犬神スケキヨ~さざれ石

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我ら日本人

2022-06-15 17:09:00 | 草莽崛起
さて参議院選挙が6月22日公示7月10日投開票となりました。

この参議院選挙は近年珍しく安全保障が争点となる選挙と言えるでしょう。
ロシアによるウクライナ侵攻は平和に安穏としていた日本人に『危機』と言うものを突き付ける事になりました。
ある世論調査によれば防衛費の増額に90%が賛成であると言う結果だとか。

歴史を紐解くと我が国は外圧による危機が迫ると慌てると言う様な事でもあります。
前回の拙著記事でも上げましたが、民主主義ではない国が三ヶ国も間近にあり、民主主義的振る舞いをしながら実は民主主義ではない国がすぐ隣りにあるのですから今さら危機もあったものではありません。
敗戦による占領下に於いて施行された現憲法についても一言一句変えずにいるのは我が国の存立を脅かすものであると日本人はやっと考える事が出来るようになりました。

経済と安全保障はセットであると以前から申して来ましたが、今般のロシアによる侵略がそれを顕著にしてしまいました。
個別価格の高騰を見れば当たり前に実感出来るはずです。
つまり経済だけを上手くやっても安全保障が抜けていれば政策としては片手落ちで、その逆もまた同じと言う事です。

現政権は『安全保障』に対しては踏み込んだ政策をやろうとしています。
逆に野党は特にれいわ新撰組などはマクロ経済学をよく理解している方ですが安全保障が全くですね。

何もドンパチが始まったから戦争と言うものではないのです。国際法的には経済的政策も戦争の一部と見做します。

我が国は1941年真珠湾攻撃により対米戦争勃発と多くの日本人が信じていますが、実はABCD包囲網は既に連合国側からの宣戦布告です。
もっと踏み込むならば対米戦争はペリー提督が浦賀に現れ開国を迫った時からです。
これは東京裁判に於いて戦争の天才石原莞爾がハッキリと証言しています。
黒船来航はそれまで江戸期の平和ボケした日本人を目覚めさせてあっという間に明治維新をやってしまい、あっと言う間に西欧列強に追いついてしまいました。
太平洋戦争なる不思議な言葉で対米戦争だけを特別視する現状を見れば、我が国の人々の危機感の薄さにむしろ『危機感』を覚えてしまいます。

対米戦争も第一次欧州戦争以降疲弊した欧州の隙を突いて権益を広げた日米と言う新興国が、避け難い状況となりお互いの努力の甲斐なく遂に戦争に突入したと言う事が米国の公式な見方で、それはハワイ真珠湾にある米国公立の戦争記念館に見事に展示されてもいます。
戦争ばっかりやるどうしようもない国であっても、そこはフェアに考えているのです。
そうしないと戦争に勝てないからです。
我が国は先の対戦をフェアに考えないのですから安全保障は穴だらけと言う事は当然です。
失敗を冷静に分析し、失敗を材料に次を考える事を辞めてしまえば『民族絶滅』の危険性が高まります。

だから本当は我が国の閣議決定により定められた大東亜戦争と言う呼称をアメリカ様の言いなりに太平洋戦争と言い換える事で考えないように、なかったことの様に過ごすと決めてしまい、実は自らの手で自らの首を絞める行為をしています。

英語のreligionを宗教と訳した事も全く間違いでそれと同じでConstitutionを憲法と訳した間違いも考えないのです。

例えば、キリスト教やイスラム教、その他いわゆる一神教であるreligionは同じ神を信仰しながら殺し合いををやっています。
カソリックやプロテスタント。
スンニ派やシーア派などと言ってreligionを理由に殺し合う。
それは唯一絶対で全知全能の神の愛情を我こそはと独占し合うからreligionがもとで殺し合ってしまう。我が国にはその様に独占しなければならない神々の愛など欲する文化もありません。

