとは、イエス・キリストの降誕祭です。新約聖書では、キリストの生まれた日を特定はしていません。そのため、降誕祭とは「キリストの誕生日」ではなく、「キリストが生まれてきたことをお祝いする日」となります。
クリスマスのお話
クリスマスの由来や起源、意味は?
クリスマスの由来や起源、意味は?
意外に知らない?クリスマス
クリスマスの由来や起源、意味は?
クリスマスの由来や起源、意味は?
クリスマスソングが流れ、ポインセチアの赤やセイヨウヒイラギの緑が目にとまり、あちらこちらにメリークリスマスの文字が躍る・・・クリスマスカラーに染まった街並みを歩くと、誰しも胸が高鳴るもの。
そんな年に一度のクリスマスですが、その由来をご存知でしょうか。クリスマスはなぜ12月25日なのか、「クリスマス」の表記の意味など、知っているようで知らないクリスマスの豆知識をご紹介します。
クリスマス特集 トップへ
クリスマスの由来~クリスマスはどこからきたのでしょうか~
クリスマスとはどのようにできたイベントなのでしょうか。また、12月25日である意味は?
クリスマスとは
クリスマスとは、イエス・キリストの降誕祭です。新約聖書では、キリストの生まれた日を特定はしていません。そのため、降誕祭とは「キリストの誕生日」ではなく、「キリストが生まれてきたことをお祝いする日」となります。
キリストは今から約2000年前、ユダヤのベツレヘムの馬小屋で、聖母マリアのもとに生を受けました。この生誕をお祝いする日がクリスマス(降誕祭)です。しかしながら、クリスマスがいつ始まったのか、どういう経緯で始まったのか多くの教会で明示はしていません。キリストの誕生日同様に、聖書に記述がないことが大きな理由です。
では、なぜ世界中で、そして多くのキリスト教の諸教派で12月25日が共通してクリスマスなのでしょうか。いつ頃この慣習が始まったのでしょうか。諸説ありますが、代表的な由来をご紹介いたします。
クリスマスが12月25日であることの由来
前述の通り、クリスマスがいつ頃始まったか正確な年代はわかっていません。しかしながら、2世紀~4世紀頃に始まったという説が有力視されているようです。
当時のヨーロッパはローマ帝国時代。キリスト教は国教ではありましたが、まだまだ民衆には定着していませんでした。ちょうどその頃、ペルシャから太陽信仰の性格を持つミトラス教という宗教が伝わってきました。そして、このミトラス教には「光の祭り」という信仰上の大切な行事がありました。「光の祭り」が行われるのは、一年で最も昼間が短くなる冬至。この日を境に再び昼間が長くなっていく、すなわち太陽の力が強まっていくことを祝います。この冬至が、12月25日にあたっていました。
一方で、ローマ帝国もともとの土着の祭りとして、農耕の儀式もまた12月25日前後に執り行われていました。
そこでローマ皇帝はイエス・キリストを「光」に例え、「光(太陽)の復活はキリストの復活」とし、前述の土着の祭りをすべて吸収する形で12月25日をキリストの降誕祭に制定します。ほかの宗教との対立を防ぐための、折衷案としての意味合いもあったのでしょう。
このクリスマスの誕生は功を奏し、異なる宗教同士の摩擦を減らすだけでなく、キリスト教を広める大きなきっかけにもなりました。
ちなみに、クリスマスに行われるイベントはキリスト教由来のものばかりではありません。たとえばクリスマスツリーは、古代ゲルマン民族のお祭りから伝わったとされています。こういったことからも、クリスマスは土着信仰との融合に端を発している可能性が高いのです。
クリスマスイブとは
では、12月25日の前夜にあたる「クリスマスイブ」はどのような由来があるのでしょう。
「イブ」とは英語の「evening(夜)」と同じ意味の古語「even」のことであり、クリスマスイブとは「クリスマスの前夜」ではなく「クリスマスの夜」のことなのです。これには、キリスト教の前身にあたるユダヤ教の暦(ユダヤ暦)が大きく関わっています。
ユダヤ暦では、日没が一日の変わり目とされています。そのため、12月24日の日没から25日の日没までが「クリスマス」となります。クリスマスイブは、すでにクリスマスに含まれている24日の日没から深夜までということになります。
現在では、教会や宗派によって解釈はさまざま。一般の暦にならい、25日に日付が変わると「クリスマス」とみなす宗派もあります。どの宗派も、それぞれの教えに則りクリスマスの伝統を大切に守り続けています。
