犬神スケキヨ~さざれ石

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今一度足元を見て

2018-04-17 14:50:12 | 草莽崛起
さて今回は我が国の根っこに繋がる話しをしたいと思います。

様々な論客が論壇誌や或いは、発言の場所で語る話しを見聞きして私なりに考えた話しを少ししてみたいと思います。

こと『草莽崛起』カテゴリーにおいては、毎度申し上げておりますが問題提起として話しております。

あくまで私の考えを述べる場として、この拙著ブログを使っている訳です。
その私の考えや感じた事が、読まれた方々に対して問題提起、考えるきっかけとなれば良いなぁ...と思う次第です。

我が国の現憲法は一体何をしようとするものなのか?


敗戦後、我が国は随分と連合国から仕返しを受けて来ました。
東京裁判開設まで、その処遇が宙ぶらりんであった『天皇の処遇』は、皇統を途絶えさせる危うさにあったのです。

当時アメリカ世論の約70%は『ヒロヒト処罰』でもあり、うち33%は死刑を求めていたのです。
もうこれは、我が国に対する復讐という世論であったのでしょう。

昭和21年12月17日、近衛文麿服毒自殺の翌日マスコミは一斉に一面トップで報じた。

神道指令

指令自体は15日には出されていたのですが、渋る日本政府を急かせて発表させたのが17日。

中身は実質的に『神道禁止令』で国による関与、つまりは財政的な支援、公的資格を持つ者の神社参拝禁止と言うものです。

毎年8月が近づくと『公人か私人か?』なんて閣僚や国会議員に聞くバカ記者は、1952年のサンフランシスコ講和条約により終わった占領政策そのままにGHQの代弁をするようなものです。
侮辱、屈辱的な政策をそのままに質問するバカ記者の滑稽さたるや。

神道指令は政教分離が本来の意図です。

しかし、実際には神道禁止令となっている。

信教は内心の問題です。
キリスト教にしたって、新旧が殺し合いの争いをして疲れはて、やがてウェストファリア条約締結となり『内心の問題は問わない』と互いに信教の自由を認めたのです。
それが今ある主権国家誕生へとも繋がっているのです。

アメリカはフランス革命により血であがなった『政教分離』を自由の女神と共に受け継ぎ Constitution に信教の自由を標榜している訳です。

政教分離であるなら、本来は国家の関与だけを禁じるものであるはずの『神道指令』が、公人だが個人でもある神社参拝を禁止したのはアメリカ本来の国是や精神に反するものです。

その一方で別の国是もあるのです。

優れた宗教により、劣等民族への教化・支配。
これを神から与えられた使命。
マニフェストデステニーと言うものです。

つまり、このマニフェストデステニーにより日本民族には『政教分離』と言う国是は当てはまらないということです。
これは人種差別以外のなにものでもない。

ウェストファリア条約を契機に信教の自由や国家主権を相互に認める事が国際通念となり、国益の衝突により戦争となっても勝敗の始末は賠償や領土割譲で決着をつけ、敗戦国の信教や統治システムには変更を決して迫らない事が国際通念であったのです。

フランス革命


血で贖い、政教分離を確立したフランス。
血で贖うとはフランス革命を指します。

このフランス革命を準備したルソー。

しかしルソーは
『戦争は相手国のシステムを変える為に行う』
こう述べているのです。

こう述べたルソーの思想、フランス革命の思想は自由の女神と共にアメリカに輸入されました。

『自由・平等・博愛』を標語で行われたフランス革命のもう一つの側面にはルソーの思想がある。
それがアメリカに輸入され、劣等民族を支配し教化するというマニフェストデステニー。

それがアメリカで強化されて、アメリカが相手国の信教や統治システムまで変えると言う根拠となっているのです。

先の大戦以降のアメリカの振る舞いを見れば、ウェストファリア条約で確立した国際通念は全く無視する。

ニュルンベルク裁判や東京裁判を見れば中世さながらの正邪を決する為の戦争なんだと理解出来ます。

これがアメリカがドイツ連邦政府に無条件降伏を求め、ポツダム宣言の真実ではないかと見て取れるのではないでしょうか。

日本の抵抗もあって『有条件』になんとかこぎつけたけれどマッカーサーは『ポツダム宣言は契約ではない!日本は無条件降伏したのだ』と日本政府に通告した事を見れば、これは何でもアリのもので、そうならば統治システムや信教の形までも変えてやろうとする意図が最初からあったのだと言うことになります。

そもそも天皇や神道、更に大日本帝国憲法などアメリカの国益に全く関係ありません。
にもかかわらず、これらを力づくでも迫る背景にはルソーの思想とマニフェストデステニーとを考え合わせれば理解出来ます。

