犬神スケキヨ~さざれ石

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志~硫黄島の武人たち~

2016-03-30 20:02:05 | 草莽崛起
今日は日本では殆ど語られない、伝えられていない硫黄島の話しです。

硫黄島で戦ったのは栗林忠道中将を始め、数多の日本人が武人たる振る舞いを見せています。

日本人の振る舞い。

日本人の生き方が硫黄島に今もあるのです。

武人と武人

硫黄島の戦いは約一カ月続きました。

当初米国は数日で陥落すると考えていた。

しかし硫黄島にいたのは軟弱な人間ではありません。
魂に刻まれた武士道精神を持つです。

米軍が硫黄島を占領した翌日。

3月16日

摺鉢山付近の岩穴から片足を失った日本陸軍少佐が、白いハンカチを振りながら出てきました。

「司令官はいないか!穴の中にはまだ30名の青年達が残っている。彼らを日本や世界の未来の為に生かしてやりたい!頼む!私を殺し彼らを助けてくれ!」

陸軍少佐は懇願します。

この少佐に引見したのは米海軍第五艦隊司令官レイモンド・スプルーアンス

スプルーアンスは「お前も部下も助けてやる!」

武人と武人。

フェアな戦いをした日本人に武人としての魂をみたのか…
スプルーアンスもまた武人として約束するのです。

しかし、日本陸軍少佐は「サンキュー…」と残し息を引き取りました。

武士の振る舞い

その後、米軍はタバコや缶詰を穴に投げ差し入れ、穴から出て投降するよう勧告を繰り返しました。

しかし、彼らはそれに応じません。
その後も抵抗を続けました。

やがて何名かは餓死。
残った青年達も手榴弾で自決。

その爆発音にスプルーアンス司令官自ら穴に向かうのです。

穴の入り口には英語と日本語で書かれた手紙がありました。

「閣下の私達に対するご親切な御好意、誠に感謝感激に堪えません。
閣下より戴きました煙草も肉の缶詰も皆で有り難く頂戴いたしました。
お勧めによる降伏の儀は、日本武士道の習いとして応ずる事が出来ません。
最早、水もなく食もなければ、十三日午前四時を期して全員自決し天国へ参ります。

終わりに貴軍の武運長久を祈り筆を止めます。

昭和二十五年五月十三日

日本陸軍中尉 浅田真二

米軍司令官スプルーアンス大将殿


戦後、スプルーアンス大将は全米各地を講演し必ず話していた事があります。

「アメリカの青年達よ!東洋には素晴らしい国がある。それは日本だ!
日本には君達が想像もつかない立派な青年がいる。ああいう青年がいたら、やがて日本は世界の盟主になるに違いない!奮起しろ!」

二つの話し

2016-03-29 19:20:10 | 草莽崛起
最近「古事記」がアップできていません。

「いつアップするの?」と問い合わせも頂きまして…

読んで頂いているのだなぁと、感謝する次第です。

古事記シリーズは継続致しますのでよろしくお願いします。

おそらく100は超えますね…

今回は二つの話しを根っこまで降りて考えたいと思います。
ご意見は様々でしょう。
あくまで私個人の考えであって、問題提起の一つであると。
そう読んで頂けたら有難いです。

私の話しは時に他人からは「過激だ!」と言われたりもします。
しかし、あくまで感情論や観念論を述べてはいません。
また極論を述べるつもりもありません。
ご自身でも調べて頂き「こいつは一体何を言っているんだ?」と考えて頂くキッカケになればと思います。

3月26日

去る、3月26日に京都にて「救う会」主催の講演会に参加して参りました。

登壇されたのはジャーナリスト桜井よしこさん。
さらに、横田めぐみさんのご両親、横田滋さん早紀江さんでした。

桜井よしこさんのお話しも、さすが国士たる内容で、後半は涙を流しながらの講演でした。

講演会後半は横田さんご夫妻のお話しでした。
お父様の滋さんはめぐみさんが拉致された、そのいなくなった時の話し。
そして行方がわからなくなるまでの話し。
時間は止まっているかのようで滋さんの中のめぐみさんは13歳の少女のままでした。