クリスマスイベントの由来
クリスマスの楽しみといえば、プレゼント交換やクリスマスのごちそう、クリスマスツリーを飾り付けるといったさまざまなイベント。キリスト教由来のイベントもあれば、そうではないイベントもあります。代表的なクリスマスの楽しみについてご紹介いたします。
クリスマスツリーの由来
クリスマスツリーは、前述のように古代ゲルマン民族の土着信仰に大きな関わりを持ちます。
北ヨーロッパに住んでいたゲルマン民族は、冬至のお祭り「ユール」の一環として、寒さに強い樫の木を永遠の象徴として崇めていました。この信仰を諦めさせるために、キリスト教の宣教師が樫の木を切り倒し、代わりにモミの木を広めたのではないか、と言われています。
モミの木をクリスマスにツリーとして飾るようになったのは15世紀頃の説が一般的なようです。オーナメントやイルミネーション装飾は、アメリカから流行していったものです。
サンタクロースの由来
サンタクロースは、キリスト教の聖人である奇蹟者ニコラウスの伝説が由来となっています。聖ニコラウスはとても慈悲深い人物で、死刑囚を助けたり罪人を改心させたりといったたくさんの逸話を持っています。
その聖ニコラウスがサンタクロースのイメージのもととなった話のひとつに、貧しい家に金貨を投げ入れたというエピソードがあります。
聖ニコラウスが貧苦に喘ぐ家庭の窓から金貨を投げ入れたところ、その金貨が暖炉にかかっていた靴下にそのまま入りました。このことから「サンタクロースが靴下にプレゼントを入れてくれる」という風習が生まれました。
クリスマスといえば七面鳥。その由来は?
もともと欧州ではクリスマスにはガチョウを食べていたと言われています。ガチョウはごちそうだから特別なクリスマスに、といった意味合いだったようです。
時は流れ、アメリカ大陸の開拓のために欧州から渡米したパイオニア達が、食べ物に困り飢えに苦しんでいた時、原住民であるインディアンから七面鳥の施しを受けました。このことから七面鳥は感謝のシンボルとなり、転じてキリスト降誕への感謝を表すためにクリスマスのごちそうになった、という説があります。
加えて、七面鳥の方がガチョウより飼育がしやすいといった実用面な理由もあるようです。
世界各国のクリスマスの伝統菓子
世界各地でもクリスマスに特別なお菓子を楽しむ習慣があります。たとえばフランスでは、丸太の形をしたブッシュドノエルというケーキが伝統的です。なお、フランス語でノエルはクリスマス時期を指しています。
ドイツではシュトーレン、イタリアはパネトーネ、イギリスではクリスマスプディングやダンディーケーキなど、その国々で特別なお菓子が作られ、ふるまわれているのです。
日本では、クリスマスのお菓子といえばさまざまなケーキですが、最近ではこうした海外の伝統菓子をクリスマスに楽しむ人も増えています。有名パティシエやスイーツブランドの作るシュトーレンなどは、毎年手に入りにくいほどの人気があるものも。
ポインセチアがクリスマスフラワーになった由来
クリスマスの代名詞的存在のお花といえばポインセチア。ポインセチアはメキシコ原産ですが、17世紀に同地で布教をしていたフランシスコ修道会のある修道士が、ポインセチアを見てベツレヘム(キリスト生誕地)の星を想像し、「ノーチェ・ブエナ(聖夜)」と呼ぶようになりました。これを契機に、ポインセチアがクリスマスフラワーに位置づけられるようになったのです。
また、ポインセチアの色にも秘密があります。赤と緑、そして樹液が白であるポインセチアは、クリスマスカラーを兼ね備えています。クリスマスカラーとは赤・緑・白。とりわけ赤はキリストに関わる色であり、「寛大」「愛」を象徴する宗教的にも意味深い色です。
ポインセチアといえば赤が有名ですが、白やピンクの品種も存在します。さまざまな色合いがクリスマスプレゼントとして贈られます。赤いポインセチアの花言葉は「祝福する」「聖夜」「幸運を祈る」、白いポインセチアの花言葉は「あなたの祝福を祈る」、ピンク(プリンセチア)は「純潔」「思いやり」。クリスマスプレゼントにぴったりです。
まとめ
クリスマスの由来や起源、クリスマスイブやクリスマス表記の意味についてご紹介いたしました。
