犬神スケキヨ~さざれ石

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旧、新憲法 統治と主権(5)

2020-09-30 20:53:00 | 連続
前回、ポツダム宣言の六、七項目について
述べました。
では、他の項目についてはどうなのか?

連合国が占領を解除する条件を第九項〜十二項にかけても記述されています。

九 日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレ
  タル後、各自家庭ニ復帰シ、平和的且
  生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラ
  ルベシ。
十 吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セン
  トシ、又ハ国民トシテ滅亡セシメント
  スルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ、
  吾等ノ捕虜ヲ虐待セル者ヲ含ム、一切
  ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰
  ヲ加ヘラルベシ。日本国政府ハ日本国
  国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復
  活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベ
  シ。言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本
  的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ。
十一 日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナ
   ル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムル
   ガ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サル
   ベシ。但シ、日本国ヲシテ戦争ノ為
   再軍備ヲ為スコトヲ得シムルガ如キ
   産業ハ此ノ限ニ在ラズ。右目的ノ為
   原料入手ヲ許可サルベシ。日本国ハ
   将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サル
   ベシ
十二 前記諸目的ガ達成セラレ、且日本国
   民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和
   的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立
   セラルルニ於テハ、連合国ノ占領軍
   ハ、直ニ日本国ヨリ撤収セラルベシ

同宣言が示す占領軍撤収の条件は以下の六点であるのです。

①日本軍の武装解除
②戦争犯罪人の処罰
③民主主義の復活と強化、その障害の除去
④言論、宗教、思想の自由と基本的人権の
 尊重
⑤戦争の為の再軍備を可能にする産業の禁
 止
⑥日本国民の自由に表明する意思に従って
 平和的傾向を持ち責任ある政府樹立

実際には先述の十二項が削除され日本側に突きつけられた為に、ポツダム宣言の条項に、天皇の統治、皇位継承、天皇の政治に対する無問責などの國體に関する言及は一切ありませんでした。

米国の当初の議論では、天皇を残す事を考えていました。
天皇廃止ではなく、天皇存置が前提で議論されていたのです。

しかし、ポツダム宣言を見れば八月革命説で重視された根本建前には全く関心がなかった事もわかります。
『主権』については一切の言及はありません。

ポツダム宣言に接した日本政府並びに統帥部は、米国が予想した通り、同宣言受諾によって國體が護持されるのかを最も重視していました。

しかしポツダム宣言中にその様な記述がないために、國體護持に疑念を抱くのです。

ポツダム宣言が発せられて二日後。
7月28日
鈴木寛太郎総理は記者会見で『重視するに要なきものと思う』と言うような趣旨の話しをするのです。

しかし、これを『政府はポツダム宣言を黙殺!戦争に邁進!』とマスコミは誤報を打つなです。

これをサンフランシスコのAP通信が『ポツダム宣言拒絶』と更に誤報を発信。

これにより、米国に原爆投下の理由を与えてしまい、米国の予定通りに昭和20年8月6日広島に原爆投下となってしまったのです。

旧、新憲法 統治と主権(4)

2020-09-27 00:10:00 | 連続
宮澤俊義の『八月革命説』では、旧新憲法間で主権の移行があったと主張しています。

それはポツダム宣言受諾を根拠にしています。
では、ポツダム宣言に主権に関する記述があったのでしょうか?

我が国が停戦をする条件を連合国、とりわけ米国はしっかりと分析しています。

①日本人は天皇の地位が保障されない限り
 降伏を受け入れない
②戦後日本の秩序維持には天皇の存在が極
 めて重要である
と、理解していました。

つまり天皇の地位の保障さえあれば『降伏』するとわかっていたのです。
しかし実際にはポツダム宣言で天皇の地位や國體について言及しなかったのです。

それは日本に原爆を使用する為であった事は皆さんご存知の通りです。

当初、米国は日本降伏に関して
天皇の地位の保障
ソ連参戦
原爆投下
のいずれかで降伏するだろうと考えていました。

しかし、戦局が悪化していた7月1日マッカーサー率いる南西太平洋司令部がまとめた研究リポートによれば以下の様に分析しています。

『今日、天皇と軍幹部、軍全体、全国民は一つにまとまっている。最後の勝利、或いは死に至るまで戦い抜く覚悟をしている。兵士達は戦場で狂信的な行動をし、人々は必要とあらば、自爆も辞さない覚悟と不屈の精神で戦い続けている』

