岡山のM邸から、高知に帰る夕方、Mさんの奥さんから電話があり、仕事の話の後で、「話は変わりますけど、閑谷の紅葉が見頃だそうですよ。」と言われました。私が、紅葉の時期に、もう一度行って見たいと言っていたのを、覚えていてくれたようです。高速に乗れば、30分程なので、ライトアップには、丁度いい時間に着くので、行って来ました。二本の、楷の木が暗闇の中、ひときわ鮮やかに浮かんでいました。この楷の木は、昭和天皇が植えた物だと聞きました。他に何も無い田舎に、大勢の見物客が来ていて、驚きました。閑谷学校と、二本の楷の木の紅葉で、これだけ人が集まるのかと。閑谷の建築や、成り立ちの物語が人を引き付けるのでしょうか。建築が後世に残るには、叙情、物語が無ければいけない。と言われています。私の里の家は、親父がの人と、大工さんと一緒に建てた物だと、聞いています。材料は自分で旬に伐り、置いていた物を使ったそうです。まだ車の通れる道も無く、川沿いの道からみんなで運んで建てたそうです。材料は、今の自分から見れば、高価な物ではありませんが、壊さずリフォームして、住み継いでくれてます。やはり兄も、壊せなかったのだと思います。私は、物語がある家を、創って行きたい。