犬神スケキヨ~さざれ石

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魂の救いを求め

2015-12-31 00:00:58 | 草莽崛起
日韓が慰安婦について妥結しました。

此れ程、日本国民に取ってショックな出来事はありません。

決してやってはいけない。

米国上下両院議員総会での演説。
戦後談話。

そこで濃い霧の中に長年手探りで道を探して来た日本国民は道標とも感じる光を見た。

まさか現政権で…

あまりのショックに寝込んでしまわれた方もいらっしゃる。

話しは以前から

一体何から話せば良いのか…

28日、速報が出てから携帯の着信音はバッテリーがなくなるほど鳴り続けました。

この話しが出てからと「一体安倍政権はどうするつもりなんや?」と知人から聞かれました。

その時点で独自に調べてはみたのですが、大して情報も取れずでした。

年末ギリギリにこれは…

その時点での情報のリークは日本側からだな、その程度でした。

以前から話は出ていた。


日中韓首脳会談辺りにはハッキリとしてきていましたが、それ以前から水面下で韓国が働らきかけていたのは事実です。

今回、日韓に見えて実は日米韓であったのは皆さんもご存知の通りです。

米国が日本や韓国にかなりの圧力をかけていたのは間違いない。

世界は

この安倍晋三首相の決断は間違いです。

ハッキリ言いますが間違いです。

やってもいない事を謝るなど絶対にいけない。
こんな事は世界の常識です。
小学生でも解ります。

今回の決着に日本は10億円と言う国費を拠出します。
これにて「慰安婦問題は最終的かつ不可逆的に解決した」としています。
共同声明もしました。

韓国とはこの件について「二度と蒸し返さない」と言う約束をした。

幾ら取られるか解らない、それを10億円で済ませた

米国が仲介しているので韓国側はちゃぶ台を返せない

韓国をはした金で「黙らせる」事ができた

しかし国際社会できっちり決まった約束を守る国はありません。
例外中の例外が日本です。

日本は全ての約束をきっちり果たす世界で唯一の国です。

日本以外は守らない!

これが世界です。

支那や韓国は借りた金すら返した事はありません。

これで最後、これで最後と言って飴を沢山もらいたい国が韓国で、我々は何回も煮え湯を飲まされてきた。

河野談話の時も同じでしたね。

僅か10年前の話しです。

米国ですらたった70年前に国際条約であるハーグ陸戦条約を無視して民間人を虐殺し日本の憲法を勝手に作り変えてしまいました。
国際条約は国際的な取り決め、国際社会の約束です。

国際社会ではたとえ悪くても、のらりくらりとしながらも自らの正当性を主張し一歩も引かないものです。

少しでも認める態度を取れば付け込まれ以後、大変な迷惑を被る事になるのです。

国が迷惑を被るとは即ちそのまま国民に迷惑がある

そういう事になります。

国際的に日韓で発表したのだから、韓国は勝手な事は出来ないと仰る方もいます。
確かにそれはそうです。
韓国が一方的に反故にする様な事は出来ません。

しかし、世界に向け日本は間違ったメッセージを送ってしまった。

イギリスガーディアン誌は好意的に書いてはいます。日米の勝利だと書いていますが、米国側に立つ視点になっています。
アジアの安全保障を考えるならば日米韓の連携は重要です。

しかし、日本が韓と連携する事はありません。
何故ならば日韓は軍事的同盟国ではないからです。
更に韓国との連携はあくまで日米同盟、米韓同盟と米国を挟んだ二国間同盟が基軸になっているのです。
我が国は先般の安保法制で集団的自衛権の一部容認をしました。
しかし、根本的にそれでは足りない。
集団的自衛権を行使出来るが集団安全保障については全く議論にもならなかったからです。
日米の二国間同盟を軸に他国と連携するならば集団的自衛権ではなく集団安全保障だからです。

その集団安全保障を行使する米国にとってこの日韓協議妥結はプラスである。
米国にとって勝利だとガーディアン誌は書いています。

「軍が関与した」とした一文だけでも間違ったメッセージの発信した事になっています。
世界の殆どの報道が「日本が認めた」という趣旨の報道になっています。

更に国費から拠出する事も間違いです。
村山政権時代に作った基金ですら一部医療については国費を投じたけれど大部分は民間資金です。

国費を出せば「日本は認めたから国費をだした」と思いますし、事実フランス等はその様な報道になっています。

カードがない

これで日本はカードを失いました。

事の善し悪しを置いておくならば、この妥結は画期的な妥結ではあります。

両者これにて終了と言う事になりますからね。

これにて終了と言う事は韓国はこれで蒸し返さない。

日本もこれで慰安婦について話さなくて良い。

これは重大なミスをしています。

お互いこの話しについて一切持ち出さないということは
日本は間違った認識を払拭する事も否定する事も出来ない

そういう事になります。

慰安婦というのは売春婦です。

そして戦争の最中に軍隊に付いて行動する売春婦は「戦時売春婦」です。

戦時売春婦は通常の売春婦より高額の報酬を得る事が出来るのです。

ですから軍隊と共に行動をするのです。

これを従軍慰安婦と言い、強制連行されたと言っているのです。

さらにその戦時売春婦達は凡そ軍人の40倍から100倍とさえ言われる報酬を得ていた。

強制連行した者にそんな高額報酬を与えるでしょうか?

更に20万人拉致した!と韓国は言っています。
当時の慰安婦は日本人が八割。
つまり朝鮮人慰安婦は二割な訳で、ならば20万人も慰安婦にしたなら100万人の慰安婦がいた事になります。

また20万人も拉致されて、韓国の男達は黙って見ていたのでしょうか?
妻や娘、恋人が拉致されようとしているのに黙って見ていたのか?
これは韓国男性のプライドすら傷付けるものです。

