今一度、事実を冷静に見つめて歴史を掘り下げてみることは、自らを知ることに必要不可欠です。
その一つとして、今回は伊藤博文暗殺事件を振り返ってみようと思います。
よくご存知の方もおられるでしょうが、知られていない、学校教育でも教えられなかった事実もあるわけです。
自分自身もそうであるように、あまり広く知られていない事実を知って、今後の『祖国』を考える一助となれば幸いです。
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安重根と言う青年が、我が国初代総理大臣伊藤博文を暗殺した。
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これは広く我々日本国民、韓国民が知るところではあります。
しかし、この暗殺事件の事実をよくよく考えてみると『?』がつくのです。
我々日本国民も大韓民国民も、認識を誤っているのではないか?
そのように思える話しが山盛りです。
ご存知『安重根』は韓国の英雄であります。
しかし資料を見て見れば、未だ解けない謎があります。
事件は明治42年(1909)10月26日午前9時 黒竜江省ハルビン駅
安重根の凶器は7連発ブローニング。
安重根は弾を6発装填し、5発発射。
1発は自決用に取っていた。
安重根は殺傷能力を高める為に弾丸に『十字』の刻みを入れ、炸裂弾にしていました。
つまり安重根の弾丸には十字の刻みが入っていた、さらに本人も供述しています。
では伊藤博文の遺体を見てみると、どうでしょうか。
伊藤博文は3発被弾しています。
1発は貫通しており未発見です。
体内には弾丸2発が残っていました。
1発は腕を砕き太ももで止まっていました。
これは伊藤博文よりも高い所から撃たれて被弾した事を表しています。
安重根は人混みの中、人の股の間から射撃したと言う事になっています。
しかも体内から取り出された弾丸には十字の刻みはなかったのです。
つまり安重根が放った弾ではないのです。
安重根は5発射撃しましたが、伊藤博文の周りにいた役人達も被弾し死亡しているのです。
死んだのは伊藤博文だけではないのです。
室田氏は5発被弾
中村氏は2発被弾
森氏は1発被弾
上川氏は1発被弾
田中氏は1発被弾
なんと伊藤博文の被弾数と合わせると
合計13発
現場には実際のところ13発の弾丸が飛び交ったと言うことです。
うち森氏が被弾した1発にのみ安重根が放った十字の刻みがある弾丸でした。
安重根は5発しか発射していません。
更に安重根の拳銃は7連発ですから、7発以上撃つには弾を装填しなければなりません。
ではこの様な事が起きる為には、少なくとも安重根以外に弾丸を発射しなければならず、そう考えると安重根の他に一人ないし二人いなければなりません。
実は安重根は伊藤博文の顔を知らなかったと言う話しもあるのです。
この暗殺事件を安重根だけの単独犯行とは考え難いのです。
中でも一番被弾したのは室田氏です。
そして伊藤博文を殺したのは安重根ではないのではないか?
その様な疑問が湧いて来ます。
そして韓国人にとっては悍ましい『日韓併合』ですが、これに最も反対していたのが伊藤博文その人です。
伊藤博文の考えは朝鮮人による朝鮮の独立です。
また国内には対ロシア安全保障面から朝鮮併合を唱える者もいました。
例えば山縣有朋などは朝鮮併合論者です。
安重根はその辺り把握していたのか?
現在の韓国が言うとおり、朝鮮併合への反発、反日思想からの行動だとすれば、これはとんでもない間違いを起こした事になります。
そして安重根の取り調べで放った一言が実に不思議なのです。
『我の罪は弱き韓国の民たるが罪である』
これは一体どういう事でしょうか?
『私の罪と言えば、弱い韓国に生まれたがゆえに罪である』
そういう事になります。
弱い韓国に生まれさえしなければ、伊藤博文暗殺なる事件など起こす必要はなかったと言っているのです。
これは非常に重い言葉は無かろうかと思います。
何故、我が国はこれほど弱いのか?