例えば、靖国神社に行けば幕末期の志士から先の大戦に於いて祖国に殉じて、或いは我が国の為に尊い生命を捧げた方々に(みこと)と付けて神として祀ってあります。
人ですら神になります。
神と仏が同じ敷地に祀ってあったり、日本全国に様々な神々や仏があってその神々の愛を殺し合って独占する必要がないのです。
そう言う文化や歴史、理念は戦後占領したアメリカは全く理解できないから、我が国は天皇を頂点とした宗教を以て、その愛の独占の為に戦争したと思っていたのです。
そもそも長らく植民地支配をして来たアジアそのものを全く理解していなかったのです。

有色人種を見下して来た白人にとって明治維新から、あっと言う間に自分達に追いついてしまった日本は脅威であったでしょう。
唯一白人に屈しない島国の有色人種の勃興は特に英米には脅威で、仮想敵国に設定せざるを得ない重要国。

我が国にしても、遡って考えれば実は白人からの抑圧に対抗する為にやりたくもない戦争をやって来たわけです。
支那事変からを大東亜戦争と定めたけれど自存自衛を考えるならば日露戦争からと考える事が出来ます。
日露戦争に日本が勝った事で世界は大きく動き始め、その総仕上げが対米戦争で我が国の敗戦であると見ることが出来るでしょう。

世界に海洋国家とは英米と日本だけです。
同じ島国である英国が海洋国家と言うのは理解出来ますが、どう見ても米国などは大陸国家やろ?と思いますが本人達は海洋国家だと思い込んでいて今もそう思っています。

資源に乏しい我が国は、その権益を海に求めるしかなく現在も海洋国家です。
新興国同士がお互い海を求めるならば必ず利害はぶつかります。
米国は日本を脅威とし仮想敵国とすることで自らの権益を確保しようとします。
その覇権丸出しで我が国に対して経済封鎖、海上封鎖、更にはハルノートなるものを突き付け従えと要求する。
ある意味に於いてはフェアである。

我が国はそれに対して従わず戦争でフェアに答えたと言う事です。
つまり、善悪などと言う単純な話しでもなく間違った戦争などと言う自虐的な話しでもなく、単純に『コレが外交』と言う話しです。

日米開戦当初、例えば空母や戦闘機の生産力は日本が米国を上回っていたのです。
ところがあっと言う間に米国は我が国を生産力で上回ってしまった。
それを我が国に資源がないからとか、アメリカの生産力がと、だから勝ち目のない間違った戦争をしたと自虐的にしか考えません。

1941年の開戦時は世界恐慌のインパクトから我が国はいち早く脱しておりむしろインフレ状態でした。
つまり需要が供給を追い越していて、人物金がフル稼働の状態だったわけです。
片やアメリカはデフレに未だ苦しんでいて、失業率は14%にもなっていました。
デフレは需要に対して供給力が多い状態です。
つまりは稼働していない人物金があったのです。
働いていない人、動いていない工場が沢山あったわけです。
最初は稼働させるのに時間がかかっても、動いてしまえば後は大量に生産出来ます。
我が国には生産しようにも既にフル稼働で余裕がないのです。

聡明な読者の皆様ならばお気づきでしょう。
デフレ脱却を『戦争』で乗り切ったのが米国です。
つまり経済的疲弊は戦争のリスクを高めるのです。
この後、米国は世界の覇権を握った、歴史を見れば明らかです。

戦後我が国は急激なインフレに苦しみました。それは終戦により日常を取り戻そうとして国民の需要が高まっていたにも関わらず、焦土と化した我が国には、その欲求を満たす為の供給力がなくなっていたからです。
今、ロシアの侵略により国土を蹂躙されたウクライナは停戦により日常を取り戻そうとします。しかし供給力を失っています。
間違いなく急激なインフレに苦しむでしょう。

