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オリビア・ハッセーさん死去、73歳 布施明の元妻、「ロミオとジュリエット」ヒロイン

2024年12月28日 16時03分15秒 | 訃報のこと

オリビア・ハッセーさん死去、73歳 布施明の元妻、「ロミオとジュリエット」ヒロイン(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース 






オリビア・ハッセーさん死去、73歳 布施明の元妻、「ロミオとジュリエット」ヒロイン
12/28(土) 12:35配信




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日刊スポーツ
2005年6月、都内で来日会見を行ったオリビア・ハッセーさん


 映画「ロミオとジュリエット」(1968年)で知られる女優オリビア・ハッセーさんが27日に亡くなったと28日、自身のインスタグラムで発表された。73歳だった。自宅で家族に見守られながら息を引き取ったという。


【写真】結婚式での布施明とオリビア・ハッセーさん


 オリビアさんは、1951年、アルゼンチンのブエノスアイレス生まれ。オリビアさんはディーン・ポール・マーティンと1971年に結婚、73年に男児をもうけたが、78年に離婚。80年には歌手の布施明と結婚。次男をもうけるも89年に離婚している。その後、歌手のデイビッド・グレン・アイズレーと結婚。93年に女優インディア・アイズリーを出産している。


 発表文では「愛する家族、子供たちのアレックス、マックス、インディア、35年間連れ添った夫のデイビッド・グレン・アイズリー、孫のグレイソン、そして私たちの心の中で永遠に大切にされる愛の遺産を残して去りました。この計り知れない喪失を悼むとともに、私たちはオリビアが私たちの人生と業界に与えた永続的な影響をたたえます」としている。







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人間の「献体」と「解剖」…その知られざる手順をご存知ですか

2024年12月28日 15時30分30秒 | 医学部と医師の育成のこと
人間の「献体」と「解剖」…その知られざる手順をご存知ですか

↑ネットより

この実習なくして医師になることはできない
 
 解剖――生物の体を切り開いて、その形態・構造や病因・死因などを調べることをいう。なかでも、人間の解剖には、次の3つの種類がある。

【写真】死ぬ瞬間はこんな感じです。死ぬのはこんなに怖い

 (1)人体の構造を調べるための解剖。「正常解剖」と呼ばれる
(2)死後、すぐに病変を調べるための解剖。「病理解剖」と呼ばれる
(3)変死体の死因を調べるための解剖。「法医学解剖または司法・行政解剖」と呼ばれる

 (3)のケースは、テレビドラマなどでよく見かけるだろう。だが、(1)のケースの「正常解剖」、そしてそれに必要不可欠となる「献体」という言葉を耳にしたことはあるだろうか。

 この「献体」とは、「正常解剖」で、医師を志す医学生などが実習を行う「ご遺体」を指す。自身の遺体を、医学・歯学の大学における解剖学の教育・研究に役立たせるために無条件・無報酬で提供することを意味する。

  すべての医学生は、6年間の大学生活の中で約3ヵ月の1学期期間、篤志(とくし)として献体された人体を解剖する。この実習なくして医師になることはできない。また、看護師を目指す学生も解剖見学実習は必須である。
     
日本医科大学大学院医学研究科・小澤一史教授        
 


献体をした人は13万5000人に達している
 
 日本篤志献体協会によると、篤志献体団体は全国に62団体、献体登録者数は30万人ほどで、そのうちすでに献体をした人は13万5000人に達している。医科大学、歯科大学などにある各団体は、それぞれ名称を持ち、独自に登録者を募集し、登録者の死亡が確認されると、遺族から連絡をもらい遺体の搬入に向かう。

 日本医科大学大学院医学研究科の小澤一史教授が言う。

  「日医大の白菊会では現在、献体登録された生存会員が約800人いらっしゃいます。およそ年間25人から30人の方が献体されています。これまでに、3000人の皆さんに献体していただきました」
祖父、祖母、両親も献体
 
 工芸家の吉村美香さん(仮名・62歳)と夫の浩さん(仮名・64歳)は、6年前に日本医科大学白菊会の会員となった。これは、自分が死亡した場合、献体として自分の体を寄贈するための会員登録である。美香さんが言う。

