犬神スケキヨ~さざれ石

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古事記を摘んで日本を知る(日本人の素朴な話)4

2017-06-18 23:03:12 | 古事記
我々が戴く天皇は政治には関わりません。

それは、天皇自身が政をする事を避けて民を自らの大いなる宝だとしているからです。

また、闘争などと言う穢れを纏わせることを避けてもいます。

ですから、私は天皇には世界にない大いなる存在で居て頂きたいと考えます。

その大いなる存在の大いなる宝である民として生きる事はこれは神勅なのだと私は考えています。

これを知るには古事記日本書記などの記紀を読むことで知ることが出来ます。

我々の政治、我々の国造りはこれが根っこなのです。

だから私は天皇不親政は絶対だと考えます。

神話に遡っても最高権威が親政なんて事はないのです。

天皇の勅命で行う政治を主張する方もいらっしゃるけれど、それはよくよく考えれば天皇を政治利用する事になるのです。

天皇陛下という存在は権力のプロではないのです。

権威の無い権力に力はない!
その様に仰る方もいらっしゃる。

この言葉のままなら、権力者に権威を与える事になります。
つまり今なら安倍晋三に権威を与える事になります。

そんな存在が我が国に必要か?

権威ある権力者となった安倍晋三が有難い存在か?

我々は共和制国家でも連邦国家でもありません。

我が国の権威は天皇であり、国家元首はその権威であるのです。

権力者はどんなに頑張っても、この権威にはなれません。
この権威を超える事はありません。

例えば権力と権威が一体ならば、確かに力もあり政治のスピードは早いでしょう。
しかし、世界を見れば共和制国家や連邦国家、更に共産主義の独裁国家を見て、あれが素晴らしいと私は思えない。

ロジックの天才が考えて考えて、それでも考えて最後には
天皇に帰一する
と、言う国。
そんな日本の根っこは理屈ではないのです。

それが二千年を超えて紡いで来た我が国の根っこであるからです。

古事記の国譲りに代表される我が国の根っこは
アライアンス
争い、奪い、独り占めする事ではない。

お互いを認め、お互い助け合う。

相手の意見を認め、自らの意見を示し、それを合議して一致点を見いだす。

そういう生き方をするのが正しいと、古事記に書いてある。
日本人の哲学が示しているのです。

我々は天皇という御存在に政治を任せるのではありません。
天皇という存在は、民こそが我が宝として『あなたこそが大事』と私を真っ先に脱する生き方をなさる

だから我々は天皇の所有物ではないのです。

その証拠に天皇は政を民に任せ、名字も持たず、居住の自由もなく、職業選択の自由もない。
事に当たっては、昭和天皇がなさった様に民の為に真っ先に命を使おうとなさるのです。

我々はその御存在が日本人の根幹だと知っている。

だからこそ我々民と天皇は強い相互信頼の絆で結ばれていて、決して支配と服従の関係性ではない

そしてその絆を考えるなら、例えば我々民が皇統やお妃の問題に口を出すものでもない。
あまりに不敬です。
くだらぬ現憲法の第一条を理由に皇室に対する意見を言うなど、アホな話しです。
そんなものはクソの左翼の反日論です。

この根っこをしっかりと体現して国を作っていかねばならんのです。

その為には

政教分離なるくだらぬ条文を憲法から外す!

そして神道理念とする本物の保守政治を作る!

そしていずれ

宗教でもない神道を宗教法人から外す。

世に保守などと吐かすバカタレは、一体何が保守なのか等、一切理解など出来ていない。

本来の日本を取り戻すと言いながら、本来の日本など理解出来ていません。

理解出来ていないから、多数決が民主主義だなどとバカな事を言う。

多数決に拠るなと神話に遡ってみても理解出来るのです。

また、天皇に権力を持たせる等というバカタレも何もわかっていない。
神勅がなんであるかを考えれば、天皇不親政はこれはもう否定のしようがありません。

世に言う保守とは一体何がしたいのか?

私は保守でも、革新でもありません。

真っ直ぐ真ん中から見れば、明らかに本物の保守とは何なのかが見えて来るものです。

神道理念の政治

神道を宗教法人から外す

そして

靖国神社を国家施設とし、それと共に本当の戦争記念館を国家施設として運営する

いつ実現するのか?