まぁ矛盾と嘘を上げれば枚挙に暇がない。

それをお互い国際社会の中で主張しないと決めたのです。
主張出来ないならば、嘘に対抗する事も出来ないのです。

そしてやはり、危惧した通りになりました。

それは支那や台湾も言い出したと言うことです。

台湾はすぐ様、日本に使者を送り協議に応じてる様に交渉を始めた。
支那も妥結する交渉をすると宣言しています。

日韓だけの問題ではなくなりました。

日本は台湾や支那、他国とこのいわゆる慰安婦問題に付いて妥協までして妥結せねばならなくなりました。

また軍が関与したと妥協しました。
確かに強制連行等は盛り込まれてはいませんが「軍が関与した」と言えば世界は強制連行や軍の統制があったと受け取ります。

軍隊は勝手に軍隊をやっている訳ではありません。

軍隊は国の組織です。
つまり日本国が慰安婦を管理したとなるのです。
そして、ここからが重要です。

大日本帝国憲法では日本国の統治者は天皇陛下であり、軍の統帥権は天皇陛下にある

軍の責任は国の責任。
国の責任は統治者の責任。
統治者である天皇陛下には軍の統帥権があり、これは天皇陛下の責任だ!
次はそう言う主張をしてくるのです。

これは韓国を始め支那等に天皇の戦争責任を追及させるきっかけを与えたという事になります。

筋道から言うなら「日本は韓国の嘘の主張等は無視」すれば良いのです。

勝手に李承晩ラインを敷き、竹島を奪い島根の漁民を虐殺し、借款をまともに返しもせず返すどころか、ありもしない従軍慰安婦を持ち出し更に金をせびる。

そんな国は放っておいたら良いのです。

時間を掛けて丹念なロビー活動などを通じいわゆる従軍慰安婦の嘘と矛盾を国際社会に広めていき、充分な国際社会の理解を得た上で初めて日本は韓国と交渉すれば良い。
しかも国際社会を味方につけてです。

そして韓国は次に徴用工、靖國、教科書とカードを切って来るのです。

敗戦後の振る舞い

何故こうなるのか?

それは日本の敗戦後の振る舞いが原因です。

従軍慰安婦問題を起こしたのは日本側です。

始まりは吉田清治と言う詐欺師の嘘話を朝日新聞が書き立てたことが原因です。

戦争に負けた国は身を屈めて生きなければならないと思い込んでいる事です。

負けた国は軍隊を持ってはいけない。
負けた国は勝った国に従わなければならない。

そんな刷り込みがあるのです。

国際法や国連憲章のどこにそんな事が書かれてあるのでしょうか?

国際法のどこに「戦争に負けた国は他国の嘘に対抗してはいけない」と書いてあるのでしょうか?

間違っている事に「間違っている!嘘だ!」と言ってはいけないと書いてあるのでしょうか?

くだらぬ妥結をしたが為に我々は大切なものを失いかけています。

軍の関与を、どういう形で有ろうと認めたならばそれは
散華された御英霊先達の方々です。

我々後世の為に命を捧げて頂いた先輩方を指すのです。

その方々を貶める結果となるのです。

その方々を献身的に看護してくれた、まだ恋すら知らなかったかも知れない白梅の少女達をはじめ数多の少女達をも貶めることになるのです。

この先輩方や沖縄の少女達の名誉を深く傷付ける結果になるのです。

韓国一国を黙らせる為に如何程の代償を払わねばならんのでしょうか?

在外邦人、とりわけ在米邦人は故なき差別を受けて戦っています。
その邦人の子供達は支那朝鮮人の子供達から故なき差別を受けイジメにあっている。

その我々の同胞の子供達が国の助けも一切ない。
まともな教育を受けず「日本が悪かった」と教えられ「だから我慢しなきゃいけない」と歯をくいしばり頑張っている。

しかし耐え兼ねて日本人に生まれたことを恨み「祖国を捨てたい」と思う子供達がいるのです。
その子供達を日本人の親達は必死になって支えているのです。

では今般の妥結で同胞の子供達へのイジメや差別は無くなるのですか?

先達や沖縄の少女達の名誉を守る事になったのですか?

現実を見ましょう

今般の外相会談にしても妥結にしても米国が関わっています。

この妥結に良い評価をする方々は「米国が関わっているから韓国はちゃぶ台返しが出来ない」
そう仰る。
確かにそうでしょう、それは言えるかもしれません。

しかし、米国の外交が良い外交ですか?
上手い外交をしていますか?

今までの歴史を見れば米国が関わった地域は必ず紛争が起きています。
今ならばISをはじめアルカイダなどのテロリストを作り、シリアは内戦状態。
イラクはテロリストが跳梁跋扈して収拾のつかない状態です。

世界はテロという新しい世界戦に突入してしまっています。

では日本は、フランスや米国の911の様なテロリスト達の攻撃はされていない。

しかし日本はそのイスラム過激派からの攻撃は受けてはいないが支那朝鮮人からのテロを常に大小様々な形で受けています。

最近も靖國神社で爆破事件があったばかりです。
放火や破壊。
落書きに放尿。

また在日支那朝鮮人は我が物顔で日本を闊歩して不正に生活保護を受けて、税金すら収めぬ者もいる。

これが現実なんです。

安心感

我々はアジアの盟主です。

誰がなんと言おうと、それは事実です。

アジア諸国はそう見ています。

僅か70年前迄は白人だけが世界の人間であった。

そこへ有色人種として唯一割って入ったのが日本です。
アジアやアフリカの有色人種の希望だったのです。
日本人が白人社会に割って入った!
その事実が有色人種達に勇気を与えた。
出来ないと諦めた気持ちを奮い立たせたのです。

日本は戦争に負けたが、人種差別とも戦い、その部分では完全に勝利した。
世界の地図を完全に書き換えた。
収奪されるだけの人々を独立させた。
世界で唯一人種差別撤廃を唱えた国です。

敗戦後の復興すら世界の途上国に希望を与えた。

その国は先の大戦を愚直なまでに真っ当に戦い負けた。
日本は何処に負けたのか?

戦勝国に負けたのでしょうか?

違います!米国一国に負けたのです。

日本はイギリスにも勝ち、フランスにも勝ち、オランダにも勝った。
支那は戦後出来た国で中国共産党など戦いようがない。
ソ連は戦闘終結後に侵略して来ただけ。

ならば負けた米国はフェアに戦ったのか?

それも違います。

サイパンでは民間人を殺し、自決する女子供を笑ってフィルムに収めた。
都市空襲、広島長崎に原爆を使い、沖縄では少女達を焼き殺した。

国際法に反した戦いをし勝った国
国際法を遵守して負けた国

その勝った国が世界の秩序を握り、我が物顔で渡り歩く。

その秩序が既に崩壊しているにも関わらず未だに継続しようと無理をして地域に紛争の火種をばら撒く。

我々日本は世界に冠たる大国です。

軍事に経済に世界をリードする力を持ちながら全く正当に使おうとしない。
そればかりか国際法に反する憲法を有難がっているのです。

いい加減に日本の果たすべき責任を自覚し行使しなければ今後も故なき嘘に妥協をし続けなければなりません。

安倍晋三

さて今般の結果は、韓国側にも十字架を背負わせた事は事実です。

既に挺対協をはじめいわゆる慰安婦保護団体から反発を喰らっています。
これは韓国の国内問題であり、韓国側の責任です。
だいたい人から飴をもらう事で生き延びて来た民族は「慰安婦」という金の成る木を簡単には手放しません。

韓国自身もこの国内問題に骨を折る事でしょう。

そう言うことを見て「日本は外交的勝利をした」というのは安易な考えです。

また、だから安倍晋三は凄い!
というのも違います。

慰安婦とは売春婦で、戦時売春婦についても非人道的だから日本が世界に先駆けて救済する。
そう言われる方々もおられる。
しかし、世界の何処に先の大戦の戦時売春婦を救済した国があるのか?
日本人戦時売春婦は救済しないのか?