 「我が家はかなり特殊なんですが、そもそも母方の祖父が日医大の生理学の教授だったこともあって、日医大に献体しました。祖母は膵臓癌で亡くなって病理解剖されました。大学教授だった私の父は、7年前に亡くなって献体、設計士だった母も3年前に膵臓癌で亡くなって献体しています」

 そして美香さんと浩さんは、美香さんの母が亡くなった直後に献体の会員登録をした。

 「私も何の迷いもなく母が亡くなった直後に会員登録をしたんです。夫も日医大の先生にお世話になったことがあったので、自然に申し込んだんです」

 驚くのは、美香さんの両親だけでなく、夫の浩さんのご両親も献体していることだ。

  「夫の両親もうちの両親が登録していることを知って、『それはいいことだ』と喜んで登録したんですね。二人とも既に亡くなっています」

決意の署名
 
 美香さんの手元には、会員番号が記入された会員証とカード型の会員証、そして「同意書・承諾書」があった。

  同意書・承諾書にはこう書かれている。「この度、『吉村美香』が貴会に入会し、医学教育及び医学研究のための正常解剖用として遺体を日本医科大学に寄贈することに、私共は心から同意し、かつその意志を実行することを確約いたします。また、献体登録を行うに際して、私共はご遺骨の引き取り者となることをここに承諾いたします」――。そして、その下の欄には夫と長男と長女の氏名と捺印、住所が記されていた。
 亡くなったその日に…
 
 では、実際に献体登録者が亡くなると、どんな経緯で献体に至るのか。美香さんが言う。

 「うちの場合は、特に宗教がないので、お通夜や告別式もしませんでした。だから、亡くなった直後に日医大に連絡して、その日のうちに遺体を載せるストレッチャーが入る車が来ました」

 通常ならば、通夜、告別式を済ませてから引き取りにくるケースがほとんどらしい。

  「それからは、私たち遺族は特に何もすることもなく、後日盛大にお別れの会を開きました。父の場合も母の場合も遺骨が戻ってきたのは、2年後くらいでしたね」
献体の「意義」
 
 日本篤志献体協会の資料によると、献体の理念とは「医の倫理に立脚した良医の育成を目的とし、無条件・無報酬で自己の遺体を提供すること」とある。

 この献体の歴史はきわめて新しい。

 「解剖学実習」が、医学・歯学教育の中で、最も大切な基礎となる課程といわれながら、実習に必要な遺体が不足し、解剖学教育に大きな支障をきたした時代があった。
特に、昭和30年、40年代には医学教育の危機と言われるほど遺体が不足していた。そのため医科大学や歯科大学の職員が高齢者施設などに出向き、また警察などで身元不明者の遺体の提供を願い出たりしていたのだ。

 前出の小澤教授が言う。

 「それが、1983年(昭和58年)に『献体法』という医学と歯科学の法律が国会で決議されて、国の認めた法律として献体を国がバックアップすることになったんです。私が1984年に大学を卒業して、その時に母校の恩師の解剖学教授が解剖学会の理事長をやっていて、ちょうど献体を法制化するというタイミングでした。私はまだ学生でしたが、教授から『いつかこの重みが君らにもわかるからな』と言われたのを覚えています」

  日本医科大学では、毎年、その年に献体された方の遺族への「返骨式」、さらに献体のみならず、病理解剖、法医学解剖など解剖に遺体を捧げた故人のための「慰霊祭」も行っている。

体の地図」を知ること 
 「解剖は必須科目ですから、それをやらないと医者にはなれません。簡単に言うと、解剖は『体の三次元的地図』を知ること。地図がわからない人が、メスを入れられるわけはないですからね」と小澤教授は言う。

 現在、日本医科大学には1学年120~130名の学生がいる。献体された一人の遺体を4~5名の学生で解剖していく。基本的には、遺体を預かった順に解剖していって、2、3年後には遺骨にして遺族にお返しするわけだ。

 献体から解剖に至る流れはどうなっているのだろうか。小澤教授が言う。

 「家族の方は一刻も早く預けないと、とおっしゃる方もいますがご遺体の保存方法も現在ではかなり進んでいますし、ある程度お葬式が終わって、ご家族のお別れが済んだところまででも十分大丈夫ですよ、とお話ししています。それでも亡くなって2週間などということはまずないので、最長でも1週間、大体死後4、5日くらいでお預かりすることが多いです」