それはわからない。

我々が生きている間には出来ないかもわからないけれど、これが実現した時こそ我が国が本物の国家として生まれ変わることが出来るのではありませんか?

本当の日本の根っこを取り戻す。

敗戦後の秩序が壊れ、明らかに世界の秩序は新しい時代に入っています。

そんな時代に必要なのは、長きに渡る揺るぎない歴史と理念を持った民族ではないか?

私はそう思えてならないのです。

古事記を摘んで日本を知る(日本人の素朴な話)3

2017-06-18 23:02:41 | 古事記
では、現在の我が国は根っこに根ざした考え方が出来ているのでしょうか?

それは全く出来ていないと言えるでしょう。

天照大御神は
合議をして一致点を見いだせ
そう仰っているのです。

たから高天原、つまり天上界では八百万の神々が話し合い、一致点を見いだす。

その見いだした一致点を天照大御神に申し上げるのです。

『天照大御神様、我々はこの様に結論を出しました』

すると天照大御神は

『そうですか、では皆力を合わせ頑張りなさい』

そこで天照大御神はどうすかと言えば、皆が合議を行い出た結論が上手く事を運べる様に祈ります。

十七条憲法にも書かれている
和を以って尊し
それは、争いを避ける為に事なかれになれという意味ではないのです。

とことん議論を尽くし一致点を見いだせという事であって、それがという事です。

五箇条の御誓文にも書かれている。
広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ

これが日本の統治と政のシステムです。

現在の我々が暮らす日本は、ではこれが出来ているのか?

全く出来ていないと私は考えます。

権力者は大御宝である民の為に働かねばならないのですが、敗戦後の日本にはそんな理念はありませんね。
何故なら、敗戦後アメリカ人が占領を円滑に行う為に押し付けた憲法で日本人に蓋をしてしまった状態でもある事は、その一因であると言えます。

憲法だけではありません、教育にしても、更に少子化も占領政策の一環でもあります。

権力者は、その大いなる存在の前で謙虚に民の為に必要な事を話合わねばならない。
それは神話に遡っても、そうなっている。

今般のテロ等準備罪にしても共謀罪だ!というレッテル貼りに終始し、野党は全く話し合いをしようとはしない。

現代、我々が行う政治では一致点を見いだすにはしっかり議論を重ねなければならないのです。

例えば、維新の議員である東徹議員の質疑中に、それをブチ切って問責決議案を提出するなどはもってのほかです。

議員は我々の重要な一票を得て国会に行っているのです。
それは、我々が神話に遡って得た神勅でもあるのです。

現代風に言うならば、権利です。
この権利はなんの為にあるのか?
我々には日本という国をより良い国に作り上げていく義務を負っているのです。
つまりは

我々は義務を果たす為に、その権利を行使する

それが議員の質疑でもあるのです。

つまり、その議員の質疑を己の主張や闘争の為に阻害したならば、これは権利の侵害です。
我々の人権を侵害しているのです。

大いなる存在は権力を我々に委ねて、権力者に対して『私の大切な宝である民の為に権力を使え』と言っているのです。

権力者が我々の権利を侵害して良いのは、我々の生命や安全に関わることに対してだけです。

例えば侵略者に我々の生活を脅かされたなら、これを排除する為に、我々の権利を制限しなければならないかもしれない。
それは、そうしなければ我々の生命が危ないからです。

私は維新を支持するものではありません。
か、しかし今般、維新側からは五つの修正案が政府に対し提出されていた。
二つは却下されたものの、残された案に対し政府は修正協議に応じていました。

政府与党は多数意見です。

この多数意見に対し、少数意見を反映させるには対案や修正案を突きつけ議論を重ねる。
これが合議です。

そしてそれを反映させることが一致点を見いだすことです。

4へ続く

古事記を摘んで日本を知る(日本人の素朴な話)2

2017-06-18 23:01:03 | 古事記
我が国は権威と権力を分けることで国を作ってきました。

確かに権威である天皇が権力も持っていた時期もありますが、我が国の二千年を超える歴史の中では、ほんの僅かな期間です。

権威と権力を分けることの意味とは何か?