弱いが故に暗殺などしなければならない。
そこに日本に対する恨みの言葉はありません。
逆に祖国の弱さへの『悔い』や『恨み』或いは『怒り』すら感じずにはいられない。
安重根はこれを最後の言葉として残している。
これは日本の取り調べ調書にしっかり残っているのです。
この『日韓併合反対派』の伊藤博文が殺害された事により逆に日韓併合が加速してしまいます。
そして安重根の言葉には弱き祖国を案ずる気持ちすら滲み出ているのではないか?と思います。
ならば、安重根は何故暗殺などを企てたのか?
誰かに吹き込まれたのか?
弱き祖国を日本と併合させて、日本の力を利用して強い国にしようと考えたか?
どちらにせよ反日と言うには余りに矛盾が生じます。
とにかく祖国を憂いての犯行であると思います。
さて安重根が犯行に使った拳銃はベルギー製ブローニング7連発銃。
さてベルギー製ブローニング7連発銃は、実は全く別の暗殺事件でも使われているのです。
第一次世界大戦のきっかけとなる事件。
オーストリア皇太子夫妻が暗殺された『サラエボ事件』です。
反オーストリア組織『黒い手』の一員であるセルビア人によって暗殺されたあの事件です。
その時に使われた凶器が安重根使用の拳銃と同じ型なのです。
この時、この型のブローニング拳銃をやたらと買い集めていた人物がいた。
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ウラジミール・レーニン
あのレーニンがしきりに買い漁っていたのです。
ポリシェビキやコミンテルン設立を主導した男。
伊藤博文暗殺から五年。
オーストリア皇太子夫妻暗殺までの間、凶器を辿るとウラジミール・レーニンにたどり着くのです。
あくまで推測、推論ではありますが伊藤暗殺の裏に共産主義があったのではないか?
第一次世界大戦の裏に共産主義が暗躍していたのではないか?
そう思えてならない。
そして伊藤博文は日露戦争によりボロボロとなったロシアを救うべく『日露貿易協定』を結ぼうとしていたのです。
ロシアを復権させ、安全保障上の同盟を結ぼうと伊藤博文は考えていたようです。
ロシアに復権されては困る人物がいた。
そうです!ソビエトを作ろうと考えていたレーニンです。
アジアそしてヨーロッパを混乱に陥れ、介入出来ない状態にし、その隙に革命を起こしソビエトを作る。
伊藤博文暗殺からオーストリア皇太子夫妻暗殺、そして第一次世界大戦までを繋げて見れば、これは世界政治の複雑さを見て取れるのです。
有名な話ですが、レーニンは天皇陛下の写真をカバンに忍ばせていた。
何故ならロシアを日本が潰してくれるからですね。
そう考えると伊藤博文のロシアとの貿易協定はレーニンから見れば裏切りです。
また伊藤博文暗殺を見れば明らかな『組織犯罪』である事は事実から明白です。
またいくら特権階級ではあったとしても、たかが一朝鮮の青年が、簡単にはブローニングなる拳銃を入手するのは困難です。
一つ一つをぶつ切りに見るのではなく、俯瞰で見れば一つの時間軸で繋がってしまうのではないかと思います。
その後のコミンテルンによる工作は『ヴェノナ文書』で明らかになっています。
先に日米戦においても、双方戦うべきは共産主義で戦う相手を間違えたのではないか?
その為に戦後、勝ったが故に苦しみ、また負けたが故に苦しみ。
韓国にしても歴史の事実に目を背け『安重根の真実』に蓋をしている。
安重根が反日の英雄ではないとしっかり認識すれば、また朝鮮半島の発展もありえると言うことはないでしょうか?