それまでに66都市を空爆され、67番目68番目が原爆で焼かれ様と、日本の降伏の決定には何ら影響はないと考えていました。

実際、原爆が落とされたけれど降伏の決定に影響はせずに、ソ連参戦が影響していたのです。
また、米国にしても原爆は二つしかなかったのですから、ソ連参戦による日本の降伏にはホッと胸を撫で下ろした事は容易に理解できるでしょう。

もし日本が降伏しなければ、日本本土での戦闘となります。
そうなれば、米国とてタダでは済みません。
先にマッカーサーが分析した通り、自爆も辞さない一億の日本国民を相手にしなければならず、例えそれで勝ったとしても、終わりなき日本人のテロの脅威が、数十年或いは100年を超えて続くかもしれない。

そんな事になれば、米国とて一体どれだけの犠牲を払わねばならないか。

トルーマン大統領はじめ米国高官達は、日本の降伏には『天皇の地位を保障する』こと、『ソ連参戦により日本は状況が一変し手に負えない状況になる』そして『原爆投下では降伏しない』と知っていたのです。

昭和20年7月26日ポツダム宣言。
しかし、天皇の地位については曖昧で明言はなく、日本としても受諾し難いものでした。

例えば6項と7項に、日本占領、占領目的が明記されています。

六、吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ
  駆逐セラルルニ至ル迄ハ、平和、安全
  及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主
  張スルモノナルヲ以テ、日本国国民ヲ
  欺瞞シ、之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅ
  ルヲ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢
  力ハ、永久ニ除去セラレザルベカラズ

七、右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ、且日本
  国ノ戦争遂行能力ガ破砕セラルコトノ
  確証アルニ至ル迄ハ、連合国ノ指定ス
  ベキ日本国領域内ノ諸地点ハ、吾等ノ
  茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保
  スル為、占領セラルベシ

『世界から軍国主義がなくならぬ限り、平和や安全、正義の新秩序が成立する事はない。日本国国民を騙し、世界征服の暴挙に出る過ちを犯した権力者達は永久に除去されなければならない。この様な新秩序が成立し、且つ日本の戦争遂行能力が失われるまで連合国は日本を占領する』

この様な意味となるでしょう。

ポツダム宣言で連合国が求めた新秩序とは何なのか?

①軍国主義の排除
②戦争遂行能力の喪失
③戦争犯罪人の処罰

この三点により、新秩序は実現するものと認める、と言う中身です。

次回へ続く




旧、新憲法 統治と主権(3)

2020-09-23 22:23:00 | 連続
さて前回は、八月革命説では新憲法下の天皇の存在は『新設された地位』と解釈されると話しました。

それは國體の断絶を意味し、更に憲法無効説も旧新憲法間の法的連続性を否定する為に結果的に國體の断絶に繋がりかねないと話しました。

法的連続性を否定しても、國體が断絶する訳ではない!と主張する方もおられます。
憲法より天皇の存在は上で、國體も憲法には関係ないとするものです。

確かに一理あるように思えます。

しかし、帝国憲法は草案者井上毅がそれまでの我が国にあった不文法の慣習法を成文化したもので、如何に天皇の地位や大権を表現するかに重きを置いていた事がわかります。
それらを考えれば憲法による天皇の法的地位は軽くはありません。

その辺りは後に述べたいと思います。

ともかく八月革命説は更に現憲法における皇室は終戦以前の歴史的慣習には一切拘束されないとも解釈しています。
それは『現憲法の天皇制度が過去の前例を踏襲する必要はない』と言うようなものです。