お母様の早紀江さんのお話しはショックを覚えました。
あの北朝鮮ごとき国に娘を拐われ。
何十年と逢えずにいる。

行方不明となり20年、言わば誘拐事件だと思っていた。
だから、生きているのか?死んでいるのか?
それすら解らずに過ごして来た。

お母様はこう仰りました。

「私達は、めぐみは誘拐され殺されているんじゃないかて思って、出かけた先で盛り土や少し盛りあがった場所を見つけるとあそこにめぐみが埋められているんじゃないかと探したりしてきまた。そんな20年でした」
つまりご両親はいわゆる「誘拐事件」だと考えて20年過ごして来られた。
20年間、見当違いな捜索や活動をして来てしまったのです。
盛り土を掘り起こしても、山を探しても、そこにめぐみさんはいません。
絶対に見つかる筈はありません。

それが解らず、無駄な努力をさせられて来たのです。

そして20年が過ぎ実は北朝鮮に拉致されたのだと。娘は生きている。日本海を隔てた、すぐ側の、あの半島にいる。
相手が国なら、日本国が動けば娘は帰って来る。
そう思うのでした。

しかし、実際は我々の知る通り。

我が国には取り返す手段がない。

日本国には国民を守る法律も憲法もない

奪われた愛する人を取り返す手段は一つもありません。

それが横田夫妻に突き付けられた現実です。

その中にあって「孫が実はいて、更にひ孫までいた事は私達夫婦には、とても幸せな事なんです」と仰るのです。

お父様の滋さんを拝見したなら、かなりお体の調子が悪く、歩くのも困難な様子でした。
拉致された当時、まだ40歳前半だったご両親は今や80歳を超えます。

私はお父様を拝見し「あまり時間はないな…」と正直思ってしまいました。

それと同時に言い知れぬ怒りが込み上げました。
明らかな怒りです。

我々は拉致被害者を取り返す話しばかりしています。
しかし、私は違う思いもあります。

それは「何故、拉致が起きたのか?」
その議論が殆どない事です。

何故、北朝鮮ごとき国に国民が拉致される事態を招いたのか?
何が原因なのか?

国会でも、その議論を見たことがありません。

拉致の根っこは「何故起きたのか?」です。
何故起きたのかを追求しなければ再び拉致という悲劇を招きます。

例えば航空機事故も起きれば事故調査が行われ、徹底的に原因を究明します。
そして原因が解れば、徹底的に改善措置が取られます。
そうしなければ、例えば御巣鷹山の日航機のような悲劇を繰り返すからです。
そして悲劇を繰り返さない措置を講じることで犠牲者の方々は、少しだけ報われる。
無駄死にしない。

なのに拉致に関しては皆無です。

拉致被害者救出には、その要因となる事を徹底的に改善しなくてはいけない。
私はそう考えます。

そしてとるべき手段、やるべき措置は全て取る!

何故、我が国は二進法的思考しかしないのでしょうか?

それは交渉か戦争という世論です。

例えばアメリカにはFBIという警察組織があります。
この組織には海外での警察権行使を認めています。
つまり、アメリカは最後の手段に至るまでの段階を有しているのです。

例えば国際的テロリストを匿う国があったとしても「国際的紛争にしたくないならFBIに捜索させろ、そして捜索活動を支援しろ」と言えるのです。

それやこれや段階を経て、それでダメなら軍事的オプションを選択する。

しかし、我が国にはその選択がありません。
世論は常に二分します。
白か黒、1か0。
何故ですか?

小泉訪朝から14年。対話と圧力と言ってやって来た。対話も圧力も効果は全くありません。
それでもダラダラと何時迄も続けるのですか?

何故、拉致を許したのかをしっかり議論しない日本国民は腐っています!

己れが何者か!

子供を二人以上産む

大阪の校長の発言です。

今から日本の将来にとって、とても大事な話をします。特に女子の人は、まず顔を上げて良く聴いてください。女性にとって最も大切なことは、こどもを二人以上生むことです。これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります。

なぜなら、こどもが生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。しかも、女性しか、こどもを産むことができません。男性には不可能なことです。

「女性が、こどもを二人以上産み、育て上げると、無料で国立大学の望む学部を能力に応じて入学し、卒業できる権利を与えたら良い」と言った人がいますが、私も賛成です。子育てのあと、大学で学び医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けば良いのです。子育ては、それ程価値のあることなのです。

もし、体の具合で、こどもに恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれないこどもを里親になって育てることはできます。

次に男子の人も特に良く聴いてください。子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです。女性だけの仕事ではありません。

人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てをすることが、親に対する恩返しです。

子育てをしたら、それで終わりではありません。その後、勉強をいつでも再開できるよう、中学生の間にしっかり勉強しておくことです。少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。

やっぱり結論は、「今しっかり勉強しなさい」ということになります。以上です。


これが全文です。

これの何処に問題があるのでしょうか?

