ニュースなはなし

気になるニュースをとりあげます

命を落とした遊女は着物も取られ投げ込み寺に……多くの遊女が感染したが当時は治療法がなかった恐るべき病

2025年01月26日 23時03分18秒 | 女と男のこと




命を落とした遊女は着物も取られ投げ込み寺に……多くの遊女が感染したが当時は治療法がなかった恐るべき病
1/25(土) 7:17配信




39
コメント39件




プレジデントオンライン
十返舎一九著、喜多川歌麿画『青楼絵抄年中行事』上之巻(版元:上総屋忠助)1804年。(出所=国立国会図書館デジタルコレクション)


江戸幕府公認の遊廓・吉原が、大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」(NHK)などで再注目されている。遊廓について研究する髙木まどかさんは「遊女は22、23歳頃までに年季が明けるなどして自由になれるが、そこまで生き延びられる人は少なかったと史料に記されている。彼女たちが若くして亡くなった原因は主に病気、それも感染症が多かった」という――。


【画像】十返舎一九著、喜多川歌麿画『青楼絵抄年中行事』上之巻(版元:上総屋忠助)1804年。


 ※本稿は、髙木まどか『吉原遊廓 遊女と客の人間模様』(新潮新書)の一部を再編集したものです。


■廓の主人の別荘で療養した遊女もいた


 吉原に生きた人々と、廓外の人々のつながり――その解明はまだまだ途上ですが、周辺地域とのかかわりでいえば、興味深い点として、遊女屋の主人が廓外に別荘をもっていたことが挙げられます。遊女屋が市中に住もうとして叱責を受けたなんて話もありますが、吉原周辺に別荘を持つことは許されていたわけです。


 どうして遊女屋は別荘をもっていたのか? その理由の一つとして、遊女の療養があります。吉原の遊女は廓外にでることを厳しく禁じられていましたが、病気の場合は例外的に、廓外に出ることが許されたのです。そして、今戸・山谷・箕輪といった吉原周辺にある「寮」と称された楼主の別荘へ出され、新造や禿といった妹女郎をつけ、快復に努めたといいます。


 江戸時代の遊女の病としては、やはり梅毒が有名でしょう。遊女が梅毒で床につくことを、当時は「鳥屋につく」といいました。語源は諸説ありますが、梅毒で毛の抜けていくさまを、鳥が換毛するのに見立てたともいわれます。そして遊女が鳥屋につくと、楼主の別荘での療養が許された訳です。


■病死した遊女が、素巻きにされ投げ込み寺に葬られることも


 とはいえ、「大門を出る病人は百一つ」(吉原の大門から出られる病人は百人に一人)という言葉があったように、遊女の位が低かったり、快復の見込みがない場合、そうした待遇をうけることはできません。楼内に病室として設けられた薄暗い一室に押し込められ、いちおう医者にはみてもらえたそうですが、ほとんど看病はされず、食物も満足に与えられなかったといいます。


 遊女が死去すると、江戸に遊女の親がいるときは引き渡しますが、親元が遠国のときは、粗末な棺桶に入れられ、投げ込み寺としてよく知られる三輪の浄閑寺や、日本堤沿いにあった西方寺に葬られました。といっても、筵(むしろ)に素巻きにされて投げ捨てられ、戒名さえつけてもらえないことも珍しくはなかったようです。

■過酷な生活ゆえ、年季明けまで生き延びられる遊女は少なかった


 『吉原失墜』という史料には、そもそも「遊女はたいてい14、15歳から22、23歳までに、年季が明けたり、身請けされたりするが、多くは死んでしまう」とあります。まず生き延びることができるかわからないという、厳しい現実があったことがみてとれます。