改正憲法説に立てば、憲法改正により変更はあるものの、天皇の存在や地位の本質は帝国憲法と日本国憲法を通じ法的に連続してるので、歴史的に連綿と続くと解釈されます。

憲法無効説に立てば、現在も帝国憲法が有効で、帝国憲法下での天皇が現在も存在していると解釈されます。

上記のように、どの説に立つかにより現憲法による天皇の理解が根本的に変わってしまいます。
これは天皇に関する憲法解釈も大きく異なってしまいます。

解釈が異なるとどうなるのか?

皇室制度、天皇の国事行為、宮中祭祀、皇室の伝統行事などの解釈に影響を及ぼす可能性があるのです。
それだけではなく、ひいては日本の国家統治に関する理解をも左右しかねません。

八月革命説を用いれば、帝国憲法下では主権者であった天皇は、ポツダム宣言受諾により、その主権を放棄し、新たな主権者『国民』の総意に基づく象徴天皇に就任した事になります。
つまり法的連続性を完全に否定する説が主張されてしまうのです。

帝国憲法の天皇と、日本国憲法の天皇は名称は同じではあるが、全く別物で『今までと同じ様に「天皇」とか「天皇制」とか呼ぶのは間違いだ!

と、なってしまい。

『何か別の名称で呼ぶのが正しい!天皇制はそれほどに変化変質している』

と、主張されてしまいます。

旧、新憲法間の天皇を別物だとすると、現憲法の第一条の解釈も『天皇は日本国の象徴』と規定する趣旨を『これは天皇が国の象徴だ!』と強調するよりも『天皇は国の象徴たる役割以外の役割を持たない』と解釈されてしまいます。

更に酷いと、憲法第三条を以って『天皇は内閣の助言と承認を得る、何らの実質的権力を持たない、ただ闇雲に目クラに判を押すだけのロボットの様な存在だ』と主張する者まで現れる始末です。

天皇はただの象徴だ!
天皇は単なる象徴に堕ちた!
と、主張されてしまいます。

現在の中学における教科書の大半は、この様な見解を前提として象徴天皇を説明しているのです。

旧、新憲法 統治と主権(2)

2020-09-22 11:21:00 | 連続
八月革命説を提唱した中心人物は
宮澤俊義と言う人物です。

1935年『天皇機関説』を唱えた美濃部達吉の弟子に当たる人物です。

宮澤俊義の言う憲法改正の限界、帝国憲法から日本国憲法への憲法改正の限界を超えるものとは何なのか?

その根拠がポツダム宣言であると主張しています。

連合国の通知にある

最終的ノ日本ノ政府ノ形態ハ、ポツダム宣言ニ尊ヒ日本国国民ノ自由ニ表明スル意思ニ依リ決定セラルヘキモノトス

と通知しました。

これを宮澤俊義は『日本の政治の最終的権威が国民の意思にあるべきと言う事を意味するものだ』と考え、それは『国民が主権者』であるべきと言う意味だと主張します。

その『国民が主権者』であるべきとしたポツダム宣言を受諾したのであるから、それを憲法の根本建前としたのであると言うものです。

これには大前提とし、帝国憲法が『天皇主権』であって、日本国憲法が『国民主権』であるとしなければなりません。

つまり憲法の根本建前が天皇主権から国民主権に移った事は改正手続きの限界を超えるものであると主張しています。

また宮澤俊義は帝国憲法の根幹は『神権主義』であるとも言っています。

神権主義については後に述べたいと思います。

宮澤俊義の主張を取れば
天皇主権(神権主義)と国民主権主義は相容れないものであるから、此れは根本建前が変更された。しかし根本建前の変更は憲法改正手続きの限界を超えるものである。
法理的に此れを説明する事は不可能である。
よって法学的革命が起きた事により、改正の形式を取った新憲法の成立は違法ではない。

