さて参議院選挙が6月22日公示7月10日投開票となりました。
日本を占領統治したマッカーサー元帥は、1951年米議会に於いて、この様に証言しました。
この参議院選挙は近年珍しく安全保障が争点となる選挙と言えるでしょう。
ロシアによるウクライナ侵攻は平和に安穏としていた日本人に『危機』と言うものを突き付ける事になりました。
ある世論調査によれば防衛費の増額に90%が賛成であると言う結果だとか。
歴史を紐解くと我が国は外圧による危機が迫ると慌てると言う様な事でもあります。
前回の拙著記事でも上げましたが、民主主義ではない国が三ヶ国も間近にあり、民主主義的振る舞いをしながら実は民主主義ではない国がすぐ隣りにあるのですから今さら危機もあったものではありません。
敗戦による占領下に於いて施行された現憲法についても一言一句変えずにいるのは我が国の存立を脅かすものであると日本人はやっと考える事が出来るようになりました。
経済と安全保障はセットであると以前から申して来ましたが、今般のロシアによる侵略がそれを顕著にしてしまいました。
個別価格の高騰を見れば当たり前に実感出来るはずです。
つまり経済だけを上手くやっても安全保障が抜けていれば政策としては片手落ちで、その逆もまた同じと言う事です。
現政権は『安全保障』に対しては踏み込んだ政策をやろうとしています。
逆に野党は特にれいわ新撰組などはマクロ経済学をよく理解している方ですが安全保障が全くですね。
何もドンパチが始まったから戦争と言うものではないのです。国際法的には経済的政策も戦争の一部と見做します。
我が国は1941年真珠湾攻撃により対米戦争勃発と多くの日本人が信じていますが、実はABCD包囲網は既に連合国側からの宣戦布告です。
もっと踏み込むならば対米戦争はペリー提督が浦賀に現れ開国を迫った時からです。
これは東京裁判に於いて戦争の天才石原莞爾がハッキリと証言しています。
黒船来航はそれまで江戸期の平和ボケした日本人を目覚めさせてあっという間に明治維新をやってしまい、あっと言う間に西欧列強に追いついてしまいました。
太平洋戦争なる不思議な言葉で対米戦争だけを特別視する現状を見れば、我が国の人々の危機感の薄さにむしろ『危機感』を覚えてしまいます。
対米戦争も第一次欧州戦争以降疲弊した欧州の隙を突いて権益を広げた日米と言う新興国が、避け難い状況となりお互いの努力の甲斐なく遂に戦争に突入したと言う事が米国の公式な見方で、それはハワイ真珠湾にある米国公立の戦争記念館に見事に展示されてもいます。
戦争ばっかりやるどうしようもない国であっても、そこはフェアに考えているのです。
そうしないと戦争に勝てないからです。
我が国は先の対戦をフェアに考えないのですから安全保障は穴だらけと言う事は当然です。
失敗を冷静に分析し、失敗を材料に次を考える事を辞めてしまえば『民族絶滅』の危険性が高まります。
だから本当は我が国の閣議決定により定められた大東亜戦争と言う呼称をアメリカ様の言いなりに太平洋戦争と言い換える事で考えないように、なかったことの様に過ごすと決めてしまい、実は自らの手で自らの首を絞める行為をしています。
英語のreligionを宗教と訳した事も全く間違いで、それと同じでConstitutionを憲法と訳した間違いも考えないのです。
例えば、キリスト教やイスラム教、その他いわゆる一神教であるreligionは同じ神を信仰しながら殺し合いををやっています。
カソリックやプロテスタント。
スンニ派やシーア派などと言ってreligionを理由に殺し合う。
それは唯一絶対で全知全能の神の愛情を我こそはと独占し合うからreligionがもとで殺し合ってしまう。我が国にはその様に独占しなければならない神々の愛など欲する文化もありません。
例えば、靖国神社に行けば幕末期の志士から先の大戦に於いて祖国に殉じて、或いは我が国の為に尊い生命を捧げた方々に命(みこと)と付けて神として祀ってあります。
人ですら神になります。
神と仏が同じ敷地に祀ってあったり、日本全国に様々な神々や仏があってその神々の愛を殺し合って独占する必要がないのです。
そう言う文化や歴史、理念は戦後占領したアメリカは全く理解できないから、我が国は天皇を頂点とした宗教を以て、その愛の独占の為に戦争したと思っていたのです。
そもそも長らく植民地支配をして来たアジアそのものを全く理解していなかったのです。