その心のありよう


『神道指令』を受けて直ちに対策を講じることを天皇の勅命により侍従次長の木下道雄の進言もあり、学習院・東大教授の板沢武雄を招き意見を聞くのです。

『鋏を以って煙を切るものなり』

GHQへの対処を聞かれた木下はこう答えています。
神道禁止など鋏で煙を切るようなもんだと言っているのです。

そもそも、神道はアメリカ人が考える宗教ではありません。

日本に宗門・宗派と言うような言葉はあったけれども宗教なる言葉はなかったのです。
明治期に英語の religionが入って来て、独善的で排他性のあるreligionの発想が日本人にはなく、わざわざ『宗教』と言う言葉を新造したのです。
これはConstitutionに憲法を当てた事とも同じ。

ちなみにreligionはラテン語のreligio(縛る)から来るもので、束ねるを語源にするファシストと似た匂いを感じます。

自然と言う言葉も、そもそも日本にはありませんでした。
しかしnatureと言う言葉が明治期西洋から入って来た。
しかし、西洋人の『自然は人間の克服すべきもの』と言う発想はなかった。
日本人にとっての自然とは『懐に抱かれ、そう感じる時に安堵や命を得る』
西洋のnatureの概念などない。
そこで仏教用語の自然(じねん)ありのまま、という言葉を当てたのです。

日本人は古来、其処彼処に神を見る。
木や水、海に山に、川のせせらぎ、果ては風呂や便所にまで神を見るのです。
そこにある自然そのものが神であり、そういう世界に生きて来た。
そんな我々日本人に改めて『宗教』などと言われても答えられないのです。

例えば海外に行く時、機内の入国カードに宗教を記入する欄がありますが、これは非常に困るものです。
改めて聞かれても答えられません。
仕方なく『Budhist』と書くのですが、果たして仏教徒か?

世界では特定の宗教を持っているのが当たり前。
宗教がない人間などは犬猫以下の畜生扱いでしょう。

我々日本人は結婚式は神式やチャペルで挙げ、葬式は仏葬、正月には神社へ初詣に行き、法事も墓参りも欠かさない。
国内には1%いるかいないかのキリスト教。
しかしクリスマスには街はクリスマスムードになり、クリスマス商戦まである。
しかし、多くの日本人はなんら不思議と思わない。

しかしながら西欧から見れば、日本人は宗教に無頓着だと見えてしまうようです。

しかし、これこそが日本人の長所と言うべきところなのではないか?

それこそが日本人の心のありよう、心の持ち方ではないでしょうか?

日本人の精神性を形作った根っこに神道があるのは間違いない。
つまり神道は宗教などと言うものではない。

日本人の精神性を総称して神道と呼ぶ

これに時に仏教、時に儒教などが習合した。
その習合を可能にしたのが和を尊ぶおおらかな日本人の精神性=神道。

神道は西欧中東の人工的な唯一絶対の神なるものとは馴染まない。
神道には宗教に必要な教義も教典もなく教祖もない。

神道とはreligionと言うものではなく、日本人の精神性なのだと言うことです。

その精神性を禁止する!と言うのですから、正に鋏で煙を切るようなもの。
なんと言うアホな話か。

アメリカは日本の神道やその象徴的存在の天皇を先に述べた思想により瓦解させ様としたのは明白です。

天皇は神道というreligionの教祖で、間違った宗教により日本人は戦争をした。

つまり神道禁止令は、『天皇の在り方』を改変させ、それを明文化した大日本帝国憲法の改正を意味しているのです。

現憲法の矛盾


今や改憲の動きが顕著な中、9条にばかり目は行きがちではありますが、先述の通り天皇に対する記述にも問題があるのは皆さんもお気づきでしょう。

それは第1条、第2条の矛盾です。

第1条には

『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく』

とあります。

第2条には

『皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する』

これをパッと読んではわかりにくいかもわかりません。

しかし『国民の総意に基づく』はずのものが『世襲』されると言うおかしさに気づくことができるのです。

つまりこれは『地位』と『皇位』は別物だと読み取れるわけです。

まさかこれが別物と思う人はいないでしょう。

いや厳密には別物と思う人がいる。
いわゆる左翼の連中です。

これも条文そのままに読めば

即位の度に『国民の総意』の査察を受け、否定されたら『世襲』出来ない

査察はその都度『天皇制』の再検討にもなるのです。

いわば『天皇、皇統は華道の師匠や能楽の家と同格になる』危険に常に、日にち毎日晒されている状態であるのです。

天皇とはその様な存在なのでしょうか?

我々の神話と地続きの系譜を持つご存在とはなんなのか?