 どうして遊女たちは次々と命を落としていったのか。はっきりした統計が残っている訳ではありませんが、やはり、その死因の多くは病だろうといわれます。


 遊女が病に罹りやすかった理由として、しばしば、その生活の過酷さが挙げられます。遊女は客に応対している際、いくらご馳走が出されても、口をつけることは許されません。客の前でものを食べるのは、「はしたない」とされたからです。客と懇意になるとそうした縛りも緩くなったようですが、多くの遊女は客が寝静まった後に台所に忍び込み、残り物をつまみ食いをする「納戸飯(なんどめし)」をしていたといいます。そして日の出前には客を送り出し、わずかな仮眠をとって支度をしたら、昼からはまた見世にでなければなりません。


■性感染症が多くの遊女たちの命を奪った


 生活のタイムスケジュールは、時代や地域、遊女の等級によって異なったでしょう。ただ、似たような生活を送れば、免疫も下がり、さまざまな病に罹患しやすくなったのは当たり前です。そして遊女をめぐっては、数ある病のなかでも、やはり梅毒についての記述が目を引きます。


 梅毒は、その起源ははっきりしないものの、15世紀末頃にコロンブス一行がアメリカ大陸から持ち帰ったことで世界的に広まっていった病です。日本にも永正9年(1512)の頃に伝来し、はじめは関西で流行します。当初はもっぱら唐瘡(とうがさ)や琉球瘡(りゅうきゅうがさ)と呼ばれており、中国や琉球との交易を経て伝来した病と認識されていたようです。


 戦国時代に輸入された梅毒は、江戸時代をとおして全国的に広がりをみせ、とりわけ都市の遊廓では、あって当然のものになっていきます。幕末に横浜などでおこなわれた検黴(けんばい)(梅毒検査)では、遊女が100人いれば80人は罹患しているような状況だったとも。買売春を生業にして梅毒にならないようにする、というのは当時においてほとんど不可能だったんじゃないでしょうか。


■江戸時代にはなかった、梅毒の根源的な治療法


 梅毒のよく知られる症状としては、その名称を象徴する、淡く赤い発疹があるでしょう。現代では薔薇(ばら)疹と呼ばれることが多いですが、もともとはこの発疹が揚梅(やまもも)に似ていることが、梅毒と呼ばれるようになった由来といいます。もっとも、江戸時代には「瘡(かさ)」や「瘡毒」「黴毒」と書かれる方が多く、この表記が一般的になったのは近代以降です。


 梅毒の発疹は発症して数カ月であらわれ、自然と症状は消えますが、病が進行していくと様々な症状が顔を出すことになります。なかでも、「鼻が落ちる」というのが有名でしょう。鼻欠(はなかけ)、鼻腐(はなくた)などともいいましたが、鼻周辺にゴム腫ができることで、骨や皮膚組織が破壊され、鼻が削げてなくなってしまうわけです。


 そのため、下級娼婦などは自分で鼻に詰め物をしていたといいますが、江戸後期には入歯・入目(義眼)と同じく、入鼻をする商売までも登場したとか。そして、そのように見た目に影響がでるだけでなく、末期には心臓や脳、血管や神経が梅毒によっておかされ、まもなく死に至ります。


■「男たるもの梅毒にかかってこそ!」とあえて笑い話にする者も


 死ぬのはもちろん、鼻がなくなるなんて、想像するだけで恐ろしい病です。現代ではペニシリンによる治療法が確立されていますし、性感染症検査も充実しているので、発疹すら出る前に治療をはじめる罹患者も多いようです。しかし、江戸時代においては、残念ながら、徐々に死にいたる、不治の病でした。


 そんな病が蔓延(はびこ)っていれば買売春なんてとても……と思いますが、江戸時代には「男たるもの梅毒にかかってこそ!」とか、梅毒を笑い話にする風潮さえうまれました。梅毒という病が日本に伝わった頃はずいぶん恐れられていたようですが、徐々に日常に浸透したのかもしれません。その辺の経緯は、コロナウイルスを経験した世代であれば、なんとなく類推がつくでしょうか。ただし、コロナウイルスに対してもさまざまな見方があったように、江戸時代のひとびとが皆揃って梅毒を笑い話にできたかというと、そうではありません。