子供を産むことは大切です。
子供がいなくなれば日本は無くなります。
至極まっとうな話しです。

これを批判する人間こそが批判されるべきです。

少子高齢化が叫ばれる昨今。
人口減少が問題になっています。

何故人口減少するのですか?

それは子供を産まないからです。

子供を産み乳を与えることが出来るのは女性だけです。
男の私は子供を産む事が出来ません。

価値観の多様化なる言葉で、子供を産むことを校長が強制しているなどと言う話しは全くの観念論で、ハッキリ言ってアホです。
何故、アホかというなら己れが何者か解っていないからです。

我々人間をなんと考えているのか?

我々人間もこの地球に暮らす生物です。

有性生殖生物です。

有性生殖生物とは、オスとメスがいて交配し子孫を残します。
メスは出産し乳を与える。
オスは子孫とメスを守る。

これは価値観の問題ではありません。

地球に暮らす生物共通の営みで、これが生物の根っこで存在理由です。

それを価値観の多様化などと言うのは自らを何者だと思っているのでしょうか。

犬も猫も、ライオンもシマウマもラクダも。
全ての生物の根っこです。

私は「価値観の多様化で…」と言って交尾をしないメスライオンを見たことも聞いたこともありません。

私の尊敬する物理学者アインシュタイン先生の相対性理論。
その公式はスッキリと明快にして美しい!

これ以上ない美しさです。

何故かと言うなら、全ての事柄を矛盾なく一つの公式にまとめたからです。
正に真理だ!
その様に思えます。

幾ら美しい公式を作ろうと、そこに人間という要素が無ければ真理ではありません。
我々人間も宇宙を構成する一部であり、我々が暮らす地球も宇宙を構成する一部です。

そして、その地球に暮らす生物の共通の営みがあるのは地球の活動に必要だからです。

ですから、子を産み育てる事はこれは価値観ではないのです。

人口が減少すれば、やがて日本は無くなります。
それが人類全体に及べば人類は滅亡します。

この地球生物共通の営みを否定するアホは自ら生物ではないと言っているのです。
生物でないならば殺してもかまいません。
殺人にもなりません。
いいとこ器物損壊です。

また、子育ては夫婦で助け合いと言ってます。
辺り前ですね。

これが理解出来ぬバカは一体どうやって産まれて来たのでしょうか?
勝手に畑に生えてきたんでしょうか?

我々、皆人間のオスとメスがいて産まれて来たのです。

それは、地球が誕生し、生物が産まれ繰り返してきた根本です。

もちろん多様な生き方はあります。
しかし、子を産み育てる事は生物の根っこ。
価値観の問題ではありません。

そうすと「子を産めない人はどうするんだ」とか「差別だ!」とかアホほどよく吠える。

ンなもん同じ土台で話す方がアホです。

例えば、足が不自由で車椅子の方が、両足に障害のない私に「お前は差別している」とか言うでしょうか?生まれてこの方、そんな経験は一度もありません。

こんなものは論理のすり替えでしかありません。
出産する女性を優遇すると、産めない女性への差別だとか、全くアホな論理です。
出産、子育てをする人と、出産しない人が同じ時間でキャリアやスキルが持てるのか?
全く土台の違う話しですよ。

カエルと鯉はどちらが雀?
ぐらいアホな話しです。
「ん~カエルが肺呼吸だから雀」とか言う人がいたら私は間違いなく、然るべき医療を受ける事を勧めます。

男は子を産めない、その男に子宮をつけて産ませようとか、人類はこれからは培養して子を作るので妊娠しないとか。
或いは人類に変わる存在に人類の代わりをさせるとか、それなら価値観がーっ!なんて話しは理解しますが、今のところそんな議論はありません。

また妊娠出産、子育てをして社会に復帰しようとしてもブランクが邪魔で…云々
だから産まない方が有利だとか。
アホですか?