 大学に到着した遺体は、まず防腐処置が施される。

 「昔を知る皆さんは、ホルマリンの大きなプールみたいなところにご遺体が入れられると想像されるんですが、今はそういうものはありませんね」(小澤教授)

 遺体は、足の付け根の大腿動脈から血管に保存のための固定液が入れられる。それはホルマリンやアルコールの混ざった防腐剤である。

 「そうして血液と入れ替えるのです。続いて、ご遺体を一人用のプールのような箱に沈めます。そこには浸漬固定用の固定液が入っていて、体の中に液体を入れるのと同じように、一体一体行われます。つまり、中からの『固定』と外からの『固定』をするわけです。これで2年から3年の間、遺体は亡くなった時の状態の姿を保つことができます。

 この『固定』の作業は大事なポイントなんです。この作業はプロじゃないとできないので、専門の技術を持った『解剖技術員』が行います」

  そこから、一体一体が保存用のロッカーのような冷蔵庫に安置され、解剖の時を待つ。

悔いを残さないように
 
 献体登録している人が亡くなると、まず大学に連絡が来る。

 「遺族から『どうすればいいでしょうか? 』と問い合わせの連絡が入ります。そこで、まずは家族がどうしたいかという要望を聞きます。それから亡くなった経緯を知らないといけないので、病院にかかっていれば主治医の先生に連絡をとり、どういう病気で、どんな経緯で亡くなったかをインタビューさせてもらいます。

 そして生前に本人及びご家族の意思は確認しているんですが、最終的にご家族の方に再確認します。もちろん気が変わる方もいて当然ですからね。

 慌てないで最終確認をしていただいて、『迎えにきてもらっても結構です』となって初めてお迎えにいくスケジュールを打ち合わせします」

 献体を拒否されることもあるのだろうか。

 「ご家族の同意が得られないと言うケースは時としてあります。『あの時はそうだったんだけど、気持ちが変わった』ということもあれば、ご家族は賛同していても他の親族が反対というケースもありました。そうなってくると我々がどうこういう問題じゃないので。とにかくご家族第一ですから、よく相談して欲しい、と言うしかない。皆さんが悔いを残さないようにするのが大事ですからね」

  一方、受け入れられないケースもある。たとえば、感染症で死亡したご遺体などは、処理をする技官、実習を行う学生にも感染リスクがあるためだ。また、交通事故などで遺体の損傷が激しい場合も受け入れられないこともあるという。
 帰りを待ちわびて…
 
 小澤教授には、忘れられない体験がある。教授は、現在の大学に赴任する以前、京都の医科大学にいた。その当時は、返骨には教授自らも行くようにしていたと言う。

 「ある時、奥様が亡くなられて、献体され、実習後に残されたご主人にご遺骨を届けた時のこと。私がそのお宅に到着すると、80歳になるご主人が玄関先にすっくと立って、モーニング姿で奥様をお迎えになっていたんですね。その姿を見て、電気が走ったようになりました。

  『ああ、本当に奥様の帰りを待ちわびていたんだ。大切な奥様のお体を捧げていただいたんだ。我々はこの気持ちを守るため、医の倫理を守ることに決して妥協してはいけない』と改めて思いました」

君たちの先輩でもあるんだ」 
 解剖の実習は、4月から7月まで、週に3~4回、午後から5、6時間ぶっ通しで行われる。

 「この期間が学生たちにとって、初めてのそして最後の解剖実習となるわけです。ずっと同じご遺体と向き合うわけですから、長い付き合いになります。僕は『この人は、君たちにとって第一番目の、ものを言わない患者さんだ。そして同時に君たちの先生でもあるんだ』と伝えています。

 解剖とは、基本的に『人間の体の構造を知る』のが目的です。そのために、何一つの無駄にしないやり方で行います。皮を切って剥がし、脂肪を除去します。この作業が大変なんですが、そうして削り落とした脂肪も皮もケースに入れて保管します。そして、すべての臓器、すべての骨も細部に至るまで学生たちに観察させます。