■ゴシップも多数載る「遊女評判記」に梅毒のことが書かれなかったワケ


 その証拠に、遊女評判記には滅多に梅毒に関する記述がでてきません。ありふれた病だったのであれば、遊女を批評するなかにもさぞ記述が多かろう、と思いませんか。しかし、いくら評判記をめくってみても、でてくるのは「病で引き籠もる」といった程度の記述ばかりで、梅毒とはっきりわかるものは稀です。


 もちろん、まったく記述がない訳ではありません。たとえば、京都の島原を扱った最古の遊女評判記『嶋原集』には、次のようなことが書かれています。


----------
和泉(いずみ)は、もとは梅の位(天神)の中にはならぶ人もいなかったが、煩い以後、頭は瓢箪(ひょうたん)のように、額には虎のように斑が出来た。とても興(きょう)がある。
----------


 梅の位(天神)とは、大坂や京都の遊廓における遊女の位で、最高位の太夫(松の位)に次ぐ第二の位です。つまり和泉は高級遊女で、そのうえ他にならぶ遊女がいないほどだったと。しかし「煩い」(病)のあとは、頭や額に後遺症が残ってしまったようです。


 これだけでは何の病かわかりませんが、この記述のうしろには「河風引(かわかぜひく)な瘡はかせ山」という歌がふされています。「河風(皮風邪)」や「瘡」は天然痘など種々の皮膚病を指しますが、局所的に目立つ痕が残ったというあたり、梅毒の症状のようにも思われます


■遊女と客の命を奪う梅毒は「遊女評判記」でも取り上げにくかった


 作者はその痕について「とても興がある」なんて評していますが、歌に詠まれた「瘡はかせ山」の「かせ」は、かさぶたの「痂(かせ)」と、枷(かせ)になるの「枷」をかけているのでしよう。つまり、その痕は客に嫌がられたということです。


 数多くの遊女が梅毒に罹患していたのであれば、こうした記述はもちろん、もっと具体的なことが遊女の評判に書かれていてもよさそうなものです。もちろん、遊女評判記は遊女の宣伝も兼ねていますから、病についての記載が少ないのは当然といえば当然です。


 しかし、遊女評判記はゴシップ色の強い媒体で、人気が落ちそうなことも好き勝手に書くのがウリでした。それにもかかわらず梅毒があまり登場しないのは、さすがに避けた方がよい事柄として認識されていたからに他ならないでしよう。遊女が梅毒にかかっていることは、笑い話にはならなかったということです。






----------
髙木 まどか(たかぎ・まどか)
成城大学非常勤講師ほか
東京都生まれ。成城大学非常勤講師、徳川林政史研究所非常勤研究員ほか。成城大学大学院文学研究科修了、博士(文学)。著書に『近世の遊廓と客』がある。















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オカシナ日本語>風呂、外出、ご飯...なぜ「○○キャンセル界隈」が流行るのか

2025年01月26日 22時03分21秒 | 社会のことなど


風呂、外出、ご飯...なぜ「○○キャンセル界隈」が流行るのか カジュアルに「リセット」、改善促せなくなるリスクも
1/26(日) 16:30配信




949
コメント949件




J-CASTニュース
SNSを中心に流行する「○○キャンセル界隈」。特に広く知られる「風呂キャンセル界隈」はXでもトレンド入りするなど注目を集めた(写真はイメージ)


 2025年1月中旬、「外出キャンセル界隈」というワードがSNSで話題になった。積極的に外出を控える人々や文化を指す言葉として広がっているのだが、「外出」をキャンセルする界隈以外でも「○○キャンセル界隈」が注目を集めている。


 中でも、特に広く知られるのが「風呂キャンセル界隈」だ。心身の疲労や面倒くささから意図的に入浴を控える人々や文化を指すもので、共感を示す声も多い。こうした外出や風呂、ご飯などの行為をキャンセルする「○○キャンセル界隈」が流行するのは何故なのか。人間関係論に詳しい早稲田大学・石田光規教授(社会学)に聞いた。