この様な主張になるのです。

しかし、この八月革命説の前提が改正限界説であるのを見れば、根本建前の変更を伴った憲法改正は『違法』であるとしなければなりません。
これを合法だとする理由が『ポツダム宣言受諾』により国民主権主義が成立したとするものです。

通説となっている八月革命説を以ってしても、矛盾がないわけではありません。
矛盾は未解決のまま放置されており、理論的に解決、決着がついているわけではないにも関わらず、日本国憲法成立の法理問題を外形上論理的に説明しているかに見える為に、圧倒的に支持されています。

しかし日本国憲法の正当性がこれにより説明されているのではありませんから、幾ら議論を重ねても『砂の城』の様なものです。

これは、我々一般の国民を含めて論じる者が古代から現在に至る天皇統治の歴史的事実や認識が共有されていない事、日本国憲法成立の経緯についても歴史的事実に関する認識を共有出来ていない事にあります。

また國體や、天皇統治について共通の認識がない。
そして我が国固有の憲法の実質的意味が理解されていない事。

そして何より、我々日本国国民が憲法を理解していない事にあります。
この憲法の理解と言うものは非常に重要です。
我々は英語のけんぽうConstitutionと憲法を混同してしまい、我が国固有の憲法の実質的意味や性質を理解出来ていないのです。

その為に諸外国の憲法に対する学説を我が国の憲法に当てはめて議論している為に、全くこの議論が噛み合わずにいます。

帝国憲法草案を書いた井上毅はこれを『憲法』とせず『律令』と考えていたけども、伊藤博文は憲法としてしまったと言う事実を見れば、その当時から議論が噛み合っていなかったのではないか?と思います。

共通の認識がなく、且つその上で議論を重ねたところで噛み合うはずもなく、又重要な議論の多くの部分で解釈は異なってしまいます。

故に日本と言う国家の根幹である國體、天皇の存在、統治、主権原理が定まらず、それどころか国家否定に繋がりかねないのです。

八月革命説に立脚すれば、主権の変更は即ち天皇の地位の変更と考えに至ります。

天皇主権主義から国民主権主義に移行する事により、新憲法では『新たに象徴天皇』と言う地位が大戦終結後新設されたと考えるからです。

つまり、旧、新憲法間には法的連続性がなく断絶したと考えるからです。

共産党が良く言う『天皇制』なるものは、ここに立脚していると言えるでしょう。
法的連続性が無いが故に『新設された天皇制』と言う事です。

完全に個別の新たな天皇で、新憲法下で新たに即位したのが昭和天皇でこれを新憲法初代天皇であると、つまりは今上陛下は三代目。

連続性が断ち切られ、國體や皇統は断絶したと言う考え方になります。

しかし何も八月革命説だけが法的連続性の否定をしている訳ではありません。

憲法無効説も旧、新憲法間の法的連続性を結果的に否定する事になっているのです。








旧、新憲法 統治と主権(1)

2020-09-21 12:00:00 | 連続
さてかなり久しぶりに記事をアップしていきます。

我が国の根幹を知る為に改めて『憲法』の
特に主権や統治、連続性について考えて行こうと思います。
かなり難しい問題ですが、なるべく解りやすく記事にしたいと思います。

数回に渡り掲載していきます。

しかし我が国の根幹に関わる事ですし、改憲を念頭に考えれば必要な事であろうと思います。

改憲するにも『憲法とは何ぞや』を知らねばなりません。
では、始めてまいりましょう。

我が国には憲法に対して、いわゆる『護憲』と『改憲』とに意見は分かれています。

『護憲』を主張する人々は、平和憲法を変えるな!と言います。
『改憲』を主張する人々は、この憲法では国家を成し得ないと言います。

どちらが正しいのかは、国民が議論して決めれば良い事です。
しかし、それを決める議論が出来る程、我々は憲法を理解しているのか?
その様な疑問が湧いてきます。

まず現憲法は帝国憲法第73条に基づいて改憲手続きにより制定されたと言う経緯があります。

護憲派の主張は現憲法はあの大東亜戦争の悲劇で多大な犠牲を払って手に入れた『平和憲法』であるから一言一句変えるな!
その様な主張です。
これは敗戦を確定した『ポツダム宣言』受諾により、憲法改正の限界を超えて国家、或いは憲法の根本が変化したとする『八月革命説』に立脚して主張しています。