  解剖が終了すると、今度は骨も臓器もすべて元あった場所に戻して復元するんです。そして、みんなで納棺するわけですね」
 「人間なんだ」
 
 最後の最後、納棺の際に蓋を閉める直前、棺に「故柩紙(こきゅうし)」と呼ばれる故人の名前が書かれた札を貼る。

 「その時、学生たちはご遺体の生前の名前を初めて知るんです。『ああ、人なんだ』とね。3ヵ月の間、彼らは生命活動を失ったご遺体しか知らなかった。ところが、最後の最後に名をもって人生を過ごした一人の人間なんだという当たり前のこと、しかし重い事実を改めて思い知るんです。ハッとする瞬間です。でもそこで、自分たちは人間を相手に学んできたということを改めて痛感して欲しい。その時に、ハッとした感覚を一生持って医療の場で活躍して欲しいと強く思うのです」

 実習が始まる直前、小澤教授は献体登録をした生存会員の方に講義をしてもらうと言う。

 「将来私は解剖台に載ります、という方です。どんな気持ちで献体を希望したか、実はまだ家族の承諾は得ていないとか、思い思いに喋っていただきます。学生はショックですよ。『この人が近い将来、解剖台に載るのか』と想像しますから。そうした会員の方の言葉を聞くと、学生たちの空気が変わります」

 小澤教授は、解剖実習は教育の場でもあると同時に人間教育の場でもあると言う。

 「医師としてどうあるべきか、と学生たちも考えるんです。僕らは『死体』という言葉は使いません。『遺体』と言います。なぜ『遺体』というかは、君たちが一生かかって勉強してくださいと彼らに言います。

 生と死について初めて真剣に考えて、悩む学生もいる。自分はこれでやっていけるのかどうかとも…。

  彼らは、実際に医療の現場に行ったら、今度は『生きる』、『生かす』ということも悩むことになります。解剖実習とは、『哲学を感じる場』だと私は思っています」




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デビュー45周年の岩崎宏美にカバーしてほしい大御所の名曲は?

2024年12月28日 03時03分31秒 | 文化と芸能
岩崎宏美編 Part1 アナログ盤、CD、DVDなど約2万枚以上。さらに雑誌やポスター、グッズ、珍品なども所有し(現在も収集中)、アーティストからも認められるほどの大の音楽ファンのクリス松村が、MCを務める『ミュージック・モア』で秘蔵のコレクションからとっておきの1枚を披露!  



今回はデビュー45周年の岩崎宏美さんです。1975年に『二重唱(デュエット)』でデビュー。2作目の『ロマンス』で日本レコード大賞新人賞を受賞され、その後も『センチメンタル』『思秋期』『シンデレラ・ハネムーン』『聖母たちのララバイ』など、数々のヒット曲を生み出しました


8・27・2020

今回、「クリスのお宝箱」を紹介する前に、私が持ってきた宏美さんの数あるレコードの中から、アルバム『Love Letter』を、少し紹介したいと思います。  1982年11月5日に発売された12枚目のアルバムで、24歳の誕生日の直前に発売されました。注目は全曲を宏美さんが作詞! さらに題字も、曲名も、歌詞も、すべて自筆なんです。レコードのレーベルも、A面には本人の似顔絵(自画像)を、B面には当時の飼い犬が描かれています。 

 レコードの帯のキャッチコピーには、「どこを切っても、宏美ちゃん!!」。まさに金太郎飴のようなアルバムなんです。当時24歳の宏美さんの歌声が収録されたこのアルバムは、CD化もされていますので、オススメです! 

ブラックミュージック界の大御所のアルバムが宝箱に選ばれた理由は?
 さて、今回「クリスのお宝箱」から登場したのは、ダイアナ・ロス(※1)の1981年発売のアルバム『To Love Again』です。

  お宝箱の蓋を開けた途端、「Oh~! ダイアナ・ロス~!!」と声を上げた宏美さん! その声を聞いて、(やっぱり、ダイアナ・ロスが好きなんだ)とわかりました。実は、私も日本全公演に行っているほど、大ファンなんです。 

お宝箱の蓋が開いた途端、「Oh~!ダイアナ・ロス~!!」と微笑んだ岩崎宏美さん

 収録曲の『It’s My Turn(邦題:今度は私)』を宏美さんに歌っていただきたいと思いまして、レコードに針を落とすと、耳を澄まして聴いていた宏美さんが、うっとりした表情で「いい声ですね」とつぶやいたんです


CMソングからドラマの主題歌まで、日本人の心をつかむダイアナ・ロス
 ダイアナ・ロスといえば、日本人が大好きなのはネスカフェのCMで有名になった『マホガニーのテーマ』ではないでしょうか。 