僅か端緒を考えるだけでも安全保障と経済が如何に車の両輪であるかは簡単に理解出来るはずです。

敗戦後、我が国は片輪で走って来たわけです。
だから同じ所をクルクルと回っています。

それは憲法を見ても理解できます。

現憲法にはどこにも国民をどう守るかは書かれておらず、唯一安全保障について書かれてある9条には本当は『拉致された国民を救いません』と受け取れる条文で、よく読むと前文に『どこの誰とも解らぬ平和を愛する諸国民の公正と信義』にお任せして生存する

と、書いてあるわけです。
せめても『アメリカの公正と信義』と言うなら理解も出来ようが、さすがのアメリカもそこまで書いてはあからさまな国際法違反だとわかっているのです。

戦後教育の残りかすみたいな連中は事あるごとに『立憲主義』と宣う始末。
西欧では王様のワガママに国民が振り回されるから『立憲主義』としてConstitutionを定め王の権力を縛ったのです。

我が国には立憲主義などで縛らなければならないワガママな王は存在しません。
我が国に存在するのは、ただひたすら他者の幸福だけを祈り続ける『帝』がおられるだけで、その御存在は我々国民を『宝』と思っておられるのです。

また、憲法は権力を縛るものだとこれまたアホみたいな顔で、アホみたいなデカい声で、アホ丸出しで叫ぶアホな人もいますが。
現憲法のどこにそんな事が書いてあるのでしょうか?

よくよく見れば前文に『これは国家と国民の契約』だと言う内容が書いてあるだけ。



日本を占領統治したマッカーサー元帥は、1951年米議会に於いて、この様に証言しました。

日本は四つの小さな島々に八千万人の人口を抱えていた事を理解しなければならない。
日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良である。
彼らは工場を建設し、労働力を得たが原料を持っていなかった。
綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、他にもないものばかりで、その全てがアジアの海域に存在していた。
もし原料を断ち切られたら1000万〜1200万人の失業者が日本で発生するだろう。
それを日本は恐れた。
従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要にせまられてである。

とんでもない事を言い出しました。
さすがにこれには会場がどよめきました。

この証言は日本は侵略国家ではなく自衛の為に戦争をした!と言ってしまう事です。

侵略国家日本を打ち負かした正義の戦争と言う日米対戦の前提を根底から覆してしまったのです。
終戦から僅か6年で、対日戦を指揮した本人が歴史を修正してしまったのです。

何より驚くのは極東国際軍事裁判の正当性すら否定してしまったのです。
自らが開いたいわゆる東京裁判です。

日本を占領統治した自身の業績をも否定してしまいました。

マッカーサーは朝鮮戦争を通じて、その背後にあるソ連・中国と言う共産主義に脅威を感じていたのだと思います。
朝鮮や台湾が共産主義の手に落ちれば次は日本です。
そうなれば極東での陣地は失われ安全保障に大きな影響を与え、米国の防衛は西海岸まで後退してしまいます。
だから朝鮮半島はなんとしても死守しなければならず、マッカーサーは『海と空から中国を封じ込め毛沢東率いる共産党を打倒しなければ将来、米国の脅威になる』と強く主張し一切譲らず、核まで使おうとしました。

しかし当時のトルーマン大統領は北大西洋条約機構が中ソと徹底的に対立すれば、欧州はソ連の報復を受けると動揺し朝鮮半島38度線で痛み分けの手打ちを画策していました。

マッカーサーの主張は朝鮮半島を死守しながら、大陸のソ連と対峙すると言うもので、それは日清戦争以降、我が国がとり続けた戦略と全く同じです。

戦争の天才石原莞爾は戦後アメリカの政策を見て『日本を潰した米国は共産主義に苦しむ、対日戦を安易に画策した米国は間違いを犯した』と述べています。

『過去100年に米国は太平洋地域で犯した最大の政治的過ちは共産勢力を中国で増大させた事だ。次の100年で代償を払う事になる』
マッカーサーはこの様にも述べています。

