人間の「献体」と「解剖」…その知られざる手順をご存知ですか
↑ネットより
この実習なくして医師になることはできない
解剖――生物の体を切り開いて、その形態・構造や病因・死因などを調べることをいう。なかでも、人間の解剖には、次の3つの種類がある。
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(1)人体の構造を調べるための解剖。「正常解剖」と呼ばれる
(2)死後、すぐに病変を調べるための解剖。「病理解剖」と呼ばれる
(3)変死体の死因を調べるための解剖。「法医学解剖または司法・行政解剖」と呼ばれる
(3)のケースは、テレビドラマなどでよく見かけるだろう。だが、(1)のケースの「正常解剖」、そしてそれに必要不可欠となる「献体」という言葉を耳にしたことはあるだろうか。
この「献体」とは、「正常解剖」で、医師を志す医学生などが実習を行う「ご遺体」を指す。自身の遺体を、医学・歯学の大学における解剖学の教育・研究に役立たせるために無条件・無報酬で提供することを意味する。
すべての医学生は、6年間の大学生活の中で約3ヵ月の1学期期間、篤志(とくし)として献体された人体を解剖する。この実習なくして医師になることはできない。また、看護師を目指す学生も解剖見学実習は必須である。
日本医科大学大学院医学研究科・小澤一史教授
献体をした人は13万5000人に達している
日本篤志献体協会によると、篤志献体団体は全国に62団体、献体登録者数は30万人ほどで、そのうちすでに献体をした人は13万5000人に達している。医科大学、歯科大学などにある各団体は、それぞれ名称を持ち、独自に登録者を募集し、登録者の死亡が確認されると、遺族から連絡をもらい遺体の搬入に向かう。
日本医科大学大学院医学研究科の小澤一史教授が言う。
「日医大の白菊会では現在、献体登録された生存会員が約800人いらっしゃいます。およそ年間25人から30人の方が献体されています。これまでに、3000人の皆さんに献体していただきました」
祖父、祖母、両親も献体
工芸家の吉村美香さん(仮名・62歳)と夫の浩さん(仮名・64歳)は、6年前に日本医科大学白菊会の会員となった。これは、自分が死亡した場合、献体として自分の体を寄贈するための会員登録である。美香さんが言う。
「我が家はかなり特殊なんですが、そもそも母方の祖父が日医大の生理学の教授だったこともあって、日医大に献体しました。祖母は膵臓癌で亡くなって病理解剖されました。大学教授だった私の父は、7年前に亡くなって献体、設計士だった母も3年前に膵臓癌で亡くなって献体しています」
そして美香さんと浩さんは、美香さんの母が亡くなった直後に献体の会員登録をした。
「私も何の迷いもなく母が亡くなった直後に会員登録をしたんです。夫も日医大の先生にお世話になったことがあったので、自然に申し込んだんです」
驚くのは、美香さんの両親だけでなく、夫の浩さんのご両親も献体していることだ。
「夫の両親もうちの両親が登録していることを知って、『それはいいことだ』と喜んで登録したんですね。二人とも既に亡くなっています」
決意の署名
美香さんの手元には、会員番号が記入された会員証とカード型の会員証、そして「同意書・承諾書」があった。
同意書・承諾書にはこう書かれている。「この度、『吉村美香』が貴会に入会し、医学教育及び医学研究のための正常解剖用として遺体を日本医科大学に寄贈することに、私共は心から同意し、かつその意志を実行することを確約いたします。また、献体登録を行うに際して、私共はご遺骨の引き取り者となることをここに承諾いたします」――。そして、その下の欄には夫と長男と長女の氏名と捺印、住所が記されていた。
亡くなったその日に…
では、実際に献体登録者が亡くなると、どんな経緯で献体に至るのか。美香さんが言う。
「うちの場合は、特に宗教がないので、お通夜や告別式もしませんでした。だから、亡くなった直後に日医大に連絡して、その日のうちに遺体を載せるストレッチャーが入る車が来ました」
通常ならば、通夜、告別式を済ませてから引き取りにくるケースがほとんどらしい。