ベトナムや朝鮮戦争、あるいは第一次世界大戦時にも先の大戦時にもあった戦時売春婦について当時国は、つまり日本以外の国々は救済しないのか?

安倍晋三総理はもっと深い考えがあるんだ!という意見も随分直接ぶつけられました。

しかし、そんな論法は日本国内でしか通用しません。

日本国内でしか通用しない論法を持って勝利をしたなどは「観念論」でしかない。

また、逆に安倍晋三は保守じゃない!
安倍晋三売国奴!

そんな意見も観念論でしかありません。

安倍晋三を信じるなどはハッキリ申せば観念論に浸り安心感を得るだけです。
国内でしか通用しない論法で安心感を得ても問題は解決しません。

逆に安倍晋三売国奴と謳い安倍晋三降ろしをしても問題解決はしません。
安倍晋三を罵倒するのは簡単です。

今般の妥協は安倍晋三の責任です。
これは間違いない。

しかし、安倍晋三を選んだのは我々主権者です。
安倍晋三と言えども我々の代理人です。

主権者は我々国民であり、最終責任者も我々主権者なのです。

政治家は国民の負託を受けて仕事するのです。

つまり安倍晋三と言う総理大臣は信じるものでもなく罵倒するものではないのです。

我々主権者は安倍晋三に仕事をさせることが義務です。
そして権利です。

安倍晋三総理大臣と言えども、その仕事を間違えたならば「間違っているぞ!」と言わなければならないのです。
それが主権者の義務であり権利です。

安倍晋三と言う人物は失敗を糧に這い上がってきた稀に見る政治家で実力もある。

しかし彼とて神成らざる人間です。
人間である以上は間違いを犯す。

ならば間違いを指摘しなければなりません。

しかし、だからと言って引きずり降ろす程才能がない人間ではない。

彼にはこの失敗を好転させる仕事をさせなければなりません。

何故なら我々の代理人であり負託を受けて仕事する為に政治家をしているのですからね。

更に憲法改正やTPPなど、まだやってもらわねばならない仕事がある。

今、この男を引きずり降ろして山積する仕事をこなす人物がいるのか?

いなければ安倍晋三と言う人物に仕事をさせなければなりません。

故なき差別とイジメに苦しむ在外の同胞を助ける仕事をさせなければなりません。

先達の名誉を回復させ守る仕事をさせなければなりません。

我々はその仕事を良く見て間違いは正し、良い仕事は伸ばしていかなければなりません。

今般の妥結については個人的には絶対反対です。

しかし、既に決まってしまった。
過ぎた時間は取り戻せません。

この妥結が将来どの様な影響を及ぼすのかは後の歴史に判断を委ねるしかありません。

正否、是非、善し悪し。

それはどうなるのか未来は確定していません。

先の大戦は負けた。
しかし結果的には日本が立ち上がる事で白人による植民地支配は終わり、人種差別は一応になくなった。
日本はボロボロに負けたが、収奪されるだけの人々を救うことが出来た。

その様に将来、この妥結が結果的には良い方向に向かったと思えるか?

それは我々国民にかかっています。

何故なら我々は主権者であり政治家に仕事をさせる義務があるからです。
主権者は最終責任者であるのですから、将来を良くできるのかは我々国民の責任でもあるのです。

るろうに…

2015-12-27 13:30:27 | 維新の剣
年末に至り、とんでもない話しが出てきましたね。
ここへ来て日韓協議で慰安婦問題に妥結する。

以前から出ていた話しではありましたが…

これは今現在独自調査中です。
今解ることは、散々色々話しが出て来てますが、殆どが日本側からのリークの様です。

その意図はなんであるか?

又、機会を設けて自著ブログにアップしようと思います。



今回は幕末の剣士を紹介

以前にこのブログにて「山岡鉄舟」を紹介しましたね。

今回はご存知の方はご存知。

知る人ぞ知る剣士を取り上げてみます。

いつもと違うぞ?
と、感じる方もおられるでしょうが、幕末は現代日本に繋がる重要な時代であり当時の人々の振る舞いから日本の違う側面もみてみよう!

そんな試みです。

まぁ、気軽に読んでみて下さい。

るろうに剣心



佐藤健主演のるろうに剣心をご覧になった方もおられるでしょう。

自分も全部見ました。

明治となった世で、人斬りで名を馳せた剣士が殺さずの誓いを立て「逆刃刀」なる腹が峰、反りが刃の刀で明治の世で生きるという話しですね。

主人公の名前は緋村剣心。

この緋村剣心にはモデルがいたようです。
その人物とは?

出自は僧侶?

その人物の名前は

河上彦斎(かわかみげんさい)

幕末の砲術、蘭学の権威であり勝海舟の義理の兄であり坂本龍馬とも交流もあった。
佐久間象山を斬った男として有名です。

幕末四大人斬りの一人でもあります。

この男、ゴリゴリの尊皇攘夷思想者。

攘夷の為なら鬼にも悪魔にもなる程の男です。
幾多の人斬りに加担したのも、その崇高な目的の為であるという話しです。

この河上彦斎はビジュアルは丸で女の子の様な出で立ちです。

背も低く、当時の日本男子の平均身長が150~155cm程度の時代に150cmなかったとも言われています。
細身で色白。

歌舞伎の女形でもいけそうな美形であったようです。

どうやら出自は僧侶だったようで、到底血生臭い荒事とは最も縁のないはずです。

しかし、江戸時代の二百数十年を太平で過ごして来た武士の世で野性味をすっかり失った者よりは余程か肝は据わっていた。

そんな胆力を見せたのが後の騒乱の幕末へと向かう契機となった事件での事でした。

桜田門外の変

桜田門外の変が起こったのが万延元年(1860)の3月3日。

この時、河上彦斎は熊本藩家老付の坊主として、江戸城和田倉門付近の藩邸にいました。

そこに大老・井伊直弼を襲撃した直後の浪士達が訪れました。

あちこちに刀傷を帯び、更に返り血で血まみれ。
殺気だった表情に大勢いた熊本藩士はビビってしまい誰一人対応に出ない。

そんな状況で河上彦斎ただ一人が落ち着き払って彼らの前に出て事情を聞くのでした。

そこで「井伊直弼を暗殺した」と浪士達の口から明かされると藩邸内は更に騒然となりました。
江戸で大規模な争闘事件が起きるのは赤穂浪士事件以来です。

その当事者が目の前に現れたのですから藩士達は混乱状態です。
思考停止に陥り、浪士達を玄関先に放置状態。

正義漢で、坊主のクセに短気でもあった河上彦斎は藩士達の不甲斐ない態度にキレた!