クリスマスはイエス・キリストの降誕祭であること。その由来は諸説ありますが、2世紀~4世紀頃のローマ帝国領内で、土着信仰の祭祀をキリスト教の降誕祭に吸収し定着させたものではないか、ということ。クリスマスの意味やクリスマス表記の由来、そしてクリスマスに楽しみなイベントの由来をおわかりいただけたでしょうか。
クリスマスプレゼントとして、大切な人にお花を贈る時、こんなクリスマスの豆知識を交えてお話ししても楽しいかもしれませんね。
地下鉄サリン、警察庁長官銃撃…事件取材にあけくれた64歳の"セカンドライフ"は保育士か、幼稚園教諭か | TRILL【トリル】
2024.12.26
“事件取材の鬼”と呼ばれてきた緒方健二さんは、62歳で新聞社を退職し、北九州市にある短大の保育学科で保育士資格と幼稚園教諭免許を取得した。今後については「模索中」だという緒方さんは、自身のセカンドライフをどのように描こうとしているのか。ライターの辻村洋子さんが話を聞いた――。
40年間の事件記者生活の後、短大で保育士資格と幼稚園教諭免許を取得した緒方健二さん
生活すべてを事件取材に捧げていた
2024年の春、65歳で短大の保育学科を卒業した緒方健二さん。入学するまでは朝日新聞社の社会部記者として、生活のほぼすべてを事件取材に捧げていた。子どもが被害者となる誘拐・虐待・無理心中、殺人、政治家や公務員の贈収賄、過激派テロ、暴力団抗争など、報じた事件は枚挙にいとまがない。
そんな“事件取材の鬼”が、退職後は短大生に転身し、保育士資格と幼稚園教諭免許を取得。記者のときから抱き続けてきた「子どもを守りたい」という思いを実現すべく、第二の人生を歩み始めている。
卒業後は、朝日カルチャーセンターで事件・犯罪講座の講師を務めながら、児童虐待事件の加害者などへの取材を継続。記事の執筆や講演活動と並行して、記者時代や短大時代のエピソードを綴った本『事件記者、保育士になる』も上梓した。
その一節を自ら朗読したYouTube動画は、ありのまますぎる姿と「巻き舌」が受けてSNSで話題になっている。
「当初は保育所や幼稚園の先生になることも考えていましたが、今は子どもの最善の利益のために何をすべきか、その手段を模索しているところでございましてね」
ドスのきいた声でそう話す緒方さん。模索している手段の中には、自分が理想とする施設や園をつくることも入っている。実際、そうした施設の運営者からオファーを受けたこともある。
一緒に卒業した同級生たちからも、「園を作ってほしい」「緒方さんが園長をするなら絶対働きに行く」といった声が上がっているという。ただ、その実現には膨大な準備と資金が必要になる。
「宝くじにもすがりたく存じます。でも、もうここ40年以上買い続けていますけど、当たった額は最高で1万円ですよ」
冗談めかして語った後、ではいかにして子どもを守っていくかという話になると一気に眼光が鋭くなった。
保育学科で専門知識を身に付けたことで、思いの実現には一歩近づいた。それでも心境に変化はなく、現状に満足するつもりも毛頭ない。卒業後は、かえって今の社会に対する危機感が強まった。
子どもの虐待事件は年々増え続けているのに、その子たちを守るはずの機関や制度はいまだ十分に整備されないまま。緒方さんは「現場の実態を知れば知るほど怒りが込み上げてくる」と語る。
収入の当てはなかった
記者時代、大事件が起きた際には、自分たち記者がここで真相を追求しないと読者の求めに応えられないと必死で働いた。まったく家に帰らない、ほとんど睡眠がとれない、そんな状況が半年ほど続いたこともあった。
「それでも記者なら、自分のことなど顧みずそうすべきだというのが私の意見です。それが務めですから。保育所や幼稚園、福祉施設などで子どもと関わるお仕事に就いていられる方々にも、同じ志を持っていていただきたいと切に願っています」
62歳で「このまま記者を続けていても子どもの被害防止に役立つことはできない」と退職したとき、収入の当てはまったくなかった。生活費以外の収入はほとんど取材に注ぎ込んでいたため、蓄財もほとんどなかった。
雇用保険を受けるために行ったハローワークで、職員から「あなたの年齢だと紹介できる仕事は非常に限られる」と聞かされたこともある。
「決断」というほどのことではない
そのうちに講師や執筆などの依頼が舞い込むようになったものの、金銭的に余裕があるとは言えない中で短大に入学するというのは、勇気のいる決断だったに違いない。60代で退職した後、まったく畑違いの分野に、極端に違う環境に、緒方さんのように飛び込める人は決して多くはないだろう。