それが理由ならアホ過ぎますよ。

現在の社会構造を前提に校長の話を否定するなら日本は腐れて行きますよ。
先ず、何が論理的に正しいのか?それを決めないといけません。
子を産み育てる事は生物共通の営みで、これが正しいのですよ!

それで、これが女性の社会進出を阻んでいるなら現在の社会構造に問題があるので、それを改善する努力を我々はしなくてなりません。
その為にアホだが暇を持て余し「仕事がしたい」という人間を国会に送り込んで血税で飯を食わしているんです。

改善出来ぬアホをあなたは血税で食わしているんですか?
ならば、あなたもアホだ!

以前にも書きましたが、女は命の源で子を産み育て次の世代を繋ぐのです。
男はその女子供を守り死ぬのです。
それが生きる理由で存在理由です。

あなたも私も、男と女がいて産まれたんです。

守るべき子供を守り切れなかった横田滋さんの悔しさたるやいかばかりか…

父母がそうやって産みあなたや私が存在するのです。

人口が減少し労働力が足りなくなるから移民を受け入れろ!
なんて、言うアホは生物ではないのです。

子を産まないのは、私はある種「殺人と同じ」だと思います。
やがて人間は滅亡へと向かう。
これは殺人です。

いい加減アホの観念論と独善には怒りを覚えます。






日本死ね!

2016-03-24 20:50:25 | 草莽崛起
「保育園落ちた日本死ね」も随分話題になりましたね。

その一方で「子供を二人以上産もう」と言った発言もありましたね。

日本死ねは問題なくて、子供を産もうは大バッシング。

日本死ねに大賛同でデモまでやります。

子供を産もう!のデモはないんですかね?

この辺りに我が国の病巣を見ましたね。

日本死ね!

日本死ね!と言って問題にならない現在の我が国は狂っています。

日本死ね!と言う事は日本に生まれ、日本に暮らす、日本を祖国とする私に死ねと言っているんでしょうか?

私の愛する人にも「死ね!」と言ったのでしょうか?

ならば、全力で対抗しなければなりません。
個別的自衛権行使の事態です。
憲法は個人にも有効です。

私の自衛権を行使する事態です。

しかし…

我々は「死ね!」と言われても言い返せない相手がいます。

それは

拉致被害者

我々は拉致被害者の方々に「日本死ね!」と言われても言い返せない。

拉致を許し、拉致されたまま取り返しも出来ない。

一体どれほどの時間が過ぎたのでしょう…

例えば、横田めぐみさんが戻って来られて「日本は我々を見捨てたままにした、日本死ね!」と言ったら。
あなたは、言い返す事が出来ますか?

「いや我々も努力した」と言えるのか?

「どんな努力をしたのか?」の質問に「対話と圧力が…」なんて。

私が拉致被害者の立場なら「バカを言うな!」と怒るでしょう。

拉致され、何十年も放置され、それで救出されたとて素直に感謝など述べれるものではありません。

私なら「何故、何十年も放置したのか?」と質問します。

その時に「憲法が…」とか言うのでしょうか?

他者に死ねなどと言うアホは、保育園に落ちます。

しかし、拉致被害者は違います。

我々が迎えに行き「帰りましょう」と言って素直に「はい帰ります」と言って貰えるのか?

帰って来られて、一人も肉親が生きていない場合もあります。
そんな状況で帰って来られて一体どう生きれば良いのでしょうか。

変わらぬ憲法。

それを許したのも、我々主権者です。

憲法を改正して救出する。
その為に憲法改正は必要です。

では

「憲法改正をするので、あと暫くお待ち下さい」

そんなことを拉致被害者の方々に言うつもりですか?

いい加減にしませんか?

一体、日本国民は同胞をどう考えているのですか?

いい加減、血を流す覚悟をしなければ我が国は他国の餌食になります。

アメリカは北朝鮮のテロ国家指定を解除しました。

拉致はテロで侵略です!

日本はアメリカに対し北朝鮮へのテロ国家指定を要請すべきです!

しかし、安倍政権と言えど未だ水面下でも要請はしていません。

一体どう救出するつもりか!

あなたや、あなたの家族が殺されようとしていても我が国は見殺しにするのか?