「我が藩を頼って来た者を捨ておけません!礼を尽くして遇するべきです!」

医者を呼び、自らも付きっ切りで介抱しました。

河上彦斎の献身さに浪士達も彼には心を開き語りあったと言います。

この一件で河上彦斎は藩士達からも一目置かれ、勤王志士の間でも知られる存在となりました。
その後、僧侶から志士へ華麗に転身するのでした。
そして騒乱の京都に現れた。

井伊直弼襲撃の浪士達と語り合う中で感化されたのでしょうか?

いやいや!元々この男にはその志向があったのです。

幼少の頃からバリバリの勤王派であった国学者である林桜園に学んだ筋金入りの勤王派。
かなり本気の尊皇攘夷思想者です。
そもそも純粋無垢な男だけに尊皇攘夷思想を植え付けると恐ろしい。

背信者には鬼となり、何ら良心の呵責もなく平然と斬り殺す危険極まりない始末に負えない。

剣は我流の変則殺法

河上彦斎の剣はどこで修業したのか不明です。
しかし、かなり腕はたつ。

我流とも言われますが、その太刀筋はかなり独特なスタイルでありました。

映画「るろうに剣心」で主人公が見せた必殺剣はググッと腰を低く落とし、下から上に鋭く斬りあげる。

この河上彦斎もまた同じようなスタイル。

右手一本で持った剣を低い体勢のから相手を斬る。
剣はググッと地を這う様に相手の急所を狙う。

身長が低いと言う不利を有利にする為に考え出した様です。

このあたり映画とよく似てますね。

こんな太刀筋は、初めて対戦する相手はかなり戸惑いますね。

初戦なら必殺剣となります。

殺し合いの真剣勝負では二回目はありませんから、真剣勝負の場では変則殺法は相手にとって防御不能な技でしょうね。

目にも止まらぬ

河上彦斎が斬り殺した人物で最も有名なのが佐久間象山です。

佐久間象山と言えばあらゆる学問や西欧の知識に精通した天才です。

この頃一橋慶喜後の15代将軍徳川慶喜のブレーンとなって「公武合体」に奔走していました。
蘭学に精通していたこともあり、攘夷主義者にとって「西洋かぶれ」した忌むべき人物。

過激な尊皇攘夷思想の河上彦斎にとって殺す理由に値する。

しかし、この佐久間象山という人物ただの青白い学者ではありません。

剣術の心得もある。
風貌も態度もデカイくて迫力満点。
並みの剣客ならば一喝されただけで退散。

暗殺のその日も佐久間象山は三条通りのど真ん中を馬に乗り大威張りで闊歩していました。

この態度のデカさに義理の弟である勝海舟は「いつか狙われますよ」と注意していました。

そこへ「天誅!」と先ずは仲間の浪士三人が抜刀して立ちはだかる。

「うるさい!邪魔するな!」

ハエでも払うかの様に二人を鞭で打ち払う佐久間象山。
落ち着き払った態度で馬を走らせる。

まるで役者が違い過ぎた。

当初の計画では二人の浪士が佐久間象山を馬から引きずり落とし、そこへ物陰に隠れていた河上彦斎が飛び出して仕留める。
はずだったのですが…

このままでは逃げられる!

「いかん!」

焦った河上彦斎はすぐさま飛び出し、佐久間象山の馬の前に立ちはだかるのです。

佐久間象山、またもや鞭の一撃で刺客を撃退しようとした。

しかし河上彦斎の方が早かった!

瞬時に抜刀し佐久間象山の横を駆け抜けた!

佐久間象山の脇腹は鮮血染まっていました。
腸まで達する深手!

致命傷です。

佐久間象山、苦しい息を吐きながらも尚、強気で凄む!

しかし河上彦斎には効果なし。

更にもう一太刀。

同じ様に佐久間象山の横を駆け抜ける。

二の太刀は更に深く落馬した佐久間象山は既に絶命していました。

熟れる前に千切るべし!

河上彦斎の人斬りは趣味でも仕事でもない。

己が信じる思想の為にこそ斬るのです。

見た目は小柄で華奢。
大人しく思慮深く見える風貌。

しかし、本当は気の短い男です。

志士たちが集まる酒の席では、佐幕派や開国派の者達の話が酒の肴になるもんです。

「あいつは奸賊だ」とか「西洋かぶれ」だとか散々悪口を言って最後には「あいつはいつか斬らんといかん」と。
最後には欠席裁判というオチがつく。

そんな仲間との話しを黙って聞いていた河上彦斎はふらっと一人出ていく。

暫くして彼が戻って来た時には仲間達の顔が凍りつくのです。

さっき話題になった奸賊の首をぶら下げているではありませんか。

「酒飲んでる暇に斬らねばならん相手をさっさと斬って来い」

ある時に仲間から「お前は人を殺し過ぎる」と窘められた際には「君だって野菜は熟れすぎる前に千切ってしまうだろ?それと同じだ。ヤツらをいつまでも生かしておいてはダメだ。早く首を千切ってやる方が良い」と返すのです。

河上彦斎は慶応3年帰郷したところを、当時は佐幕派だった熊本藩に捕らえられ投獄されてしまいます。

しかし時の情勢が一気に薩長有利に傾くと、熊本藩は一転倒幕派にシフトチェンジ。

河上彦斎も出獄し、熊本藩兵を率いて戊辰戦争を戦いました。

遂に明治維新を迎え、戊辰戦争で西欧の最新兵器に触れた武士達に最早攘夷などと叫ぶ者は一人としていない。

坂本龍馬が示した新政府綱領の様に西欧列強に対抗できる新しい国造りを目指す世になった。

その中で未だ「幕府を倒した!後は攘夷を断行するのみ!」と叫ぶ河上彦斎。

激動の時代です。人の思想も信念もコロコロ変わるのです。
むしろ幕府を困らせる為の方便としか考えない者もいたのです。

その新たな時代を迎えた明治の世に「攘夷断行」を迫る河上彦斎。
この時代遅れの熱い男にさすがの明治新政府も困り果ててしまいます。

なまじ剣の腕もたち始末に悪い。

そのうち一人で攘夷断行をし、外国人大量殺戮なんてされてはたまりません。

長州出身の木戸孝允(桂小五郎)は一時期は京で一緒に行動していた時期もあったことから、河上彦斎のことを良く知る人間でもありました。
しかし助けるどころか「放置すれば、国を壊しかねん!あの男だけは適当な罪を付けて早く始末してしまえ」と処刑を命じてます。

