犬神スケキヨ~さざれ石

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

古事記を摘んで日本を知る47

2017-04-23 12:30:51 | 古事記
前回からの続きです。

邇邇芸命は妹の木花之佐久夜毘売だけを残して
お姉さんである石長比売を返してしまいました。

石長比売は、あまりよろしくない姿であったのですけども…

鏡が…

ここからは少し古事記から離れます。
と、言うのも地域の伝承だからです。

追い返された石長比売、家にたどり着く。

なんで自分だけ帰されたのかわかりません。
そりゃ、よくわかりませんね。

なぜならその当時、鏡なんてないからです。
自分の顔なんて見たことない。

しかし、妹の顔は毎日見てますね。
ですから、木花之佐久夜毘売の顔は見てますし、自分の妹ですから
自分の妹は美しい顔だわ、私は姉なのだから似た様な感じよね
とか思ってるわけです。

それが、どっからかわかりませんけどを調達してきます。

それで恐る恐る覗いて見ました。

『な、なんじゃこりゃ〜!』

石長比売はショックで鏡を投げてしまいます。

その鏡がジュルルル〜!

ソン、ソソソソン…

と、落ちた。

その落ちた場所が宮崎県西都市にある銀鏡神社(しろみじんじゃ)です。

話によると、うすら寂しい神社らしいですが…
インターネットで見れるらしいです。
どっからどう通っても、随分時間がかかる場所にあるみたいですね。

かたや木花之佐久夜毘売を祀る神社もあります。

それは華やかで、綺麗な神社です。

妹はあんないい感じで、お姉さん酷い目に…

これですね…
逆から見ても同じですね。

妹である木花之佐久夜毘売も自分の顔なんて見たことないわけですよ。
けど、毎日お姉さんの顔は見てます。
だから

まぁ、私もあんな感じなのね…

とにかく姉妹共に、自分達が美しいのか醜いのかわからないんです。

いやはやと言うのは、人を不幸にしてしまうのでしょうかね?

もし、世界中に鏡がなければ…

鏡があれば自分の姿なんて気にもしないのですから、みんな頭ボサボサでも気にもなりません。

ただ、鏡があれば自分を知ることは出来ます。

自らを知る


このお話は、私が考えますにと言う話になってるけども…

自らを知りなさい

そんなことなんじゃないかなと思います。

鏡は自らを写すものです。

人は自らの姿を知らない。
知らないからこそ身に合わない事をやる。

逆に言えば、人にはその人にしかない才能もある。

それを知りなさい!

そんな事じゃないかな?
とか思います。

現在の自分をよく見て、それを知りなさい。

自分自身に出来る事はなんなのか?

今の自分は正しいのか?

身に合わない事をやれば、それを守る為に人は保身に走り本来の目的から離れてしまう。

そう感じてしまいます。

そして、この石長比売との関わりが皇統に影響を与えてしまう事になるのです。

ブスを蔑ろにすると、えらい事に…

それは次回に続きます。

中村半次郎(桐野利秋)