アホの左翼は「憲法は国民が国家の暴走を縛るものだ!」とか言います。

我が国の憲法はアメ公が一週間で作り、我が国が2日で翻訳した憲法です。

縛るのは国民ではなく、作ったアメ公です!

我々は現憲法を作っていない!

アメ公が日本を縛る為に、国際条約に違反して押し付け憲法だ!

我が国には残念ながら、我が国を壊し、拉致被害者の救出を阻む輩がいる。

いい加減にしないか!

日本国民よ!

dedicationという生き方

2016-03-23 10:07:21 | 草莽崛起


dedication(デディケィション)

それはイキイキとして生きる為に必要なものではないか?
と、考えます。

ではdedicationとは何でしょう。

生きているのか?

あなたは生きていますか?

そう聞かれたら「当たり前だ!」と皆さんは答えるでしょう。

当然です。

死人はこのブログを読めるはずありません。
読んで頂いているという事は間違いなく生きている。

では生き生きと生きているのか?

そう聞かれると少し戸惑います。

「果たして自分は生き生きと生きているのか?」

例えば哺乳類は生物学的には、メスは閉経を迎えると死にます。
これは、子孫を残せなくなったからです。
子孫を残せないと死んでしまいます。
つまり、動物は子孫を残して行く事が生きる理由なのですね。
だから子孫を残す機能が終われば死にます。

例えば哺乳類は一夫多妻が多いです。
ライオンなどは典型的です。
ライオンは一頭のオスに数頭のメスがいて、一つの群れを形成しています。
オスライオンの役割りは群れを守る事にあります。
そして、若いオスライオンが現れ、群れを守るオスがその若いライオンに群れを奪われたら、奪われたオスは死にます。
何故なら、オスライオンはメスを従え群れを守り強い遺伝子の子孫を残すことが生きる理由だからです。

群れを奪われ、自らの遺伝子を残せなくなれば生きる理由がなくなります。
だから死にます。

すべからく生物には生きる理由が必要なのです。

繰り返しの平等

生物には生きる時間があります。

例えば、ネズミ。
ネズミの寿命は3年程度です。
しかし、象の寿命は70年程度です。

ずいぶんと不公平な感じがしますね。

象はネズミの20倍強生きるのですからね。

しかし、この感覚は我々人間が感じるものです。

ネズミと象では代謝速度が違います。

象とネズミでは代謝速度が20倍違うのです。
体が大きく、動きがゆっくりとした生き物ほど代謝速度が遅い。

ですから、何年生きた!では寿命とは言えません。

ネズミは代謝速度も早く動きも早い。
振り返るスピードを見てもチョコマカ素早く振り返ります。
一方、象はゆっくりと振り返るり、代謝速度も遅い。
これを振り返りの回数で見てみると生涯の振り返り回数はどちらも同じ。
例えば6000回振り返ると死ぬとします。
ネズミは3年で6000回振り返り死にます。
象は6000回に至るまで70年かかると言う事です。

象もネズミも生涯の心拍数は同じ。
同じ数だけ心臓が鼓動すると死にます。

つまりは繰り返しの数はどの動物も同じなのです。

人間は違いますが…

では我々人間はどうでしょう?

少なくとも人間のメスは当てはまりません。
メスとはつまり女性ですね。

人間の女性は閉経を迎えても死にません。
閉経を迎え、子を産めなくなっても生きています。
今や日本の女性の平均寿命は80歳を超えます。
だいたい50歳で閉経を迎えたと仮定しても、その後30年以上も生きています。
生物学的には何の生きている理由はありません。

しかし、人間は知能が発達し複雑な社会構造を持ちます。
この様な人間界では女性は閉経後もやらなければならない事があるのです。
孫の世話もそうですし、経験を次の世代に伝えなければなりません。
複雑な社会構造であればある程に、そうした事が沢山あり閉経後直ぐに死んでは子孫が繁栄しないのです。
子孫に良い事や悪い事を伝えていかねばならないのです。
女性というのは何と偉大なる生き物何でしょう!