河上彦斎

その純粋な心
剣の腕

敵に回すと此れ程に恐ろしい存在はありません。

過去から未来へ(予測と知見)

2015-12-22 12:00:38 | 草莽崛起
12月19日に独立総合研究所主催の講演会「独立講演会」に参加して参りました。

と、言っても初めてではありませんで。
随分参加しております。

ご存知、独立総合研究所は民間シンクタンクで社長は青山繁晴さん。
直接、目を見て話せる貴重な機会です。

700人を超える参加者です。

参加された方々は皆さん問題意識、危機意識の高い方々ばかりで、中には一生懸命にノートを取っておられる方もいます。

その場で青山さんから出てキーワードをスマフォを駆使して調べながら話を聞く方やら。

皆さん熱心な方々です。

年齢層も幅広く、小さな子供からお年寄りまで様々です。

5時間にはなる長い講演会ですが皆さんの熱心さに「この腐った世の中で、これは救いだなぁ…」と毎回感じます。

まさに草莽崛起です。

この稚拙な地味ブログにて自分勝手に書きなぐることが、少しでも我が祖国の発展に寄与出来るならばと、一民間人ながら問題提起することで、皆さんの志しを支える一助となれば…
と、勝手に考えています。

毎度申しておりますが、あくまで問題提起の一つです。皆さんもご自分自身で、ご自分の中に落とし込んで考えてみて下さい。

考えて考えて

毎回、物事を考える上で重視している事があります。

それは

事実

根拠

論理性

です。

それが事実であるのか?

事実ならば根拠は?

その上で結論に論理性はあるか?

と、考えます。

何故、この様に考えるのかと言うと「自分の考えに間違いや矛盾を見つける為」です。

つまりは、これを基に他者と議論することで自らの主張の正しさと間違いを客観視出来るからです。
これは議論もですが主張する際に非常に重要です。

例え自分と違う意見を持つ人と議論しても感情的になったり、罵倒したりする必要がないからです。
謙虚に客観視出来るなら、他者との意見が違ったとしても「一致点を見いだす」事が出来るからです。

逆に言えば、議論の中で自らの間違いを認められたなら意見を下げることが簡単にできます。

「それは君の意見が正しいなぁ…」

そうなれば、そこは一致点となりますね。

そういう議論相手が見つかるなら、此れ程心強いことはありません。

そうやって煮詰めていき「うん!これは良いものが出来た」とお互いやるべきことが見えるのではないでしょうか。

坂本龍馬先生が書いた船中八策こと「新政府綱領八策」は坂本龍馬先生が考えたものではありません。
これは、坂本龍馬先生が維新の活動の中で様々な人々と出会い、議論を重ねて一致点を見出したものを書き示したものです。

坂本龍馬先生個人の考えならば、それは私心でしかない。
坂本龍馬先生の真の凄さとは他者の意見に耳を傾け自らの間違いを謙虚に認めて良いものは良いのだ!と考えられることにあるのです。

例えば薩長同盟などは元々坂本龍馬先生の考えではなかったし、そんな話しはずっとあった。
しかし、犬猿の仲である薩摩と長州が手を組むなどあり得ないと皆考えていた。

しかし、これは良い!

その考えを実行した、誰もやらない、やろうとしない。

「誰もやらんならワシがやってやる!」

良い考えも実行しなければ何も変えられない。
その良いものを実現させる。
その実行力が凄さなのです。

それを実現させる為に逆算し、今何を為すべきか?
何が必要なのか?
そこを考える力が凄いのです。

人間ですから感情に流されてしまって見失う事もあります。

しかし、事実、根拠、論理性を常に心掛けることで感情的にならず冷静に考えることが出来るのではないかと、その様に思います。

実は自分自身は理論物理が大好きです。
理論物理の世界では実際に出来ない実験を行うのです。

その実験とは思考実験というものです。

つまり頭の中で実験を行って答えを導き出すのです。
これは理論物理の世界だけではありませんが、特に多いのではないでしょうか。

例えば重力や宇宙を考える時に実際に実験出来ないことが多数あります。
これを思考実験である予測を導き出し、其れを観測して正しいのか?間違いか?

そんな時に「自分の考えが絶対正しい!」と思い込み思考実験する、或いは観測すれば答えを間違い、自分の都合の良い答えに近づけてしまう。
その様な結果を招きます。

これは、あのアインシュタイン博士も犯した間違いなんです。
「あれは人生最大の間違いだ」とアインシュタイン博士ですら述べているのです。

過去から導き未来を考え

さて、我々は人間です。

神成らざる存在です。

簡単にヒューマンエラーと言う言葉がある様に間違いを犯します。

間違いを犯し飛行機が墜落。
間違いを犯し交通事故。
間違いを犯し人を殺す。

今、正しいと言われる事も未来では否定されているかもしれません。

例えば、我々は植物は二酸化炭素を吸収して酸素を供給していると習って来ました。
今現在もそう考える人は沢山いるでしょう。

しかし植物は二酸化炭素を吸収しない!

確かに成長段階の植物は二酸化炭素を取り込み酸素を出している。
しかし、それはあくまで成長段階での話しです。

やがて植物は成長が止まり枯れてしまいます。

すると溜め込んでいた二酸化炭素が全て放出されてしまう。

例えば、ダイオキシン。猛毒だ!とされて来ました。しかしダイオキシンは無毒、或いは微毒。
これは科学的に証明されています。

1970年代の予測では2015年の現代では、資源は枯渇し人類は人口を減らしていると。
しかし、どうですか?
人口は爆発的に増え、石油などダブついている。

予測や予想とは過去を振り返って現在を見て未来を見ることです。

しかし、未来など本当は確定していないのです。

先のアインシュタイン博士の失敗も長らく失敗だと考えて来た。
しかし現在はそのアインシュタイン博士の失敗は間違いではなかったとされて来ています。
転んでもタダ起きぬアインシュタイン博士凄い!

地球が温暖化している!と良く聞きます。
確かに温暖化してはいますが、だから間違いなのか?冷静に考えなければ道を誤ります。

未来は確定していないのです。

予想や予測を立てても未来を確定することにはなりません。

我々は過去を知らない

未来は確定しないのです。
しかし、未来を予測しなければ我々は生きていけません。

未来に起こるかもしれない危機に備えて対処出来る様にしておかなければ命に危険が及びます。

食べものがなくなるかもしれない。
だから、食料を備蓄しておこうとか考えるわけです。

それは経験から推測するしかありません。

過去に餓えで苦しんだ経験が、食料備蓄に繋がる。寒さに震えた経験から暖をとる為に燃料を確保しておく。

これが予測と予想です。

歴史もそれは同じです。

実は我々は歴史から学べないのです。
我々日本人は歴史から学べないのです。

これは実は致命的です。

学べない

何故、経験から学べないのでしょうか?