 それから、1990年に『イフ・ウィ・ホールド・オン・トゥゲザー』がテレビドラマ『想い出にかわるまで(主演:今井美樹・石田純一)』の主題歌になって話題を呼びました。  ダイアナ・ロスの最大の魅力は、その甘い美声。時に子供のような無邪気さで歌い、時にグッとセクシーな大人のムードを醸し出します。  そんな彼女も、現在76歳……。  

ダイアナ・ロスとのコンビで、数々の名曲を生んだマイケル・マッサー(※2)の作品集として人気の高かったアルバム『To Love Again』をはじめ、彼女の歌をカバーできる日本人歌手は、岩崎宏美さんだと私は思うんです。 

マイケル・マッサーの作品集として人気の高かったアルバム『To Love Again』

 岩崎宏美さんは、カバーアルバム『Dear Friends』を出されています。2003年に第1弾がリリースされて、最新作は『Dear Friends Ⅷ 筒美京平トリビュート』(2019年発売)。  

このシリーズで、ダイアナ・ロスをカバーするお気持ちは?と伺ってみましたら……。 「ないことはないと思います。大好きなので」と微笑む宏美さん。その言葉を聞いて(いつか、きっとある)と確信した私でした。  


スタジオライブでは、岩崎宏美さんが、デビューした1975年発売のサードシングル『センチメンタル』と、1983年発売の30枚目のシングル『素敵な気持ち』を披露します。8月27日放送の番組を、どうぞお楽しみに


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男と女の賃金格差がなくならない意外な理由

2024年12月28日 00時03分44秒 | 女と男のこと
男と女の賃金格差がなくならない意外な理由

世界経済フォーラム(WEF)が毎年12月に発表する「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」。政治、経済、教育、健康の4分野と総合で、各国の男女格差を比較する。

1/23/2020

よく知られるように日本は先進国のなかでいつも最下位。2019年版では153カ国のうち121位と、2018年の110位からさらに順位を下げた。日本は男女の賃金格差も根強く残り、OECD加盟国の中で3番目に大きいことがわかっている。なぜ性別による賃金格差がなくならないのか、黒田祥子教授に解説してもらった。

【この記事の画像を見る】

■入社時は同じだった給与に差が

 年齢も入社年も学歴も同じなのに、男女の違いだけで給与に差がつく。そのような性別による賃金格差は、多くの企業で見られます。

 統計データを見てみましょう。厚生労働省が毎年6月に実施している「賃金構造基本統計調査」です。

 大学卒の男女を比較すると、入社時にはほとんど賃金に違いがありません。ところが、20代後半から男性の給与は高くなり、勤続年数が増えるにしたがって差はどんどん開いていきます(図表1)。

 1990年ごろまで、女性の平均給与は「男性の60%前後」でした。この数十年で少しずつ賃金格差は縮まる傾向にありますが、現在でも男性の約75%にとどまっています。

  このような格差は大企業、中小企業にかかわらず見られ、また日本だけに特徴的というわけではありません。 
■「差別の経済学」で考える賃金格差

 労働経済学のなかに「差別の経済学」と呼ばれる分野があります。これは、賃金に差が出る合理的な理由をすべて取り除き、それでもまだ格差があるなら「そこに差別があるのではないか」と考えていく学問です。

 賃金に差が出る合理的な理由というのは、たとえば、高度なスキルが必要であること。そのような職業は、供給が少ないため一般的に賃金は高くなりがちです。

 あるいは、危険度が高く、肉体的にもきつくて、誰もやりたがらない仕事。これはプレミアムがついて賃金が高くなるということで、労働経済学では「補償賃金仮説」と呼んでいます。

 これらはどちらも供給が少ない、つまり働き手が少ないので賃金が高くなるというメカニズムを説明するものですが、逆に供給が多すぎて賃金が低めになってしまうという考え方を使った「職業殺到説」もあります。就職希望者が多い職業は、賃金が低くなりがちだということです。過去の研究では、たとえば幼稚園や小学校の先生など、女性が殺到しやすい職業は賃金が低くなる一方、エンジニアなど、女性比率が低い職業では賃金が相対的に高くなりやすいという結果も報告されています。