そう伝えると、「いやいやとんでもない」と首を振った。
「たまさか、子どもを守るためにこんなおのれに何ができるのかと考えた末に短大に入る道を選んだだけで、決断というほどのことじゃないんですよ。子どもを守るということを記者生活では十分に成し得なかったから、その知識を身につけたいと思っただけで、全然大した話ではないんです」
自分は何も成し得ていない。色んな記事を書いてきたけれど、そんなものは屁の突っ張りにもならない。昔も今もろくでなしのハンパ者だと、謙遜でも何でもなく心底そう思っている。真剣な眼差しでそう語ってくれた。
時間のやりくりは今の方が大変
記者として十分すぎるほどのキャリアを築いた後の、第二の人生。しかし、本人は今の状況を「別にセカンドライフだとは思っていない」という。
新聞社を退職後、時間のやりくりはむしろ大変になった。記者時代は警視庁の記者クラブに詰めていたため、会社にはあまり行ったことがなかった。いつどこへ行こうとほぼ自由だったし、いつどこへ行こうとほぼ自由だった。
だが、短大では毎日決められた時間に決められた場所へ行かなければならない。最初は大変だったそうだが、入学時に心に決めた無遅刻無欠席は何とか達成できた。
卒業後の今も「スケジュール管理には苦労しています」と苦笑いする。特異な経歴のおかげで、メディアから取材を受ける機会も、本や雑誌に記事を書く機会も増えた。その取材日や締め切り日を間違えてはいけない、遅れてはいけないと思うたびに緊張が走る。
緒方健二さんが今も持ち歩く黄色いオーガンジー。手の中で膨らませる「ひよこさん遊び」や「いないいないばあ」で子どもを笑顔にできる
緒方健二さんが今も持ち歩く黄色いオーガンジー。手の中で膨らませる「ひよこさん遊び」や「いないいないばあ」で子どもを笑顔にできる
はないちもんめでは「緒方さんがほしい!」
退職後、確かに環境や生活リズムは変わった。一般的にはそれをセカンドライフと呼ぶのかもしれないが、緒方さんは「自分自身の心境には何の変化もない」と語る。
緒方健二『事件記者、保育士になる』(CCCメディアハウス)
軸になっているのは今も、子どもを守りたいという強い思いと、どんな相手とも理解し合える関係性をつくろうとする姿勢だ。
保育学科という、年齢も育ってきた環境もまったく異なる人たちの集団に飛び込んだとき、まず心がけたのは「互いに理解し合える関係になろう」ということだった。その姿勢はやがて相手にも伝播し、同級生たちとの仲は日に日に深まった。
たとえば、幼児体育の授業で「はないちもんめ」に取り組んだときのこと。2チームに分かれて、歌を歌いながら仲間にほしい人を取り合う遊びだが、誰も自分をほしがらないだろうと思っていたら、相手チームの女子学生たちが声を揃えて「緒方さんがほしい!」と言ってくれた。
人気アイドルグループ「SixTONES」のことを「しっくす とーんず」と読んだときは、同グループを推す女子学生から「ストーンズって読むんですよ」と笑顔で、かつキッチリと指摘された。
学生からプライベートな相談ごとを持ちかけられたこともあれば、将来は一緒に仕事をしたいと言ってもらえたこともある。
こうしたエピソードから伺えるのは、構えることなくやりとりできる気安い関係性だ。同級生たちが心を開いてくれたのは、この人は一生懸命自分たちを理解しようとしてくれていると感じたからこそだろう。
新聞記者時代も今も変わらない
「先入観にとらわれず、精一杯の配慮と支援を心がけて、自分は何者でもないんだという姿勢で関係を築こうと努める。そうすれば理解し合えるんだなと実感しました。結局、社会って、さまざまなことが異なる人と人がいろんな関係を紡ぎ上げることでつくられるものなんだなとも思いましたね」
その点は、記者でもセカンドライフに入った人でも同じだろうという。記者には、取材相手が誰であれ、その生い立ちや考え方への理解を深め、心を開いて話してもらえるよう働きかける姿勢が欠かせない。セカンドライフに入った人も、新たな環境で周囲との関係をいかに築き深めるかが肝要なのではないか――。
「偉そうなことを言いましたが、やっぱりそこが大事かなと思います。現に私のような野良犬がですね、保育学科で45歳も年下の同級生の皆さんに助けてもらえるようになって、無事に卒業できたわけですから」
原動力は「怒り」