此れ程に歴史の長い国は日本以外ありません。
長い歴史を持つと言う事はそれだけ経験値が高いはずです。
しかし学べない。

それは日本が敗戦したからです。

戦争に負けてしまったから学べないのです。

これは戦争に負けた国が学べないのではありません。
戦争に負けた日本が学べないのです。

先の大戦で日本は負けた。
日本は初めて負けたのです。

例えば、ドイツやフィンランドなど負けた経験がある国、実は負けてばかりの国では負けた時にこそどう振る舞えば良いかを心得ている。

負けた経験がない日本は敗戦後の振る舞いが解りません。

解らないから、勝った国に従うと感違いしてしまった。

だから憲法も教育も経済も主義までも戦勝国の押し付けを受け入れました。

主義

主義というと「民主主義」と思ってしまいます。
しかし、それだけではありません。

そもそも日本は世界にはないオリジナルの民主主義を持った国で、戦争に負けてアメリカ様から教えて頂いた訳じゃない。

むしろ欧米型民主主義を押し付けられたに過ぎません。

昨今の夫婦別姓。

認知症の夫が目を離した隙に徘徊し電車にはねられた、その妻である老婆に賠償請求をする。

認知症の母の介護に疲れ無理心中。

障害を抱えた50代の息子の将来を悲観し、自らも認知症を患いながらも介護に疲れ息子を殺す。

これは全て同じ根っこなのです。

それは主義です。

敗戦後、我が国は占領政策を受け入れた。

その為に、今迄持ったことがない主義を抱える事になりました。

それは個人主義と言うものです。

例えばアメリカは個人主義です。

個人主義の国は成人した者は社会が面倒を見るのです。

例えば、介護が必要な息子が成人したら母は息子の面倒を見れません。
何故なら彼は成人した大人だからです。

成人した大人は社会が面倒を見るので母は勝手に介護できません。
介護する為には裁判所から介護をする為の「許可」を得なければならない。

日本は戦前までは個人主義なる概念は殆どありませんでした。

だから介護をする為に国や行政や司法から許可など得る必要はありません。

しかし、敗戦後受け入れた憲法や、それにぶら下がる法は個人主義です。

個人主義が決して悪い訳ではありません。
社会的弱者を社会全体で支えることは必要な事ですから決して悪い訳ではありません。

しかし日本は個人主義を経験していない。

個人主義ならば、夫婦別姓も不思議ではない。

個人主義と対照的なのが家族主義だと考えます。

家族主義ならば介護を家族でやることに許可など得る必要はない。

家族単位ですから。

私はどちらが正しいと言うつもりはありません。

しかし経験のないことを敗戦後70年行って来たのです。

先の認知症の夫が徘徊した話しも、法は個人主義なのに妻に賠償を求めるなどおかしな話しです。
妻には夫を介護する義務もなければ許可も得ていない。
憲法や法は個人主義なのに介護は家族単位の家族主義を強いる結果になっています。

夫婦別姓も個人主義ならばそれはそれで良いでしょう。
しかし、夫婦別姓が憲法違反かと言われたなら、それは違うのです。
夫婦別姓を取るならば「どの様な形が日本社会に合っているのか?」が議論されていない。

日本のオリジナルな民主主義とは一致点を見いだし総意を得ることではないでしょうか?

つまり個人主義と家族主義の良いところを上手く取り込み矛盾の少ない形を見いだす。
その為の一致点を議論で見いだし総意を得ることが必要なのではないでしょうか?

何が正しいのか?

その答えは自分自身見つけられていません。

その答えを見つける為に議論を尽くし、一致点を見いだし行く事こそは正しいと。

それだけは解ります。

皆さんも考えてみませんか?



観念と独善

2015-12-17 20:30:47 | 草莽崛起
今回はお祭り騒ぎについて考えてみようと思います。

お祭り騒ぎと言っても本当の祭りではありませんがね。

バカ騒ぎの「お祭り騒ぎ」です。

昨今の日本国内におけるバカ騒ぎ!

しかし、ある方と話していて出て来た話しから我が国の振る舞いなどを少し考えてみようと思います。

毎度申してますが、これは問題提起の一つです。
皆さんもご自分で考えてみて下さい。

安保法制で安心

今年の一字は「安」だとか。

なんとも言えない、流行語大賞並に意図を感じずにはいられませんが…
まぁ良いでしょう。

安保法制の一連の騒動、こんなもんは「バカ騒ぎ」以外の何物でもない!
と、考えます。

SEALsとか言うアホな学生集団や、それに乗る無能政党に政治家。
全く現実と理念を感じぬアホな芸能人の発言に、嫌気を通り越して「大丈夫か?」と、頭の具合を心配してしまいます。

戦争だ!戦争だ!
と、煽りまくり現実を無視する様子はもう敗戦後の刷り込みだけに留まらない。
利害か既得権があるんだな…と透けて見える。

こんな状況に辟易とした方も多いでしょう。

安保法制の何処をどう見れば「戦争するんだ!」と思うのか?
無知を通り越して「一回医者行け!」と思います。

前にも我が地味ブログにもアップしましたが、世界の平和は敵対と協調のバランスで保たれているんです。

つまりは剣と握手です。

テーブルの上では握手をしながら、テーブルの下では剣や銃を相手に向ける。
これが世界の平和です。

日本の江戸時代が特段の争いもなく平和を保たれていたのは実はこの様な状態も要因なのです。
各藩は素破(すっぱ)と呼ばれる人々を使っていました。
素破とはつまり忍者です。
忍者を使って情報収集を行い政治に利用していた。お互いに情報を利用し牽制したり、握手したりと上手くバランスを取っていたのです。

ネット時代にあって、幾らでも現実的情報収集が一民間人でも簡単に出来る現代で戦争する!とか徴兵制になる!とか話せば良い!とか言う人間はよほどの山奥に暮らしているのか、一切電波も入らない地域に住んでいるのか?