有色人種を見下して来た白人にとって明治維新から、あっと言う間に自分達に追いついてしまった日本は脅威であったでしょう。
唯一白人に屈しない島国の有色人種の勃興は特に英米には脅威で、仮想敵国に設定せざるを得ない重要国。
我が国にしても、遡って考えれば実は白人からの抑圧に対抗する為にやりたくもない戦争をやって来たわけです。
支那事変からを大東亜戦争と定めたけれど自存自衛を考えるならば日露戦争からと考える事が出来ます。
日露戦争に日本が勝った事で世界は大きく動き始め、その総仕上げが対米戦争で我が国の敗戦であると見ることが出来るでしょう。
世界に海洋国家とは英米と日本だけです。
同じ島国である英国が海洋国家と言うのは理解出来ますが、どう見ても米国などは大陸国家やろ?と思いますが本人達は海洋国家だと思い込んでいて今もそう思っています。
資源に乏しい我が国は、その権益を海に求めるしかなく現在も海洋国家です。
新興国同士がお互い海を求めるならば必ず利害はぶつかります。
米国は日本を脅威とし仮想敵国とすることで自らの権益を確保しようとします。
その覇権丸出しで我が国に対して経済封鎖、海上封鎖、更にはハルノートなるものを突き付け従えと要求する。
ある意味に於いてはフェアである。
我が国はそれに対して従わず戦争でフェアに答えたと言う事です。
つまり、善悪などと言う単純な話しでもなく間違った戦争などと言う自虐的な話しでもなく、単純に『コレが外交』と言う話しです。
日米開戦当初、例えば空母や戦闘機の生産力は日本が米国を上回っていたのです。
ところがあっと言う間に米国は我が国を生産力で上回ってしまった。
それを我が国に資源がないからとか、アメリカの生産力がと、だから勝ち目のない間違った戦争をしたと自虐的にしか考えません。
1941年の開戦時は世界恐慌のインパクトから我が国はいち早く脱しておりむしろインフレ状態でした。
つまり需要が供給を追い越していて、人物金がフル稼働の状態だったわけです。
片やアメリカはデフレに未だ苦しんでいて、失業率は14%にもなっていました。
デフレは需要に対して供給力が多い状態です。
つまりは稼働していない人物金があったのです。
働いていない人、動いていない工場が沢山あったわけです。
最初は稼働させるのに時間がかかっても、動いてしまえば後は大量に生産出来ます。
我が国には生産しようにも既にフル稼働で余裕がないのです。
聡明な読者の皆様ならばお気づきでしょう。
デフレ脱却を『戦争』で乗り切ったのが米国です。
つまり経済的疲弊は戦争のリスクを高めるのです。
この後、米国は世界の覇権を握った、歴史を見れば明らかです。
戦後我が国は急激なインフレに苦しみました。それは終戦により日常を取り戻そうとして国民の需要が高まっていたにも関わらず、焦土と化した我が国には、その欲求を満たす為の供給力がなくなっていたからです。
今、ロシアの侵略により国土を蹂躙されたウクライナは停戦により日常を取り戻そうとします。しかし供給力を失っています。
間違いなく急激なインフレに苦しむでしょう。
僅か端緒を考えるだけでも安全保障と経済が如何に車の両輪であるかは簡単に理解出来るはずです。
敗戦後、我が国は片輪で走って来たわけです。
だから同じ所をクルクルと回っています。
それは憲法を見ても理解できます。
現憲法にはどこにも国民をどう守るかは書かれておらず、唯一安全保障について書かれてある9条には本当は『拉致された国民を救いません』と受け取れる条文で、よく読むと前文に『どこの誰とも解らぬ平和を愛する諸国民の公正と信義』にお任せして生存する
と、書いてあるわけです。
せめても『アメリカの公正と信義』と言うなら理解も出来ようが、さすがのアメリカもそこまで書いてはあからさまな国際法違反だとわかっているのです。
戦後教育の残りかすみたいな連中は事あるごとに『立憲主義』と宣う始末。
西欧では王様のワガママに国民が振り回されるから『立憲主義』としてConstitutionを定め王の権力を縛ったのです。
我が国には立憲主義などで縛らなければならないワガママな王は存在しません。
我が国に存在するのは、ただひたすら他者の幸福だけを祈り続ける『帝』がおられるだけで、その御存在は我々国民を『宝』と思っておられるのです。
また、憲法は権力を縛るものだとこれまたアホみたいな顔で、アホみたいなデカい声で、アホ丸出しで叫ぶアホな人もいますが。
現憲法のどこにそんな事が書いてあるのでしょうか?