方や人間のオス。

要するに男性は、平均寿命は女性より短いです。
だいたい79歳ぐらいです。
それでも自然から考えればずいぶんと長生きです。繰り返しの平等からは外れます。

しかし、その長い寿命も妻帯者や異性のパートナーが存在している場合です。

独り身でパートナーのいない男性は10歳近く寿命は短いのです。

男性の場合はパートナーの存在こそが生きる理由だからです。
守るべきパートナーがなければ死にます。

ライオンと同じですねぇ。

人間の男性は寿命は自然界よりは長いけれど生物学的制約は受けているのです。

人間の男性というのは女性の存在があって初めて成り立つと言っても良いのではないか?
そう思います。

そんな男性が女性より上位だと考える白人社会は一体どういう社会構造なんでしょうかね…

生きていると言う事

ここで、先述の質問に立ち返ります。

生きているのか?

私は生命活動をしていることだけが生きているのか?
そう考えます。

生物が生物として生きる為には理由や意味が必要です。

生きるとは

呼吸をしている
これは当たり前ですね。
呼吸がなければ死んでます。
死人です。

これは単なる生命活動であって人間として生きているのか?と考えます。

私は人間として生きているとは生物としての生命活動だけではないと思います。

生きているとは生きている実感ではないでしょうか。

例えば

愛する人がいる

愛されている

今日より明日が良くなっていると思える

飯が美味い

過ぎた昨日を悔やまない

まだ来ぬ明日に不安にならない

誰かの助けになっている

いつ死んでも良い

まだまだありますが、こんな感じではないでしょうか?

愛する人がいて、愛されていると感じるだけで人は生き甲斐を感じます。
生物には生きる理由が必要です。
愛する人を守るとか愛してくれる人を大切にしたいと思う事は生きる理由に値します。

今日より明日が良くなっていると思えたなら、また明日頑張ろうと思えます。
日に日に悪くなると考えていたら頑張ろうと思えませんね。
だから、過ぎた昨日を悔やまない。

今日は夜になり終わります。
夜が明け、朝が来ればもう過去です。
時間は巻き戻せません。
反省はしても後悔は必要ありません。

また、まだ来ぬ明日を不安に思っても意味はありません。
明日にならなければ明日は解りません。
解らないことをあれこれ不安に感じて萎縮しては何も出来ない。

いつ死んでも良い。
死を恐れては何も出来ませね。
人は必ず死にます。
死なない人はいません。
いつ死ぬかも解らない。
解らないことを不安に思っても死にます。
死を過剰に恐れては通りも歩けません。
歩いているだけなのに車に轢かれて死ぬかもしれない。
御飯が喉に詰まり死ぬかもしれない。
死など直ぐ側にあるけど、いつ我が身に起こるのかは誰も解らない。
ならば、いつ死んでも良い覚悟で毎日を精一杯過ごした方が有意義ではありませんか?

誰かの助けになっている。
我々日本人と世界では「労働」や「勤労」に対する考え方が違います。
日本人にとっての勤労は喜びです。
世界では勤労や労働は「苦役」です。
世界は働くことが苦痛なんです。

しかし日本人は然程苦痛とは思わない。
何故ならば、その労働で誰かの助けになっていると考えるからです。
そして自分自身も誰かの労働に助けられて生きていると考えるからです。