こういうのを「観念論」と言うのです。

観念論で生きる人は決して現実には目を向ける事はありません。
自分の空想の世界に浸るのです。

今、支那から大挙して押し寄せて来ると言う間際にでも「酒飲んで話す」なんてのは自我の空想に浸っている観念そのものです。

殺す気マンマンの連中は酒飲んで話す気もなければ余裕もありません。
酒なんか用意する時間があるなら、もうちょっとマシな事が出来ます。

酔拳の達人なら酒飲んでひと暴れ!は、ありましょうがね。
アホが酒飲んで話しても、酔っぱらいの与太話しです。

例えばこの人

幕末の志士

我が敬愛なる坂本龍馬先生のお話しを少し。

尊皇攘夷を過激に行なった「土佐勤王党」。
最初の加盟者は坂本龍馬先生です。

坂本龍馬先生は開国論者の、これまた我が敬愛なる勝海舟先生を斬り倒そうと勝海舟宅へ向かう。

しかし当の勝海舟先生は現実の世界情勢や日本の現状と危機を坂本龍馬先生に説いた。

この自分の不明さ無知さを謙虚に恥じた坂本龍馬先生は遂に斬り殺そうとした勝海舟先生に弟子入りしてしまう。

この時、坂本龍馬先生は勝海舟先生に出会い、それまでの持論を変えたのです。

坂本龍馬先生が意見を変えた理由は
現実を見ない観念論の危うさに気付いたからではないか?
そう思えるのです。

今から150年前の日本。
ネットもマスコミもない。
つまり、情報が飛び交う現代社会とは違い、ある種情報からは閉ざされた時代です。

情報欠乏の中で生まれるのは「観念論」です。
少ない情報からは妄想や空想しか生まれません。

おのれの思い込みだけが正しい。
それが観念論です。

過激な尊皇攘夷にどっぷり浸かった者は外国人や外国船を打ち払うことには何ら恐れを抱きません。

しかし世界情勢にとても疎い。
産業革命を経た諸外国にはとても太刀打ちなど出来ません。

その「現実」を坂本龍馬先生は勝海舟先生の話から悟ったのではないでしょうか。

ペリー艦隊が浦賀に現れ、その黒船に幕府は恐怖した!
その様に学校で習いました。
デッカい黒船を見て、その凄まじい迫力に日本は驚愕した。
そう信じてきました。
今も、そう考える人はいるでしょう。

ある意味では間違いではありませんが、本質は違います。

当時の日本が恐怖したのは武器に対してです。

当時の大砲は火薬を使って鉄球を飛ばすのがスタンダードだった。
しかし、ペリー艦隊が搭載していた大砲の弾は炸裂する弾だったのです。

つまり、着弾と同時に爆発するのです。

鉄球が飛んで来るだけなら、落ちて来たところにはそれなりの被害も出ます。

しかし、当たらなければ大して怖くもない。
船にとっては鉄球も直撃すれば船体を損傷しますから被害は甚大ですが。

ならば、鉄球同士のやり合いならば地上から撃つ方に分があります。

しかし、弾が爆発するとなれば話しは違います。

たとえ直撃を免れ様と被害は甚大です。

幕府はこの新型弾に恐怖したのです。

それは…

観念論に首までどっぷり浸かった人間には実力差など冷静に分析出来ません。

現実を全く見ないのです。

安保法制は日本国民の命をどう守るのか?
憲法にも一字も書かれていない自国民をどう守るのか?に対する答えです。

世界はバランスで成り立っています。

経済などの協調を強めるなら、それに応じた軍事的牽制も強めるのです。

バカ騒ぎする連中は「国民をどう守るのか?」の問いに対して「何もするな」とか「殺すより殺される方が良い」とか言うのです。

それは「独善」と言うものです。
他者を全く考えない。
持論のみを展開し独善を押し通すのです。

石垣市長である中山市長は「現実的な脅威が高まっている」と述べています。
また「不測の事態を避ける為に漁業関係者は漁を控えている」とも述べている。

これは尖閣諸島に対してのコメントであり安保法制支持を表明したコメントです。

支那は尖閣諸島を「自国領土」と主張し、公船を尖閣諸島に派遣し日本を牽制しています。
日米安保の防衛義務になっている事で、辛うじて支那は最後の一線を越えてはいない。

しかし、いつ一線を越えてもおかしくはありません。
しかも石垣の漁業関係者は漁を控えている。
自国領で自国民が漁をしなければ、これは支那による実効支配となってしまいます。

長いスパンで考えれば、誰も住んで居らず無人の島で漁民が漁すらしていなければ実効支配を許している様な状態です。

日本は残念ながら、日本一国で防衛出来ません。
米国との共同防衛でなければ自国民の生命を守ることが出来ないのです。

その米国の艦船等が攻撃されても知らぬ顔をする方が良いとバカ騒ぎする連中は主張します。

日本国民の生命や自由や幸福を追求する権利が侵害される明白な危機がある場合にのみ行使出来る必要最小限度の武力行使が「憲法違反」「戦争法」とは…

地球の裏側まで行ってアメリカと戦争するぞ!
なんて、どの条文をどう読めばそうなるのか?
どんな空想でたどり着くのでしょうか?

「独善」や「観念論」とは恐ろしいもんです。

活動的無知者ほど厄介な者はおりますまいて。


古事記を摘んで日本を知る!その29

2015-12-16 00:00:29 | 古事記
随分と久しぶりの古事記シリーズです。

今回は古事記そのものから少し離れて、古事記に繋がる日本を考えてみようと思います。

つまりは違うアプローチで古事記や日本に迫ってみようと言う試みです。

しかし、そこにあるのは「世界中どこを探しても二つとない素晴らしい祖国」を発見するはずです。

以前に我が尊敬するアルバート・アインシュタイン先生の言葉を紹介しましたね。
例えばココです

その言葉をアインシュタイン先生が発言した、その意味を理解するはずです。

我々はそこに暮らしながら、あまり考えもしない。
しかし「言われてみればそうです」
そう思える祖国を感じてしまうかもしれませんね。

文字がない?

古事記と言うのは今から1300年前に編纂されましたね。

これを命じたのが天武天皇です。

それまで「旧辞」や「帝紀」や「本辞」と言った歴史書と呼べるものがありました。

しかし、これらは長い年月のは間に各家々でのみ伝えられていたのです。
そうしているウチに諸家の都合のいい様に書かれるようになってしまいました。

つまり事実とは異なり、虚偽の記述もある。
それを改めなければ日本はいずれなくなってしまう!

歴史は国家の重要な根幹です。

根幹を失えば国は滅びます。
それを危惧した天武天皇が「古事記編纂」を命じたのです。

今現在、日本は正しい歴史を伝えていますか?日本がなくなってしまうかもかもしれませんよ!

と、その話しは後日にしまして。

これは、別の意味も持つことに気付きます。

古事記以前に諸家が諸家ごとに勝手な史書を伝えていたと言う事です。

西暦552年に仏教と共に漢字が伝わった。
それまで日本に文字はなく人々は口伝で歴史を伝えた。
カタカナやひらがなは漢字を変形させて作った。

我々はそう習いました。
また、通説としてそうです。

では「何故、日本語には五十音あるのか?」この視点が抜けています。
更に、いつ?どのように?形成されたか。
起源は何処まで遡るのか?