2017-04-13 22:50:24 | 維新の剣
幕末四代人斬り

その様に呼ばれた人斬り達がいます。

一人は土佐藩・岡田以蔵
一人は熊本藩・河上彦斎

そして残り二人は薩摩藩出身

田中新兵衛

中村半次郎

今回は中村半次郎のお話しです。

人斬り半次郎
そう呼ばれ恐れられた薩摩藩の剣客。

明治維新後は陸軍少将にまで出世した、幕末の人斬りには稀な経歴の持ち主です。

人斬りの経験値では田中新兵衛の方に分がありますが、しかし剣の腕は中村半次郎の方が上。

その凄まじい豪剣は猛者揃いの薩摩藩でも際立った存在だったのです。

軒先から滴り落ちる雨だれが地面に達するまでに、三度抜いて三度収める

それほどの居合の達人でもあったのです。

此れ程の使い手なら電光石火の速技であっと言う間に三人斬り倒す事が出来たでしょう。

倒幕派の志士の中には下級武士が多くいます。

岡田以蔵田中新兵衛などはその下級武士の中でも最下層で、岡田以蔵に至っては足軽出身で武士ですらありません。

中村半次郎とて同様。

例えば、西郷隆盛や大久保利通などは下級武士と言えども城下に居を構える事を許された、れっきとした武士です。

しかし中村半次郎は鹿児島近在の吉野村に住む郷士です。

名字帯刀は許されていたものの、城下士との身分は歴然です。

薩摩藩の身分序列では武士と農民の間と言ったところでしょうか。
とにかく極貧で衣食にも困窮する始末。

この当時、極貧から脱出するには一流の剣士として認められるしかありません。

十五歳より城下にあった小示現流の道場に通い始めます。

小示現流示現流から分派した流派です。

一子相伝の秘技があるとかないとか、とにかく謎めいた流派でもありました。

元々、体も大きく筋力も強かった、更に闘志も旺盛な男。
一の太刀に渾身の気合を込めて振り下ろす小示現流は向いていたのかもしれません。
メキメキと上達していきます。

『もうお前には教える事がない』

ついには師を脱帽させてしまいます。

この時、小示現流の奥義を授けられたとも言われています。

この後も独学で剣の腕を磨き続けます。

きぇえぇい!
渾身の気合いと共に樹木を打ち続ける。
まるでその極貧の生い立ちを恨むかの様に。

打ち付けられた樹木はことごとく立ち枯れてしまう程です。

文久二年
島津久光に従って上洛する頃には、藩内でも有数の剣客として知らぬ者はいなかった。

しかし、身分は剣の腕よりも強い。
260年の幕藩体制の身分は、その遺伝子に深く刻まれ、抗う事を拒みます。
剣の腕があっても最下層の身分にある者は汚れ仕事に従事させられます。

しかしこの中村半次郎だけは違った!

身分が上の者にも生意気な態度で、気に入らなければ、納得できなければ言う事を聞かない、聞く耳をもたない。

なんせ怒らせると、直ぐに抜刀しそうな危ない雰囲氣すら醸し出しています。

例えば土佐藩の岡田以蔵などは怖い人斬りではある。
けれど、土佐勤王党リーダー武市半平太のコントロール下にあります。
武市半平太の命令で人斬りをやる。

切れ味鋭い刀かもしれないけれど、武市半平太という鞘に収められている。

しかし中村半次郎という男は違う。

『ヤツは斬ると言ったら必ず斬る』

だからこそ仲間すら恐れたのです。

誰かに命令されたから斬るのではなく、自分が殺ると思った相手を斬る。

まるで抜き身の刀

ピストルよりも早く

中村半次郎は佐幕派の人物を斬った。

信州藩士・赤松小三郎を斬った。

この赤松小三郎は中村半次郎に洋式兵学を教えた言わば師でもあります。

そんな恩師を平然と斬り捨てるところが恐ろしい

赤松小三郎は薩摩藩の招きに応じて京の薩摩藩邸にで洋式兵学を教えていました。
しかし、佐幕派という事で幕府側と内通しているという噂があったのです。

中村半次郎が数人の薩摩藩士と四条烏丸を歩いている時に偶然、赤松小三郎を見かけた。

獲物を前に殺意が湧き起る。

もう、こうなると誰も止められない。
いや、止めるのが怖い。

暗い路地へ入ったところで赤松を呼び止めた。

すると赤松小三郎、素早く右手を懐に入れる。

当時と言えば危険極まりない京の都。
赤松は常にピストルを携えていました。

銃器の扱いになれた赤松なら、この距離ならば外す事はない。

しかし…

中村半次郎は迷わず抜刀して飛び込んだ。

銃を撃つ間も与えない!

そのまま飛び込んで袈裟懸けに切り下ろす!

小示現流渾身の一太刀は、左肩から鎖骨をへし折り、肋骨から肺にまで達した。
その時、右手も斬り飛ばし、赤松の体から離れて道端にピストルを握りしめて転がっています。

中村半次郎渾身の一撃を浴びても赤松はまだ絶命していなかった。

生への執念でしょうか…

恐ろしい形相で路地を這いずり回ります。

後ろに隠れていた他の薩摩藩士達が抜刀して赤松に斬りかかるも止めを刺せない。

丸太を打ち込むのとは訳が違います。

生身の人間を斬るにはやはり躊躇があります。
どうしても打ち込みが浅くなる。

『おはんら、どいちょれ』

そう言うと鞘に収めた刀を再び抜くと、背中からズブッと心臓をひと突き。
赤松は雷に打たれた様に動きがピタりと止まり絶命します。
赤松の死を確認すると、中村は悠然と立ち去るのです。