■「キャンセル」という言葉に表れる時代背景


 「風呂キャンセル界隈」が話題になったのは、24年4月下旬ごろだ。Googleトレンドで調べてみると、同年4月28日からの1週間で検索するユーザーが急増。この週にXでもトレンドに入るなど、入浴を避ける人々のあいだで盛り上がった一方、不潔ではないかと不快感を示す声も上がった。


 入浴を控える行為以外でも、「○○キャンセル界隈」が使われている。先述した「外出キャンセル界隈」や「ご飯キャンセル界隈」、「睡眠キャンセル界隈」などと、さまざまな言葉がSNSで注目されている。


 このワードに含まれている「界隈」も、24年「ユーキャン新語・流行語大賞」トップ10に選出された。公式サイトでは、「同じものが好きな人同士でつながって楽しむような意味合い」で使われ始めたと説明している。


 では、「○○キャンセル界隈」が流行するのは何故なのか。また、その言葉を使うメリットとデメリットはあるのか。


 石田教授は25年1月23日の取材で、「キャンセル」という言葉に時代背景を感じる、と話す。今までの人間関係を衝動的に断ち切ってしまう行為とされる「人間関係リセット症候群」の「リセット」と同様に、色々な選択肢がある中で主体的に選択しないという心持ちが出ていると指摘した。


「若者を中心とする世代はサブスクリプション(定額課金制)に慣れていて、さまざまな選択肢の中から、自分にとって合理的なものを選ぶ感覚がある。これが『キャンセル』という言葉に表れています」


 「界隈」という言葉にも特徴がある。外出や入浴などを控える行為は、従来なら「変わっている」「だらしがない」などのラベルを貼られかねない。だが、「界隈」という形でゆるやかに結びつくことで、一定の層がいるという安心感を得られたり、1つの生き方として捉えたりすることができるという。

「界隈」として閉じてしまうと社会自体が分断していく懸念もある
 健康的とされる行為をキャンセルし、同じような人々と繋がることで肯定的に捉えることができる「○○キャンセル界隈」だが、「界隈」という形で閉じることで、外側から介入できなくなる場合もあると、石田氏は話す。


「どのような生き方も多様性の原理として受け入れる風潮が強い中で、1つの正しさを主張することが難しくなっています。『界隈』として閉じてしまうと、その中にいる本人にとって結果的にマイナスになる場合でも、改善せずに進んでしまうことになる」


 「○○キャンセル界隈」について、何らかの行為ができない背景としてメンタルヘルスの問題があると指摘する声もある。医学的な対処が必要な場合もあると述べる石田氏は、このワードがカジュアル化しているのは、「キャンセルすらもライフスタイルの1つだという感覚が出ている」と説明。


 冗談として使う分には問題ないとしつつも、「SNSなどを使えば、キャンセル界隈の人同士で繋がることは容易ですが、外側から干渉することは難しくなる。深刻な状況になれば、社会自体は分断していき、相互の会話はなくなってしまう」との懸念も示した。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〈伊豆大島・ラウンジ嬢死体遺棄事件も発生〉経験者が語る “リゾートバイト”トラブルの実態「ワンナイトや不倫も多発していて…」

2025年01月26日 20時03分59秒 | 事件と事故




〈伊豆大島・ラウンジ嬢死体遺棄事件も発生〉経験者が語る “リゾートバイト”トラブルの実態「ワンナイトや不倫も多発していて…」
1/25(土) 11:02配信




30
コメント30件




集英社オンライン
被害者の高瀬静香さんと、事件現場


昨年10月23日に伊豆大島の海岸で若い女性の遺体の一部とみられる骨が見つかり、死体損壊・遺棄の容疑で畳店経営・柳瀬宗達容疑者(45)が1月24日に逮捕された事件。遺体は容疑者の元交際相手である飲食店アルバイト・高瀬静香(37)さんで、警視庁は死亡の経緯について調べている。札幌市出身の高瀬さんはリゾートバイトで各地を転々とする中で、客の柳瀬容疑者と交際関係に発展し、事件に至ったとみられる。そこで今回は「リゾートバイト」の知られざる実態について、経験者たちから話を聞いた。