マッカーサー、石原莞爾の主張は後の歴史を見れば明らかに正しい。
それにソ連を恐れて手打ちを画策したトルーマンの振る舞いは、今般ウクライナに対する米国の対応を見るようです。
因みにトルーマンもバイデンも米国民主党でマッカーサーは共和党です。

そしてマッカーサーは『米国は戦う相手を間違えた。真の敵は日本ではなく中ソ共産党であった』とも語っています。

更に『戦勝国が敗戦国を占領すると言う考え方が良い結果を生み出す事はない。いくつかの例外があるのみだ。』とも語っています。

そして更に重要な証言もしています。
広島、長崎に対する原爆被曝について問われた時『数は両地域で異なるが、虐殺はどちらの地域でも惨虐きわまるものであった』と述べ、広島長崎の原爆は虐殺だと言ったのです。

マッカーサーは朝鮮戦争を見てフェアに間違いに気づいた。
それは先に述べたreligionを含めて昭和天皇拝謁の影響は少なからずあったと思います。

更にトルーマンの振る舞いは後世その代償を払わされてもいる事は歴史の事実です。

にも関わらず、15億人ある人口はいずれ消費者となる。
テレビもない冷蔵庫もない、其れらを欲する人々に自国製品を売り付けて儲けようと考えた。

豊かになればいずれ民主化すると、淡い期待を抱いていた。
それが故に全く先の大戦に関わりない、戦後出来た国を戦勝国にしてしまい、そして今代償を払わされているのです。

豊かになれば民主化するのではありません。
民主主義、自由主義でなければ豊かにならないのです。
話しがアベコベなのです。

そして、経済だけに邁進して安全保障と言う片足をたった一回戦争に負けただけで勝ったアメリカ様に差し出し片足でアメリカ様の肩をかりて歩んできた我が国。

我々、日本国民も代償を払う時が来たのではないでしょうか?

選挙によって多数意見を決めると言う民主主義の手続きは、決してあなたの主権を他者に委ねる事ではありません。

忙しいあなたに代わり、議会で議論させる為に一票を投じるのです。

主権者の意思表示により政をするのは決してポピュリズムではありません。
そして間違いであるなら、選挙を通じて修正したり、或いは社会実験したりするのです。

例え独善的であっても排除せずに一応議論の中で考えてみる。

そうやって少しずつ良くしていく。

コレが民主主義の絶大なるパワーであり、専制主義国では決してあり得ないことです。

我々日本人の民主主義は何も戦後にどなた様に頂いたものではありません。
我々にはオリジナルの民主主義があるのです。

その絶大なパワーが有ればこそ2000年を悠に超えて今尚存在し続けているのです。




安全保障と五要件

2022-06-07 16:22:00 | 草莽崛起
2015年9月安保関連法が国会で可決成立した事は皆さんもまだ記憶に新しいでしょう。

ヒゲ隊長こと佐藤正久議員がアホの民進党(当時)の小西ひろゆき議員に顔面パンチが炸裂した写真を覚えておられるはず。

不肖、私はこの写真を当時沖縄白梅学徒看護隊の慰霊の為に沖縄にいたため、ウンコ紙沖縄タイムスや琉球新報で見ました。

その安保関連法可決を、先の大戦で激戦地であった沖縄で、しかも白梅の少女達を訪ねて目にするとは感慨深いものでした。

敗戦後、日本人が三流国家北朝鮮に何人拉致されようと何もしないと言う安全保障が幾許かは前進したと言えるでしょうが...
この程度で日本人を守れるのかは甚だ疑問視するものです。

先の大戦を経て不戦の誓いを立てようと、だからと言って何もせず国民を見殺しにする様な国家である事は未だ変わりはないのです。
その証拠に拉致を実行した国が勝手に選んだ5人だけを返して、後は死んだだの何だのと勝手な理由で返しもしない事実を唯々諾々として全く取り返せていないのですからね。