よくよく見れば前文に『これは国家と国民の契約』だと言う内容が書いてあるだけ。
日本を占領統治したマッカーサー元帥は、1951年米議会に於いて、この様に証言しました。
日本は四つの小さな島々に八千万人の人口を抱えていた事を理解しなければならない。
日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良である。
彼らは工場を建設し、労働力を得たが原料を持っていなかった。
綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、他にもないものばかりで、その全てがアジアの海域に存在していた。
もし原料を断ち切られたら1000万〜1200万人の失業者が日本で発生するだろう。
それを日本は恐れた。
従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要にせまられてである。
とんでもない事を言い出しました。
さすがにこれには会場がどよめきました。
この証言は日本は侵略国家ではなく自衛の為に戦争をした!と言ってしまう事です。
侵略国家日本を打ち負かした正義の戦争と言う日米対戦の前提を根底から覆してしまったのです。
終戦から僅か6年で、対日戦を指揮した本人が歴史を修正してしまったのです。
何より驚くのは極東国際軍事裁判の正当性すら否定してしまったのです。
自らが開いたいわゆる東京裁判です。
日本を占領統治した自身の業績をも否定してしまいました。
マッカーサーは朝鮮戦争を通じて、その背後にあるソ連・中国と言う共産主義に脅威を感じていたのだと思います。
朝鮮や台湾が共産主義の手に落ちれば次は日本です。
そうなれば極東での陣地は失われ安全保障に大きな影響を与え、米国の防衛は西海岸まで後退してしまいます。
だから朝鮮半島はなんとしても死守しなければならず、マッカーサーは『海と空から中国を封じ込め毛沢東率いる共産党を打倒しなければ将来、米国の脅威になる』と強く主張し一切譲らず、核まで使おうとしました。
しかし当時のトルーマン大統領は北大西洋条約機構が中ソと徹底的に対立すれば、欧州はソ連の報復を受けると動揺し朝鮮半島38度線で痛み分けの手打ちを画策していました。
マッカーサーの主張は朝鮮半島を死守しながら、大陸のソ連と対峙すると言うもので、それは日清戦争以降、我が国がとり続けた戦略と全く同じです。
戦争の天才石原莞爾は戦後アメリカの政策を見て『日本を潰した米国は共産主義に苦しむ、対日戦を安易に画策した米国は間違いを犯した』と述べています。
『過去100年に米国は太平洋地域で犯した最大の政治的過ちは共産勢力を中国で増大させた事だ。次の100年で代償を払う事になる』
マッカーサーはこの様にも述べています。
マッカーサー、石原莞爾の主張は後の歴史を見れば明らかに正しい。
それにソ連を恐れて手打ちを画策したトルーマンの振る舞いは、今般ウクライナに対する米国の対応を見るようです。
因みにトルーマンもバイデンも米国民主党でマッカーサーは共和党です。
そしてマッカーサーは『米国は戦う相手を間違えた。真の敵は日本ではなく中ソ共産党であった』とも語っています。
更に『戦勝国が敗戦国を占領すると言う考え方が良い結果を生み出す事はない。いくつかの例外があるのみだ。』とも語っています。
そして更に重要な証言もしています。
広島、長崎に対する原爆被曝について問われた時『数は両地域で異なるが、虐殺はどちらの地域でも惨虐きわまるものであった』と述べ、広島長崎の原爆は虐殺だと言ったのです。
マッカーサーは朝鮮戦争を見てフェアに間違いに気づいた。
それは先に述べたreligionを含めて昭和天皇拝謁の影響は少なからずあったと思います。
更にトルーマンの振る舞いは後世その代償を払わされてもいる事は歴史の事実です。
にも関わらず、15億人ある人口はいずれ消費者となる。
テレビもない冷蔵庫もない、其れらを欲する人々に自国製品を売り付けて儲けようと考えた。
豊かになればいずれ民主化すると、淡い期待を抱いていた。
それが故に全く先の大戦に関わりない、戦後出来た国を戦勝国にしてしまい、そして今代償を払わされているのです。
豊かになれば民主化するのではありません。
民主主義、自由主義でなければ豊かにならないのです。
話しがアベコベなのです。
そして、経済だけに邁進して安全保障と言う片足をたった一回戦争に負けただけで勝ったアメリカ様に差し出し片足でアメリカ様の肩をかりて歩んできた我が国。
我々、日本国民も代償を払う時が来たのではないでしょうか?
選挙によって多数意見を決めると言う民主主義の手続きは、決してあなたの主権を他者に委ねる事ではありません。
忙しいあなたに代わり、議会で議論させる為に一票を投じるのです。
主権者の意思表示により政をするのは決してポピュリズムではありません。
そして間違いであるなら、選挙を通じて修正したり、或いは社会実験したりするのです。
例え独善的であっても排除せずに一応議論の中で考えてみる。
そうやって少しずつ良くしていく。
コレが民主主義の絶大なるパワーであり、専制主義国では決してあり得ないことです。
我々日本人の民主主義は何も戦後にどなた様に頂いたものではありません。
我々にはオリジナルの民主主義があるのです。
その絶大なパワーが有ればこそ2000年を悠に超えて今尚存在し続けているのです。