実は、中村半次郎が暗殺に加担したのはこれ一回だけ。
たった一回の暗殺で人斬り半次郎の伝説を作ってしまったのです。

それ程、中村半次郎の太刀筋は凄まじかった。

生き残る方が難しい


記録に残る暗殺は先の一度のみ。

しかし、暗殺、内ゲバ、何でも有りの物騒極まりない時代には殺すことより、殺されず生き残る方が難しいのです。

中村半次郎の様に、名の売れた男ともなれば暗殺の標的にされる事も多々あったのです。
しかし、それらを返り討ちにし、明治維新まで生き残ったのです。

岡田以蔵や田中新兵衛などは人斬りとして名を馳せたけれど死んでしまった。

中村半次郎は生き残った。

まず、薩摩藩西郷隆盛がテロ路線を取らなかった事は一つに大きな要因でしょう。

岡田以蔵や田中新兵衛は言われるがままに、テロ路線に突き進む。
それは使い捨てでもあるのです。

中村半次郎を使い捨てにしなかった西郷隆盛と言う人物がいてこそ生き残ったのかもしれません。

戊辰戦争に中村は隊長として従軍しています。

過酷な時代を生き延び、名を馳せたならば最下層の身分でも出世出来る。

彼もその一人。

そして江戸に進駐しています。

しかし、ここにも中村半次郎を憎み、命を狙う者はいる。

ある日、職務を離れて近くの銭湯に行った帰り道の出来事です。

三人の刺客に襲われた。

さすがの中村半次郎も、この時ばかりは死を覚悟したとか。

しかし、武士たる者死を覚悟する場においてこそ一歩たりとも引いてはならん、幾多の修羅場を潜り抜けてきた中村半次郎の肝の座り方はハンパじゃない。

斬りかかってきた一人が石につまづいた隙を見逃さず
きえぇえぇい!

気合いとともに抜刀して飛び込んだ!

袈裟懸けに一太刀!

相手も相打ち覚悟で横に薙いできた!

確かに相打ち。

しかし、相手の太刀筋は軽い。

それに対して中村の一太刀は言わばフィニッシュブロー。

強烈な一撃は肩口から深々と斬り裂き、動脈を切られて勢いよく血を吹き上げる。

小示現流の真骨頂炸裂!

しかし、胴を狙った相手の一撃を間一髪かわしたが、剣先は中村の右手中指を飛ばした。

一人は倒したものの、利き手の指を飛ばされ戦闘力は著しく低下。

しかし、残った二人は中村の太刀筋と気合いに圧倒され逃走するのです。


中村半次郎という人斬り、最後には西南の役にて西郷隆盛に殉教し腹を斬って人生を閉じるのです。

古事記を摘んで日本を知る46

2017-04-13 14:30:40 | 古事記
随分と久しぶりになりました。

古事記シリーズです。

その46となりましたが、前回のおさらいは是非45を参照ください。

神々は一目惚れ

邇邇芸命(ににぎのみこと)は、ある日一目惚れをしてしまいます。

日本の神々はとにかく一目惚れが多いですね。

その一目惚れのお相手は
木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)