そして話しは外れますが、世にはさも事実であるが如きに陰謀説に乗じて有るまじき自説を流布するアホンダラもいてびっくりします。
例えば『横田めぐみは金正恩の母親だ』だとか『拉致被害者家族は金を貰ってるから解決すると困るので解決したくない』とか。
様々な説を実しやかに流布します。

金の為に我が子を人身御供にする親がいるのか?
さらに『だから拉致被害者など諦めろ』と言う人までいるから驚きです。

つまりこれは安全保障の根本が理解出来ていないと言う事です。

例えば拉致被害者が今は生きる為に仕方なく北朝鮮の思い通りに何かをさせられていたとしても、被害者家族が何らか金銭的扶助を受けていたとしても安全保障上の問題解決とは違う話しです。

我々は例えば、横田めぐみさんの手を取り『一緒に帰りましょう』と言う事が出来る時、我が国の真に必要な安全保障を実行したと言う事です。
その時、横田めぐみさんが首を横に振ったとしても我々はそこまでやらねばならないのです。それが安全保障と言う事です。

さて、話は戻りますが『安保関連法可決成立』により我が国は一部であるが集団的自衛権行使が容認された訳です。
これを以てアホなドブ反日の連中は『戦争のリスクが上がる』だの『アメリカの戦争に巻き込まれる』だの言っております。

全くアホ丸出しです。

先ず戦争リスクが上がるなど定量的に考えればあり得ない事は明白です。
アメリカの戦争に巻き込まれるは「そりゃ同盟関係やねんから当たり前やろ」と言う話しです。
ではリスクと同盟について考えていこうと思います。

平和の要件

世に安全保障論や国際関係論と言うものがありそれらは究極的には平和論として考えられます。

その究極の目的は戦争を避けて平和を維持することにあります。

耳目を塞ぎ『私達は戦争しない!』等と宣うアホな観念論ではなくリアリズムとして如何に紛争戦争を避け生き延びるか?と言うサバイバル術でもあるのです。

先ずは事実を見てみましょう。

第二次世界大戦以降、1000人以上の死者を出した国家間の紛争戦争だけを見ても実に38回(1947年〜2003年)ありました。

1947年第一次印パ戦争〜2003年イラク戦争までの資料ですが。

これにロシアによるウクライナ侵略が新たに加わる事になりますね。

今回は2003年イラク戦争までの資料に基づき考えていきます。
一カ国対一カ国、様々な国が関与している戦争など様々です。

そして第二次世界大戦以降の戦争がどの地域で起きたかを見ると実に40%がアジア地域で起きているのです。中東地域を除く。

なんとアジアこそが世界の火種と言う事です。
その世界の火種であるアジア地域において特に注意すべき国はどこか?
また、それは何故か?

国際関係論の観点から見るにその領域で古くからある『民主平和論』なるものがあります。
1795年イヌマイエル・カントなる人物が『永遠平和の為に』と言う話を源流とした理論です。
民主主義を採用している国同士は戦争が起きにくいと指摘している理論です。
長らく忘れられていたものですがマイケル・ドイルが現代に復活させたものです。

しかし現代、国際政治関係論では法則らしい法則であるとみなされています。

先程のイヌマイエル・カントは『民主主義』『経済的依存関係』『国際的組織への加入』と言う3つが戦争を防ぎ平和を増進すると言う考え方を示したものです。


この考えを図にすると上の様になり、これをカントの三角形と言います。
このうち民主主義と戦争(平和)の関係を民主的平和論として世によく知られているものです。

この理論によれば、民主主義を採用していない独裁、専制主義国は民主主義国家より戦争を起こしやすいとされます。

民主主義国家であれば基本的には国の行動について選挙と言う手続きで選ばれた政治家の合議によ決定されますから、政治家は常に世論を意識しなければなりません。
三権分立や二院制など、権力やその機構がお互いを牽制する仕組みになっています。
その為『戦争』と言う極端な行動政策が選択され難くなり、相手も同じ民主主義国家ならば同じ手続きを踏みますから、そもそも議論で物事を決める事に慣れてもいます。
なので、極端な選択に至る前に外交的交渉等による妥協や手打ちがしやすいのです。
結果、民主主義国家同士では戦争のリスクは下がります。