■統計的差別による賃金格差

 差別の経済学でよく語られるものに「統計的差別」があります。これは、その人が所属しているグループが過去にある行動をとったため、その人も同じ行動をとるだろうと統計的に予測することが生む差別です。つまり、先輩たちの振る舞いが原因となる差別です。

 たとえばこの数年、大学医学部の入試で女子の合格者数を制限していた、という男女差別が問題になりました。この差別が生まれた背景には、「女性は眼科や皮膚科をめざす割合が多く、外科医などの不足が心配される」「女性は妊娠、育児の時期に、当直ができないなど周囲に負担をかける」といった認識がありました。

 しかしこれらのことは、ある特定の受験者には、直接何の関係もありません。この学生は将来外科医をめざすかもしれませんし、周囲に負担をかけるかどうかはわかりません。しかし、医学部側にはこの学生が将来どの程度働いてくれるかが予測できないという悩ましい問題があります。これを経済学の用語で「情報の非対称性」といいます。

 一般企業にも同様の状況は見られます。

 厚生労働省の「雇用動向調査」では、30代の離職率は、女性のほうが高くなっています。男性は30~34歳が12.0%、35~39歳が8.6%であるのに対して、女性は30~34歳が16.6%、35~39歳が14.8%です。

 企業からすれば、一般に20代の社員は投資対象です。おカネをかけて教育し、仕事の経験を積んでもらう時期です。30歳を過ぎた頃から油が乗ってくるので、そこから会社に貢献してもらって、20代の投資を回収することになります。つまり、30代で辞められると、会社にとって損失です。

 採用の際に、もし能力などの評価がまったく同じ男性と女性がいて、どちらか1人を選ばなくてはいけないとしたら、上記の離職率が判断材料になるかもしれません。その男性が30代で辞める可能性はありますし、その女性が定年まで会社に貢献してくれる可能性もあります。しかし、情報の非対称性があるため、過去の統計から男性を採用するほうがいいと判断する。このように、本人ではなくその人が属しているグループの過去の統計によって、その人自身も差別を受けてしまうのが「統計的差別」です。

 男女の賃金が30代以降に差が開いていく背景には、どうせ辞めてしまうだろうと入社後も育成コストを多くかけてもらえないという統計的差別も働いている可能性が指摘されています。

■仕事経験の不平等も原因になりうる

 たとえOff-JTの機会に男女の差はなくても、OJTでは男性には難しい仕事、厳しめの仕事を経験させる。その結果、男性のほうがスキルや仕事の経験知が高まり、30代以降に会社への貢献度が大きくなる。貢献度の違いが賃金に反映される結果、男性の給与が高くなるということも考えられます。「男性のほうが投資に見合ったリターンを出す」という実例が増えれば、それがまた統計的差別を助長することにもなるのです。


■同じ大学のMBAホルダーでも男女で年収差

 シカゴ大学でMBAを取得した人たちの年収を追跡した研究があります。シカゴ大学はトップ校の1つですから、そのMBA取得者は誰もが高収入だろうと予想できます。

 ところが同じMBA取得者の間でも、収入に約3割の男女差があることがわかりました。大学卒業から5年後、10年後と年数がたつにつれて、その差は広がるのです。在学中の成績の違い等を考慮するとこの差は半分ほどに縮まりますが、依然として格差は残ったままでした。

 この研究でわかったのは、男女の賃金差は労働時間の長さと職業選択の違いであるということです。女性の多くは、男性に比べて労働時間が少なく、ハードワークではない仕事に就いている傾向にありました。

 猛烈に働ける男性は、それだけ大きな仕事を経験するチャンスが増え、そのことでまた収入の差が開くと考えることもできるでしょう。

■働き方改革が賃金格差を埋める可能性

 日本も以前はその傾向がありました。「24時間戦える」というフレーズがあったように、無理をしてでも上司やクライアントの要望に応えることが良いとされる風潮が長らくありました。だから、男女の賃金格差はなかなか縮まらなかったのかもしれません。

 現在、多くの企業で働き方改革が進んでいます。夕方には退社し、翌日の出勤まではプライベートを大切にするという文化が日本に根付くようになれば、「明日の朝までに」といった無理な指示や注文も少なくなっていくでしょう。労働時間の多さで比較されるのではなく、時間当たりの労働生産性の高さが評価の基準となれば、男女の賃金格差は是正されるという期待もあるのです。

1・23・2020




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