それはそれは美しい神様に出会います。

会った瞬間に求婚します。
会った瞬間に求婚するぐらいですから、これは相当な美人ですよ。

名前だって木花之佐久夜毘売なんて、美しいじゃないですか。

邇邇芸命は一瞬で電気が走った様な、雷に打たれたような…
とにかく、それほど美しい。

出会ったその場で求婚してしまいます。

神様の恋愛は、なんと言うかとにかく答えが早いのです。
好きとか愛してるとかよく考えないみたいです。

直感タイプなんでしょうか。

しかし、これが自然なのかもしれませんね。

とにかく会った瞬間に『結婚してくれ!』

すると木花之佐久夜毘売は『私一人じゃ決められません、父に相談します』と。
そういう訳で早速、お父様に相談します。

この、お父様と言うのが山の神である大山津見神(おおやまつみのかみ)といお方です。

縁と言うのは不思議なものです。

邇邇芸命は天上界では知られた神です。
なんせ天照大御神の孫、つまり『天孫』です。
しかし、地上界では新米。
つまり、ニューカマーと言うことですよ。

いきなり『統治しろ』と言われたところで地上界には知り合いもいない、友達もいない、とにかくご縁がありません。

それが偶然にも世にも美しい神様に出会って求婚したら、それが山神の娘であったと。
これは素晴らしいご縁に恵まれましたね。

大山津見神の娘さんとご縁が結ばれたなら、いきなりその山神の援助を受ける事になります。
山神の霊力を授かる事になります。

地上界である葦原中国を治めるには、此れ程心強い事はありませんね。

山神・大山津見神にしても、これは素晴らしいご縁です。

木花之佐久夜毘売『お父様、今日はなんだか麗しい男性に出会って求婚されましたわ』

大山津見神『なんだお前、そりゃどういうヤツだ?』

木花之佐久夜毘売『これこれ、こんなお方で…』

大山津見神『え〜!そりゃ凄い!素晴らしいお方じゃないか!』

みたいな会話でしょうか?
たぶん、お父様の方が舞い上がったんじゃないですかね。

そりゃそうでしょうよ。

邇邇芸命は天孫ですからね。
天上界を治める天照大御神の孫なんですから。
地上界の神様は国つ神と言います。

この国つ神達は『いやぁ、私なんか国つ神ですから…』みたいな、ちょっと謙遜しちゃう感じなわけですよ。
ちょっと遠慮すると言いますか、そんな感じなんです。

それが天上界の神様は天つ神と言って、神様中の神様と言いますか、神々しいと言う事です。

それが神様中の神様の、それも最も神々しい天照大御神の孫です。

大山津見神にしたら『ちょ、お前、バカ!早く嫁に行かんかい!』なんて感じではなかったかなと思います。
もう、お父様の方がノリノリじゃないですか?

そんな感じなんで、立派な嫁入り道具を持たせます。

勢い余って、木花之佐久夜毘売のお姉さんまでくっつけて差し出してしまいます。

一方で邇邇芸命はですね『あ〜あの木花之佐久夜毘売ちゃんがお嫁に来るーッ!』
ソワソワ、ドキドキ…

いよいよ可愛い可愛いお嫁さんが来た!

と、思ったらもう一人くっついてきましたよ。

『何だありゃ?』

このお姉さんが石長比売(いわながひめ)なんですね。

石長て名前からして、イマイチ期待出来ない感じですね。
木花之佐久夜毘売みたいな、名前からしてウットリする感じではありません。

すると石長比売は、やっぱり…と言いますか…
恐ろしい程に醜い姿だったようです。

邇邇芸命は『あ!木花之佐久夜毘売ちゃんが来た!』と。

待ってたよ〜!なんて感じで出迎えたら、後ろからモァ〜と何かが着いてきてます。

『ん?何だありゃ』

何じゃこの化け物は〜!

どんだけ醜い姿だったんでしょう?

とにかく邇邇芸命は『いや、ちょっとムリなんで、とにかくお帰り下さい…』

そういう訳で可愛い可愛い木花之佐久夜毘売ちゃんだけを迎え入れ、石長比売を帰してしまいました。

石長比売はそれは悲しんだとあります。

何故、そんな悲劇が起きたのか…

それは次回へ。


その礼節が民主主義

2017-04-03 21:00:54 | 草莽崛起
本日のお話しは

日本の民主主義にまつわる話しです。

いきなり何を話すか言ってしまってますが、そんな話しです。

言葉・礼節

これが実は我が国のオリジナルの民主主義と密接に関わっているのだというお話しでごじゃります。

皇室報道


昨今の皇室に対する報道を見ても、一番日本語を大事にしなければならない、マスメディアの報道っぷりに怒りを覚えますね。

まずもって、皇族方への敬称はむちゃくちゃ。

例えば『ヒゲの殿下』として国民に親しまれておられた三笠宮寛仁親王殿下が御隠れ(亡くなる)あそばされた時。

寛仁さま

と書く始末。

皇室典範には皇族に対する敬称がしっかり明記されているのです。

天皇・皇后には陛下、他の皇族方には殿下

その様に書かれている。

【寛仁さま逝去】なんてのは、なんと言う不敬な!という事です。

正確には
三笠宮寛仁殿下薨去
その様に書かねばなりません。
これが正しい日本語なんです。

例えば、イギリス・チャールズ皇太子に『さま』など使えば大問題ですよ。

これはチャールズ皇太子に対してミスター・チャールズというのと同じです。

例えば、お妃時代のダイアナ妃に対してミセス・ダイアナという様なものです。

プリンセスオブウェールズと呼ばねば、下手をすれば国交断然の事態ですよ!