逆に非民主主義国家や民主主義度が低い国は権力の相互牽制機能や或いは選挙などがない為に極端な行動がとり易いのです。

そう考えるとロシアによるウクライナ侵攻に『妥協しろ!手打ちしろ!』と宣う橋下徹の論理性はないと言う事です。
民主主義度の低いロシア相手に妥協も手打ちも不可能であると言えます。

何せ、独裁者や一党しかない様な国では戦端を開けば、それを止める仕組みが存在していないのですからロシアも侵略を止めることは不可能ですね。

アジアには民主主義を採用せず公然と共産社会主義を標榜している国が中華人民共和国、北朝鮮、ベトナム、ラオスと4カ国あるわけで当然これら国々でまともな選挙は実施されておらず政権交代可能な野党もないので非民主主義国家である事は間違いありません。

カントの理論から見れば、例えば外交的交渉などで手打ちする事が困難な国がすぐ隣にあるわけです。
と、なると日本共産党などの極左アホ団体が宣う『外交交渉』で戦争を避けるなどと言う主張は安全保障上大変危険である事がよく理解できます。

ですから我が国のすぐ側にある非民主主義国家を警戒するのは至極当たり前の話しです。
そして我が国は中華人民共和国・北朝鮮・ロシアと言う国を3正面で対処しなければならない最も危険な状態と言えます。

しかし大韓民国の様に表向き民主主義国家に見えて実際には疑わしい国もあるわけですから民主主義だから安心と言うわけではありません。

また経済的に困窮する国は対外戦争に打って出ることで国内の不満をガス抜きしそらそうとするのは歴史の教訓で、中華人民共和国の経済成長鈍化は誠に警戒しなければならず、穴掘って売ってるだけのロシアの現状を見れば明らかです。

更にブルース・ラッセル、ジョン・オニールがカントの三角形以外にそれ以外の要素も加味し整理した理論も打ち立ており、さながら国際政治関係論における『最終理論』とも言えるものです。

これは、それまでのバランスオブパワー論と言う軍事バランスによるリアリズムの視点に貿易や経済と言うリベラリズムの視点と言う対立する立場を上手く統合したものです。
ちなみにカントの理論はリベラリズムに属するものです。

つまりリアリズムとリベラリズムのどちらも戦争リスク軽減に必要だとするものです。
これを平和の五要件と言います。



図にすると上のようになります。

リアリズムとして
①有効な同盟関係を結ぶ事
②相対的な軍事力
リベラリズムとしと
③民主主義の程度
④経済的依存関係
⑤国際的組織への加入

これらを数学的計算処理により戦争を起こすリスクに影響を与えるものであると判明させました。

①で40%、②で38%、③で33%、④で43%、⑤24%、それぞれ戦争リスクを減少させるとされています。

①強固な同盟関係が有れば戦争を仕掛ける国は躊躇するので対外的抑止力は高まります。
②は互いの国の軍事バランスで、そのバランスが崩れ一方が一方を上回る軍事力を有すれば戦争のリスクが高まるので必要な軍備によりバランスを保つ事で抑止力になります。
③はカントの所で述べた様に民主主義度が高い程戦争リスクは減少します。
④は経済的依存度が高い国と戦争すれば、開戦した途端に自国経済にもダメージを負うので躊躇します。
⑤は国連や例えばNATOなどに加盟する事で集団安全保障体制を作りリスクを減少させます。

我が国の側には非民主主義国家があり、例えば北朝鮮などはミサイルを撃ち、我が国国民を拉致しています。
中華人民共和国は我が国領土を狙って『沖縄県を核心的利益』と公言し侵略すると公言しています。
ロシアは我が国領土である北方領土を勝手に占領しています。