誰かが私の労働で助けられて生きていて、私も助けられて生きている。
人の役に立っていると思える喜び。
これが日本人なのです。

他者を尊重する社会構造こそが我々日本人の生き方であり、労働や勤労はその他者を尊重し思いやる一つの手段であると思います。

dedication

dedicationとは日本語にするならば
献身或いは献上と言うことになりましょうか。

例えば、メジャーリーガーのイチロー選手やサッカーの本田圭佑選手。

彼らにはもちろんプロアスリートとしての野心もあります。

しかし、インタビューなどを見聞きすると、その根底にあるのは「好きだから」。

野球が好きで野球がやりたくて、一生懸命にやってきた。
その結果、メジャーリーガーとなり素晴らしいキャリアを積み一流選手となる。

サッカーが好きで、楽しくて、その好きなサッカーが誰よりも上手くなりたいと思った。

一流選手となる道のりは険しく、簡単にはなれません。
しかし、辛くても苦しくてもスポーツを続けた。
結果、一流選手となったのです。

そして、野球やサッカーの素晴らしさを伝えたい、広めたい、子供達に夢や希望を与えたい。
それは「好き」だからです。

だから野球やサッカーに「dedication」してきたのです。
子供達に夢や希望を持って貰える様に。
それがアスリートとしての生きる理由です。

自分の為だけに生きていても、虚しさしかありません。
何故なら、喜びを得られないからです。

人間には動物とは違う生きる理由が必要で、生きる理由なく生きていても虚しさが増していくのです。

自分の為に死ぬ人はいません。

女は命の源で、次世代を育てて生きていてだから女性は寿命が長い。

男は女と子供を守る為に生きて死ぬ。

誰かが誰かを支えて、自らも誰かに支えられて生きて、そして死にます。

それが繰り返されて世界にも稀な長い歴史を育んできたのが日本です。
それが国歌「君が代」の詩ですね。

和食は精神

昨今は世界的にも和食はブームですね。

スリムで健康な日本人に欧米人は「何故?」と考えました。

着目したのはでした。

日本の食文化、和食はヘルシーだとわかってきました。
健康的な美味しい。
和食はブームとなりました。

しかし、真似をしてみたけれど欧米人の健康が改善されたかと言えば、そうでもない。
何故あまり改善しないのか?

今度は日本人そのものに興味を抱きます。

日本人を調べてみると、体が丈夫でスタミナもある。
では、やはり和食に要因があるのか?
しかし欧米人にはあまり和食の効果は感じられていません。

では何が違うのか?

暑さにも寒さにも強く、病気にも強い。
何より強靭な精神力がある。

日本という国は四季があり雨季もあります。
一年の間に暑さ寒さ、穏やかな気候の時期もあれば雨ばかりの日もある。
一年間に日本人は寒暖差を体験します。

四季がある故に、自然は美しい。
しかし、厳しい災害ももたらす。

そんな自然と共に生きて来ました。
山に分け入り、海に出て自然を敬い生きてきました。
そうやって自然に分け入り、自然を敬い、自然と共に生きて来る中でいつの間にか体に免疫力がついているのではないか?
私はそう考えます。

中国や朝鮮半島で新型ウィルスが流行しようと、日本で同じように流行しない。
もちろん、海という隔たりや水際での防疫などもあります。
しかし、今や世界は簡単に往き来出来る時代です。
新型インフルエンザが話題になったとき、どういう訳か日本人の30代以上は、その新しいインフルエンザの抗体を持っていました。

また、ある研究者の話によると世界一笑顔が絶えない民族が日本人だという話しもあります。

西洋人にとって「苦役」と思える過酷な重労働の最中にも冗談を言い合って笑っている。
どんな過酷な状況でも笑顔を忘れない。

笑うということは免疫力を上げるそうです。
作り笑顔でも効果はあるそうです。

そして和食もそんな背景から生まれたのではないかと思います。
食だけを真似てもダメなんですね。

どんな時も底力

日本人というのは本当に強い民族だなぁ
そう思います。

例えば、東日本大震災を見ても、あれ程の災害にみまわれながらも人々は思いやりを忘れず秩序を乱すこともありません。
そんな民族だとわかってはいた「友達作戦」で日本を助けてくれた米兵が改めて驚いたと言っています。

ここ一番、死を覚悟する状況にも決して思いやりと秩序を忘れません。

例えば、先の大戦で「生きている英霊」とか「不死身の軍曹」と呼ばれた船坂弘軍曹を見ても感じます。

以前に紹介しました、船坂弘軍曹です。
不死身の分隊長

死を覚悟しても、自暴自棄にならず最後のど根性を見せる日本人。

それは現代にも繋がり、あの東日本大震災で我が身を捨て必死に避難を呼びかけ、遂に津波に巻き込まれ帰らぬ人となった南三陸町の防災センター職員の方々。

我々、日本人には長年培ってきた強靭な肉体を持ち、その肉体には「他者を思いやる」という精神が宿っています。

他者の為に生きて、他者に生かされる。

肉体と精神は切り離せません。
それが魂という表現になるのではないかと、私は考えます。

我々日本人は魂の穢れを嫌います。
魂は連綿と続くと考えるからです。

魂が穢れては、ここ一番のど根性は出せません。

他者を思いやり、他者を生かし自らを生かす。
そんな生き方をしてきた日本人の魂こそdedicationという生き方ではないでしょうか。

そうでなければ、あの悲惨な沖縄戦、硫黄島の戦い。
東京大空襲を始めとする都市爆撃や広島長崎の原爆投下などの民間人大虐殺。

これらの厄災を笑って乗り越えては来られなかったと思います。

たとえ身はそつるとも魂は穢さず。

少しだけ、根っこを見つめてみました。

それは戦争ではない!