事実、話し言葉は濁音や半濁音もあります。
破裂音に巻き舌の様な言葉、鼻音など様々です。
もっと遡れば日本語は現在と異なります。
現代我々が話す日本語は昔と違うのです。

例えば「母」はパァパァ。
現代ではハハと発音していますが、その昔はパァパァと言っていました。

そこで考えるのが「金印」です。

「漢倭奴国王」と言うあれです。

漢の皇帝が授けた金印である事は支那の史書に書かれてあります。
これは西暦57年です。
仏教伝来、漢字伝来の500年も前です。

印には序列があります。

これは以前に沖縄講演会旅行の中でも話しましたが、玉印、金印、銀印、銅印とあります。
玉印は象牙で出来ており漢の皇帝だけが使います。

金印を送る意味は支那と対等か或いはそれに近い存在です。
銀印を送る意味は其れより下。
銅印はまぁ、集落の長程度。

例えば琉球は金印でしたね。

当時、日本は朝鮮半島の南半分も保有していました。
つまり倭国と支那は陸続き。

これは現代社会を見ても解る様に国境が陸続きで接していると小競り合いが絶えませんね?
倭国は支那に気を使い、また支那も倭国とモメ事を起こさぬ様に金印を送った訳です。

この記述は魏志倭人伝に書かれていますが、この魏とは三国志の魏呉蜀の魏です。

では双方とも、何故対立を避けたのか?

魏と言えば曹操。
憎らしい程強いとか、どれほどの強さか?
憎らしい程強いのですから、それは大変強い軍事力を持っていたのでしょう。

何故、其れ程に強かったのか?

それは武器です。
武器が違いました。

魏の軍隊は鉄製の武器を装備していたのです。
呉や蜀は青銅の武器でした。

鉄製と青銅製ならば鉄製が強い。

鉄製ならば銅の刀と打ち合えば銅の刀はまっ二つ、銅の盾や鎧も突き通します。

この魏の鉄製武器の鉄は倭国が生産していたのです。
鉄は高温で溶かし取り出します。
この高温を操る技術が倭国にはあったのです。

倭国を襲い朝鮮半島を奪うとか、倭国に圧力をかけるとか、やろうと思えば出来たでしょうがそれはやりません。
何故なら鉄を生産する技術は倭人にしかありませんからね。
倭人が本土に返ったら鉄を生産出来ません。

其れ程の高い技術と文化を持った国に漢字以前まで文字がなかった?
これは論理的に考えてありえない。

朝鮮半島にいた朝鮮人、当時は濊族。
以前にも話しましたが「濊」とは糞尿と言う意味です。
日本の「穢」とは違います。

糞尿垂れ流しの汚い民族だから「濊族」と名付けたのです。
この時代の濊族は汚らしくて人間とさえ認められない存在です。
原始的な人食い族です。
果たして、そんな原始的民族に金印を送るでしょうかね?
ありえませんね。

だから要するに

金印を送るとは文化的、技術的に優れた国。
対等と見做して良い国に送られる訳です。

漢字伝来以前に文字がなかったと考える方が不自然なのです。

では一体どんな文字を使っていたのでしょうか?

漢字と言うのはいわば東洋の共通語表記みたいなもんです。

独自の技術や文化を口伝だけで伝えるなど論理的に考えて無理です。

では我々のご先祖様は一体どんな文字を使っていたかと言うとそれは

神代文字です。

神代文字と言うのは解っているだけで実に34種もあります。

この神代文字はそれぞれ文字の形が異なります。
アラビア文字の様なものからハングルに見えるものから、様々です。

しかしこれら様々な神代文字に共通している事があります。
それは五十音であると言う事です。

全ての神代文字が様々な形をしているにもかかわらず「五十音」という点は一致していたのです。

実は話し言葉を見ても解るのです。

地方にはそれぞれ方言があります。
それは言い換えるなら同じ日本でありながら47か国語ある様なものです。

ならば、文字も地方地方で独自の発展を遂げたとしても不思議ではありません。

また、諸家に伝わっていた「旧辞」や「帝紀」と言った史書は漢字だけで書かれていたのでしょうか?

漢字が伝わって1463年程、古事記編纂が1300年前。
古事記編纂迄に諸家に史書が伝えられていたのです。
古事記編纂迄の160年で其れ程に史書がいい加減になっていたのか?
史書があったと言う事は文字があったと言う事で、漢字伝来から160年の間に急に史書を作ったのでしょうか?
日本は世界一古い国です。

縄文時代から続く国です。

縄文時代は今から約2万年前が始まりで、1万7千年続くのです。

11万年前には石器をつかい、3万年前には石器を加工していました。
1万6千5百年前には世界最古の土器を作った。
1万2千5百年前には漆を栽培し使っていたのです。

その国が濊族と同じような国だったのか?

あり得ませんね?

むしろ文字を持っていたからこそ、独自の文化を持ち更に現在まで他の国の様な植民地支配による収奪を受けずにいたと、そう考える方が自然です。

ですから古事記を見ると漢字を用いてはいますが、その使い方は万葉仮名使いです。
漢字を日本語の表記に直しているのです。
一方の日本書紀は漢文です。

この古事記の時代には以前に白村江の戦いがあり、また戦いがあるかもしれない。
そんな時にバラバラの文字を使っていては意思の疎通が儘ならない。

だから、この際バラバラの文字を共通にしてしまえ!と試みたのが古事記ではなかったのか?
そんな風に見えるのです。

諸家に伝わっていた史書とは様々な神代文字で書かれていた。
それを共通文字で編纂したのが古事記ではなかったかと思います。

共通の文字を用いて意思の疎通を図るのは国力を高める上で絶対です。
これは現代でも同じです。

その上で共通文字をどの神代文字にするか?
様々にある神代文字から一つに選ぶのは至難のワザです。
何故なら選ばれた文字、選ばれなかった文字が出来て無用な争いを生むことになり兼ねません。

ならば、共通文字として既に使っていた外国語である漢字を使ってしまえ!

そこから発展し複雑な日本語を表す為に平仮名やカタカナが生まれたのだと考える方が自然ですし、むしろ神代文字と言う下地があったからこそ表意文字と表音文字を使う世界にない文字文化があると思います。

実は意味不明な模様とされて来た、土器や石板や鏡や鉾にある模様は神代文字かもしれないのです。

そもそも漢字云々の話しは敗戦後の左翼学者の主張なんです。

世界最古の国が、支那の存在がなければ文化的、文明的、技術的に発展しなかったと考える方が無理矛盾があるのです。

今後、これらをしっかり研究し真実を掘り起こすことも日本を真っ当な国にする手段です。

真実の歴史を伝え、誤りや虚偽を正さなければ
「日本はなくなってしまう」と、天武天皇は仰ってます。

朝鮮半島を見れば解るのです
ウリナラファンタジーに酔っている間に国が滅びかけている。

我々は濊族とは違うのです!