我が国の皇太子殿下のご長女である愛子内親王殿下に対してもそうです。

『愛子さま』など不敬極まりない。

愛子内親王殿下に対しては
敬宮殿下と書くべきです。

共産党機関紙『赤旗』などは三笠宮寛仁殿下薨去に対して

三笠宮寛仁さん死去

と、書く始末。
火付けて燃やすど!コラっ!

例えば、我々庶民は日常会話で『愛子さま』とかその様にお呼びすることは構わないでしょう。
それは、愛着と言うか親しみを込めて、そうお呼びしても構わないと私は思いますよ。

しかし、マスメディアには許されませんよ。

もう少し、品格良く親しみを込めて我々庶民は例えば愛子内親王殿下ならば
皇太子殿下の若姫とか、悠仁親王殿下ならば秋篠宮殿下の若宮とかお呼びすれば失礼はないのです。

アホはこの様な敬称をバカにします。

しかし、これが日本語なんです。
日本の根っこなんですよ!

日本語には丁寧語・敬語・謙譲語なんてものがあります。

実はこれこそが世界にはない言葉の表現方法なんですね、そしてこれがあるからこそ我が国がしっかりしたオリジナルの民主主義を貫く事が出来たのです。

身分を越えて


我が国にも、他国の様な身分なんてもながありました。
今もありますよ。

それは、我々と皇族方の様なもの。

しかしですね、他の国には立場の下の者が目上の者に進言するとか注進するなんて事は殆どありませんよ。

いや、現代の話しじゃありませんよ。

今でこそ皆平等なんて言ってますけど、我が国は随分と昔から天皇陛下を中心に民は皆平等なんです。

その中に立場上の上下があるわけです。

しかし、他の国ではその上下関係は絶対なんです。
しかし我が国は違うのです。

その平等という根っこが言葉

つまり、立場の上下関係の中でスムーズにコミュニケーションを図るには言葉が重要なんです。

世界には敬語や謙譲語なんてものはありません。

何故か?

上下関係は絶対だからです。
垣根は越えられません。
立場が対等かそれ以上でなければ話しなど出来ません。

しかし、我が国は立場の垣根を上手く越える手段があるわけです。
それが

丁寧語・敬語・謙譲語
となるわけですね。

相手に敬意を払いつつ、失礼に成らぬ様に、更に相手の立場を立てつつお互いに上下関係の垣根を越えて 話す事が出来るツールこそが、丁寧語や敬意や謙譲語となるのです。

目下の者が目上の者に進言することが出来る!

これは画期的な事なんです。
だからこそ、能力のある者は見出され大抜擢されたり、或いは権力を持つ者が自らを省みて謙虚に考える事が出来るのです。

幕末に京の二条城にて大政奉還を決意した徳川慶喜公とて、各藩を集め忌憚なき意見を求めた。

この時に、目下の者が『政・最高権力者』に対して意見するのです。
この時、この言葉のツールがあったからこそ忌憚なき意見を述べることが出来たのです。

将軍に対する敬意を払い、立場を立てつつ自らの身分をわきまえて話す事が出来るのです。

これが我が国のオリジナルの民主主義なんです。

この言葉があったからこそ、あの沖縄戦の電文
沖縄県民カク戦ヘリと打てたのです。

戦前の日本は言論は弾圧され…云々なんて話は大嘘ですよ!

戦後はたった72年!
戦前は2000年を超えてるんですよ!

もし、その2000年を超える部分が弾圧と言論の自由のない国ならば古事記編纂だって実現してませんよ!

稗田阿礼や太安万侶なんて最下層の貴族で、足袋すら履かせて貰えない身分です。
そんな身分の者でも、類稀なる才能の持ち主だったからこそ、古事記編纂の命を天皇陛下から受けたのです。

日本語の意味、日本語の使い方、正しい日本語。

それは、実は我が国の民主主義の基本だったのです。