腐らず民を思う

今般、ドイツの元首相コール氏が死去いたしました。

コール氏と言えば東西ドイツの統一に寄与した人物です。
しかし、16年もの長期政権により最後には自らの功績をも貶める結果にもなりました。
この地味ブログでも以前に触れました。

権力と言うのは長期になれば、保身に走り当初の志を忘れてしまいがちです。
その為に例外なく腐ってしまいます。

現在のメルケル首相にしても、辞め時を逸してしまい、移民問題でEUはおろか世界を混沌とさせてもいます。

それが権力と言うものです。

我々日本人は早々と、もっと言うならば世界に国家なる概念もない時代から国家と言う概念を持っていた民族なのです。

その為に権力は何なのかを考えてもいたのでしょう。

その答えが
権威と権力を分ける
そういう事ではないか?
その様に私は考えます。

例えば、天皇が権力を持ち政をしていたならば、これは2677年125代続く超超長期政権です。

権力は長期になれば腐ってしまいます。
例外はほぼありません。
そうなれば神話と地続きの系譜を持つ現人神が腐ってしまいます。

現人神とは神話と地続きの系譜を持ち、神々の性質を備えた人

その現人神が腐ってしまいます。

たとえ天皇陛下自身にその様な気持ちはなくとも、周りの人間は天皇を利用し自らの出世に邁進する不心得な輩が出ても来ます。

君側の奸

これは主の側で主の力を利用し自らの欲望を満たそうとする者の事を言います。

神話に戻れば、最高神は『皆で合議をし一致点を見いだせ』と申しておられるのです。
これがいわゆる神勅であり、我が国オリジナルの民主主義と言うものです。

最高神ですら権力を持つとは言っていない。

例えば、天皇に権力を与え『詔』、つまり勅命により政治を行えば良いと主張する人もいる。
果たしてそれが正しいのか?

先に申した通り権力は使い方を間違えれば、とんでもない事態を招きます。
我々は民主党政権の3年3ヶ月で経験済みです。
更に君側の奸と言う言葉。

我々の神々は穢れを嫌う存在です。
その性質を受け継ぐ天皇も同じです。
政なる汚い事に、その御存在を穢れさせるのか?

政治は闘争でもあります。
国会を見ればわかります。

神勅を受け我が国を統治する御存在が政は民に預けたと仰っている。

では権力者はどうするのか?

最高権威である天皇から、天皇の大御宝である民をお預かりしている

これが我が国の権力者の立場です。

権力者はお預かりしている大御宝を大切にしなければならない。
大御宝をぞんざいに扱わない。
権威は大御宝の安寧と幸福を祈っている。

最高権威は民を大御宝とし、決して権力などで支配はしない。
だからこそ、我々民の様な権利を持たない。

だから権力を民に委ねているのです。

権力者というのは権力を正しく扱わねばなりません。

つまりは
権力者は権力のプロでなければならない

例えば我々がレストランに入るとします、すると店員さんは水とおしぼりを出してくれます。
我々は水の入ったコップを手にする。

手に持ったコップ、そこに入った水は今我々の手にあります。
我々はコップを床に叩きつけ割る事も出来る。
水を撒く事も出来る。

けど、そんな事はしませんね。

そのコップは我々の物ではないし、水も好きにして良い訳ではない。

コップも水も店のものですからね。

この様な形を我が国は政治と統治で行っているのです。

その権力者を今は我々民が選んでいます。
つまり、最高権力者は実は民であるのです。
しかし、普通一般の我々に権力を使いこなせないのです。
だから代わりに権力を使いこなせるで有ろう者を選ぶのです。
3へ続く