その内、北朝鮮とは経済的依存関係は特に低く、ロシアもウクライナ侵攻を期に下がっており我が国を敵国としています。
中華人民共和国は経済的依存関係は高いものの非民主主義国家であり、毎年倍々ゲームで軍事費を上げており相対的軍事力に差が出ています。

それを何とか押し留めているのが日米同盟であるのは五要件で見れば明らかです。

集団的自衛権行使容認が戦争リスクを上げるなどは理論的にも定量的にもナンセンスな話しだと理解できます。

そもそも自衛権は人間で言うなら『正当防衛』と同じで集団も個別もありませんし憲法による不戦の条項にも何ら反しません。

平和の五要件から見ればむしろ集団的自衛権こそが平和論です。

それに日米同盟関係を見て世界は『いや既に集団的自衛権行使してるだろ』と言っています。

朝鮮戦争では我が国は国連軍の要請に応じて日本海で機雷掃海までやって死者まで出している。
立派な集団的自衛権行使です。
しかも自国領海内で掃海作戦をする我が国は北朝鮮から見れば立派な敵対行為です。

ですから諸外国は日本がこれまで集団的自衛権行使をやってないとは全く思っていません。
日米安保、それによる在日米軍基地提供は立派な集団的自衛権行使です。

その上で『日本は個別的自衛権行使はするが集団的自衛権行使は憲法上許されない』とか言うアホな話しをアホ丸出しでアホな顔して言うた所で世界は『今さら何を言うてんの?』と、これまた完全にアホ扱いされるだけです。

そして日本には米軍どころか国連軍まで存在しているのです。

横田基地には国連軍後方司令部が置かれており、オーストラリア、カナダ、フランス、フィリピン、タイ、トルコ、アメリカ、イギリス、イタリア、南アの11カ国が日本と国連軍地位協定を結び、うち8カ国が司令部として今も使用しています。

基地内常駐は連絡要員として4名、その他連絡将校らは各国大使館に武官として兼務しています。

更に、在日米軍基地の座間、横田、横須賀、佐世保、嘉手納、普天間、ホワイトビーチなどは国連軍施設に指定されており先に上げた締結国は必要に応じてこれら施設を利用出来ます。

2006年北朝鮮核実験の際も測定を行うイギリス空軍機が補給目的で嘉手納を使用し、2007年米豪が訓練目的で沖縄の基地を使用しています。

だから今なお横田基地には日米両方の国旗と共に国連旗が旗めいています。

これ程、我が国が国連に協力し、その組織にビルトインされ国連憲章により認められ、日米安保条約にも明記された集団的自衛権について『権利は有しても行使は許されない』等と主張しても国際社会では全く通用しないし『もう既に思いっきり行使』しちゃってますよね?と言う話しです。

例えば個別の自衛権のみ行使するなら、日米同盟は米国にとっては甚だ片務的で、我が国の為に血を流そうとは考えないでしょう。
ならば『核の傘』はより一層絵に描いた餅と言う話しです。
それでもロシアの侵略により核の傘は抑止力として効果を成さないとわかってきたのです。

だから核抑止も自前でやらなければならない事態となりました。
非民主主義国家がすぐ側にあり、其れ等が核武装をしているのですから、今我が国は史上最も国家存亡の危機にあると言えます。

アホのドブ反日左翼の言う『話し合い』は先の五要件のリベラリズム性から見てもリスクを高めるだけで、中華人民共和国や北朝鮮に対してはリアリズムの観点からも危機が高まっていると理解出来ます。
単純に我が国は核武装していないのですから
既に相対的軍事力を欠いています。

さてあと少しで参議院選挙です。

時間はあまりありません。

しかしこれを機にしっかりと我が国の危機的状況に向き合ってみたらいかがでしょうか。