我々現代日本人は其れを知りません。

神道の意味も知らず、知らないから神道はキリスト教や仏教と同じ、そもそも我が国になかった『宗教』なる言葉だと現代日本人の多数は考えています。

例えば、現憲法第1条、第2条を持ち出しお妃や皇統に物申すバカタレがいる。
具体的には皇太子妃や、女系天皇、女性宮家の話しです。

これが、如何に我々日本人の『心』を瓦解させることになるか。

また、それがGHQ、白人達の思想に沿う形になるか。

我々は既に占領政策を終えているのです。


古事記を摘んで日本を知る52

2018-04-10 19:00:38 | 古事記
邇邇芸命木花之佐久夜毘売の間に生まれた御子のうち

火照命(ほでりのみこと)は『海の獲物を獲る男』という意味の

海佐知毘古(海幸彦)

火遠理命(ほおりのみこと)は『山の獲物を獲る男』という意味の

山佐知毘古(山幸彦)

として色々な獣を獲っていました。

そしてある時、弟である火遠理命が兄である火照命に言います。

『兄様、たまには道具を交換しましょうよ』

そんな事を言い出します。

『私は毎日、野山を駆け回っているけど、たまには釣りもしてみたいです。兄様道具交換しましょうよ』

すると火照命が

『何を言ってんの?そんな上手くいくはずないって!だいたい大事な道具をド素人のお前には貸せないってば』

火照命は断ります。

『え〜!ちょっとぐらいいいじゃない!なんだケチだな』
火遠理命は食い下がる。

あんまり食い下がるもんで兄様、遂に折れて
『しょーがない、じゃちょっとだけだぞ。だけど絶対上手く行かないって。普段やってないだからさ、そんなチャッチャッチャッなんて魚は釣れないからな。』

兄様にすれば、一度やらせたら上手くいかずに納得するだろうと思ったのでしょう。

そうして道具を交換してみます。

そしたら結局一匹も釣れません。
そりゃそうでしょ?
だいたいド素人なんですからね。

釣れないどころか、地球釣っちゃって。
いわゆる根掛かりてやつで、火照命の大事な釣り針失くしてしまいます。

昔なんか釣り針て言うと高価なもんですよ!
それに、それで生計立ててますから、これはえらい事やらかした。

『うわぁ!えらい事やってしもうた...』

顔面蒼白でアワアワしてるところに、お兄さん登場。
だいたい、こういうタイミングに登場するもんですよ。

『どうだ?やっぱりダメだろ?』

と火照命。

『あ...はぁ、一匹も獲れなかった』
火遠理命。

『だから言ったじゃん!無理ってば』

『いや、兄様釣れないどころか大事な針を失くしてしまい...』

まあ、これ当然兄様は怒ります。
『だから言わんこっちゃねぇ!だいたい魚だってド素人のお前に釣れるわけねぇわ!しかも釣り針失くしたって?こっちも商売道具なんだからな!許さんぞ!探してこい!海潜って探してこい!バカ』

烈火の如くブチ切れ。

これは困りました。
普段は山を駆け巡り獲物を追いかけている山佐知毘古ですから、あんな広い海から小さな釣り針を見つけるなんて無理ですよ。

それで探しても探しても見つからなくて困ってしまいます。
しかし兄様は『返せ!』と怒っています。

仕方ないと自分の十拳の剣を打ち砕いて五百本の釣り針を作って兄様に渡しますが、海佐知毘古は受け取りません。

金属製の針ですよ!

動物の骨を削ったりして作ったものじゃありませんよ!
金属製の方が良いでしょうに!

でも海佐知毘古は『元のやつ返せよ!』です。

で、困って更に千本作ったのですが、それでも兄様は許してくれません。

だいたい、道具を借りたからダメなんで、釣り針作れるなら最初から作ったら良かったんですよ!


火遠理命・山佐知毘古はどうする事も出来なくなってしまいましたよ。
これは困りました。
ま、それでグスングスンと泣き出します。

すると塩椎神(しおつちのかみ)が現れます。
『どうしましたか?』

『いや、実は...』と火遠理命は事情を話します。

すると塩椎神は『ほ〜それはそれは、では私が力になってあげましょう』

そして目が固く詰まった竹籠で舟を作って『これに乗りなさい』と言います。
そして塩椎神は火遠理命が乗った舟を押しました。

『途中まで行くと潮の流れに乗るから、その潮に乗って行くと、魚の鱗みたいな屋根をふいた海の神の宮殿があります。そこに行きなさい』

そう言いました。

『そこで宮殿の門の前に井戸がある、その井戸の前に桂の木があるから、そこに座って待っていれば海の神の娘が出て来て、色々取計らってくれるだろう』

そして釣り針を見つけてくれるかもわからないから必ず綿津見神(わたつみのかみ)のところへ行けと言うのです。

『わかりました!ではお言葉に甘えて行ってきます』

と、いうことで向かいます。

船旅をしていると、確かに塩椎神の言う通り魚の鱗みたいな屋根の宮殿が出て来ます。

そこで桂の木の上にちょこんと座って待つことにしました。

桂の木に登ってちょこんと座っていると、海の神の娘豊玉毘売(とよたまびめ)のお使いがやって来ます。

お使いは水を汲もうと井戸を覗きます。
すると井戸に人が映っている。
あらびっくり!