現在気になっているテーマは、親子の無理心中や内密出産、発達障害と診断された子への保育・教育、保育士や教員による性加害。子どもを取り巻く法や支援のあり方とともに、子育て世代に対する福祉の不十分さについても取材・発信していくつもりだという。
原動力は怒りだ。
1995年ごろには、学校で授業についていけず、教師や親から無視されて犯罪に関わるようになった「非行少年」たちを取材した。犯罪に関わって矯正施設から戻っても、行くところがない。居場所を求め、暴力団員に提供されたアパートに集うようになった子どもたちも少なくなかった。
同じころ、難病で学校に通えない14歳の子どもについても記事にした。この子は週に数回、「訪問教育」という制度で自宅に来る教員とのふれあいを楽しみにしていたが、当時の制度では高校生の年齢になると、訪問教育を受けられなくなる。制度にこだわり延長を渋る役所をしつこく取材。その後、訪問期間の延長が認められた。
本来なら国が率先して子どもや親を守るべきなのに、そのための制度や仕組みはいまだに穴だらけで、予算も人手も十分に確保できていない。さまざまな不備を厳しく指摘した後、「本当に許せないし、腹が立っています」と語気を強めた。
志を持って自分の道を歩み続ける緒方さん。悠々自適の生活に興味はない。知識も経験も人脈も、記者時代と短大時代を通して培ったすべてを注ぎ込んで、子どもを守りたいという思いの実現を目指していく。
インタビューに答える緒方健二さん。子どもを取り巻く環境について語り始めると、手に力が入る
辻村 洋子(つじむら・ようこ)
フリーランスライター
岡山大学法学部卒業。証券システム会社のプログラマーを経てライターにジョブチェンジ。複数の制作会社に計20年勤めたのちフリーランスに。各界のビジネスマンやビジネスウーマン、専門家のインタビュー記事を多数担当。趣味は音楽制作、レコード収集。
ブログを拝見していると、「浦島太郎」に関して興味深いお話がありました。
ソース:
むかしむかし浦島が、助けたカメに連れられて竜宮城に行ってみれば。
現在よく知られている浦島太郎は、じつは巌谷小波さんが書いた児童小説がベース。しかしお話のもとをたどると、8世紀の日本書紀に登場するお話『浦嶋子』につきあたる。そしてその内容はかなり大人っぽい。
<中略>
五色の亀が美人に化けた
むかしむかし、水の江の浦 島子さんという男性がいた。丹後国の沖合で釣りをしていると、五色の亀が釣れた。亀は絶世の美人に化け、島子は結婚することにした。美人の名前は亀姫といい、天上界から来たという。
島子は美女と海中御殿に潜っていき、夫婦生活をすごすことになる。
亀姫の兄弟・姉妹たちも御殿を訪れ、一緒にお酒を飲んだ。近所の少女たちも、きれいな恰好で遊びに来たりした。島子と亀姫は身を寄せ合い、肩を並べ、袖を重ね、夫婦のことわりをなした(要はセックスした)。
やがて島子が故郷を離れて亀姫と一緒になってから、三年の月日が流れた。
ふと島子は故郷の両親が恋しくなる。島子が訥々と思いを語ると、亀姫は涙を流した。しかし両親に会いたいという思いを知り、別れを受け入れる。そして別れの印にと、櫛などを入れるきれいな玉匣(たまくしげ)を島子にプレゼントした。
「わたしを忘れることなく、ふたたびここに戻ってきたいと思うのなら、けっして箱を開けてはいけません」
亀姫はそう言いおき、島子は故郷に戻ってくる。
ところが、故郷の様子は昔とはすっかり変わってしまっていた。自分の家族はどこにいるのか島子が村人に尋ねると、その家があったのはもう300年も前のことですよ、と驚かれる。島子もびっくりしてしまう。
島子は呆然としたまま村を歩くが、両親はおろか、知っているものも1人もいない。10日間が過ぎ、島子は別れた亀姫に思いをはせる。島子はつい、あの約束を忘れて、玉匣をひらいてしまった。
あっというまに島子の体は老いてしまう。亀姫にも二度と出会えないことを悟り、島子は悲しみを歌にする。すると海の彼方から、亀姫の歌が返ってくる。島子は悲しみにたえず、海の向こうに歌を返すのだった──
<中略>
浦島太郎は恋物語だった
というわけで浦島太郎の原典は、美しいラブシーンもある大人の恋物語だ。
しかしその後、室町時代の『御伽草紙』などいくつもの「別バージョン」が生まれてきた。原典をもとに、二次創作をくりかえしてきたわけだ。そして現在、子供も楽しめるファンタジーという形で伝わっているわけ。
以下はリンクで>
2015・8・25