〈画像〉唐揚げを持ってドヤ顔する柳瀬容疑者と、亡くなった高瀬さん


彼氏ができて島に移住する女性やお客さんと結婚する女性も
被害者が伊豆大島でのリゾートバイト中に客だった柳瀬容疑者と知り合い、交際関係に発展したことが発端とみられる今回の死体損壊・遺棄事件。


被害者の高瀬さんは島に来た理由として、「海が好きだから」と話していたという。


リゾート気分を味わいながら現地で短期間働く「リゾートバイト」は近年、若者を中心に人気だが、その実態はどのようなものなのか。


2024年4月21日に公開された記事にて、リゾートバイトで石垣島に滞在中、海でシュノーケリングをして漂流した経験を語ってくれた串貴代加さん(35)は、当時のことをこう語った。


「21歳のときにラウンジ嬢として7ヶ月間、石垣島でリゾートバイトをしていました。時給はたしか1300円くらい。店では18歳から30代前半くらいの女の子が働いていて、特に大学生くらいの子が一番多かったです。短期の子がほとんどで、1ヶ月勤めたら長いほうでした。


旅行気分で開放的になるのか、お客さんとワンナイトする子や不倫関係になる子もいましたね。でも、入れ替わりが激しい職場なので、みんなわりとさっぱりとしていて、人間関係がこじれることはなかったです。


内地(沖縄県の人が沖縄県以外の都道府県を総称して呼ぶ言葉)のラウンジみたいにスーツで来るお客さんはいなくて、Tシャツにビーサンといったラフな格好のお客さんが多かったです。


観光客は今ほど多くなくて、店には地元の方もよく来ていました。お客さんとの距離が近く、プライベートでも一緒に海へ行ったり、ご飯に連れて行ってもらったり、お客さんが所有するペンションのパーティーに招かれたりもしました」


客との距離が近い分、トラブルなどは起きないのか。串さんは次のように明かした。


「お客さんと付き合っている女の子も何人かいましたが、痴情のもつれや金銭トラブル、今で言うパパ活やロマンス詐欺のような話は聞いたことないです。


ただ、島で彼氏ができて移住する女性やお客さんと結婚する女性は多かったですよ。


もし自分がこういった事件に巻き込まれていたらと思うと怖いですね。リゾートバイトだと全国からいろんな人が集まるし、一つの島でもいろんな店があるので。


私はたまたま勤務した店とタイミングがよかったから、危険な目に遭わなかったんだと思います」

「ワンナイト狙いの客にホテルにしょっちゅう誘われた」
次に、沖縄本島のキャバクラでリゾートバイトをした経験があるという女性(23)に話を聞くと、その激務ぶりについて次のように話した。


「大学生の頃、夏休みに2週間だけリゾートバイトをしたことがあります。時給4000円で往復の飛行機代は自腹でした。


繫忙期の8月だったので、特に土日はお客さんがかなりたくさんいました。客層は飲み方がきれいじゃない人が多く、たくさん飲むよう煽られたり、一気(飲み)させられたりしましたね。2週間ほぼ毎日二日酔いできつかったです。


旅行先でのワンナイト狙いの客からアフターで宿泊先のホテルに来るよう誘われることなんてしょっちゅうありましたが、もちろん全て断りました。風俗行けよって思いましたね。


米軍の軍人さんや外国人観光客が来ることもあって、英語で接客しなきゃいけないのも大変でした。でも、外国人はたまにチップくれることもあって、日本人よりも紳士的なお客さんが多かったです。