我々はしっかりと事実を見続け、祖国の未来に繋げて行かねばなりません。
その一つとして、今回は伊藤博文暗殺事件を振り返ってみようと思います。
よくご存知の方もおられるでしょうが、知られていない、学校教育でも教えられなかった事実もあるわけです。
自分自身もそうであるように、あまり広く知られていない事実を知って、今後の『祖国』を考える一助となれば幸いです。
反日と言う暗殺
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安重根と言う青年が、我が国初代総理大臣伊藤博文を暗殺した。
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これは広く我々日本国民、韓国民が知るところではあります。
しかし、この暗殺事件の事実をよくよく考えてみると『?』がつくのです。
我々日本国民も大韓民国民も、認識を誤っているのではないか?
そのように思える話しが山盛りです。
ご存知『安重根』は韓国の英雄であります。
しかし資料を見て見れば、未だ解けない謎があります。
事件は明治42年(1909)10月26日午前9時 黒竜江省ハルビン駅
安重根の凶器は7連発ブローニング。
安重根は弾を6発装填し、5発発射。
1発は自決用に取っていた。
安重根は殺傷能力を高める為に弾丸に『十字』の刻みを入れ、炸裂弾にしていました。
つまり安重根の弾丸には十字の刻みが入っていた、さらに本人も供述しています。
では伊藤博文の遺体を見てみると、どうでしょうか。
伊藤博文は3発被弾しています。
1発は貫通しており未発見です。
体内には弾丸2発が残っていました。
1発は腕を砕き太ももで止まっていました。
これは伊藤博文よりも高い所から撃たれて被弾した事を表しています。
安重根は人混みの中、人の股の間から射撃したと言う事になっています。
しかも体内から取り出された弾丸には十字の刻みはなかったのです。
つまり安重根が放った弾ではないのです。
安重根は5発射撃しましたが、伊藤博文の周りにいた役人達も被弾し死亡しているのです。
死んだのは伊藤博文だけではないのです。
室田氏は5発被弾
中村氏は2発被弾
森氏は1発被弾
上川氏は1発被弾
田中氏は1発被弾
なんと伊藤博文の被弾数と合わせると
合計13発
現場には実際のところ13発の弾丸が飛び交ったと言うことです。
うち森氏が被弾した1発にのみ安重根が放った十字の刻みがある弾丸でした。
安重根は5発しか発射していません。
更に安重根の拳銃は7連発ですから、7発以上撃つには弾を装填しなければなりません。
ではこの様な事が起きる為には、少なくとも安重根以外に弾丸を発射しなければならず、そう考えると安重根の他に一人ないし二人いなければなりません。
実は安重根は伊藤博文の顔を知らなかったと言う話しもあるのです。
この暗殺事件を安重根だけの単独犯行とは考え難いのです。
中でも一番被弾したのは室田氏です。
そして伊藤博文を殺したのは安重根ではないのではないか?
その様な疑問が湧いて来ます。
そして韓国人にとっては悍ましい『日韓併合』ですが、これに最も反対していたのが伊藤博文その人です。
伊藤博文の考えは朝鮮人による朝鮮の独立です。
また国内には対ロシア安全保障面から朝鮮併合を唱える者もいました。
例えば山縣有朋などは朝鮮併合論者です。
安重根はその辺り把握していたのか?
現在の韓国が言うとおり、朝鮮併合への反発、反日思想からの行動だとすれば、これはとんでもない間違いを起こした事になります。
そして安重根の取り調べで放った一言が実に不思議なのです。
『我の罪は弱き韓国の民たるが罪である』
これは一体どういう事でしょうか?
『私の罪と言えば、弱い韓国に生まれたがゆえに罪である』
そういう事になります。
弱い韓国に生まれさえしなければ、伊藤博文暗殺なる事件など起こす必要はなかったと言っているのです。
これは非常に重い言葉は無かろうかと思います。
何故、我が国はこれほど弱いのか?