2016-03-14 12:13:34 | 草莽崛起
3月10日

東京大空襲の日です。

その前後にも数回空襲を受けてはいますが、とりわけ3月10日は死者数が10万人を超えた悲惨なものとなりました。



戦争と言うな!

この東京大空襲に用いた爆弾は「焼夷弾」と呼ばれる物です。

いわゆるナパーム弾という爆弾で、通常爆弾とは違い炸裂後、辺り一面を焼き尽くすのです。

アメリカ軍人カーチス・ルメイ立案指揮の元行われました。

もう満身創痍であるはずの我が国の女子供、年寄りにいたるまであらゆる非戦闘員、つまりは民間人を殺す為に用いたのが焼夷弾です。

例えば軍事施設を攻撃する為ならば、炸裂弾で充分ですし、民間人しかいない場所を攻撃する必要はありません。
民族を根絶やしにする恐怖を与えるのが目的です。

そして、必ずこの東京大空襲をもって「戦争は悲惨だ、戦争をしてはいけない」と日本人は口にします。

確かに戦争は悲惨です。
戦争などしたくはありません。

しかし、外国に無理難題を言われたら我々は民族の根幹と自決、子々孫々を守る為には武器を取らねばならない。

しかし、東京大空襲を始めとする都市空襲や広島長崎の原爆投下。
これは、戦争ではありません。
悲惨な戦争の一つの出来事ではあります。

しかし、民間人を空襲するなどは戦争ではない!

これらは戦争の名を借りた
大虐殺


戦争とは軍対軍が戦争であって、民間人は巻き添えになる事はあるが極力避け、民間人の命を狙ってはいけない。
これが、悲惨な戦争を繰り返した人類の最低限のルールで国際条約です。

都市空襲や原爆投下などは戦争ではなく、単なる民間人大虐殺です。

これを以って「戦争」と呼べば、戦争の本質を見失う。

大虐殺と戦争は分けて考えなければならない。

戦後この立案指揮者カーチス・ルメイに勲章を与えた日本。
それを見れば如何に異常であるかは火を見るよりも明らか明らかです。

だから劣化という

我々日本人は世界に類を見ない高度な文化とモラルを持った民族です。

高度な文化を持っている者には人殺しや詐欺の技術など必要ありません。

しかし、明治の世を迎え我が国を虎視眈々と狙う白人達。

当時、世界は白人達に支配されていました。

我が国だけは白人達の支配を受けてはいなかった。

しかし今、正に白人達に支配されてしまう危険が生じ始めた。

その時、我々日本人が取った手段は劣化です。

この白人達に対抗する為に我々は人殺しと詐欺の技術を西洋から取り入れた。

日本ではアホの左翼は「男尊女卑」を叫びます。
これは明らかな間違いです。

本来、日本という国の文化は女性が上位なのです。
女は命の源。
だから、神道は天照大御神を祀るのです。
日本の神は女性です。

今もそれは変わりません。

女性の人権など叫び始めたのは戦後の事です。
今も我が国は根本は女性が上位です。

と、言ってもそんな実感はない女性が多数でしょう。

それこそが我々日本人の劣化です。

以前にも劣化についてはアップしています。
例えばここです。

我々は本来必要もない人殺しと詐欺の技術を身につけなければ白人に対抗出来なかった。
高度な文化を持った民族に人殺しの技術など不要です。

しかし人殺しの技術を身につけた時から我々は劣化し始めたのです。

今女性方が女性上位を実感出来ないのは正に、そこにあるのです。
人殺しの技術、つまり戦争を始めた時点で男尊女卑という白人の腐った文化に劣化していったのです。

しかし、毎日昼飯をワンコインで済ますお父さん。
しかし、嫁さん達は女子会と言って何千円もするランチを楽しむ。
それで男尊女卑もあったもんじゃない!
と、聞こえて来そうですが…

我々は人殺しの技術を身につけたけれど、二千年を超える歴史と文化を劣化させてまで「戦争」はしていません。

大虐殺を戦争と言ってしまう現代日本人。

少し立ち止まり考えてみませんか?