「それからは、私たち遺族は特に何もすることもなく、後日盛大にお別れの会を開きました。父の場合も母の場合も遺骨が戻ってきたのは、2年後くらいでしたね」
献体の「意義」
日本篤志献体協会の資料によると、献体の理念とは「医の倫理に立脚した良医の育成を目的とし、無条件・無報酬で自己の遺体を提供すること」とある。
この献体の歴史はきわめて新しい。
「解剖学実習」が、医学・歯学教育の中で、最も大切な基礎となる課程といわれながら、実習に必要な遺体が不足し、解剖学教育に大きな支障をきたした時代があった。
特に、昭和30年、40年代には医学教育の危機と言われるほど遺体が不足していた。そのため医科大学や歯科大学の職員が高齢者施設などに出向き、また警察などで身元不明者の遺体の提供を願い出たりしていたのだ。
前出の小澤教授が言う。
「それが、1983年(昭和58年)に『献体法』という医学と歯科学の法律が国会で決議されて、国の認めた法律として献体を国がバックアップすることになったんです。私が1984年に大学を卒業して、その時に母校の恩師の解剖学教授が解剖学会の理事長をやっていて、ちょうど献体を法制化するというタイミングでした。私はまだ学生でしたが、教授から『いつかこの重みが君らにもわかるからな』と言われたのを覚えています」
日本医科大学では、毎年、その年に献体された方の遺族への「返骨式」、さらに献体のみならず、病理解剖、法医学解剖など解剖に遺体を捧げた故人のための「慰霊祭」も行っている。
体の地図」を知ること
「解剖は必須科目ですから、それをやらないと医者にはなれません。簡単に言うと、解剖は『体の三次元的地図』を知ること。地図がわからない人が、メスを入れられるわけはないですからね」と小澤教授は言う。
現在、日本医科大学には1学年120~130名の学生がいる。献体された一人の遺体を4~5名の学生で解剖していく。基本的には、遺体を預かった順に解剖していって、2、3年後には遺骨にして遺族にお返しするわけだ。
献体から解剖に至る流れはどうなっているのだろうか。小澤教授が言う。
「家族の方は一刻も早く預けないと、とおっしゃる方もいますがご遺体の保存方法も現在ではかなり進んでいますし、ある程度お葬式が終わって、ご家族のお別れが済んだところまででも十分大丈夫ですよ、とお話ししています。それでも亡くなって2週間などということはまずないので、最長でも1週間、大体死後4、5日くらいでお預かりすることが多いです」
大学に到着した遺体は、まず防腐処置が施される。
「昔を知る皆さんは、ホルマリンの大きなプールみたいなところにご遺体が入れられると想像されるんですが、今はそういうものはありませんね」(小澤教授)
遺体は、足の付け根の大腿動脈から血管に保存のための固定液が入れられる。それはホルマリンやアルコールの混ざった防腐剤である。
「そうして血液と入れ替えるのです。続いて、ご遺体を一人用のプールのような箱に沈めます。そこには浸漬固定用の固定液が入っていて、体の中に液体を入れるのと同じように、一体一体行われます。つまり、中からの『固定』と外からの『固定』をするわけです。これで2年から3年の間、遺体は亡くなった時の状態の姿を保つことができます。
この『固定』の作業は大事なポイントなんです。この作業はプロじゃないとできないので、専門の技術を持った『解剖技術員』が行います」
そこから、一体一体が保存用のロッカーのような冷蔵庫に安置され、解剖の時を待つ。
悔いを残さないように
献体登録している人が亡くなると、まず大学に連絡が来る。
「遺族から『どうすればいいでしょうか? 』と問い合わせの連絡が入ります。そこで、まずは家族がどうしたいかという要望を聞きます。それから亡くなった経緯を知らないといけないので、病院にかかっていれば主治医の先生に連絡をとり、どういう病気で、どんな経緯で亡くなったかをインタビューさせてもらいます。
そして生前に本人及びご家族の意思は確認しているんですが、最終的にご家族の方に再確認します。もちろん気が変わる方もいて当然ですからね。