リゾートバイトで来た子の中には、軍人さんとワンナイトを繰り返している子や、好かれたくて必死に英語を勉強している子もいました」


また、この女性によれば、店員同士の関係性は「アットホーム」とはかけ離れたものだったという。


「もともとリゾートバイトで来たけど、5年以上働いている“お局”的な子もいて、態度が威圧的でめっちゃ怖かったです。みんなどうせすぐいなくなるってわかっているから、挨拶しても無視するんですよ。


沖縄と聞くと、アットホームな感じをイメージしていたんですが、店の中の人間関係は全然よくなかったです」


今回の伊豆大島での事件について聞いたところ、「自分の身は自分で守る」ことが大切だと話した。


「こういった事件を聞くとなおさら、『もう二度と行きたくない』と思いますね。私もそうだったんですけど、『どうせリゾートバイトをするならたくさん稼ぎたい』と安易に夜職に手を出してしまう女の子も多いと思います。


普通の大学生が友達と一緒に旅行感覚でバイトしに来るケースも多いです。


沖縄の歓楽街は世界中からいろんな人が集まる場所なので、自分の身は自分で守らないと、今回のような事件に巻き込まれてしまうリスクがあると改めて感じました」


Gが出るボロアパート暮らしを強いられる子も…
一方、島の住民側はどう見ているのだろうか。現在も宮古島のバーで勤務する男性(28)は、リゾートバイトの実態について次のように話した。


「宮古島は毎年7月から9月の繁忙期に大勢の観光客が来ます。その時期になるとリゾートバイトや夏だけの観光ビジネスをしに来る人たちが急激に増え、どの飲食店もすごい人で溢れかえります。


夏はホテルや観光施設、居酒屋などでリゾートバイトをする人も多いけど、冬はキャバクラ以外でバイトをできる場所はほとんどないです。


だから、リゾートバイトで来てる子だけじゃなく、移住者も夜職をやってる人が多い。宮古島はただでさえ働き口が少ないし、年々物価が上昇していて、夜職しないと生活が厳しい人がたくさんいます。


リゾートバイトの寮は店によってかなり当たり外れがあるみたいで、中にはゴキブリが出るボロアパート暮らしを強いられる子もいるみたいですね」


この男性はさらに、移住者の実情についても話してくれた。


「地元の人は就職や進学を機に(沖縄)本島や内地に引っ越す人が多いんですよ。だから、移住者やリゾートバイトで来た子同士で付き合うパターンがほとんどです。


島内のコミュニティーは狭いから、誰と誰が付き合ってるとか、そういう噂はすぐに広まります。常に監視下にいるような状態なので、あんまり悪さはできないですよ(笑)。


移住者は内地で借金して逃げてきた人とか訳アリの人が多いんです。だからか、夜の店の従業員が店のお金を盗むトラブルはよくあるんですけど、それもすぐに誰がやったかバレるパターンがほとんどです」


最後に今回の事件について聞くと、次のように警鐘を鳴らした。


「“島”と聞くと、平和でのどかなイメージかもしれませんが、こっちで観光ビジネスや夜の店をしている人は内地から来た人がかなり多いんですよ。


だから、危険度で言ったら東京の歓楽街と変わらないです。リゾートバイトに限らず、夜の業界はこういったトラブルが多いと思うので、自分も気を付けなければならないなと思いました」


離島の若年人口の減少による過疎化、人手不足といった問題も潜んでいる「リゾートバイト」だが、滞在先で楽しみながら働けるという大きな魅力があるのも事実だ。


このような大きな事件やトラブルが今後、起こらないことを願うばかりだ。


取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班












コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1月も後半の境内に

2025年01月26日 18時18分34秒 | 日々の出来事




暗くなると誰もいませんね⭐
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名栗湖、有間ダム

2025年01月26日 17時31分12秒 | 日々の出来事





飯能市の名栗湖ですね⭐
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする