犬神スケキヨ~さざれ石

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愛を以って義に命を捧げ

2015-06-25 20:42:14 | 草莽崛起
毎日暑いですね~。

本日はまたまた古事記ではありません。

しかし古事記シリーズは続きます。

古事記とは日本の哲学ですね?
その、哲学に繋がる話しをしてみようと思います。

古事記を離れたとて、その哲学は根っこで繋がるのです。
何故ならば日本人だからです。

そんな哲学を持った日本人が生きて、そして死んだ。
そんな話しです。

最近はあちらこちらで語られる様になって来たので知っている方もいらっしゃると思います。

しかし「最近」と言うWordが出る話しです。

戦神

我々と同じ日本人でかつて戦神(いくさがみ)と呼ばれた男がいました。

男の名前は根本博。

大日本帝国陸軍中将です。

明治24年(1891)生まれ、二本松藩(福島県岩瀬郡仁井田村)現須賀川市出身です。

仙台陸軍地方幼年学校を出て、陸軍中央幼年学校に上がり、陸軍士官学校を23期で卒業されました。

陸軍大学34期生として陸軍に任官し、以後陸軍畑一本の道を歩んだ人です。

本来の目的

終戦時、根本博中将は駐蒙軍司令官としてモンゴルに居ました。

八月十五日、中将のもとに「武装解除」の命令が届きました。

八月九日以降、ソ連軍があちこちで略奪、暴行、強姦、殺戮を繰り広げていました。
この情報は勿論、根本中将のもとにも届いていました。

その中で八月十五日、ポツダム宣言受諾と共に武装解除命令が下っていました。

しかし、「我々が武装解除したからとて…日本人居留民が保護されるのか…」その確証もなく悩んでいました。

考えた挙句に民間人の命を守るのが軍人の仕事だ!その守るべき民間人の保護に確たる見通しがない!としこの武装解除命令を無視。
独断で「理由の如何に関わらず、陣地に浸入するソ連兵は断乎コレを撃滅すべし!これに対する責任は一切司令官が負う!」と、命令を発しました。

八月十九日遂にソ連軍と支那八路軍の混成軍が蒙古へなだれ込んで来ました。
ソ連製T型戦車を先頭に、周囲を兵で固め空爆を駆使し数万の軍勢で一気に日本軍をなぎ倒そうとしたのです。

激しい戦いは三日三晩。

そもそも根本中将率いる駐蒙軍はソ連軍が攻めて来た時に2日間の猶予を求めました。
4万人近い日本人居留民がいたからです。

けれどソ連軍は聞き入れませんでした。

そして「軍人の本分は民間人の保護にある!民間人保護の確たる見通しがない状態で武装解除には応じず!」の決断をしたのです。

この決意を知った日本軍将兵の士気は一気に上がりました。

すでに祖国の敗戦を知りながら、日本人を守る為に戦う!この一点に士気は上がりました。

20日午後及び夜間にソ連軍が攻撃してきましたが、これを反撃し撃退。
21日各方向から一部陣地内に混成軍が突入しましたが白兵戦を交え、奪還攻撃をかけ、迂回して陣地後方要点を占領し混成軍を撤退させました。

そしてこの日の夕方には張家口に集まった日本人全員の引き揚げを完了させています。

この戦いで戦死及び行方不明70名。
しかし、顕彰される事はありませんでした。
しかし間違いなく邦人4万人の命を救いました。

この戦いに先立ち、根本中将は避難民の為に列車を手配し、各駅にあらかじめ軍の倉庫から軍用食や衣類をトラックで運ばせていました。
引き揚げる日本人が衣食に困らないようにしていたのです。
その手配のお陰でモンゴルから脱出した邦人には他の地域で見られた様な悲壮感は少なかったのです。

また、張家口から天津まで列車で7時間位の距離です。しかし、3日かけて天津に到着。
その際も要所要所に軍人を配置し、この列車の護衛に当たらせました。

同時期の他の地域では、在留邦人が女子供ばかりの所を襲撃され皆殺しにされ、混成軍兵士から暴行凌辱を受け、或いは地元民に襲撃されて所持品は着衣まで、文字通り身包みを剥がれたりしていました。

21日ソ連軍を蹴散らした根本中将率いる駐蒙軍は夜陰に紛れて撤収しています。
列車は民間人移送の為に使用されていた為、徒歩で帰還しました。

どんな時でも軍人たる者は、助けるべきを助け、命懸けの戦いをする。
そして自分達は最後に帰投する。

これこそ武人!古来から変わらぬ武人たる振る舞いです。

モンゴルでの戦いに勝った根本中将は武装を解かずそのまま北京に駐屯しています。
中将はそのまま北支方面軍司令官兼駐蒙軍司令官となりました。

それは根本中将に今度は北支那に残る軍民合わせて35万人の命が置かれたのです。

当時の支那は、まだ蒋介石の国民党が幅を利かせていました。
しかし、大勝利者を自負する蒋介石も根本中将率いる北支方面軍には手出し出来ませんでした。
根本中将以下北支方面軍が武装解除しないからです。

国民党軍の小競り合い、ソ連軍の支援を得た八路軍との銃撃は無数にあったけれども根本中将率いる北支方面軍はどの戦いも敵を完膚なきまでに叩きのめしています。
既に北支方面軍は装備も弾薬も不十分であるにも関わらず手出し出来ない。

次第に根本中将は国民党軍や八路軍にそれは恐ろしい戦神と呼ばれる様になりました。
支那人の伝統的思考なのでしょう、戦神には勝てないと思っていました。

遂に蒋介石は戦神と交渉することにしました。
昭和20年12月18日。
根本中将とて武装の目的は邦人保護にあります。断る理由はありません。
むしろ国民党の協力を得る方が得策です。

かくして蒋介石は次の要件を確約。
一、北支方面軍とは戦わない。
二、日本人居留民の安全と無事な帰国復員事業に協力する。

この時根本中将は「東亜の平和の為、そして閣下の為に私でお役に立つ事があればいつでも馳せ参じます」と蒋介石に謝辞を込め発言しています。

結果、在留邦人帰国復員事業は約1年で全員無事完了しました。
根本中将は昭和21年7月、最後の船で帰国しました。武人たる者は最後に帰るのです。

釣り竿片手に

帰国して三年が経ち昭和24年。

支那では国民党軍と共産軍の内戦が激化。
戦いは共産軍の勝利に終わろうとしていました。
人民解放軍と称していた共産軍はあちこちで虐殺を繰り広げていました。

蒋介石は撃滅され台湾に逃れていました。
米国務省は「既に国民党政府は大衆の支持を失っている」として国民党への軍事支援打ち切りを公式に発表しました。

蒋介石に残された場所は最早台湾。
ここを落とされれば台湾は現在のチベットやウイグルとなってしまいます。
とにかく共産軍はそこらじゅうで虐殺の限りを尽くしていました。
チベットに攻め込んだ共産軍は150万人を虐殺しています。
そんな連中が共産軍です。

この時、東京多摩の根本中将の自宅に一人の台湾訛りの青年が尋ねて来ました。
彼は李と名乗りました。
蒋介石率いる国民党の危機を伝えました。
台湾人は元同胞、元日本人です。
このまま蒋介石率いる国民党軍が負ければ元日本人が虐殺されます。

今こそ日本人居留民復員事業に力を貸してくれた蒋介石に報いる時だ!とこの危機を脱する為に力を貸す事を決意しました。

台湾行きを決意した根本中将は先ず元台湾総督明石二郎の息子、明石元長氏に会いました。

台湾に国民党が来て以来、台湾人「元同胞」が何かと差別され諍いが絶えない事を承知していました。
しかし、蒋介石が負ければ毛沢東率いる共産軍がなだれ込み共産政権に台湾は飲み込まれ、台湾人元同胞はもっと悲惨な目に合う。
明石元長氏は何とか軍事面で蒋介石を支援せねばと考えていました。
その折りに「戦神」からの面会。
これは台湾に送り込むしかないと考えました。

ですが終戦直後です。明石氏も無一文。
渡航費用がありません。明石氏は当時の手帳に「金、一銭もなし」と残しています。
どれだけ金策に苦労したでしょう。

そして、ようやく小さな船を手配出来ました。
船は釣り船です。昭和24年6月26日、延岡の港から台湾に向け出港しました。
それを見届けた明石元長氏は過労により4日後に還らぬ人となりました。42歳の若さでした。

根本中将を乗せた釣り船はGHQに見つからぬ様にと台湾まで最短を取りました。
しかし、途中大シケに遭い、出港4日目に岩礁に乗り上げ船に穴を開け板を貼って応急処置。
染み出す海水をバケツで汲んでは捨てを繰り返し台湾に14日かけて到着しました。

到着した時には釣り船はボロボロ、根本中将以下乗組員は痩せこけて髭は伸び放題。
まるで浮浪者の様でした。

一行は全員その場で密航者として逮捕されてしまいました。

根本中将は牢獄で「国民党軍を助けに来た日本人だ!」と何度も主張しましたが、誰も信じません。
まるで浮浪者の様ですから、当然と言えば当然です。

しかし二週間もするとおかしな日本人がいると噂になりました。

この噂を聞きつけたのが国民党軍幹部の一人。

この国民党軍幹部は根本中将が北支方面軍司令官だった頃に交流があった人物でした。
この幹部は「あの人ならば、あり得る」と直感しました。

国民党軍幹部が来ると知らされた看守達は慌てて一行を風呂に入れ食事をさせました。
この看守達の態度に根本中将は「いよいよ処刑か…」と覚悟を決めたそうです。

そこへ幹部が現れ「根本先生!」と駆け寄り手を握りました。
あの戦神が台湾に来た!これはどれほど心強い事か。

8月1日台北に移動した根本中将は国民党軍司令官である湯恩伯(とうおんぱく)将軍の歓待を受けました。

遂に戦神が

湯恩伯将軍は実は日本の陸軍士官学校出身の親日派で、日本語も流暢でした。

蒋介石の耳にも根本中将の話しがはいりました。直ぐに根本中将に会見を求めました。

蒋介石は根本中将に「老友人」と固く手を握りました。老友人とは古くからの友人、信頼出来る友人という意味です。

既に国民党軍ら福建省の廈門界隈だけが国民党が守る支那大陸の足掛かりでした。
最早これを失えば一気に共産軍に台湾へ攻め込まれ蒋介石の命は危うい。

その廈門視察に偽名を使い到着した根本中将は「ここは守れない」と判断しました。

更に廈門は20万人が住む商都です。
当然、民間人に犠牲が出る。戦闘になれば軍民の食糧確保など持久戦など無理です。

しかしすぐ対岸の「金門島」は廈門の外側にあり、海峡が狭く海流が早い。
上陸には時間が掛かります。
島民は4万人、島民は漁業とサツマイモ栽培で生計を立てており食糧自給が出来る。
大陸との通行を遮断されてもここを拠点にすれば長期戦が出来ます。

この考えを湯恩伯将軍に話しましたが、湯恩伯は押し黙る。

廈門を放棄すれば共産軍はそれを宣伝します、そうなれば湯恩伯将軍は敗軍の将となり延いては蒋介石の信頼も失うかもしれない。

しかし根本中将は「台湾防衛、国民党政府を守ることが重要です。自分の名誉より台湾を守る道筋を付ける事が軍人の務めではありませんか?」と湯恩伯将軍に迫ります。

この根本中将の言葉に湯恩伯将軍は決意。
廈門を棄て金門島死守に転じます。

根本中将は作戦を立てました。
共産軍は海軍がありません。海を渡るには近辺からジャンク船と呼ばれる小型の木造船を調達しなければなりません。
この木造船ならば海で迎え討つことも出来ますが、それでは損害が少ない。

そこで敵の大兵力を一旦上陸させ、その上で一気に殲滅、国民党軍の圧倒的強さを見せる。

先の大戦で帝国陸軍が得意とした塹壕戦を採用しました。海岸や岩陰に穴を掘り、敵を誘い込んで殲滅するという、硫黄島や沖縄戦で米軍に大打撃を与えた戦法です。

根本中将は作戦遂行、更に成功する為に細かに指示を出しました。

10月1日、中華人民共和国の成立宣言が発せられると毛沢東は勢いに乗り金門島に立て籠る国民党軍を「こんな小島、直ぐに取れる。大兵力を送り込んで残党をひねり潰すだけだ」と豪語しました。

10月24日夜、遂に金門島への上陸作戦を開始しました。
金門島の海岸には2万の共産軍兵士であふれかえりました。

しかしアッサリと上陸。島からは一発の銃撃も砲撃もありません。
共産軍は悠々と上陸し露営の構築に取り掛かり始めたその時です。

突然共産軍が乗船して来た船から火の手が上がりました。

辺りが明るくなりかけた頃、突然島の中から砲撃音が鳴り響きます!

すると今まで何もないと思っていたところから国民党軍の戦車21両が現れ37mm砲を撃ちまくりながら共産軍2万に襲い掛かりました。
逃げようにも船はありません。
共産軍は戦車が出てきた方向とは逆に逃げ出しました。

ずっと敗北を喫していた国民党軍は、殆ど始めてとも言える快勝に兵士達は血気にはやりました。一気に攻め込もうとしました。
しかし根本中将は待ったを、かけます。

「このままでは一般人に犠牲が出る、一般人に犠牲が出れば今後、国民党軍が金門島を拠点に抵抗するのが難しくなる」と諭します。

北方の戦車隊を後退させ南側から猛攻をかけ、敵に逃げ道を与え北方の海岸に後退させて、海からと陸からの挟み撃ちで包囲殲滅する作戦を湯恩伯将軍に進言。
湯恩伯将軍は根本中将のあまりの見事な戦術にこれをそのまま採用しました。

10月26日午後3時、根本中将の作戦に基づき南側から猛攻、案の定敵は北方へ後退しました。
そこにはあらかじめ砲艇が待ち構えています。

海からは砲艇、陸からは戦車。

共産軍に逃げ場はなく、阿鼻叫喚の地獄絵さながらの状況となりました。
共産軍の生存者は武器を棄て全員投降しました。

この戦闘で共産軍は死者1万4千人、捕虜6千人。

国民党軍は怪我人を含め3千人余り。

戦いは国民党軍の一方的勝利です。

この戦闘はアッと言う間に噂になり国民党軍に戦神と呼ばれる日本人が顧問についたからだ!とも噂になりました。

日本陸軍の強さは世界の常識です。
その陸軍の「戦神」が後ろに、共産軍からみれば死神を、いやそれ以上の恐ろしい者を相手にするのです。

共産軍の進撃は止まりました。

そして六十余年、今も金門島は台湾です。
眼と鼻の先に支那大陸があるのにです。

湯恩伯将軍、根本中将を出迎えた蒋介石は「ありがとう、ありがとう」と繰り返しましたが、根本中将は「支那撤退の際に蒋介石総統には大変世話になりました、その恩返しです」と答えました。

そして根本中将はこの功績に対する報償を一切受け取らず、また、日本で周囲の人間に迷惑がかかると、この戦いの一切の公式記録から自分を抹消してほしいと頼み台湾を後にします。

羽田のタラップを降りる時、根本中将の手には釣り竿が握られていました。

これは台湾に出掛ける時に家族に対して「釣りに行ってくる」と言って出掛けたからです。

そして出掛けた時のそのままに帰ってきた。

釣りに行くと出掛けて3年。
随分と長い釣行ですね。

しかし、これが根本中将なのです。

もう自分は退役した軍人です、だからこそ必ず家族のもとに帰る。
その為に釣り竿を手放さず残していた。
どんなに激しい戦いでも、どんな困難が有ろうと退役軍人は夫として父として家族のもとに必ず帰る。

根本中将が行方不明だった3年間、根本夫人もご苦労された筈です。
しかし、帰還した根本中将を責めることなく温かく迎え、一切愚痴など言いませんでした。

3年間夫が一体どこで何をして来たのかも解りません。
けれど、そういう夫は何か人の役に立つ事をしてきたんだろう…と、その一点だけは信じ切れる。だからこそ問わず、聞く必要もない。

時が来れば、知るべき時に知る。
その時まで夫を信じるのみ。

これが日本の武人の妻なのでしょうか。

その信頼がなければ根本中将も生きては帰れず、また3年も黙って夫を待てはしません。

あの戦後の混乱に何万人もの命を救い、台湾一千万の命を救い。

しかし一切の功績を誇る事も、報償を受け取る事もしませんでした。

其ればかりか何も語らず、一介の国民として戦後を生き昭和41年、遂に何も語ることなく永眠されました。

そして、冒頭に申した「最近」と言う意味は、台湾での功績です。
公式記録は一切なく、本人も話しをしていない為に誰も知らなかった。
しかし2008年遂にその事実が明らかになりました。
ご本人は結局、一切を語ることなく亡くなり何十年と経過して明らかになりました。

我々日本人の先達です。

我が国の本当の鍛え上げられた武人。
その精神を我々は後世に語り継がなければなりません。

本来の目的、本来の日本人の哲学である他者を生かす生き方が此処にあります。
我々後世はこの精神を引き継がなければなりません。

自分の為にだけ生きたとてそれは虚しさしか生みません。
誰かの役に立つ、誰かを喜ばせる、自分以外の他者を思う。

それが日本人であり、古事記にもある哲学であるからです。



無理をまだ続けるのですか?

2015-06-22 20:02:20 | 草莽崛起
毎日毎日、安保法制審議を見るのは辟易とします。

一体何処の国の安全保障の話しをしているのでしょうか?

混沌とする世界情勢に合わせ自国を、自国民をどうまもるのか?
世界の秩序が変わる中でどう存立させていくのか?

其れを現憲法下でギリギリ出来る事は何なのかを示し、其れを審議するのが国会です。

憲法

今般の法制案が違憲か合憲か?なんて言う話しを、憲法学者まで呼んでやっています。

こんなもんに大した意味はありません。

憲法学者なんてのは憲法を考えるのであって、安全保障なんか知るはずもありません。

以前から申している様に、違憲か合憲か?と言うならば安全保障全般が違憲です。

日本国憲法第二章戦争放棄

第九条
一項、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
二項、前項の目的を達するために、陸海空軍その他戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

さぁ、これをぐじゃぐじゃとくだらぬ解釈をせずに素直に読んで下さい。

読めばわかるぜ

一項は戦争放棄です。

戦争を放棄するのはもちろん、威嚇も武力行使も国際紛争を解決する手段として放棄しています。

二項では前項、つまり一項の戦争放棄の目的を達成する為に陸海空の軍隊更に他の戦力すら持たないとあり、戦う事も認めていません。

これをこのままやると、尖閣諸島に支那の公船が来ても例えばその公船が明らかに接岸しようとし、更に武器を準備していようと日本側は相手に銃口を向ける事が出来ません。

支那やロシアの軍隊が日に何度となく領空侵犯をしていますが、この際我が国の航空自衛隊はスクランブル発進をします。
しかし、この際に撃墜などは一切出来ません。
それどころか、実際は「出て行け!」と翼を振り実は威嚇射撃をしています。
明らかに憲法違反です。

二項を考えれば、陸海空の軍隊は持っていません。我が国に軍隊はない。
ならば自衛隊は何でしょうか?

自衛隊は国際的には軍隊であると認識されていますし、そうでなければなりません。

軍隊でなければ有事、つまり戦時に国際法で守られないからです。

では国内法では、軍隊ではありません。
建て前ではそうです。

軍隊ではなく、自衛の為の実力組織とされていますね。
チョット待って下さい!二項には軍隊以外にもその他戦力も保持しないとされてますよ!

戦闘機、潜水艦、戦車、イージス艦やミサイル艦。巡航ミサイルに魚雷に地雷に…
これが戦力でなくてなんでしょうか?

先のスクランブル発進では戦闘機を使っていますよ!
戦闘機は兵器であり武力ですよ!更に威嚇も禁じていますよ!

又、以前に北朝鮮の工作船を海保の巡視船が撃沈しました。
北朝鮮工作船と言うのは明らかで只の領海侵犯とは違います。
北朝鮮はこの工作船を使い我々の同胞を拉致していたのです。

しかし武力を以って撃沈しました。

「それは正当防衛だ」と言うのはもちろんですが、しかし交戦権は放棄していますよ。

正当防衛だろうと武力行使をしたんです。
交戦権を禁じているのにです。

このままで良いと?

さぁ何だか憲法云々が馬鹿らしくなりますね?

そこで護憲派と呼ばれる人間と話すと「九条はあるが自衛権を否定していない」とか「自身を守るのは自然権だ」と言います。

それはその通りでしょうね!と百歩譲ってみますが、しかし憲法に明記されているじゃないですか?全ての武力も交戦権も、更に威嚇すら放棄していますよ!
この事実をどうするんですか?

全ては解釈なんです!更にその解釈は如何様にも取れる。

これは、この憲法を考えたアメリカ人が語っていた事実を見ねばなりません。
「憲法を考えるにあたり、兎に角占領中は全ての武装を解除させて置く必要があった。その上で日本の国体を考える上で1~8の条文はかなり悩んだ」と。

更に憲法改正のハードルが高い事に関しては「いずれ主権回復した後に必ず日本は憲法を改正するだろう、それは勿論国民総意であるはずだから、この程度のハードルは高くもない」
つまり、主権回復したら我々日本人が日本人の手で憲法改正をするはずで、一見高い様に見えるハードルも決して高くはない。
占領下でそれをさせない為のものだと言っているのです。

しかし原案を作った側も驚きの未だ改正は一回もしていません!
しかし、帝国憲法も一回も改正していない。

これは日本人独特の、日本という国独特のものなんです。

我々日本人は日本という国が何時からあるのかよく解りません。
日本人が何時から日本にいるのかすらよく解りません。

いつの間にか、我々が存在し。いつの間にか哲学があり、租税制度があり、国家観や理念がよくわからないうちからあった。
これは、この国の歴史が世界一長い、そして世界一長い歴史の皇帝を戴き、その中でいつの間にか国がある。

だから神話がある。

例えばアメリカの様な若い国はその建立の経緯やいつから国始まったのかハッキリと解ります。
1776年7月4日です。

ですから、憲法も法律もそこが起源で、出来た物が良くないとか時代に合わなければどんどん変えていきます。

フランスも支那もそうです。

しかし日本は戦争に負けたが、日本という国は無くなっていません。
紀元は2675年ですが、それは神武天皇が即位した年であって国家としてはそれ以前からあった。しかしそれが解らない。
文化も哲学もモラルも日本人としての理念もいつからあるのか解らないが、何故か上手くやって来た。

そこへ明治維新となり、急速に近代国家へと変貌し近代国家ならば持っている憲法を作った。
世界の憲法を見本に作った憲法は曖昧で、更にその曖昧な憲法を敗戦後まで一切改正していません。
その曖昧な憲法の最たる部分が「天皇統帥権」で天皇に指揮権はない。
それどころか行政の責任が誰にあるのかすら書かれてはいない。

だから、戦争を始めるにも辞めるにもハッキリしなかった。これが悲劇の一因にもなったのです。

其処までの日本に憲法なるものは必要なかったのです。
日本人は憲法なるものがなくても上手くやって来たのです。
それはいつからあるのか解らない日本の根幹があったからです。

だから立ち返る

本来の日本、日本人の姿を考えるならば憲法は103条も要らない。

多くて20条もあれば充分です。

何故ならば、本来の我々の姿を考えれば解ります。我々のオリジナルの民主主義にあります。
この国のオリジナルの民主主義とは毎回申していますがそれは他者の為に生きる、他者を生かすことが優先と言う生き方です。

その生き方をいつからあるのか解らないけれども皆んながやっている。

そこへ立ち返るならば、憲法なんてもんは20条もあれば充分です。

第1条なんか「和をもって尊し」でよろしい!

ぐじゃぐじゃと解釈しなければいけない憲法なんて要りません!
学者が此れだけ議論して結論が出ない憲法なんか間違いです!

くだらぬ解釈で国を守る、国を営むことにはもう無理があるのです。
世界は変わっているのです。
この国の憲法はそれに既について行けていないのです。
だから憲法を改正しなければならない!

それは北朝鮮による拉致を見ても解ります。

無理な憲法を有り難がっている間に我々の同胞を北朝鮮如き国に拉致され、されたばかりか救出も出来ない。

アメ公様から頂いた憲法で、その憲法を有り難がっている間に日本人が他国にさらわれ、さらわれたまま取り返せない。
更に、その事実を知っていながら「平和」だなどという。

それは見て見ぬふりと言うのです。

そうやって無理を見て見ぬふりで過ごして来た結果です。
そこを金正日も心得ていた、だから「国家が拉致した」と認めたのです。
そう認めた時から、この国は憲法が邪魔をして拉致被害者を奪還出来ないのです。
金正日と北朝鮮はそれを知っている。
だから「国家が拉致した」と認めたのです。

帰結

何故、我々は自らを守るのに国論が二分するのでしょうか?

何故、拉致被害者を奪還出来ないのでしょうか?

我々は敗戦後、自らの理念を棄ててしまいました。他人の価値観に身を委ね生きてきました。
また、その様な教育を受けて「理念」を持つ事を悪としてきました。

日本と言う祖国がありながら帰るべき場所を自ら棄てました。

つまり帰結点を失っているのです。
祖国があるのにです。

例えば、フランスでは風刺画新聞社にテロがありました。
しかしフランスはこのテロに対し国論は二分どころか一致団結しました。

「テロには屈しない!」と国論は一致団結。
普段は個人主義な国がテロに対し一致団結するのです。
だから世界中の首脳を呼び手を繋いで行進したりできるのです。

それは帰結点がハッキリしているからです。

フランス革命に帰結することができる。
その革命の帰結点は「自らの平和と自由と権利は武器をとり血を流しても自らの手で守る」と言う理念です。
その理念に立ち返るならば国論は一致団結するのです。

戦前の日本にもそれはありました。
天皇の元、我々国民は平等で、そして他者の為に生きると言う理念です。

だからこそ、先の大戦で命を捧げた日本人がいた。その為に一致団結して戦った。
戦えたのです。

そう考えるならば、我々と同じ日本人が、我々の同胞が北朝鮮にさらわれたままで良いのか?

たまたま、自分じゃなかった。
たまたま、あなたではなかった。

たまたま自分の家族じゃなかった。
たまたまあなたの家族じゃなかった。

それだけのことです。

それだけのことで、見て見ぬふりをするのか?

今般の法案に反対する人達はこのままの日本で良い!と言っているのです。

我々の同胞が何十年も捕らわれたままで構わない!自分には関係ない!
今日、私が死んでないから平和だ!

このまま行けば、その利己主義が「一体何時からか解らぬ」時からそうですからねぇ…

と、いう事になりはしませんか?




古事記を摘んで日本を知る!その12

2015-06-17 22:41:32 | 古事記
今回12回目となりました。

今回は自分自身が何故、古事記をやるのか?
更に何故、今古事記なのか?

それを話してみたいと思います。

古事記が必要

古事記シリーズを読んで我々の日本を感じて頂けていると勝手に思い込んでいますが、皆さんいかがでしょうか?

古事記、延いては神道とはこの国の哲学ではないかと考えてます。

古事記の上つ巻は神話です。

神話、民話はその民族の根幹を形成します。
それがない程に歴史が浅い国には神話などはありません。

日本は西暦より長い歴史を持つ国です。

つまり、有史前から存在する国です。
日本人の根幹が古事記には詰まっているのです。

有史前から存在する国の始まりは神話や民話となるのです。

ですから、有史後の国には神話はありません。

因みに常に支那の属国で過ごしてきた朝鮮半島にも神話民話がほぼありません。

それは属国であったために自分達の歴史が宗主国の歴史になってしまうからです。

また、長らく識字率が2%程度であり文字を使う人も限られて、しかも漢字を使っていた朝鮮半島ではいわゆる『文献』が事実上残せません。又、古い文献は当然ながら漢字になります。

1970年以降、漢字教育を辞めた韓国では漢字が読めず宗主国の文献も読めません。

その点、日本は古事記編纂時には中国式に加えオリジナルの万葉仮名使いまでありました。

だからこそ、古事記日本書紀が編纂出来たのです。

その古事記が今この国に必要なんです。

本当の理念

さて、今般安保法制案について審議が国会で行われています。

憲法学者からは「違憲」だと言う発言が出ています。

違憲か合憲か?などと言う話しばかりで、自国の安全保障に付いての話しは見えて来ません。
憲法学者などは憲法については考えますが、安全保障については全く解っていません。
だから「憲法学者」なんです。

安全保障に付いて理解しているならばそれは「軍事外交の専門家」です。

むしろ軍事外交の専門家ならば、違憲などと言わず「必要な法制だ」と言う。

安全保障を考えるならば「ギリギリの解釈」によってでも国民の生命、財産、幸福を守る為に必要な最低限の法律です。

そのギリギリの解釈をせねばならない、それが現在の日本国憲法なのです。

これが「違憲」であるならば、そもそも憲法が間違っているのです。
憲法学者の中には「違憲」の理由をこのギリギリの解釈自体が間違いで間違いならば「改憲」しなければならないと主張する学者もいます。

だいたい憲法学者が半世紀以上も議論して結論に至らない憲法が間違っているのです。

安倍晋三の本来の目的は「改憲」です。
しかし、現段階で改憲をすぐできる訳ではありません。
現在から改憲迄の時間的空白こそがグレーゾーンなのです。このタイムラグこそが現行法の「切れ目」なのです。

何故切れ目があるのか?

簡単な話しです。
この「日本国憲法」が日本人自ら作ったものではなく占領軍が考え、英語での原文をどうにか日本語で解釈したものだからです。

日本人の根幹に根ざした理念がないからです。

憲法九条に於いては、あの日本共産党ですら噛みついた「どうやって国土、国民を守るんだ!」と最初に言ったのは共産党です。

1952年サンフランシスコ講和條約後、主権を回復したにも関わらず占領下に押し付けられた憲法を未だ使い続けています。

この日本国憲法は敗戦後、占領下に占領軍が作ったものです。
ですから、正確には占領日本国憲法です。

自主独立下で施行された憲法ではない。

戦後レジームからの脱却と言いながら占領日本国憲法を使っている。
此れでは全く『敗戦』から脱却できるはずがありません。


本来の教育

安保法制、憲法改正についても道は厳しい。
国を、国民を守る為に必要最低限の事すら進まない。

何故こうなるのか?

それはまともな考えで議論が出来ないからです。

そこで成すべきは「まともな考えで議論が出来る」人間、集団を国会に送ることです。

その為には『本当の保守政党』を作ることです。その為には教育が必要です。

敗戦後おかしな教育を受けていて、それで本来の根幹を理解することは不可能です。

そして本来の日本国、日本人としての哲学が古事記にはあります。

そして、ここにある神話こそが神道であり、この神道はいわゆる宗教ではなく日本人の自然哲学であるのです。

これを教育しなければ「日本人」としての理念がわからなくなります。

憲法は此処も

憲法改正と言うとすぐ思いつくのは、やはり9条ですね。確かに其れは喫緊の課題ではあります。しかし其れだけではありません。

政教分離の原則を示す憲法20条です。

そもそも何故政教分離であらねばならないんでしょう?

その理由を明快にこたえるならば、それは占領政策だからです。

戦後政策の一貫として『政教分離』となりました。その理由は、日本が軍国主義に走ったのは天皇を中心とした神道が原因だと占領軍が考えたからです。

一神教の国は神道や天皇陛下の存在の意味がわからないのです。
天皇陛下は確かに天照大御神の末裔ではあります。しかし「現人神」です。

現人神は神でありません。神の末裔で人間です。ですから唯一絶対の存在ではない。
神の末裔でこの国の統治者です。
全知全能の存在ではありません。

占領軍、つまりアメリカはこの2675年続く天皇陛下の御存在をイエスキリストと同じ全知全能絶対の存在で、その存在が故に国民は不毛の戦いへと向かったのだと考えたからです。

そして絶対に降参などせず命をかけ挑みかかる日本人に恐怖した。
その恐怖の原因が神道であり天皇陛下だと考えた。

だからこそ、政教分離という政策を押し付けたのです。

世界を見れば、寧ろ政教分離の方が少ない。
パッと思いつくのはフランスぐらいです。

アメリカでは大統領宣誓など聖書に手を置き行います。
アメリカ建国理念などは自由なキリスト教白人国家を作ることです。
ドイツでも政権与党にキリスト教何とか党などと言う政党が政治を行っています。

そして…

この国の政党に見事に生粋の保守政党はありません。

自民党などは、現在安倍晋三と言う首相が保守派であると言うだけで政党としては保守政党ではない。
既得権益と利権まみれの腐った組織です。

連立与党の公明党などは全くちがいます。

真っ赤かの共産党や社民党は言うに及ばず。

維新なども保守派とは言い難しです。

次世代はこの中では保守政党と呼べるでしょうが実際は寄せ集めです。

ココで政教分離を廃止し、神道を理念とする本物の保守政党を作ることが必要だと思います。

神道は古事記シリーズでも申している様に日本人の自然哲学であり日本人が日本人である根幹です。
これを理念とする事で右でも左でもない日本人の根幹に根ざした政党を作る。
その目的があり古事記が今必要だと考えています。

仏教界には支那朝鮮の手が深く入っているのは明らかです。しかし神道は今のところ違います。

そして古事記に触れることで日本人の成り立ちを知り、この国を真っ直ぐ考えることが出来ます。

例えば他に言うならば創価学会を支持母体とする公明党にも憲法改正の大義名分ができるのです。そうなれば憲法改正はより進めやすい。

これを話すと「新興宗教が政治を乗っ取る」と心配なさる方もいるでしょう。
しかし公明党が政権を取ることはほぼ不可能です。支持母体はたかが創価学会の人口程度です、その程度で政権を取れるならとっくに取れています。

公明党の目的は宗教法人法を守ることにあります。たいした理念などありません。
だから日和るのです。
そんな政党に連立以外で、単独で政権など取れません。

そして、本物の保守政党があれば数の為に理念が基本的に違う政党が連立を組む事はありません。例えば先の衆院選で次世代が躍進していたら果たして安倍晋三は公明党と連立を組んだでしょうか?
或いは、組んだとしても後々の法整備や改憲の為に次世代の党を取り込んだでしょう。

今後、ますます混沌とする世界情勢の中で国益を守り国の存立を考え、世界の秩序を保ちながら国際社会の一員としてどう生きるのか?

其れを真っ直ぐ考える本物の日本人を育てる。

その為には古事記が必要であり、今後の日本を考えるなら「今」知らねばならないのです。

次回へ続く…








古事記を摘んで日本を知る!その11

2015-06-12 21:14:06 | 古事記
お待たせ致しました!

古事記シリーズです。

古事記から色々な日本を知る事が出来ますね!

なんとな~く習慣になってる事が実は古事記由来であるとかありますね。

現在の日本の統治だって古事記や日本書紀に則り行われていますからね。

面白いんですよ!日本という国は!

神々のお約束ごと

前回は「箸流し」を紹介しましたね。
今回はその箸流しからの話しです。

さてさて、お忘れかもしれませんが、川上から箸が流れて来た事で須佐之男命は民家があるなと思いました。

そして川上へ行くとやはり民家があった。

ところがそこに老夫婦が娘を挟んで泣いています。足名椎(あしなづち)と手名椎(てなづち)と言う夫婦です。

大山津見神(おおやまつみのかみ)の子らしいのです。

大山津見神と言うのは山の神で出雲地方の神様のようです。

この夫婦の娘は櫛名田比売(くしなだひめ)と言う名前です。
どうした事かと話しを聞いてみると「私には八人の娘がいました。でも毎年、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)と言う化物が来て一人ずつ食べてしまいます。残るのは一人になってしまいました。そろそろ怪物が来る時期で、いよいよ今生の別れになると泣いていました。」と話しました。

「その遠呂智てなんじゃ?」と聞いたら、それはそれはとんでもない怪物だ!と言う話し。

なんと目は真っ赤、頭は八つ、尾は八つ!
しかも苔とか檜とか杉が生えている!

苔が生えてるのは亀でも甲羅に生えますから、しかし杉や檜が生えてるて。
どんだけデカいねん!
体のサイズは八つの谷、八つの峰に渡る!
簡単に言うと山八つ!
とんでもない怪物です。
そして毎年、毎年、娘をさらっていくんです。

七年で娘七人さらわれてます。遂に八年目にして最後の一人になりました。
いやいや!そこまでなる前に引っ越せよ!
とか意地悪を言ってはいけません。

しかし八岐大蛇は若い娘さんしかさらっていきません。
母親である手名椎はさらわれてませんからね。
しかもバアさんは娘を挟んで泣いてますね。
自分はさらわれるとは微塵も考えてません。
食われるのは娘だと半ば安心してる様子ですかね…

それを聞いて須佐之男命も「なんとかしなければ…」と思います。
「どげんかせんといかん」と薩摩弁で言ったかは知りません。

しかし、「娘をワシにくれ!」と言い出します。「へ?」です。
普通は話しが逆です。
スーパーマリオですら大ボスを倒してピーチ姫と結ばれるんです。
姫を貰ってから戦うというのは、まぁないでしょうよ、しかも初対面。

頑張ったらご褒美があるからモチベーションも上がる訳ですから、だからとんでもない相手とも戦えるてなもんです。
しかし日本の話しとはこうなるのです。
先ず結婚。それから大事業に取り掛かる。
これが神様のお約束ごとです。
これは日本人独特の発想なんだそうです。
ん~前払い制と言うヤツですかね。

姉はセレブリティ

いきなり娘をくれ!と言った須佐之男命。
しかし爺さんは「え~と、あの~、あなた様はどちら様ですかね?」と聞きました。
初対面ですからね、それが娘くれ!ですからね、そりゃそうです。

そこで須佐之男命は「こりゃすまん、私は天照大御神の弟である」と言います。
これはちょっと不思議ですね?
「伊邪那岐命の長男である」でもいいんです。
実際、長男か次男かわかりませんよ。
月読命が性別わかりませんからね。
しかし「伊邪那岐命の子である」で良いはずですが、「天照大御神の弟である」と名乗りました。

これは何故でしょう?

これはやはり統治者であるという事です。
父が伊邪那岐命であっても高天原の統治者は天照大御神です。天上界の統治者であり、地上界の統治者でもあります。
つまりそこが基準なんだ!と言う話しなんですね。お父さんがどうこうって言う話しより、統治者の弟だと名乗る方が良い。
「あ!統治者の弟さんですか!」とわかりやすい訳です。

これ、現代に当てはめるならば天照大御神は今上陛下となります。
我々も父が母がと話して日本人と解らせるよりも「天皇陛下の臣民である!」と、それが日本人なんだという話しです。
日本人の基準が天皇陛下であると。
日本の統治者である天皇陛下の臣民、大御宝であると説明する方が外国の方には説明がしやすいというものです。

天照大御神は産まれの順序で言えば後の方なんです。しかも女神です。
尊い存在、太陽の神とか色々言われますが問題はそうではなく高天原の統治者という事が第一なんです。
ですから、「その弟だ!」と名乗るのは理にかなっているのです。

それを聞いた足名椎は「そうですか!どうりで立派な方ど思いました!そうでしたか、どうぞどうぞ」と娘を差し出しました。
それで櫛名田比売と須佐之男命は結婚しますが、普通に考えたらそのままどっか行けば娘さんは八岐大蛇に食われませんよ。
しかし次は娘がいないので母親であるバアさんを食うかもしれません。
いや、口に合わずペッと吐くかもわかりませんが、とにかく母親が危ない。
それで結婚してから戦うという面白い話しなんですね。

任せろ!と言った割りに

いよいよ八岐大蛇と対決です。
須佐之男命は先ず櫛名田比売を櫛に変えてしまいます。ダジャレ?
その櫛を自分の髪に挿しました。

コレ、須佐之男命は相当デカイ。
多分ウルトラマンぐらいのサイズです。なんせ櫛に変えた人間を髪に挿してしまう訳ですから。まぁ敵もかなりのサイズ、山八つです。
そんな化物と対峙するのですから須佐之男命もウルトラマンぐらいのサイズなんです。

そして姫様を櫛に変え挿したのはファッションからではありませんよ。
櫛名田比売は山の神の孫です。その孫を櫛にして髪に挿せば山の神の霊力に守られるのです。
だから最初に結婚をしたんです。

これは天上界から降りてきた、しかし地上界には何の縁もないのです。
そして、山の神の孫と結婚し地上界と縁を持つのです。
その孫を櫛に変え髪に挿して山の神の霊力を受ける。その縁と霊力によって戦うのだと、そういう算段なんです。
全てに理由があるのです。

次に何をしたかと言うと、須佐之男命は何もしない。全部老夫婦に任せるのです。
何をさせたかと言うと八度繰り返し醸造した酒を作らせました。
垣根をめぐらせ、そこに穴を開け穴毎に台を置いて、それぞれに酒船を置き強い酒を入れる。
「そして待ちなさい」と老夫婦に言う。
自分でやらんのか!と突っ込みどころ満載な感じです。

遂に来ました!

そうやって待っていると聞いた通りの姿をした八岐大蛇が登場です。

目は真っ赤、杉や檜が生えて、谷八つ峰八つの巨体。腹には血まで滲んでます。
とんでもなくキモい奴です。

どうやら酒好きみたいです。須佐之男命の目論見通りガブガブと酒を飲んでます。
八つの頭がそれぞれ酒船に頭突っ込んで飲んだのでしょう。それぞれに酒を用意してありますからね。
八つの頭で飲みますから八倍です。
自分は一合のつもりでも八つの頭で飲めば八合です。そんな飲み方ですから急に酒が回ります。しまいにグッスリと寝てしまいます。
そこで須佐之男命は十握剣でバサッと一気に斬りかかる。
て、イメージ違いますね?なんか退治というと死闘を繰り広げ…みたいな感じしてましたでしょ?違うんですね。
実は飲み過ぎてひっくりかえって寝てるとこをバサッと、なんです。
用意は年寄りにさせといて「お!寝やがったか」と言ってバサ~って感じです。
別に須佐之男命じゃなくともやれたんじゃ…

なんか卑怯な感じですが、古事記にはこの様な戦法が多々出てきます。
昔はこれを「卑怯」とは言わず「知恵」としていました。
武士道なんてのは古事記からすれば最近の話しです。
必ず勝つ!勝ちに拘る!これが古代の兵法なんですね。

これが太安万侶
八岐大蛇と言われてもよくわかりません。
これが古事記を編纂した太安万侶(おおのやすまろ)の天才的技術ですね。
「頭が八つの蛇」だとすぐイメージしてしまいます。しかし、八岐大蛇と言われ、一人ずつ娘を食うと、八岐大蛇は正確には八俣遠呂智と書きます。

八俣は八の頭、遠呂智は万葉仮名です。
ですから八俣遠呂智ではなんのこっちゃ解りません。
読み手は「なんだ!なんだ!」と引き込まれます。更に目は真っ赤とか杉檜ボーボーとかもう「ええーっ!」となります。
もういろんな想像をする訳です。
そして最後に「寝てる蛇に斬りかかる」とあって「あ!蛇なんや」と解るのです。
天才の為せる技ですね。

三種の神器

それであっちこっち刺したり斬ったりしたと思います。そして最後に尻尾をエイッ!と切るとカチン!と何かに当たりました。
十握剣が欠けたと。十握剣(とつかのつるぎ)と言えば其れなりの名刀です。須佐之男命が持っているのですからね、それが欠けた。

良く見ると、それはそれは神々しい剣が出てきた!「これは非常に神々しい!」神聖な物だ!ということで「これはお姉様にあげよう」てことになります。

この剣が草薙剣です。
これが天皇が天皇である証し。三種の神器の一つです。
これで三種の神器全てが揃いました。
鏡、勾玉、剣が揃いました。

これは八岐大蛇の中に剣があったと言うよりも八岐大蛇そのものが草薙剣だったのでしょう。
剣自体が何らかの理由で肉体を持ったと考えると良いのではないでしょうか。

八岐大蛇は娘七人を食って、更に八人目を食い殺そうとした邪悪な存在みたいですね。
悪の権化みたいです。
しかし、その体から神々しい剣が出てきた。
邪悪な存在の様で、しかしそうじゃない。
神々しい剣だった。これが三種の神器の一つであった。

これをどう読めば良いでしょうか?

それはこれが自然の摂理だと説いているのではないでしょうか。

例えば「海」です。海は時に大災害をもたらします。先の大震災に於いても想像を絶する津波で東北の人々を殺しました。
それは宛ら地獄絵の様になりました。

しかし「海」はそんな悪魔の様な振る舞いを時に見せます、しかし邪悪な存在でしょうか?
違いますね。
普段は我々は海の恵みを受けています。
特に周りを海に囲まれた日本はどれほど海の恩恵を受けているでしょう。
塩、魚、貝や昆布など、しかし普段は恵みを与えてくれても時に多大な災害をもたらし多くの命を奪います。

しかし海は善でも悪でもありません。
それは大自然なのです。

八岐大蛇とは大自然そのものを現しているのかもしれません。

普段は邪悪な振る舞いを見せていたが実は神々しい存在でもある。

大自然を八岐大蛇で表現した、それは太安万侶の天才的筆技でもあり自然と共に生きて、そして死ぬ。日本人の自然哲学を現しているのかもしれません。
それが古事記であり、神話であり、そして日本人の哲学なのかもしれません。

悔いるべきこと

2015-06-09 21:34:47 | 草莽崛起
今回はまたもや古事記はお休み。

敗戦後の日本を考えてみます。

毎度申しておりますが、このブログでの内容はあくまで問題提起であると言うことです。

自分自身が目や耳、或いは手や足を使い入手した資料や情報を自分自身で精査した結果思う事をアップしています。
意見は様々でしょうが、是非とも御自分で内容を調べ御自分で考えて頂きたいと考えます。

談話

今年、安倍首相は戦後談話を発表するのは皆さんご承知の通りです。
律儀に10年毎に談話を発表するのは反対です。

こんな物は発表する度に支那朝鮮の土俵に上がる事になってしまうからです。
わざわざそんなくだらない土俵に上がる必要はありませんし、何の国益にもなりません。

しかし発表すると決定していますから、止めようもありません。

歴史認識について安倍首相は村山河野談話を含めて「歴代内閣の立場を全体として継承する」としています。
わざわざ「全体として」と付けた。
これは全体としては継承するが部分的には継承しないと言うことでもあります。

それは先の米議会演説でもわかる様に全体的に戦争についてお詫びをしたが部分的なくだらない"従軍慰安婦"や"南京虐殺"なる嘘には一切謝らないと言う談話の道筋を付けた事からも理解出来ます。

しかし、幾ら正論を述べても「歴史修正主義」と言うレッテルを国際社会から貼られてしまうのは現在では得策ではありません。
むしろその様なレッテルすら貼れない存在にまでなる事が重要です。
その駆け引きを上手くやらねば折角積み上げたものを崩してしまいます。

積み上げたもの

敗戦後我が国が積み上げたもの、特に国際社会に於いては多大な物を積み上げました。
これは冷静に考えて国際社会にアピールするべき事ばかりです。

国内に於いては戦後体制なる負を積み上げましたが国際社会に於いては違います。

それは米議会演説で「侵略」や「植民地支配」なる言葉を用いなかったにも関わらず国際社会から支持を得たことが顕著なものでしょう。

米調査機関の発見では先の大戦に対する日本の対応について米国民の61%が謝罪は充分とか謝罪は不要だと考えているという結果が出ています。

誰がなんと言おうと敗戦後我が国は一貫して平和的貢献を国際社会にしてきました。
これが国際社会の意識が徐々にではあるが変化してきた理由でしょう。

安倍談話はくだらない過去の謝罪ではなく未来志向の談話となれば、後々の総理大臣も此れを継承する事になります。
くだらぬ濡れ衣を謝罪などせず、更に「歴史修正主義」なるレッテルを貼られる事はありません。

誤った歴史は修正せねばなりません。
ならば今、道筋を付け将来この濡れ衣を晴らす日を作って置かねばならないのです。

失敗を深く反省

我々が悔い改めるならば「侵略」や「植民地支配」なる嘘ではありません。

戦争相手を間違え開戦した事。
更にその戦争に負けた事にあります。

米英には日本を侵略する意図はなかった、本来の仮想敵国はソ連でした。
陸海軍ともにソ連を念頭に軍備をしていた。
しかし、日本はその仮想敵国と中立条約を結んでしまった。

そこから米英の思惑に乗せられ米英相手の戦争をしてしまった。

太陽に向かい東南アジアへ行ってしまった。

この国は太陽に向かい侵攻してはいけない。
歴史的にも太陽を背に戦わねばならない。
それは古事記にも関係します。

何も神話を当てはめているのではなく、神話と合致してしまうと言う例えです。
だから太陽を背に米英と共にソ連に対抗すべきでした。
その後、ソ連に北方領土を奪われたことを見れば解ります。

そして敗戦してしまいました。
何故負けたのかを全体的に総括をしていません。個々の作戦の失敗は時の運です。
勝てはしなくても負けもしない選択を何故取れなかったのか?

反省すべきはこの点です。

そして負けた後の悲惨さを日本人は考えなければなりません。

謝罪

同じく敗戦国であるドイツは謝罪している!とかいうアホをよく見かけます。

しかし、ドイツはナチやホロコーストに対してであって戦争については、むしろヒトラーなる成り上がりに罪を被せ謝罪してません。
しかし、ヒトラーとて成り上がりだが選んだのはドイツ国民です。

そしてドイツとフランスは長らく犬猿の中であった訳ですが、しかしフランス側も一世紀の間にドイツと三回も戦った。
これを繰り返さない為に共に歩もうと言う姿勢がありました。

欧州統合などはフランスとドイツが二度と戦わない様に主権を制限し合う仕組みになっています。
また、仏独首脳はほぼ毎月会って意思疎通をはかり、互いに第三国からの侵略に備えています。あくまでもお互いに未来志向という立場です。

共同教科書編纂についてもフランス側の意向だけが反映されるものではなく、ドイツ側からも意見が出され良く議論しています。
韓国の様に無茶な主張などなく、更に古代史まで遡り自国の国粋主義史観に従わせよう等という事はありません。

だいたいドイツのメルケル首相が日本に難癖を付けたりしますが、あれは日本で言うなら土井たか子みたいなオバハンです。

更にユダヤ人迫害やホロコーストなどは当時同盟国であった日本にも多大な迷惑をかけ、日本に対する濡れ衣をホロコースト同等だ!等と支那朝鮮に言われる原因になっています。
その事をドイツは謝罪すべきであって、土井たか子みたいなオバハンに偉そうに言われる筋合いはありません。

我々が謝罪すべきことは敗戦により日本国籍を失い戦勝国民になりそびれた朝鮮、台湾、パラオ国民に「負け」を詫びることであって、有りもしない慰安婦や植民地支配ではありません。

日本が開戦した為に中国共産党が支那を支配し、その為に自由と尊厳を奪われた支那国民、そしてその中共に民族の尊厳を奪われたチベットやモンゴル、ウイグル人です。

またアジアの権益を失った英、仏、蘭等には一応謝罪しときますか?

我々が教訓とするべきは戦争は回避せねばならない事。
不幸にも戦端が開かれてしまったなら決して負けない事です。