弱いが故に暗殺などしなければならない。
そこに日本に対する恨みの言葉はありません。
逆に祖国の弱さへの『悔い』や『恨み』或いは『怒り』すら感じずにはいられない。
安重根はこれを最後の言葉として残している。
これは日本の取り調べ調書にしっかり残っているのです。
この『日韓併合反対派』の伊藤博文が殺害された事により逆に日韓併合が加速してしまいます。
そして安重根の言葉には弱き祖国を案ずる気持ちすら滲み出ているのではないか?と思います。
ならば、安重根は何故暗殺などを企てたのか?
誰かに吹き込まれたのか?
弱き祖国を日本と併合させて、日本の力を利用して強い国にしようと考えたか?
どちらにせよ反日と言うには余りに矛盾が生じます。
とにかく祖国を憂いての犯行であると思います。
さて安重根が犯行に使った拳銃はベルギー製ブローニング7連発銃。
さてベルギー製ブローニング7連発銃は、実は全く別の暗殺事件でも使われているのです。
第一次世界大戦のきっかけとなる事件。
オーストリア皇太子夫妻が暗殺された『サラエボ事件』です。
反オーストリア組織『黒い手』の一員であるセルビア人によって暗殺されたあの事件です。
その時に使われた凶器が安重根使用の拳銃と同じ型なのです。
この時、この型のブローニング拳銃をやたらと買い集めていた人物がいた。
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ウラジミール・レーニン
あのレーニンがしきりに買い漁っていたのです。
ポリシェビキやコミンテルン設立を主導した男。
伊藤博文暗殺から五年。
オーストリア皇太子夫妻暗殺までの間、凶器を辿るとウラジミール・レーニンにたどり着くのです。
あくまで推測、推論ではありますが伊藤暗殺の裏に共産主義があったのではないか?
第一次世界大戦の裏に共産主義が暗躍していたのではないか?
そう思えてならない。
そして伊藤博文は日露戦争によりボロボロとなったロシアを救うべく『日露貿易協定』を結ぼうとしていたのです。
ロシアを復権させ、安全保障上の同盟を結ぼうと伊藤博文は考えていたようです。
ロシアに復権されては困る人物がいた。
そうです!ソビエトを作ろうと考えていたレーニンです。
アジアそしてヨーロッパを混乱に陥れ、介入出来ない状態にし、その隙に革命を起こしソビエトを作る。
伊藤博文暗殺からオーストリア皇太子夫妻暗殺、そして第一次世界大戦までを繋げて見れば、これは世界政治の複雑さを見て取れるのです。
有名な話ですが、レーニンは天皇陛下の写真をカバンに忍ばせていた。
何故ならロシアを日本が潰してくれるからですね。
そう考えると伊藤博文のロシアとの貿易協定はレーニンから見れば裏切りです。
また伊藤博文暗殺を見れば明らかな『組織犯罪』である事は事実から明白です。
またいくら特権階級ではあったとしても、たかが一朝鮮の青年が、簡単にはブローニングなる拳銃を入手するのは困難です。
一つ一つをぶつ切りに見るのではなく、俯瞰で見れば一つの時間軸で繋がってしまうのではないかと思います。
その後のコミンテルンによる工作は『ヴェノナ文書』で明らかになっています。
先に日米戦においても、双方戦うべきは共産主義で戦う相手を間違えたのではないか?
その為に戦後、勝ったが故に苦しみ、また負けたが故に苦しみ。
韓国にしても歴史の事実に目を背け『安重根の真実』に蓋をしている。
安重根が反日の英雄ではないとしっかり認識すれば、また朝鮮半島の発展もありえると言うことはないでしょうか?
我々はしっかりと事実を見続け、祖国の未来に繋げて行かねばなりません。
日露の戦に勝った日本帝国に安はいたく感激しております。
ないがしろにできぬ解釈だと存じます。
ロシア革命も、当時はユダヤ革命だと言われていました。中枢部はほとんどユダヤ人ですから、当然そういわれます。