古事記を摘んで日本を知る(日本人の素朴な話)1

2017-06-18 23:00:19 | 古事記
随分と久しぶりのアップとなりました。

今回は古事記シリーズの一部として書いてみようと思います。

日本人の素朴な話

そんな感じです。

我が国の根っこを見つめて、我が国の政治や統治について考えてみようかな?
みたいな話しです。

毎度申してますが、これは一つの問題提起であります。
この話を読んで皆さんが、どう考えるのか。
それがこの地味ブログ最大の理由です。

我が国の統治システムは実に良く出来ています。
こんな統治システムは他に類を見ません。

日本が日本である理由。
日本人が日本人である理由はここにこそあるのでしょう。

分けるべきを分けた


我が国は、まず紆余曲折しながら分けるべきを分けて来たのです。

これは分断などというくだらない話しではありませんね。

権威と権力を分ける

我が国の権威と言えば、それは天皇陛下です。
権力とは現在ならば安倍晋三という事になります。

神話の時代まで遡って考えれば天照大御神八百万の神々に対して、こう仰った。

合議を尽くしなさい

これが我が国の根っこです。

これがいわゆる神勅です。

その上で天照大御神は『地上世界は我が御子が知らす世界』と仰ったのです。

これが古事記の根っこです。

天照大御神の孫、邇邇芸命が地上世界に降り立つ。これが『天孫降臨』ですね。

その天孫に地上世界を知らせと仰ったわけです。

天照大御神まで遡っても、決して権力を持たなかった。

権威とは、その存在を以って自発的に他者が敬い従う事です。
決して威嚇や武力など用いる事なくです。
言葉にすると何だか薄っぺらい感じです。
しかし、我が国の天皇陛下はこんな薄っぺらな御存在ではありません。

何故ならば権威というものは、例えば宗教の教祖にしても権威です。
或いはナチスのヒトラーとて言葉で民衆を従わせたわけですから、これもある種の権威です。

しかし、我が国の権威は何を仰っしゃるのかと言えば民の為にただ祈ると仰っしゃる。
更に民があってこその権威だと仰っしゃるのです。

そしてそれは、宗教でもなく言葉によるプロパカンダでもなく、その振る舞いによって権威を表しておられるのです。

他方、権力とは『ある主体が相手の望まぬ事を強要する力』とあります。

権力とは相手の望まぬ事もやらねばならん。

政治は相手が望まない事をやります。
例えば税金を徴収したり、望まない人がいても法律を作り運用せねばなりません。

我が国の権威

我が国の権威は天皇陛下です。
いや、軽々に権威などと呼ぶにははばかれる御存在でもあります。

例えば、宗教の教祖も権威と言えますが、その教義によって相手を従わせます。

先ほど申した通りにあのアドルフ・ヒトラーも権威と言えます。
ヒトラーは自らの演説を以って民衆を従わせたのですからね。
民衆はヒトラーの言葉に陶酔し自らヒトラーの政策に従ったのですから。

しかし、我が国の権威は宗教の教祖でもありませんね。
神道は宗教ではありませんから。
つまり教義もありません。あるのは古事記に書かれた神話です。

ならば言葉で民衆を従わせたのか?
それもありません。
民衆を陶酔させる様な事もありません。

我が国の権威は神話と地続きの系譜を持ち、その神話に登場する神々の末裔であると言うこと。
その上で、最高神である天照大御神の神勅に従い日本を統治しているのです。

統治であって支配ではない

これが重要なのです。

これが知らすと呼ばれる統治です。

日本に存在する民衆は全て、天皇陛下の宝なのです。

人々は天皇陛下の大事な宝物であって、決して天皇陛下の持ち物ではない

我々は天皇陛下の大御宝であって、天皇陛下の所有物ではありません。
だから、我々民には様々な権利がある。
しかし、天皇陛下には我々民には与えられた権利を持ちません。
つまり、天皇陛下は所有をしないのです。
これは世界の権威と決定的に違うのです。

天照大御神の神勅を受けて、初代天皇に即位した神武天皇は権力を持たずに政は民に任せた

これが真実です。

天照大御神も八百万の神々に合議を任せた。

権力は必要

方や権力は、政を行うには必要なものです。

権力がなければ政治や治安の維持を図れません。

権力はウシハクです。
ウシハクとは主が履くと言います。

主(あるじ)の持ち物と言う意味です。

ウシハクは全てを自らの所有物とします。
人も木も、草も花も領地の人物全てを所有します。
だから、民衆を殺すも生かすも主次第です。

これは政治権力や警察権力も同じです。
これら権力は自らの好きな様に出来ます。

しかしこの権力がなければ政治も出来ず。
警察権力がなければ治安維持も出来ません。

権力は諸刃の剣です。

つまり権力はその使い方、行使次第で民を苦しめたり、或いは民を守ったり出来るのです。

なにも権力者は政権だけではありません。
政治家全てが権力者なのです。


2へ続く