それはそれは麗しい男神がいる

『どうなされたのですか?』
お使いは尋ねます。

『いや、ちょっと水が欲しくて』
火遠理命は答えます。

そこで玉器に水を入れ『どうぞ』と差し出します。

ここで『あ、どうも』なんて水飲んでたら、豊玉毘売には会えないかもしれません。

そこで火遠理命は自分の首飾りをバラバラに解いて、玉を口に含みます。
それをモゴモゴやって吐き出したら、玉が器にくっついてしまったのです。

お使いの侍女はどうしてよいかわからず、豊玉毘売に話します。
豊玉毘売は『どうしたの?』と。

侍女は『外に水を汲もうと出てみたら、それは麗しい男性が居られて、水を差し出しましたら玉がくっついてしまって...』と事情を説明しました。

豊玉毘売も『え?一体どういう事かしら...』と外に出てみるわけです。

そんなこんなで火遠理命は豊玉毘売と会うことが出来ました。

邇邇芸命(ににぎのみこと)は木之花佐久夜毘売に一目惚れしてしまいましたが、今度は逆です。

豊玉毘売が火遠理命に一目惚れ。

『あ!このお方、素敵!』

と、まあこんな感じでしょうかね。
しかし火遠理命もビビっと来たのか、お互い見つめ合って暫く動けず。

豊玉毘売『まあ、この方素敵だわ』て事で、直ぐにお父様のところへ行きます。

『門のところに、麗しいお方がいらしたのお父様!』

『なんだと?よし!じゃあワシが見てきてやろう』

お父様と言うのが綿津見神(わたつみのかみ)と言う海の神様です。

そして火遠理命を見るや

『おぉ!天津日高(あまつひこ)の御子、虚空日高(そらつひこ)ではございませんか』

日の御子である事を一発で見抜いてしまいます。

『おい!豊玉毘売よ!このお方は大変高貴なお方だ!天照大御神様の系譜であらせられるぞ!』
と、まぁコレでお父つぁんは舞い上がる舞い上がる。

『大変だ!大変だ!こりゃ大変だ!』

大興奮状態です。

そんでもってどうしたかと言うと、アシカの皮の敷物を何枚も敷き詰めまして、アシカの皮ですからこれは超高級品ですよ!
そこに絹の織物を幾重にも重ねて立派な席を用意しました。

で、もってなんだかんだあったのですが結局、結婚させてしまいます。

そんでもって飲めや歌えやの大宴会ですわ。
そんな事やってたら三年も経ってしまいます。

『うわぁ楽しいな!』とか『これ美味いね!』とか言ってるうちに三年ですよ!
宴会やりすぎ!

三年程経過しますと、さすがに火遠理命も
『まてよ!何しに来たんだ?なんか大事な事を忘れているような...』

さて、とても重要な部分


邇邇芸命は山の神の娘を嫁にしました。
火遠理命は海の神の娘を嫁にしました。

これが実はとても重要なんです。

邇邇芸命とて、葦原中国にはご縁がなかった訳ですね。
しかし山の神の娘を嫁にする事でご縁が一つ出来ました。
これ地上世界の山の神の神通力を頂いた。

その息子の火遠理命は海の神の娘を嫁にしました。
これにより海の神の神通力を頂いた。

そしてこの子孫は山の神、海の神の霊力を受ける事になります。
そしてその子孫である日の御子も正当な血統。

山の神、海の神に守られた正当な血統の御子がいよいよ統治する為の準備が出来たと言う事になります。

この時点で地上世界を統治するなど、まだまだです。しかも天皇にすらなっていません。

しかし、こうやって徐々に地上世界とのご縁を一つ一つ重ね、ご縁が固まって、準備万端となって神武天皇が即位するのです。

邇邇芸命や火遠理命などが初代天皇とならなかった理由は、実はこれにあるのだと言う事です。

地上世界ではまだまだニューカマー。

だから一つ一つご縁を固めて、やっと神武天皇の代になって即位するのです。