慌てないで最終確認をしていただいて、『迎えにきてもらっても結構です』となって初めてお迎えにいくスケジュールを打ち合わせします」
献体を拒否されることもあるのだろうか。
「ご家族の同意が得られないと言うケースは時としてあります。『あの時はそうだったんだけど、気持ちが変わった』ということもあれば、ご家族は賛同していても他の親族が反対というケースもありました。そうなってくると我々がどうこういう問題じゃないので。とにかくご家族第一ですから、よく相談して欲しい、と言うしかない。皆さんが悔いを残さないようにするのが大事ですからね」
一方、受け入れられないケースもある。たとえば、感染症で死亡したご遺体などは、処理をする技官、実習を行う学生にも感染リスクがあるためだ。また、交通事故などで遺体の損傷が激しい場合も受け入れられないこともあるという。
帰りを待ちわびて…
小澤教授には、忘れられない体験がある。教授は、現在の大学に赴任する以前、京都の医科大学にいた。その当時は、返骨には教授自らも行くようにしていたと言う。
「ある時、奥様が亡くなられて、献体され、実習後に残されたご主人にご遺骨を届けた時のこと。私がそのお宅に到着すると、80歳になるご主人が玄関先にすっくと立って、モーニング姿で奥様をお迎えになっていたんですね。その姿を見て、電気が走ったようになりました。
『ああ、本当に奥様の帰りを待ちわびていたんだ。大切な奥様のお体を捧げていただいたんだ。我々はこの気持ちを守るため、医の倫理を守ることに決して妥協してはいけない』と改めて思いました」
君たちの先輩でもあるんだ」
解剖の実習は、4月から7月まで、週に3~4回、午後から5、6時間ぶっ通しで行われる。
「この期間が学生たちにとって、初めてのそして最後の解剖実習となるわけです。ずっと同じご遺体と向き合うわけですから、長い付き合いになります。僕は『この人は、君たちにとって第一番目の、ものを言わない患者さんだ。そして同時に君たちの先生でもあるんだ』と伝えています。
解剖とは、基本的に『人間の体の構造を知る』のが目的です。そのために、何一つの無駄にしないやり方で行います。皮を切って剥がし、脂肪を除去します。この作業が大変なんですが、そうして削り落とした脂肪も皮もケースに入れて保管します。そして、すべての臓器、すべての骨も細部に至るまで学生たちに観察させます。
解剖が終了すると、今度は骨も臓器もすべて元あった場所に戻して復元するんです。そして、みんなで納棺するわけですね」
「人間なんだ」
最後の最後、納棺の際に蓋を閉める直前、棺に「故柩紙(こきゅうし)」と呼ばれる故人の名前が書かれた札を貼る。
「その時、学生たちはご遺体の生前の名前を初めて知るんです。『ああ、人なんだ』とね。3ヵ月の間、彼らは生命活動を失ったご遺体しか知らなかった。ところが、最後の最後に名をもって人生を過ごした一人の人間なんだという当たり前のこと、しかし重い事実を改めて思い知るんです。ハッとする瞬間です。でもそこで、自分たちは人間を相手に学んできたということを改めて痛感して欲しい。その時に、ハッとした感覚を一生持って医療の場で活躍して欲しいと強く思うのです」
実習が始まる直前、小澤教授は献体登録をした生存会員の方に講義をしてもらうと言う。
「将来私は解剖台に載ります、という方です。どんな気持ちで献体を希望したか、実はまだ家族の承諾は得ていないとか、思い思いに喋っていただきます。学生はショックですよ。『この人が近い将来、解剖台に載るのか』と想像しますから。そうした会員の方の言葉を聞くと、学生たちの空気が変わります」
小澤教授は、解剖実習は教育の場でもあると同時に人間教育の場でもあると言う。
「医師としてどうあるべきか、と学生たちも考えるんです。僕らは『死体』という言葉は使いません。『遺体』と言います。なぜ『遺体』というかは、君たちが一生かかって勉強してくださいと彼らに言います。
生と死について初めて真剣に考えて、悩む学生もいる。自分はこれでやっていけるのかどうかとも…。
彼らは、実際に医療の現場に行ったら、今度は『生きる』、『生かす』ということも悩むことになります。解剖実習とは、『哲学を感じる場』だと私は思っています」