他方改憲派の主張は多数が『この憲法は連合国、とりわけ米国からの押し付けで国際法違反の憲法だ』と言う主張です。
いわゆる『押し付け憲法説』に立脚しています。

また他方『時代に合わない』と言う事で時代に合わせて改憲すべし!と主張する人々も存在します。

現憲法成立の法理としては、現在は3つの学説に収れんされると考えて良いでしょう。其れは以下の3つでしょう。

八月革命説
これは先に述べた様に、ポツダム宣言受諾により法学的な革命が起きたと考えるもので、天皇主権から国民主権に移行した、これは憲法改正の限界を超えるもので法学的革命がなければ成立しないとするものです。

憲法無効説
これは『帝国憲法から現憲法への改正は法理上不可能である』から現憲法は無効であるとするもので、押し付け憲法説もここに入れて問題ないでしょう。

改正憲法説
これは『大日本帝国憲法を改正し日本国憲法が有効に改正した』と考えるもので、法学的連続性を認めるもので、現政府見解の立場と言えるものでしょう。

では現在の憲法学会ではどれが主流かと言えば『八月革命説』が学者が用いる通説となっています。
これは日本国憲法成立に対する矛盾を説明する論理として圧倒的に支持されており、護憲派の主張もこれを土台にしています。

この八月革命説は國體変更の有無にも密接に関係する為に無視する訳にはいきません。
また憲法無効説も國體変更の有無に密接に関係してくるので、これもしっかりと考えなければなりません。

八月革命説は三段論法構造により主張されています。

1、憲法改正には限界がある
2、帝国憲法から日本国憲法への改正は憲法
 改正の限界を超えるものである
3、故にポツダム宣言受諾により法学的意味
 における革命が起きたと考える事により
 帝国憲法の改正手続きによる新憲法制定
 が違法ではない
この様な建て付けになっているのです。

1にある憲法改正の限界とは何でしょうか?

それは『主権』です。
大日本帝国憲法下では主権者は天皇であったが、新憲法に於いては主権者は国民である。
憲法には前提、根底としての『根本建前』と言うものが存在しています。
その一つが『主権』であり、その根本建前が帝国憲法では天皇、新憲法では国民に移った、それは改正手続きによって成されるものではない。
何故ならば、改正手続きそのものが根本建前によって効力を与えられているからと言う主張です。

つまり、帝国憲法の根本建前は天皇主権であるから、改正手続きもその根本建前に立脚している。
新憲法では根本建前が国民主権に変更された。
本来改正手続きでは根本建前の変更は不可能である。
何故ならば改正手続きも根本建前があって出来るものである。
つまり天皇主権と言う根本建前がある帝国憲法改正条項で根本建前を変更したならば論理的には帝国憲法が自ら死を選ぶ行為で法律上不可能である。
と言うものです。

しかしこの根本建前の変更をポツダム宣言受諾により法学的に革命が起きたので帝国憲法から日本国憲法への連続性を断絶した事により改正手続きと言う形で移行したと考えているのです。

この主張ではポツダム宣言は主権変更を迫っており、それを受諾する事により主権変更が改正手続きによって成立する事が出来た、これは革命だ!
と、まぁ平たく言えばこう言う主張です。

その八月革命説によれば、革命により全ての連続性は断絶したとするので皇統も断絶し、新憲法制定により昭和天皇を初代天皇とし今上陛下を第三代天皇であると主張しています。

果たして、ポツダム宣言により我々は革命を受け入れ國體を断絶したのでしょうか?

次回に続く